デュアルサイクロンコースターのループのてっぺん(要するに真っ逆さま状態)でバンザイし、スプラッシュの一番先頭で

派手な水しぶきを浴び、フリーフォールで擬似無重力を体験しても光は元気一杯だった。

 「えーっと、あとハズせないのは…」

 「…陽射しが強い。少し木陰で休まないか」

 五年前、コースター系でグロッキーになったのは涼しいスコットランドから炎暑の日本へ呼びつけられて体調が

ついてこなかったせいかと思っていたが、どうやら必ずしもそれだけではなかったらしい。三半規管が光ほど桁外れに

頑丈ではなかったようだ。運動神経はある程度トレーニングでなんとかなるが、三半規管など鍛えようがあっただろうかと

ランティスは心ひそかに考えていた。

 

 

 

 すぐ外を通り過ぎるランティスと光を見かけて、カフェで空とお茶をしていた覚がさりげなくコーヒーカップの陰に隠れていた。

そんな覚を見て空がくすくす笑い出す。

 「おかしな覚さん。隠れなくてもよろしいでしょう?」

 「…そんなに笑うなよ…。僕が来てるのを光は多分知らない」

 「あら…。私、どなたとご一緒するかも風さんには話してありますわよ。風さんから海さんへもお話ししているはずですけど」

 長い睫に縁取られた瞳をしばたかせた空に覚は苦笑した。

 「二人とも光には言わなかったんじゃないかな?保護者つきだなんて興ざめだろうってことで。知っていながら光もランティスも

無反応なんてことは有り得ないね」

 「大変ですこと」

 微苦笑を浮かべた空が不意に窓の外に視線を流す。思い思いの方へ行く人々を見ているようでいて、その誰にも焦点が

合っていないような漠とした表情で、『いやだわ…』と確かに呟いていた。呆れられても仕方がないという自覚がある覚は

内心少々焦りつつ、上手い言葉を探せずにいた。

 「…空……」

 はっとしたように視線を戻した空が、小首を傾げて覚に尋ねた。

 「…メールを二通ほど打っても構わないかしら?」

 今時こんなお伺いをたてる人のほうが珍しい気もするが、そういうゆかしさが空らしさかも知れないなどと考えつつ覚は頷いた。

 「どうぞ」

 メールを打つ指先さえ優雅だなと覚がみとれていると、一件送信した空が呟いた。

 「風さん、気づいてくださるかしら」

 「急用なら電話したほうがいいんじゃないか?」

 「急ぎという訳では…。今は私も対処が出来ませんもの。風さんたちには予定変更をお願いしました」

 空にしては要領を得ない話しぶりだが、立ち入っていいことなのかどうか覚は判断をつけかねていた。

 「……?一緒に帰るのかい?」

 「そんな無粋なことは申しませんわ。ただフェリオさんも夕御飯にお連れするようにといいましたの。アスコットさんを

お一人に出来ないようなら、ご一緒にと…。夕御飯にお客様をお連れしますからと、ばあやさんにもお願いしなくては…」

 「あのばあやさんが、メールなんてされるの…?」

 それこそ覚たちが幼稚舎の頃からすでに≪ばあや≫と呼ぶに相応しかった婦人で、失礼を承知で年齢をきいてみたい

人ではあった。

 「あら、まさか。ばあやさんのお孫さんがお手伝いさん見習いとしていらしてるので伝言していただくんです」

 「なるほどね」

 「覚さんもお招きしたいのだけれど…、今日は光さんにお譲りしますわ。お誕生日なんですものね」

 にこりとしていながらも、さりげなく牽制をかけているように見えなくもない意味深な微笑みだった。

 

 

 

 「外は暑いな…。おまけに眩しいぜ」

 ようやく半端なく恐ろしいお化け屋敷から脱出した二人が真夏のアスファルトに靴底を灼かれていた。

 「少しなら紫外線に目をつぶってもいいと思えますわ。おひさまのひかりがとても有り難く感じますもの……、フェリオ、

お顔に血が…!」

 眩しさに風が目を眇めている間になんとかしたかったフェリオだが、乾きかけた血がなかなかとれずにしっかりばれて

しまっていた。

 「あれに入る前にのぼせてたかな。顔洗わなきゃマズイか…」

 風の胸の圧力に負けただなんてことは、口が裂けても言えやしない。風はバッグからウエットティッシュを取り出すと、

そっと拭い始めた。

 「他のお客様がびっくりなさいますわ。ひとまずこれで落としますから」

 「悪い…。顔を洗ったら、アトラクションはひと休みして飯でも食おう。やたら肩凝っちまったし…」

 反対側の手で肩を押さえながらぐるぐる回すフェリオに風が申し訳なさそうな顔をしていた。

 「私、しがみつき過ぎでしたね。すみません…」

 「いや、ありゃあ俺でもかなりおっかなかったよ。いまだに背中がゾクゾクしやがる」

 「あら、フェリオもですか?実は私も先程からずっと…。冷房の効き過ぎで風邪でも引いてしまったのかと思ってましたけど。

なんだか少し肩も重くて…」

 「じゃ、なんかあったまるもん食いに行こう。サヌキウドンは旨いよな」

 「讃岐うどんですか?こういう園内に本格的なお店はちょっと期待出来ないかと…」

 「あったかけりゃなんだっていいさ。行こうぜ」

 

 そうすることがさも当たり前のような顔をして、二人は手を繋いで歩き出していた。

 

 

 

 手軽なホットサンドのセットで昼食を済ませたアスコットのポケットで『ミャ〜ウ♪』と子猫が鳴いた。見もしないで放りっぱなしの

アスコットに、愛猫マリノの鳴き声のメール着信音に気づいていた海が声をかけた。

 「メール来てるんじゃない?」

 「ウミから以外だから放っておいていいんだ」

 口説いているのか素なのか、そんなことを言ってのけるアスコットに海が苦笑する。

 「読むだけ読めば?それとも私に知られたくない秘密のメール…?」

 「そっ、そんなのある訳ないよ!」

 あらぬ疑いをかけられては堪らないと、アスコットが慌てて携帯を取り出す。待受画面はマリノを肩に載せた海のアップだ。

 「やぁねぇ…。もう少しマリノが大きい写メあげたじゃない…」

 他人の携帯に見つけた自分の顔に海が照れて文句をつけていた。

 「あれはウミが見切れてたから…、それは悪いよ」

 悪い云々という以前に、マリノより海の写りで選んだショットだ。

 「フェリオから…。晩御飯、フウの家に呼ばれたみたいだ。『一人で帰れないなら一緒に来るか?』って…。そんなの、

果てしなくお邪魔虫じゃないか…」

 「風の家はおっきいわよ〜。うちなんかの比じゃないんだから」

 「『区画ワンブロックまるまるホウオウジ家だった』って、フェリオに聞いたよ」

 「ダイニングテーブルだってハンパなくおっきいんだから…。軽く二十人は着席出来るわね」

 「そんなお屋敷なんて、うーん…」

 「今週はご両親ともいらっしゃるんじゃなかったかしら…。そうなるとちょっとした晩餐会モードかもね」

 「・・・・オーバーでなく?」

 アスコットが引き攣り気味に尋ねた。

 「掛け値なしに、ね!テーブルマナーをバッチリ躾けてくれた両親と学校に感謝したわ。粗相をしたからって責められや

しないけど、自分がドキドキしちゃうもの。風のところに行ったことないんでしょう?アスコット」

 「う、うん」

 「人見知り系のアスコットにいきなりあの晩餐会はキツイと見たわ」

 「ぼ、僕もそんな気がする…」

 「という訳で、アスコットは私ん家で晩御飯に決定♪」

 「ええっ!?」

 何が『という訳』なんだかアスコットにはさっぱり脈絡が掴めない。

 「何か不満なの?」

 少し機嫌を損ねたふうな海にアスコットが慌ててブンブンと首を横に振った。

 「ち、違うよ!いきなりお邪魔しちゃご迷惑になるからさ…」

 「たいしたものは出ないけどね。最近私がセーブしてるから、ママががっかりしてるのよ。しっかり食べてくれる男の子が来たら

感激するわ、きっと」

 「いや、でも…」

 「マリノだって居るし、うちのママなら少しは見慣れたでしょ?」

 「うん…。綺麗な人だよね、ウミに似て…」

 「それ逆じゃない?私がママに似たのよ。それはともかくっと…」

 たまたまアスコットとお揃いだったケータイを取り出すと海は電話をかけていた。

 「…あ、ママ?今日の晩御飯なんだけど、アスコットも一緒にいい?」

 『行く』と明言した訳ではないのに、いつの間にかその方向で話を進められている。

 「…ううん、フェリオは風のお家に呼ばれてるから……じゃ、また駅に着く時間、電話するから」

 さくさく話を纏めると海はケータイをしまい込む。

 「さ、後半戦行きましょ!のんびり観覧車にでも乗ってみる?」

 「そうだね」

 あの緩やかに動くアトラクションなら、胃がでんぐり返ることもないだろうと、アスコットは心で安堵の息をついていた。

 

                                            

 

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