「うーん、どんな格好がいいんだろう…」
明日はいよいよベイサイドマリーンランド行きだ。朝早くから出掛けるので寝る前に着て行く物を用意しておこうと思うのに、
夕方から一向に決められずにいるのだ。服装に頓着しないたちの光には珍しいことだった。
海や風は明日の為に買ったおニューの服を着て行くのだと話していたが、質素倹約を家訓の一つに挙げる獅堂家では
遊びに行くからといって新調することもない。そうでなくても舞踏会用にドレスを買って貰ったばかりだし、女の子ということで
優や翔に比べればあれこれ買って貰っているほうなのだ。とは言え兄たちのお古を着て行くのもあんまりだろう。
『おーい、光。まだ起きてるか?』
翔の呼びかけに光が襖を開けた。
「なに、翔兄様」
「スポーツショップで靴買ったら福引きやっててさ、三等のポロシャツが当たったんだ」
「うわぁ、凄いなぁ。私、あの商店街の福引きって、残念賞ばっかりだ…」
「当たったまではいーんだけどな。もうSしかなかったし、柄が俺にはちょっとアレだから、光にやるよ」
「いいの!?ありがとう、翔兄様♪」
「うぉーい、翔ぅ。風呂空いたぞ」
わさわさタオルで髪の水気を取る優に声をかけられ、『交替!』とばかりにハイタッチをしつつ翔も着替えを取りに自分の
部屋へと戻っていった。
翔に貰ったウォーターブルーのポロシャツをためつすがめつしつつ、光がくすくす笑っていた。
「確かに翔兄様は着ないかなぁ、こういうの……。おニューだし、先輩はこの柄好きかも」
そのポロシャツに合わせたボトムとポシェットを選び、準備万端整えた光は目覚ましをセットして早めに布団に入っていた。
いつもより1時間早い4時起きで、一人で朝練を済ませようとした光だったが、どういう訳か三人の兄たちも剣道着姿で
そこにいた。
「兄様がた、早い…」
「おはよう、光」
「お、おはようございますっ!どうしてみんなこんなに早く起きてるの?あっ、私の目覚ましで起きちゃったのかな」
五秒と鳴らさず止めたはずだが、気配にさとい覚を起こしてしまったのだろうかと、光が気にしていた。
「いや、僕も出掛ける用があるからね」
何故か覚は微妙に視線をそらしていた。
「俺と優兄(にぃ)は化学(バケガク)のもうろくジジイが休んでた分の補講だし…」
「翔、先生に対してその言い方は失礼だよ。世界的研究機関にいらしていた間の分、中等科・高等科生参加OKの
夏季セミナーを大学のほうで開かれるんだから」
「たけど兄さん、それだって自分が新規に引き受けた中・高等科の授業をコロッと忘れてたからだって話もちらほら
あったりするんだよ」
「憶測だけで他人を批判しちゃいけない」
「んじゃ、もうろくジジイに直でツッコミ入れてくる。今夜は母さんがご馳走作ってくれるハズだから、いつまでも副会長と
ほっつき歩くんじゃないぞ、光」
「ほっつき歩くんじゃなくて、遊園地に行くんだったら!ちゃんと帰りの予定も言ってあるし、母様も『ランティスさんが
ご一緒なら心配ないわね』って言ってるもの。翔兄様と違って信用されてるんだよ」
「……なっ、長年可愛がってきた妹がこんな口のききかたをするなんて…!」
泣きまねをする翔をスルーして、光は覚に言った。
「覚兄様も出掛けるのなら、早く練習しよ。嘘泣きの翔兄様に構う暇ないもの」
初等科生の頃は翔の嘘泣きにコロッと騙されていたものだが、いつの間にかさくっと見抜くようになった光の成長に、
覚は嬉しいような寂しいような複雑な想いを感じていた。
「じゃ、母様、行ってきまーす!」
「陽射しが強くなりそうですし、お帽子を被られるほうがよろしいんじゃありませんか?」
「帽子!?麦藁は雨でダメにしちゃったし、野球帽みたいなのしかないかも」
「活動的なお洋服ですもの、それでよろしいのではないかと…」
おっとりと話す母親の言葉を最後まで待たずに、光はバタバタと廊下を駆けて行く。
「あれ…、汚れてる。こっちはちょっときついし……。ああ、もうこれにしよっと」
ぱっと被ってクローゼットの鏡で確認すると、光は部屋を飛び出していった。
すでに待ち合わせ場所にいたランティスが駆けてくる光の姿に小さく微笑った。
「慌てなくていいと言ったのに…」
「おはようございます!ランティスってば早い…っ」
待ち合わせの時間にはまだ15分以上ある。
「待たせてる間に、妙な奴に絡まれては困るからな」
「そんなこと起きないってば、多分…」
光自身が絡まれなくても、巻き込まれに行くことが大いにありえるので、ランティスが気にかけるのも無理からぬことだった。
改札へと歩きながら光がボソリと話しだす。
「あの駅の一件…、覚兄様にみっちり叱られたんだ。『思い上がりも甚だしい』って。『見ないふりをしなかったのは正しい。
でも万一、助けに入った光が怪我をしてしまったら、助けられた者にとってはただの重荷だよ』って。あの時、ランティスが
助けてくれなかったら、多分殴られてた。その覚悟はしてたんだけど、それじゃ駄目なんだって。そんな心配させないぐらいに、
もっと強くならなきゃ…」
覚が望んだことはおそらく『もう少し上手く立ち回ること』なのだろうが、まっすぐな気性ゆえにそんな要領のよさを思いつきも
しないのだろう。それが光らしさだと思うランティスは、わがままを許すという意味ではなく思うまま振る舞って欲しいと希っていた。
「おっと、デュアルサイクロンコースターは後回しだな」
溶けるような暑さをものともせず、風と手を繋ぎ歩いていたフェリオがいきなり進路を変えた。
「どうかなさいました?」
「警戒ビーコンがつっ立ってたからさ。特大の、目立つヤツ」
言われて振り向いてみれば、デュアルサイクロンコースターの順番に並ぶ人々から頭一つ分飛び出たランティスと
彼を見上げて何やら一生懸命に話している光の姿があった。
「お邪魔してはお気の毒ですものね。他に乗りたいのは、フリーフォールでしたか?」
「フウは何がいいんだ?俺の趣味にばっか付き合わせちゃ悪い」
「絶叫マシーンでも緩やかなメリーゴーランドでも特に苦手はございませんわ」
「ふうん…。じゃ、あれ行ってみようぜ!」
フェリオが指さした真夏の遊園地に定番のおどろおどろしいその建物に、風は幾分引き攣っていた。
「はい、これ。炭酸系飲むと少しすっきりすると思うわ」
木陰のベンチにへたりこんでいるアスコットに、海がLサイズのコーラを差し出した。
「ゴメン…。ふぅ、冷たくて気持ちいいや。……確かにモヤモヤ感はちょっとマシかな」
ベイサイドマリーンランドに到着早々、海好みの絶叫系マシーンを三つハシゴしたところでアスコットがタイムアウトを
要求したのだ。ハシゴといいつつ並ぶ時間も10分や20分は挟んでいるのだが、慣れないGに振り回されてアスコットが
乗り物酔いになってしまっていた。
「もともと人混み苦手だものね。夏休みの遊園地なんてアスコットには無謀だったかしら」
隣に腰掛けた海が心配そうな顔で覗き込む。
「あ、いや、ゴメン、情けなくて。なんていうかアスファルトの照り返しもなかなかキツくてさ、少しのぼせてるんだ」
「日焼け止め効くの!?ってぐらいのいいお天気ですもんねぇ。スプラッシュか室内系に行きましょうか」
「あと3分待ってくれたら…」
「いいわよ。ここ、結構いい風が抜けてるもの」
アスコットにそう答えると、海は園内MAPで次なるターゲットを選びにかかっていた。
「うふふ、見つけましたわよ。光さんとランティスさん」
観覧車のゴンドラの中、わざとらしいほど陽光にきらめく海のほうを見やっている覚に空が声をかけた。
「探すこともないだろ、わざわざ…」
光宛てに届いていた招待券は10枚。光が6枚持っていき、残りは4枚あった。
光がランティスと二人で出掛けるとなれば、優と翔が黙っていようはずもないが、生憎彼らは学校のサマーセミナーと
バッティングしてしまった。中・高等科生参加可といいながら、化学履修者は単位認定がかかっているので、バックレる
訳には行かなかったのだ。
ランティスは獅堂三兄弟との勝負に鮮やかなまでの勝利を収め、覚らの言いつけを諾々と飲んで交換日記さえやって
いるのだ。自分たちにとって光がどれだけ大切な妹であるかはもういやというほど実感してくれていることだろうから、
なるべく彼らのことは彼らに任せようと覚は考えていて、遊園地くんだりまで追ってくる気はなかった。・・・なかったのだが、
いまだ妹離れの出来ない(する気があるかも怪しいが)弟二人にぎゃんぎゃん吠え立てられ、『心配のあまり、授業が頭に
入らない…』などと泣き落としに出られた日には頭痛がしそうだった。
「精神修養が足りない」と断じることはたやすいが、少し前まで弟たちと同じように躍起になっていた手前、突っぱね
きれなかった。
予想の範疇ではあったが、光が持って行ったうちの2枚は空の妹の風に渡されたらしく、隣県のベイエリアまで
中学生同士で出掛けることをさすがに母親が気にしていると空から聞かされたのも大きかった。
チケットを渡してしまった者の家族として知らん顔も出来ない。引率するほど幼くもないし、風もフェリオも年齢以上に
しっかりしているので覚はそう心配していないが、何か困ったことが起きたら空に連絡が来ることになっていた。
あとの2枚は海の手に渡ったようだが、こちらも風経由で連絡が入ることになっている。もともと8月8日限定の
チケットを利用しているので、光とランティスが園内にいることも判ってはいるはずだ。
邪魔をしたくない・されたくないとは誰しもの思うところだろうが。かくしておよそこういうチョイスの考えられない
聖レイア学院生徒会長&書記の二人までが真夏の遊園地に姿を現したのだった。
フェンシング部と剣道部との合同ランニングの日、特別校舎に纏わる話で光と海をおどかしたのは風だが、
おどかされるのは…お化け屋敷は大嫌いだった。
怪談話を聞かせることはイニシアチブが自分にあるが、お化け屋敷ではそうはいかない。カート式で自動的に
運ばれていくものはまだしも心構えだけに専念出来るが、自分で歩いて行くタイプは最も苦手とするところだった。
通路に造り付けられている物を怖いとは思わないが、突然降ってくる一つ目提灯だとか、物陰からぺとりと腕に
押し付けられるこんにゃくだのに、絹を裂くような悲鳴を上げてはフェリオにしがみついていた。
想像以上の役得に、フェリオはシマリがないほど頬が緩むのを苦笑でごまかしていた。
「イヤならイヤって言えばよかったのに…。俺が無理矢理連れ込んだみたいじゃないか」
縋りついていたのを不快に思われたのかと、風が慌てて離れた。
「私ったら…。暑苦しくて申し訳ありませ……。きゃぁっ!」
詫びの言葉も終わらぬうちに、膝下をくすぐる何かに驚いた風が、厄除け札とばかりにフェリオの腕にしがみついた。
「別に暑苦しかないさ。フウに頼られるなんてなかなかないしな」
「乗り物で移動するタイプは比較的平気だったのですが…。それにこういうのはお国にはないのでしょう?」
四ツ谷怪談だの番町皿屋敷系だのの正統派ジャパニーズローカル系に始まり、愛人に恨みを残した怨霊OLだの
鬼に憑依されたサラリーマンだのに至る何でも来い状態なお化け屋敷は、セフィーロならずともちょっと考えにくい。
「そりゃあないけどな。…だから承知してくれたのか?」
「せっかく日本に留学なさっているんですもの。日本の色んな物を体験していただかないと…」
生真面目な風の委員長体質が墓穴を掘っている。
「そっか、悪かったな。とにかく早いとこ外へ出て落ち着こうぜ。しっかりしがみついてて構わないぞ」
「はい」
柔らかな膨らみさえ二の腕に感じ取れるほど我を失って縋りつく風に、もう少し派手におどかして欲しいなどとヨコシマな
ことを思うフェリオだった。
実はお化け屋敷のシーンの挿絵をいただいておりますが、
あまりにおっかないので別ページにしてあります。
少々怖くても平気!!って方だけどうぞ 怖いよ〜
怖いのパス!!の方はこちらから NEXT