すくーるでいず -THE BOY MEETS THE GIRL-
act14.鳳凰寺邸2
パート譜を見るという以前に、音がまともに出せるかどうかも不安な二人は楽器を用意して吹き鳴らし始めた。心配していた
割には二人とも音階をちゃんと奏でられていて、覚が指馴らしに曲を吹きはじめると、途中からフェリオもそれに合わせていった。
指揮者が居るわけではないので覚はメトロノームのテンポに合わせ、フェリオのトランペットはアルトサックスを打ち消さないように、
上手く前に出たり後ろに控えたりしていた。
ソロでは上手くやれても、こういうセッションで自己主張に走りすぎないのは、意外に難しいのだ。それを初顔合わせで見事に
こなしているフェリオの心くばりを風も評価しない訳にはいかなかった。
風がフェリオに下していた評価はといえば、『見た目はいいけどナンパな人』以外の何者でもなかった。一言二言挨拶を交わした
だけの相手にウインクしてみたり、あんなに気安くお茶に誘うだなんて所業は、およそ風には理解出来なかった。年上好きなら
それに徹すればいいものを、今度は下級生だなんて節操がなさすぎる点がさらに評価を下げていた。転入して十日足らずで、
学院女子生徒の大部分はその笑顔の爽やかさや人当たりの良さに好感を抱いていた。風の態度はむしろ異端と言えるほどだ。
職員室外で断られたあと、果敢なチャレンジャーのフェリオは懲りずにお茶に誘い、再び玉砕していた。
「お茶は持参しておりますと申し上げた筈です。たくさんの女性を誘い過ぎて、どなたに断られたかもご記憶にないんですか?」
取り付く島もありゃしない、けんもほろろな扱いだった。
だが先ほどのアスコットへの気遣いといい、セッションでの対応といい、風のフェリオ観はぐらぐらと揺らぎ始めていた。
フェリオは学校の部活動に興味があるものの、いまだ種目を絞り切れずクラブジプシーをしている最中だった。すでに剣道部と
フェンシング部には体験入部済みで、その際の光と海の評価は風とは全く違っていた。
『職員室でのことを風ちゃんに聞いてはいたけど、そんなにナンパな感じしないよ?女子の先輩に話聞くときも真面目だったし』
『なんていうのかしら…、悪い意味じゃなくて人あしらいが上手いわね。たくさんの人に話しかけられることにとても慣れてる
感じがするの。フェンシング部は圧倒的に女子が多いし可愛いコもかなり多いけど、あいつから誘ってる感じはなかったわ。
むしろ何度も誘われて、仕方なくお茶に応じてるみたいな雰囲気よ』
『ホントにただ風ちゃんと話してみたかったんじゃない?アスコットのこととかでさ』
空が加わったところで譜読みを始め、先にパート譜を見ていた姉妹がまず通しで演奏した。覚は耳だけ音に集中して、伏せた
視線はずっと譜面を追って時折何か書き込んでいた。フェリオも最初のうちは譜面を見ていたが、ふいに顔を上げたかと思うと
その後はずっと風を見つめていた。
目線は音符を追っていても、人の視線はなんとはなしに感じるものだ。真っ正面からであればなおさらだろう。
演奏を終えた二人に覚は拍手を送り、空は小さく微笑んだ。
「あの…、フェリオさんは私の演奏にご不満でも?ミスはしなかったと思いますが」
拍手もせずなかば見とれていたフェリオがハッと我に返って手を叩いた。
「ああ、いや、さすがに姉妹だけあってすごく綺麗に合ってたからさ。感動してたんだ」
「兄弟じゃなくてもお二人には合わせていただきますからね」
客人二人ににっこり微笑む空を見て、覚がフェリオに耳打ちした
「優しげな顔をしているけど、あれで空…さんは音楽のことになるとかなり厳しいからな。真面目にやれよ、フェリオ」
取ってつけたように「さん付け」にした覚に風がクスッと笑い、空は腰に手を当てて軽く覚を睨んだ。
「聞こえてるわよ、覚さん。あなたには特に厳しくいきましょうね」
そんな二人のやりとりにたまりかねてフェリオがくっくと身体を折って笑っていた。
「生徒会長が書記に敷かれてるし…。俺、学院のトップシークレット知ったんじゃないか?!」
笑い上戸なたちなのかフェリオの笑いはなかなか治まらない。
「やっと腹の底から笑ったな。しかめっつらしてたって、いいことなんて何もない。だったら笑ったモン勝ちだよ」
「『笑う門には福来たる』っていうぐらいですものね」
「…服着た≪る≫……?」
何か妙な勘違いをして複雑な表情で首を捻っているフェリオを、覚と空が優しいまなざしで見つめていた。
彼女の視界に入る彼はいつでも女の子たちに笑っていたように思えるのに、覚たちの態度を見るにつけ、風はフェリオの
本当の姿が判らなくなってきていた。
空の厳しいレッスンに耐え、ようやく遅めのランチタイムということになった。フェリオがもう少しだけソロパートの練習を
したがったので、指導役に風を残し、客人である覚が空の手伝いを買って出ていた。
「マジ、敷かれてるな、生徒会長…」
「覚さんのことはいいですから、こちらに集中してください。お昼抜きにしますよ?」
「…鬼の妹はやっぱり鬼だ…」
「何かおっしゃいまして?」
「いーえ!…そういや、この辺からもう一回やってみてくれないか?」
「あなたがソロの練習をなさるのでは?」
「ダメ。どうしても気になって集中できない」
フェリオの言い分に首を傾げつつ、自分でもひっかかりのある部分だったので、言われるままに吹きはじめた。至極真剣な
顔で演奏を見ているので、風はだんだん気恥ずかしくなってきていた。一通り吹き終えたところでフェリオが風の楽譜を覗きに
来て幾つかの音符に丸をつけると、風が小さく「あ…」っと声を漏らした。
「な、なんですの、いったい…?」
あまりのフェリオの接近に、譜面どころではない風が少しばかりつっけんどんな言い方をする。
「この印をした音んとこ、自分でも吹きにくいって思わないか?」
フェリオが長い指で風のパート譜を指さしていった。
「え?ええ、確かに。だから少しもたついてしまって…」
「フルートはもしかして自己流か?」
「ほんの基礎だけは教えていただきましたけど、なかなか先生のところに通う時間も取れないのであとは自己流ですわ」
「そっか。丸をつけたところを替指にしてみるといい。多分そのほうが吹きやすいと思うぜ」
「替指…聞いたことはありますけど、どの音をどうすればいいのかこの場では判りません。また調べておきます」
「この音、出して」
フェリオに言われるまま音を出すと、背中越しに手を伸ばして風の指の形を変えていく。
「これで吹いてみな」
確かにさっきの指使いのときと同じ音が出ているし、このほうが次の音に動きやすい。
「あの、そんなにくっつかれるのは困ります…」
「悪い。正面から見るんじゃ指使いが判り辛いんだ」
そんなことを言いながら、フェリオは風にいくつかの音の替指を教えていった。
「さっきのフレーズから替指のほうでやってみろよ」
「え?ええ」
教えられた指使いを反芻しながら、風がもう一度フルートを奏ではじめる。もともと自分自身が気になるだけで誰かに
咎められるような引っ掛かりではなかったものの、格段に吹きやすくなっていた。
「な?こっちのが楽だろ?」
秘密の宝物を自慢する小さな子供のような屈託のない笑顔に、風はとくんと心臓が跳ねるのを感じた。
「…フルートもお得意なんですか?」
「いや、フルートが得意だったのは姉上のほうだ。一緒に出来れば喜んで貰えるだろうかと思っていろいろ覚えたけど、
俺はあまり上手く吹けなかった……」
微妙に過去形なフェリオの話し方に風が眉を曇らせる。そんな彼女の表情に気づいて、フェリオが慌てて言い繕った。
「なに心配してるんだ?姉上はちゃんと生きてるぞ。ただお忙しいからそういうことに割ける時間がなくなっちまったってだけだ」
「紛らわしい言いかたをなさるから…!」
「わりぃ…。心配してくれるんだな、俺のことでも」
「――聖レイアには留学生がたくさんいらっしゃいますけど、高等科までの学生の場合、ホームステイされるかドミトリーに
入られる方が多いんです。中等科生のお二人だけで暮らしてらっしゃるってお話でしたから、もしかしたらなにか事情がおあり
なのかもしれないと…」
やや目線を伏せてそう語る風に、正面に回ったフェリオはわざとらしいほどおどけて答えた。
「やっぱマンション暮らしのほうがいろいろ自由も利くだろ?」
いくばくか心配していたのに茶化されてしまった風がむっとしたように言った。
「まあ!職員室で初対面の相手にウインクなさるようなかたは、ナンパすることしか考えてらっしゃらないのかしら!?」
「え…っ!?いや、あれはそんな意味じゃない!」
「ウインク飛ばして、お茶に誘って……これをナンパと言わなければなんとおっしゃるんです?」
「あれは…。あれはお前が言い訳しないところがすごくカッコいいと思ったから、うそを見逃してやるってつもりの目配せ
だったんだよ」
「うそって…」
戸惑いの色を隠せない風の顔を、フェリオは真正面から見つめた。
「寝坊して遅くなった訳じゃないだろ?あの土砂降りの朝、俺たちはあの駅で見てたんだ…。誰もが足早に通り過ぎてく中、
お前だけがあのおばあさんの為に立ち止まって話を聞いていた…」
「あ――」
「あの人は結構長い間あそこで立ち往生してたんだ。気にはなったけど、俺たちは自分の学校に行くのも覚束ないよそ者で、
何の手助けにもなれない。そこにフウが来たんだ。お前は制服着てたから、学院生だってすぐに判ったよ。フウが改札を入って
きたら、ホントは道案内を頼もうと思ってた。だけどお前はおばあさんと行ってしまったから、他に制服着たやつ見つけて、
そいつを追っかけて登校したんだ」
「あれは…、私がぶつかりそうになってしまったから、ただお詫びのつもりで…」
誰かに見られているとは思っていなかった風が、気恥ずかしそうに視線を伏せた。
「職員室に出向いたら、『早めに登校してってお願いしたのに』って、お前のクラス担任がぶつぶつ言ってて、どんなルーズな
やつが来るんだろうと思ってたら、駅で見たお前だったからびっくりしたよ。自分だって急いでたのに、なかなかあそこまで
出来ないぜ?」
正面きって善行を誉めそやされ、風は上気した頬を隠すように俯いていた。
「それに…、この国に来て、お前が初めて俺に青空を見せてくれたんだ」
「え…?」
フェリオの言わんとするところを掴みきれない風が、僅かに顔を上げた。
「――正直言って、俺は留学なんかしたくなかった。いろいろ大変な問題を抱えている姉上の力になりたかったのに、まだ
ガキの俺では役に立たないとここへ放り出されちまったんだ。おまけに日本に来てからずっと雨続きで、余計に気分が
滅入ってた。初登校の日はこれでもかってぐらい、土砂降りだったしな。…そうしたらお前が、白い雲の浮かぶ青空の傘を
さして現れたんだ」
確かにその頃は嫌になるほど雨続きで、あの日はひどい土砂降りだった。風自身も沈みがちな気分を変えようと、普段
使うことのなかったあの傘で出かけたのだ。
「作り物なのは解ってんだけど、ほんのひとかけらでも青空を見られてすごく嬉しかったんだ。役立たずな自分を嘆くより、
顔を上げれば何か別のことを見つけられるような、前向きな気持ちになれた…。俺の国にはあんなラッシュアワーなんて
なくて、あのおばあさん同様置き去りにされるような感覚に立ち竦んじまいそうになってた。そんな中でフウがあの人の為に
立ち止まってくれたのが自分のことのように嬉しくて…、だからお前と話してみたかったんだ」
「…フェリオさん…」
風はいまようやく、フェリオの姿がはっきりと見えてきたような気がした。
優美な銀色に輝く細かな細工の施されたキッチンワゴンを押しながら、空と覚がオーディオルームに戻ってきた。
「お待たせしてごめんなさいね。覚さんがサイフォンでコーヒーを淹れたいっておっしゃるから時間がかかってしまって…」
「こう手動のミルで挽きたての香りを楽しんで、アルコールランプでドリップするなんて優雅なことが出来るのはここだけ
だからね」
「コーヒーがお好きなのに、おうちでなさらないんですか?」
わざわざ他人の家まで来てコーヒーを淹れる覚に風がくすりと笑った。
「僕が買ったサイフォンをことごとく粉砕する敵が多いんで、うちでするのは諦めたんだ」
「お紅茶も用意してあるけれど、どちらがいいかしら」
「空お姉様の淹れてくださるお紅茶はいつでも飲めるから、今日は覚さんのコーヒーを…」
「あら珍しい。普段はコーヒーお好きじゃないでしょう、風さん」
「少し気分を変えてみたくなったんです」
「俺はどっちも初めてだけど…、とりあえず生徒会長のコーヒーを飲んだって自慢したいんで、そっちを…」
「いや、別に自慢にはならないだろ」
姉妹は小さく食べやすいキャンディロールサンドを、食べ盛りの客人はがっつりとクラブハウスサンドを食べつつ、球技大会の
あれこれをフェリオに話していた。
「そうだわ、風さん。ハチマキはもう作ってしまわれたの?」
思い出したようにそう尋ねた空に風は首を横に振った。
「いいえ、家庭科の時間内に出来なかったので、まだ…」
「まだでよかったわ。赤や青のハチマキってどうしても色落ちしやすくて、毎年赤い汗や青い汗をかく人が続出して大変なの。
形が出来上がったら、イニシャルを縫い付ける前に一度洗ってアイロンをかけるほうがよろしくてよ」
「はい、ありがとうございます。空お姉様はもう仕上げられたんですか?」
「うふふっ、今年でもう五回目ですもの。さくっと仕上げてお渡ししましたわ」
誰に、とは言わなかったが、思わず視線が明後日のほうを向いた覚を見れば明らかだ。照れくさそうな覚がぼそりと呟く。
「ハチマキ作りね…。光は家庭科が苦手だからなぁ…。『ミシンが怖い』なんて、文明に取り残されたこと言ってるし、まともに
出来るんだろうか」
「一生懸命手縫いで頑張ってらっしゃいましたわ、家庭科の時間中」
「光さんが作ったハチマキは、どなたの手に渡るのかしらね、ふふふっ」
楽しげに笑う空に覚が曰く言い難い視線を送るが、空は素知らぬふりをしてフェリオに話を振った。
「フェリオさんはどなたかにいただけそう?」
「え、いやその、俺は転入生だし、まだそういうの貰えるような相手は…」
「そうなの?」
「どうしても声をかけられないってヤツも毎年いるからな。球技大会の一週間前になったら、中・高等科のエントランスの
ところにハチマキ・ボックスが置かれるんだ。誰かにあげたり貰ったり出来ない生徒の為にね。そこから持ってくのが最終
手段だ。うちの弟二人がお得意さんのようだけど…。今朝も言ったように、舞踏会のお誘いの予行演習と思って、なるべくなら
自力で頑張って欲しいところだな。まぁ、もう少し時間はあるよ」
「そう…ですね」
目の覚めるような青にひとつ、鮮やかに白いチーム・イニシャル――あの日見た空のかけらをフェリオは想い浮かべていた。
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
「風ちゃんのフェリオ評価は超マイナスだし、どうやったらこんな感じでフェリオが接近できるのか!?」
・・・というコンセプトの元、act12からact14が形になっていった訳です
無事着陸できてるでしょうか・・・(ソフトランディングもハードランディングも着陸のうちだっっ!・居直り)