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 すくーるでいず    -THE BOY MEETS THE GIRL- 

act3.特別校舎2 

 

 「ものごころつく前から、ずーっと剣道、剣道、剣道。別に他のことしたいとも思わなかったんだけど…。三年生の頃に、

試合の会場で仲良くなった子がいたんだ。剣道だけじゃなくて、ピアノやお習字、日本舞踊までやってる頑張り屋さんで、

たまたま近い時期にピアノの発表会があるからって誘ってくれたんだ。他はよく知らないんだけど、そこの教室はかなり

弾ける子でないと発表会に出られないらしくって、同い年ぐらいなのにみんなもの凄くピアノが上手くて、聴きほれちゃう

ぐらいだったんだ。それにね、女の子はみんなちょっとメイクしてもらって、ふわっふわの可愛いドレスを着ていたんだ」

 人さし指でポーンと一音叩きながら、光は少し寂しそうに微笑った。

 「演奏を聴くだけでも相当舞い上がってたんだけど、そういうのがもの凄く羨ましかったんだ。剣道って、どっちかっていうと

モノクロに近い世界だから…。赤とかパステルピンクとかシャーベットオレンジとかの、リボンとフリルがいっぱいのドレスに

強烈に憧れちゃって、『ピアノ習いたい!』って母様にせがんだんだ。動機がめちゃくちゃ不純だよね」

 「何かを始めるきっかけなんて、人それぞれだろう。しかし、単にドレスが着たかったのなら、買ってもらえばよかったん

じゃないのか?」

 「私が?あははは。そんなの言えなかったよ。制服でこそスカートだけど、小さい頃は普段着って兄様のお古着てることも

多かったし、髪を伸ばすまでは当たり前のように男の子と間違われてたんだもん」

 苦笑いしている光を見て、名前だけ聞いたときの自分も同じように勘違いをしていたとは言わずにいようとランティスは

思った。

 「それになんていうか、三年生ぐらいになると自分はおてんばを通り越してやんちゃ系のキャラなんだって、ラベルを

貼られてるのも知ってたから、余計に言えなかったんだ。でもピアノの発表会なら、『みんなも着てるんだから』って、自分にも

言い訳できちゃうなって…」

 みつあみの先を飾るリボンは、言葉にしそびれた自己主張の表れだったのだろうか。

 「剣道以外に目もくれなかった私がそんなこというのに驚いたみたいで、母様が凄く張り切って近くの先生も決めてくれて…。

習いたいっておねだりしたあくる日に、学校から帰ったら部屋にアップライトのピアノがあったのにはびっくりしちゃった。ふふっ」

 「…手回しが良すぎるな。即日配送するようなモノではない気もするんだが…」

 「だよね。でもその頃はそんなこと思いもつかなくて、ただ嬉しくて…。母様がピアノの先生から預かってきてた赤いバイエル

見ながら、ランドセルほっぽりだして鍵盤叩いてたよ。あの頃だけじゃなかったかなぁ、家に帰ってもすぐに道場に顔出さなかった

のって。剣道は少々遅い時間でも出来るけど、下手なピアノなんてただの近所迷惑だし」

 「上手ければ何時に弾いてもいいって訳でもない…」

 時間帯を気にもせず応接室のグランドピアノを弾きだす気まぐれな世界的ピアニストに苦労しているランティスがぼそりと

相槌を打った。いやに実感のこもった一言に苦笑しつつ光が続けた。

 「バッチリ練習して、意気揚々と初レッスンに行ったんだけど、そこでいきなり打ちのめされちゃった。たまたまなんだろう

けど…、赤いバイエルやってるのって、幼稚園に上がるかどうかのちっちゃい子ばっかりだったんだ。私と同い年ぐらいの子

たちはもう、発表会で聞いたような曲、ばんばん弾いてて…。他人より遅く始めたんだから、差があるのは判ってたはず

なんだけど、なんだか凄く悔しくて…。逆に言えば、剣道ではそういうアドバンテージを持ってたんだよね、私のほうが。

人より早く始めてて、いつでも兄様たちが練習相手になってくれてたし…。少しでも早くちゃんとした曲を弾かせてもらえる

ようにって、先生のピアノよりずっと鍵盤重いの我慢して練習してたら、両手とも腱鞘炎になっちゃったんだ。それで1ヶ月

以上練習禁止。当然ピアノだけじゃなく剣道もダメ。ホントに、バカみたい…」

 「そこまで我慢しなくても、鍵盤を軽くすることは出来たはずなんだが…」

 「そうなんだってね。でも、そういうこともよく知らなくて…。先生のがグランドで、うちのがアップライトだから違うのかなって

思ってたんだ。同じ教室の子たちが「ピアノはやっぱりグランドでなくちゃ」って言ってるのをちらっと聞いて、そういう差もある

のかなぁって。それに、ピアノって高いから、そんな100万近くするような物買ってもらって、その上調律にお金かけてって

言えなかったんだ。だいたい元の動機が不純だから、ピアノ買ってもらったことだけでも結構後ろめたかったし…」

 一オクターブを叩こうと開いた光の手は、ドからシまでがやっと、それもレとラに引っかかりながらでしか音を出せなかった。

 「ほらね、届かない…」

 「オクターブが届かなくても、それはそれで意外になんとかなる。ここの理事も楽に叩けるとは言いがたいからな」

 「それでもあんなに素敵な演奏が出来るんだね。風ちゃんにCD借りて、すっかりファンになっちゃった。生で聴けて

羨ましいな」

 なるべくなら防音の効いたピアノ室で練習して欲しいと思う自分は贅沢なのだろうかと、ふとランティスは考え込んだ。

 「…ピアノを触れないのは、『バカやっちゃったからだ』って割り切れたんだけど、剣道まで出来ないことのほうが、もっと…

ずっと辛かったんだ。二年連続で三位どまりだった大会があって、今度こそって思ってたのに、結局控え選手からも外され

ちゃって。当たり前だよね、一ヶ月以上も練習出来ないのに、試合になんて出られる訳がないんだ…。他に何のとりえも

ないけど、剣道だけは胸を張って得意だって言えてたから……その時にはもう、この世の終わりみたいに思えちゃった。

私を発表会に誘ってくれた子みたいに、なんでもそつなくこなしちゃう人もいるけど、きっと自分にはそんなに器用に

出来ないんだって癇癪起こしちゃったんだ。『もうピアノなんかやめる!』って…。自分でせがんで始めたばかりなのにね。

そうしたら……」

 「叱られたのか?」

 「ううん、叱られはしなかったけど…。次の日、学校から帰ったら、もうピアノがなかったんだ」

 グランドほどではないにせよ、娘が少し癇癪を起こしたからといって速攻で取り上げるには、ピアノは運搬に手のかかる物

なのにとランティスは首を捻っていた。

 「買うときも早いと思ったが…処分するのもずいぶん早いな…」

 「あ、やっぱりそう思う?」

 そういって光はくすくすと笑い出した。

 「ホントはね、私の為のピアノじゃなかったんだ。おうちを改築する親戚のを預かって道場に置いておくつもりだったらしいん

だけど、たまたま私がピアノ習いたいなんて言い出したから、使わせてもらう了解取って私の部屋に放り込んだんだって。

予定より長く預かってたみたいなんだけど、私が『もうやめる』って言ったから返しちゃったって…」

 「そういうことか…」

 高価な買い物をさせた上、これ以上の無理はいえないと手を傷めるまで我慢をしていた娘の葛藤を光の両親は気づいて

いたのだろうか。

 「借り物のピアノじゃ、きっと言っても鍵盤の重さなんて勝手に変えられなかったよね。いまはもう笑って話せるけど、あの

当時はいろんなこと考えさせられたから、ピアノはちょっとだけ苦い想い出…。……雨、止まないね」

 覚と仲が良さそうだとはいえ、よく知りもしない先輩にどうしてこんな話をしてしまったのだろうと不意に気まずくなり、光は

窓の外を見やった。

 ランティスは制服のスラックスのポケットをさぐると何かを取り出しカチャリと音を立てた。

 「もうこんな時間か…。いい加減に連絡しないと、お前の捜索願が出そうだな」

 「捜索願は…ないと思うけど。蓋付きの懐中時計って、渋いもの使ってるんだね」

 「この手のがらくたならいくらもあるからな。動くものなら使うさ。さっきより雷も近づいてきてるし、当分止みそうにないな。

仕方がない…、肝試しに連れて行ってやる。やりたかったんだろう?」

 ふっと少し意地悪く笑ったランティスに、光が慌てて否定する。

 「うにゃ!?べっ、別に肝試ししたくてきた訳じゃ…!」

 「ここで待ってても止むあてもない。薄暗い地下通路を10分ばかり歩くだけだ」

 「そんなのあるの?」

 「この特別校舎と俺の家は地下通路で繋がってると聞いたことがある。実際に歩いたことはないが」

 「え゛え゛え゛ーっ!?そ、そんなぁ…」

 木目が美しい古いグランドピアノの天屋根を閉じ、鍵盤の蓋も閉じると、ソファーの破れたカバーを形だけ元に戻して

ランティスは階段に向かった。

 「行くぞ」

 「わぁ、待って!」

 ランティスに追いついたところで、落としてしまった竹刀を思い出した光が駆け降りようとすると、ぐいっと抱き寄せられて

しまった。

 「だから螺旋階段で慌てるな。もう事態は起きたあとだ。こういうときは潔く諦めろ」

 「はい……。ところで、その黒いマントは何?ドラキュラのコスプレ?」

 「コスプレ…?そういう趣味はない。今朝は霧が濃かったからな。傘よりこっちのほうが濡れずにすむ。まぁさすがにこの

格好で学院外にはでないが…」

 「なんだ。ドラキュラみたいだけど、凄くカッコいいのに…」

 下まで降りたところできょろきょろと見回すと、光は「あっ!」と言って落とした竹刀に駆け寄った。

 「鍔(つば)が…。つ…っ」

 竹刀の欠けた鍔に触れてびくんと引っ込めた光の左手の人さし指を、歩み寄ってきたランティスが口に含んで強く吸った。

 「ええっと、あの…、あのっ」

 焦りまくりな光に構いもせず、吸い上げた血を床に吐き捨てようとして、思いとどまったようにハンカチに出し、もう一度

ほっそりとした指先の傷を口に含んだ。ふたたび血を吐き出すと軽く口元を拭ってランティスが尋ねた。

 「絆創膏は持ってるのか?」

 「え?あ、うん。ポーチに入ってるはず」

 「そういえば…消毒薬も持ってたな、お前」

 「あはは、よく怪我するから、一応ね」

 光がかばんのポーチから取り出した消毒薬でランティスは傷口を洗い、救急絆創膏をくるりと巻きつけた。

 「これでいいだろう。まったく…、欠けた物を不用意に触るからだ」

 「ありがと。でも、プラスチックでちょっと切っただけなのに、オーバーだよ」

 「欠片が中に残ったらどうする。それにここはほこりっぽすぎるからな」

 「破片がどこにいったか解んないね。散らかしてごめんなさい」

 「別に誰が来るでもない立ち入り禁止の場所だから構わない」

 「結構気に入ってたんだ、これ…。まだ売ってるかな」

 「…竹刀の鍔に、気に入るとか気に入らないとかあるのか?」

 「プラスチック製なんだけどね、貝パールっぽくほんの少しだけきらきらしてるんだ」

 えへへっと照れくさそうにぺろりと舌を出す姿に、目立たないところでしか女の子らしさを主張できない光が少しいじらしく

思えたランティスは、「そうか」となるべくそっけない相槌を打ちながら、用心深く床を検分していた。

 「ここか…」

 ランティスが目立ちにくい取っ手を見つけて床板をぐっと引き上げた。舞い上がった埃に光がケホケホと咳き込んでいる。

 「うわぁ…、ホントに階段がある…」

 外した床板を置いたランティスは校庭側の扉を中から施錠し光を促した。

 「申し訳程度の灯りだから気をつけろ。行くぞ」

 光の学生かばんを左手に掴むと、右手で光の手を取りながらランティスは薄暗い階段を降り始めた。

 

    

 

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