すくーるでいず -THE BOY MEETS THE GIRL-
− a piece of blue sky −
カーテンを開ける前からもう判っていた。すでに聞き飽きてきたざぁぁぁっという水の音…。
「雨、雨、雨…。いったいこの国はなんだってんだ。『ツユ』とかいう雨期はもっと先のハズだろう」
来日して一週間。まるで彼の心そのままのような鬱陶しい雨模様…。所用で出掛ける日はいつも雨だったフェリオが
いらついたようにそう言った。
「『ナタネヅユ』っていうんだって。お隣りのおばさんがそう言ってた」
そう答えたアスコットと二人で住む部屋は角部屋で、隣には彼等の保護者であるイノーバが住んでいた。
「お前、イノーバをおばさん呼ばわりしてるのか。あの口うるささはおばさんに匹敵するが、美人顔でも間違いなく
男だぞ」
「判ってるよ、そんなの。その隣!」
「へえ、人見知りの癖によくそんな世間話が出来たな、アスコット」
他人の視線を遮ろうとするかのような長い前髪に隠された、緑の瞳を覗き込む。
「すごく可愛い犬連れててさ、そのコを褒めたらいろいろ向こうから…」
国にいるころはたくさんの動物たちが彼の友達だった。検疫やら住まいやらの問題があり、彼はそのすべてと
別れてここに来たのだ。
「悪かったな、こんなとこまで付き合わせて」
「何言ってんのさ。僕は、僕がそうしたかったからここに居るんだ。その為にギムナジウムの勉強だって頑張ったん
だから。でも本当にあの子の国に来て、同じ学校に通えるだなんて夢みたいだ。フェリオは乗り気じゃなかったみたい
だけど、彼が決めた留学先があの学院で僕にはラッキーだったよ」
小さい頃からいじめられっ子で引きこもりがちだったアスコットだったが、ある日を境に猛勉強を始めたのだ。いきなり
どうしたんだと周囲が尋ねても、『とにかく二学年飛び級したい』の一点張りだった。そしてそれを実現してここにいる。
「――覚えていてくれたらいいな」
「…それはどうかな。栗色の髪に緑の瞳なんてありふれてるから」
それに引き換え、あの子の姿は誰だって一度見たら忘れることなんて出来やしないだろう。
「いっけねぇ。朝飯食う時間がなくなっちまう!」
「うわっ、それは困るっ!パンをトースターに放り込んで!僕が紅茶淹れるから。今日はちゃんとスイッチも入れてよ、
フェリオ」
異国での共同生活の初日、本当にただトースターに放り込んで放置していた『彼のはとこ』という触れ込みの少年に
アスコットがツッコミを入れる。
「二回も同じヘマをするかっ!」
フェリオはバターとマーマレードも冷蔵庫から出して、テーブルの上に並べていた。
「…青空だ…。ほんのひとかけら…」
「なに寝言いってんのさ。
靴までずくずくの土砂降りじゃん…」
バスと電車を乗り継いで通学する鳳凰寺風は、
スケジュールの大幅な遅れに少し神経が
ぴりついていた。
『明日ようやく例の転入生が登校出来ることに
なったの。少し内気な子だし、先に職員室で貴女に
引き合わせておきたいから、早めに登校してね、
鳳凰寺さん』
クラス担任にそう言われ、委員長の風は いつもより
三本も早いバスに乗ったのに、スリップ事故の渋滞に
巻き込まれ、普段とそう変わらない時間に駅に着いて
いた。
ほんの少しさしただけでぼとぼとの傘を傾けて水を切っ illustrated by ほたてのほ さま
て巻き止め、くるりと振り返って改札へ走ろうとした風は
危うく和服姿の老婦人にぶちあたるところだった。
「…ひゃ…」
「申し訳ありません!お怪我はございませんか?」
「はぁ、怪我はしとりゃせんが…。あのぉ、お嬢さん…。ここへ行くには、どの電車に乗ったらええのかねぇ?」
足早に通り過ぎる人ばかりのラッシュアワーの駅で、立ち止まってくれた娘を天の助けとでも思ったのだろう。
ブラウスの袖を掴んだ老婦人は、巾着から出したよれよれの紙を風に示した。
経費削減の為か、改札外は駅員も見当たらない。端のほうの有人改札にさえ人影がなかった。先を急ぎたいが、
自分に頼るお年寄りを振り払うことも出来ず、風はメモ書きに目を落とした。風が眉根を寄せたのは老人特有の
震えた字体のせいばかりではなかった。その駅名に覚えがなかったのだ。少なくとも風が通い慣れた路線の駅では
ない。学生手帳に主要路線図があったことを思い出し、慌ててページを繰ってこの駅を起点に目を動かし、目当ての
駅を見つけた。よりにもよって、その路線のホームから一番遠い改札口に居るのだ。
「この通路をまっすぐお行きになって、2A階段を上がってしばらくお歩きになられましたら、左手の階段を下りて
ゆかれて…」
はやる気持ちを抑え込み、なるべくゆっくり身振り手振りも交えて説明してみるが、老婦人には覚えきれないよう
だった。路線増加に伴う増改築で肥大した駅は、若者だって道順を聞き覚えられないだろう。
「…はぁ…」
風はもう一度周囲を見回したが、やはり駅員が見当たらなかった。もともと登校時間は人より早めの風は覚悟を
決めた。
「ご案内致しますわ。こちらです」
「すみませんねぇ…。電車に乗るのはひさかたぶりで…」
風は老婦人の背に手を添えるようにして歩きだした。
乗り換え待ちで改札を入ってすぐのホームからそれを見ていたアスコットが残念そうに言った。
「あーあ、あのメガネの娘(こ)、行っちゃったね。学院生みたいだったから道案内頼めるかと思ってたのに…。電車
登校の初日ぐらい、イノーバも来てくれたらいいのにさ」
「ま、ヤツにも他の仕事があるからな。案内地図はあるんだしなんとか行けるだろ。セイフク着てるヤツについてけば
いいのさ」
雨続きのこの国でフェリオが初めて見た白い雲の浮かぶ青い空をその手に畳んで、春の陽射しのようにふわりとした
金色の髪の少女は人波に消えていった。
途中で出会った駅員に老婦人を任せた風は、予定より遅い電車に乗り合わせた隣組の生徒たちに話しかけられていた。
「鳳凰寺さんおはよう!ねぇねぇ、今日から転入生来るんだって?」
「男子二人。はとこ同士だって!」
「背の高いコのほうはやや地味系で、緑の髪を後ろで束ねたコが、ちょっと顔に傷痕なんかがあったりするワイルド系
だけど、すっごくイカしてるって!」
「転入手続きに来てた時、高等科のお姉様がたをお茶に誘ったとか誘わないとか…」
「ええーっ!?どっちよソレ。二人とも中等科って聞いてるよ。いきなり年上ナンパ?」
かまびすしい同級生たちにたじたじになりつつ風が笑った。
「皆さん早耳ですね。私よりずっとお詳しいですわ」
初等科からずっと委員長に選ばれ続けている風は、こういう時なるべくフラットな状態でいるために余計なことを
教師から聞かないようにしていた。そうでなくとも転入生は期待よりも大きな不安を抱えてやってくる。それなのに
相手だけが自分のいろんな事情を知っているだなんて、風自身が転入生の立場ならいい気はしないと思うからだ。
本当に配慮すべきことがあるなら、当人の前で聞けばいい。
「うちのクラスとScorpius≪天蠍宮≫αに一人ずつ入るようですわ。皆さんは初等科からいらっしゃるんですし、
いろいろ学院のこと教えてさしあげてくださいね」
「カッコいいヤツなら言われなくても!ねーっ?」
「きゃははは、言えてる!」
電車が学院最寄り駅に滑り込むと、同級生たちに事情を告げて風は一人学校へと急いだ。
「おはよ、風ちゃん。さっきから何度も『Libra≪天秤宮≫αの委員長は至急職員室に来てください』って呼び出し
かかってるよ」
風が教室に駆け込むなり光がそう教えた。
「おはようございます、光さん。これから行って参ります」
かばんを机に放り出すと、風はすぐに教室から飛び出していった。
中学生にもなって廊下を走るなんていけないことだと判りきってはいたが、流れる校内放送の呼び出しに気が
せいて、ついつい走り気味になっていた。階段を一段飛ばしで駆け降りて、職員室のほうへ曲がったところで、今度こそ
思いっきり壁に…もとい、人にぶち当たってしまった。
「きゃっ!」
その相手が持っていた手紙のようなものをばさばさと撒き散らし、勢いあまってしりもちをつきそうになった風を
その壁…ではなく、男子生徒が腕を取って支えた。
「…悪い。前を見てなかった」
「こちらこそ申し訳ございません!」
いやに高い位置から声が降ってくるのもどおりで、全生徒の中でもトップクラスの長身を誇る学院創始者曾孫の
生徒会副会長、ランティス・アンフィニが立っていた。
「廊下は走らないほうがいい。校長あたり(=年寄り)にぶつかって骨折でもさせたら厄介だ…」
「すみません。あの、いま拾いますから…」
かがみかけた風の襟章と委員長を表す≪委≫の徽章に気づき、もう一度腕を掴んでランティスが言った。
「さっきから校内放送で呼ばれてるLibra≪天秤宮≫αの委員長なんだろう?転入生が待ってるから行くといい」
「あ、はい。本当にすみませんでした」
上級生にぺこりと最敬礼すると、風は先を急いだ。
「失礼します!」
職員室の引き戸を開けて風は足早にクラス担任の机に向かい、その場に集う者たちに頭を下げた。
「遅くなって…申し訳ありません」
いつも身だしなみのきちんとした風にしては若干髪が乱れ気味で、息せき切ってる様子からもいかに急いできたかが
見て取れた。
「早く来てねってお願いしたのに…。普段よりも遅かったぐらいじゃない?珍しく寝坊でもしたの?」
苦笑いのクラス担任に風は曖昧に言葉を濁した。
「ええまあ、そのようなものです。皆さんをお待たせして、本当にすみませんでした」
もう一度深々と頭を下げたその少女を見て、転入生らはちらりと顔を見合わせていた。
「もういいわ、鳳凰寺さん。えっと、Scorpius≪天蠍宮≫αの委員長はさっき教えたわね。彼女がLibra≪天秤宮≫αの
委員長の鳳凰寺風さんよ。Libra≪天秤宮≫αに転入するアスコット・デル=ソルくんと、そのはとこでScorpius≪天蠍宮≫
αに転入するフェリオ・デル=ソルくん。まだ来日して一週間ほどだから、学外のこともいろいろ教えてあげてね」
顔を上げた風が二人の顔を順に見て、改めて名乗った。
「Libra≪天秤宮≫α委員長の鳳凰寺風です。お困りのことがあったら、いつでも仰ってくださいね」
「……アスコット・デル=ソルです。あのっ…よろしく…」
風が見上げるほどの身長なのに、ぼそぼそと恥ずかしそうに挨拶するアスコットは、確かにかなり内気らしい。
「俺はフェリオ・デル=ソル。よろしくな」
若干顔の角度を変えておいて教師には見えないように、というより風にだけ見えるようにウインクを飛ばすところなど、
これでは女子生徒の噂の的になる筈だ。
『職員室でウインク…?何を考えてらっしゃるのかしら…』
一瞬そんな反感も覚えたが、ポーカーフェイスは風の十八番だった。こういう手合いはどうあしらうのがいいかと
風が考えていたとき、朝礼の予鈴が鳴った。
「じゃあ委員長は戻っていいわ。転入生は私たちといくほうがいいでしょう?」
「「では失礼します」」
先に職員室をあとにしたLibra≪天秤宮≫αとScorpius≪天蠍宮≫αの委員長を、何かを思い立ったフェリオが
追いかけた。
「ミス・ホウオウジ!」
「名前で呼んでくださって結構ですよ」
いぶかしげな顔で振り返りつつ、特に留学生からはファーストネームで呼ばれるのに慣れている風がそう言った。
「それならフウ…。放課後、一緒にお茶でも飲まないか?」
「は……?」
メガネのつるとふわりとした髪に隠れてはいたが、風のこめかみはピクピクとひくついていた。
「お茶でしたら、私、水筒を持参しておりますの。失礼します!!」
回れ右の勢いでフェリオに背を向けると、風はすたすたと廊下を歩いていった。
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お判りの方もいらっしゃるかもしれませんが、風ちゃんが持ってる傘はMoMAのスカイアンブレラから着想をいただきました♪
ほたてのほ さまから、素敵なイラストをいただきました(≧∇≦)