すくーるでいず -THE BOY MEETS THE GIRL-
act5.獅堂家1
「駐車禁止区域じゃない筈だけど…、この車は路上駐車しないほうがよさそうだね。でも門から入るかな…」
パールホワイトのロールスロイス・ツーリングリムジンなど初体験の光は、ふっかふかのシートでがっちがちに姿勢正しく
座っていた。
「普通の車を出せ、普通の車を…。世間の迷惑だ」
普段こんな馬鹿デカい車を使うのは、キャロルがコンサートホールに出向く時ぐらいだ。≪鍵盤に住まう妖精≫がコンパクト
カー(愛車はsmart)で乗りつけては夢がない…というのがキャロルなりの言い分だった。
「しょうがないでしょう?二台とも車検に出してるんだから。あなたがついて来なければ私の車で送っていけたのに…」
「母さんの運転する車に他人を乗せるぐらいなら、ハイヤーを呼びます。それに責任を持って送ると約束した以上、俺も
同行するのが当然でしょう」
母親に苦言を呈するランティスに光がニコリと笑いかけた。
「あのっ、私こんな車に乗るチャンスないから、楽しいよ?」
楽しいと言いながら、小一時間ばかりでバリバリに肩が凝ったんじゃないかというぐらい、光が緊張しているのが見て
取れた。
「そうだわ。ミニバーも付いてるのに、私ったらお茶もお出ししないで…」
「いえっ、あの、もう着きますから」
「あら…、じゃあまた今度乗った時には、お茶しましょうね。とっておきのケーキも用意するわ」
「あっ、はい、えーっと、ぜひ…」
「学生が学院理事にドライブに連れ出されて、楽しめる訳がないでしょう?だいたいどうしてついてきたんです?」
「ご挨拶ねぇ。あなたがサトル君と仲が良かったように、私はレイちゃんに仲良くしてもらってたのよ。十年?もうちょっと
経ってるけど、私だって逢いたいんだから…」
キャロルのいう『レイちゃん』とは、光の母親の麗(れい)のことだが、『ちゃん』と呼ぶのはキツいなぁと、光は内心で苦笑
していた。
アンフィニ家の運転手は予定通りに獅堂家に車をつけ、剣道着姿の覚が開けていた門から入り込んだ。
「幅、ギリギリだったね。うちの父様だったら擦ってるかも」
車を止めた運転手が恭しく開けたドアから降り立つと、わざとらしいほど明るく光が言った。
「ただいま帰りましたっ!」
「遅くなって悪かったな」
「いや、妹が世話になったね」
いまだぎくしゃくとした感じを拭えない二人におろおろする光の背後では、馬鹿に明るい再会の挨拶が交わされていた。
「レイちゃん、久しぶりぃ!ねぇ、少しふっくらした?」
「それはまぁ年齢相応に。キャロルさんは変わりませんわねぇ。立ち話よりも中でお茶でも…」
「ご迷惑じゃないかしら」
「せっかくなんですもの。お話ししたいわ」
「じゃあ少しだけ…」
歩きながらも話に花が咲く二人は、険悪なムードを漂わせる息子二人+困り果てた娘一人にはまるで構っていなかった。
「あのっ、ランティス先輩も中でお茶を…」
「あの世代は話が長いから慌てることはないよ」
日頃穏やかな覚が、ここまで人前で不機嫌さを隠しもしないのは、光でも初めて見る姿だった。
『覚兄様、すごく怒ってる…』
「――竹刀の鍔を割ったのかい?」
「あ、うん…。ごめんなさい」
「だいたい竹刀袋はどうしたのかな?そんな欠けた物をむき出しで持ち歩いちゃ危ないだろう」
学校のクラブハウスに保管するときも竹刀袋に収めているのだから、不自然に思われても仕方がない。特別校舎の一階に
落として来たかもしれないと、リムジンの中でランティスに話したばかりだった。
「なくしてしまったの?お祖母さまに名前を刺繍して頂いたからと、すごく大事にしていたのに…」
「それは、えっと、学校に…」
つねにない長兄の厳しい追求に、可哀相なぐらい光はしどろもどろになっていた。
「大切にしている物ならなおさら、壊れた鍔で傷つけたくないのは当然だろう。乙女心の解らん兄貴だな」
光に助け舟を出したランティスに、覚はあからさまにむっとしていた。
「……生徒会長なんてやってると、他校と横のつながりも増えて、いろいろ情報が入ってくるんだ。サボり魔の副会長殿は
気づかなかったかもしれないけどね」
ランティスは趣のある庭を眺めながら、さりげなく覚と光の間に立ち位置を変えていた。覚の厳しい視線を遮ってくれた
その広い背中に、光は自分の中のどこかできゅうんと音がなった気がした。
「今週の月曜日の朝、学院沿線の某駅でうちの生徒が他校生に絡まれてたなんて話もあったかな…」
ばれてしまったと光はぎゅっとかばんを持つ手に力が入ったが、右足に重心を置き、腰に手を当てたランティスは、覚に
気づかれないように後ろ手にVサインを出していた。
『とりあえずこちらに任せろ』というのだろう。了解の意味を込めて、光はその手をそっと握った。
「その件は少し置いといて…、うちに来たんだから、久しぶりに手合わせしないか?幼稚舎の頃は入門していたんだし」
「覚兄様っ!そんな十年以上もブランクがあるんじゃ、兄様となんて無理だよ」
「そうでもないさ。体育の剣道選択者のうちでは断然筋がいいよ。なぁ、ランティス」
「いいだろう」
「ランティス先輩っ!?…じゃあ、私が審判代わりに…」
まさかとは思うが、ランティスがたたきのめされるようなことになったら、あまりにも申し訳ない。自分がいれば幾許かの
牽制にはなるだろうとそういった光だが、覚はそれを却下した。
「試合じゃないから必要ない。その竹刀はあとで僕が直す。光は着替えてお茶の用意を…」
「いやだ!私は…っ」
なおも覚に食ってかかろうとしていた光のほうに身を屈めて、ランティスは初めてその少女の名前を呼んだ。
「ヒカル…」
低く響く声でただ名前を呼ばれるだけで、心臓がとくんっと跳ねた。光のかばんから鍔の壊れた竹刀を抜き取り、ランティスが
続けた。
「リムジンでお茶しそびれて俺も喉が渇いた。どうせならヒカルが点てたお茶を所望したい」
「お茶…?私が点てた?」
零れ落ちそうなどんぐりまなこで聞き返す光に、穏やかな微笑を浮かべたランティスがこくりと頷いた。
「うーん、お茶菓子ないかもしれないけど…」
「甘いものは苦手だ」
「わかった。じゃ準備してくるね」
不安げな顔でもう一度ちらりと覚を見やると、光は母屋に駆けていった。
覚のあとについて道場に入って来たランティスが、懐かしそうにぐるりと見回していた。
「僕の防具を使えるだろう。授業でやってるんだし、つけかたは解るな?」
「ああ」
手渡した剣道着と防具をランティスが身につける間、面をつけ終えた覚は道場の中央で正座して待っていた。相変わらず
覚からは怒りのオーラが立ち上っている。
「…どうして誘拐犯呼ばわりされた俺より、お前のほうがそんなに不機嫌なんだ…」
これが単なる懐かしさからの手合わせじゃないのは、ランティスにも判りきっていた 。
「しゃべる前に支度しろ」
取り付く島もないとはこのことだ。やれやれと覚に判るようにため息をつきながら、ランティスは身支度を整えた。道具を
持たない入門したての門下生への貸し出し用の竹刀から、手に馴染みそうな一本を選びランティスは中央へ向かった。
「ここはやはり『遅いぞ武蔵!』とぐらい、言って貰わないと…」
「生憎僕は佐々木小次郎じゃない」
「洒落の通じないヤツだ…。待たせたな」
覚は竹刀を手に立ち上がると定位置についた。一戦終えるまではまともに話もしそうにないと悟って、ランティスもそれに
倣った。
「礼!」
面越しでも、『手加減などしない』という覚の意志が簡単に読み取れた。
「始め!」
先手必勝と踏み込んだランティスの面を狙う一撃を、覚の竹刀が受け止めるカシャンッという乾いた音が夜の道場に響いた。
台所でお茶を用意する母親に光が尋ねた。
「母様、今から千尋庵(せんじんあん)開けていい?」
「まぁ珍しい。光さんはお誘いしても、なかなかご一緒してくださらないのに…」
「先輩のリクエストなんだ」
「あら、ランティスさんも渋いことおっしゃるのねぇ。キャロルさんもそちらがよろしいのかしら…。光さんはお支度を。千尋庵を
お開けしますよ」
「はい、母様」
光はパタパタと廊下を駆けていった。
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獅堂麗…獅堂四兄妹の母。自宅で茶道教室と書道教室を開いている。光岡自動車のRayより
(うちのセキセイインコも れいちゃん だったりします(^.^; ←ケンソンレインボーのレイ。カタカナだと怪我ばかりしそうなのでひらがな名に・笑)
千尋庵…普段は麗がお教室を開いている。「獅子は千尋の谷に我が子を落とす」の千尋