7月 3日 vol.1              

 

 

  ――オートザム北部方面軍ノマド基地付属の病院施設。

 

  寝食もそこそこに、ランティスは黙々とメルツェーデスの魔法書記の書き起こしに没頭していた。やたらとクセの

ある細かい文字でびっしりと書かれているので、日に二冊目に入ればいい状態だった。そして疲れて集中が効かなく

なってくると、気分転換を兼ねて眠り続けるメルツェーデスの許でメディテーションをかけていた。メディテーションを

一方的にかけるなどというのは、むしろ休息には程遠い行為なのだが、なにもせずにはいられない焦燥感が昨夕

からずっとランティスの中にくすぶっていた。

 いつもならほとんど部屋から出ないランティスの為にジェオが食事のトレイを運んでくれていたのだが、宵のうち

からノマド基地に行っているのだと、最初にここへ来たときに挨拶をしてすっかり馴染みになった看護士官のティーダが

夕食を運びがてらに教えてくれた。

 表向きいまのジェオは特別休暇中の身のはずだ。それなのに日付が変わったいまになっても戻ってこないのは、

何かトラブルでも起きているのだろうかと、得体の知れない不安がランティスの中に影を落とす。こちらへ来てからと

いうもの、日に三時間と眠っていないので、負の考えに囚われながら机に向かっていると睡魔に抗えずそのまま

突っ伏してしまいそうだった。単純なデスクワークをあまり好まないランティス自身の性分もあるのだろうが、魔物退治に

駆け回っているほうがずっと楽なように思えた。

 「コーヒーでも貰うか…」

 地球でポピュラーな眠気覚まし飲料は、セフィーロ経由でオートザムにも伝わっていた。セフィーロでなら光が持ち

込んだハンドドリップの道具を使って自分で淹れるのだが、さすがに新婚旅行にまでは持参していなかった。

 ランティスが看護士官の詰め所に行くと、ティーダともう一人の看護士官が食い入るようにテレビを見つめていた。

 「ティーダ、コーヒー貰ってくぞ」

 テレビに映っているものには視線もくれずにそう言ったランティスに、ティーダが返事がわりに問い返した。

 「なぁ、首都に誰か置いてきてるって言わなかったか?ランティス」

 コーヒーを手に詰め所を出て行きかけていたランティスが、怪訝そうな顔で振り返った。

 「ああ。それがどうかしたのか?」

 「あれのせいで、首都に夜間外出禁止令が出てる。セフィーロとドンパチやってた時だって、本土はそんなもの

出なかったんだがな」

 ティーダが顎をしゃくって示したテレビは、ずっと繰り返しで同じ映像を流していた。ランティスが目を向けた時は、

ものすごい勢いでスピンしている車がハイウェイの障壁を突き破り地表に落ちて爆発炎上する映像が流れていた。

ハイウェイの監視カメラのアングルではなく、もっと上空から撮っているようだった。いずれにせよ、あの様子では

乗っていた者はまず助からないだろう。

 「酷いな…。しかし交通事故で外出禁止令が出るのか?」

 「ん?ああ、最後だけなら事故に見えるか…。もう少し待てば、また最初から流れる」

 首都の夜間外出禁止令発令中を知らせるテロップが画面下段に表示されたまま、その原因の一部始終の映像が

また一から流され始めた。

 最初はハイウェイの監視カメラの映像なのだろう。粗くて判りづらいが、メタリックモスグリーンの車が執拗に黒い

車に追い縋られて、何度も車体をぶつけられていた。どちらもオートザム本来のものとは明らかにデザインコンセプトが

違っているが、地球のものはこちらの各国に持ち込まれているのだからと、何故か自身に言い聞かせている自分が

いた。メタリックモスグリーンの車の形が、首都基地で見たイーグルの車に似ていることもランティスの中で棘のように

ちくりと引っかかる。不審車両の背後関係も、襲撃された車に乗っていた者の身元もまだ確認されていないとテレビは

報じていた。

 『あれは、赤い車だった…』

 そう思いながら、FTOなどの塗装の変更が5分とかからずカスタマイズ出来る事もランティスは経験で知っている。

そして夜半になってもノマド基地から戻ってこないジェオと、首都に出された夜間外出禁止令――。

 画面は空からの映像に変わっていた。ほとんど併走する二台の車を遠く正面から捉え、その上空をフライパスする

瞬間にハイウェイの照明灯のひかりを浴びたドライバーの顔が映し出された。映ったのはほんの一瞬だったが、それ

でもランティスが見間違えるはずもなかった。

 

      『イ ズ レ ニ セ ヨ、 ア ノ ヨ ウ ス デ ハ 

           ノ ッ テ イ タ モ ノ ハ マ ズ タ ス カ ラ ナ イ ダ ロ ウ』

 

 ついさっきまで、どれだけあれを他人事に捉えていたかが判る言葉の数々が、ランティス自身に跳ね返ってきた。

 「――!」

 「おおっと、危ねぇ!ちょっと来い!!」

 その手から滑り落ちかけたコーヒーカップをジェオが受け止め、茫然と画面を見つめるランティスを詰め所から

メルツェーデスの書庫へと引っ張っていった。

 ランティスを部屋に押し込むと、手早く盗聴防止システムを立ち上げてジェオが大きなため息をついた。

 「いつもメシだって呼んでも出てこないくせに、ここにいなかったから慌てたぜ、まったく…」

 「…襲撃されたのは、イーグルの車か…」

 「――ああ、そうだ」

 「ヒカルも乗っていたんだろう!?」

 「ちらっとしか映ってなかったのに、さすがだな。あの一瞬で見分けたか…」

 どこか暢気に聞こえなくもないジェオの言葉に、ランティスの苛立ちが募る。

 「他に、俺に言うことはないのか……?!」

 どういういきさつだかは判らないが、襲撃された車を運転していたのは光だった。あの車が辿った末路は、すでに

ランティスも見てしまっている。

 「大丈夫だって。表向きの報道じゃ死んだことになってるが、二人とも無事だ。ほら」

 そう言ってジェオはギアのホログラム通信をオープンにした。

 『ランティス!』

 「ヒカル…っ!?」

 ランティスが思わず伸ばした手が、光のホログラムの映像をすり抜ける。そんなランティスに、光がくすりと笑った。

 『もしかして先に事故の映像見ちゃったのかな。びっくりさせてごめんなさい。ホントにちゃんと生きてるよ。イーグルは、

病気がぶり返したみたいで、いまは眠っちゃってるけど…』

 「…無事で、よかった…」

 『それはランティスが護ってくれたからだよ。ありがとう』

 「いや、俺は何も…」

 『ハイウェイから落ちたときは、ホントにもうダメだって思ってた。でも気がついたら、私たち殻円防除で護られてて…。

おかげでペシャンコにも丸焼けにもならずに済んだんだ』

 おそろしく物騒なことをけろりと口にする光らしさと、衝撃のあとに訪れたこれ以上はない幸運に、安堵するあまり

泣きたいのか笑いたいのか自分でもよく判らないほどランティスは心乱れていた。そんなランティスに気づきもせず、

ホログラムの光は誰かに呼ばれたように後ろを振り向いていた。

 『――あ、はい、いま行きます!イーグルの目が覚めたみたいだから、ちょっと様子見に行ってくるね。とにかく無事

だからって、自分で伝えたかったんだ。じゃ、おやすみなさい』

 あっけにとられてしまうほどあっさりと通信を切られて、ランティスは脱力したように椅子に座り込んでしまった。

 「おーおー、淡白だねぇ、お嬢ちゃんは…。……おーい、起きてるか、ランティス?」

 目の前で鬱陶しいほど手をちらちらと振っているジェオを、ランティスが三白眼で睨みつけた。

 「状況説明はあるんだろうな?」

 「――お嬢ちゃんの友達への土産を買ったりするのに街まで出かけた帰り、不審車両に襲撃された。イーグルもしくは

お嬢ちゃん、あるいは両方をターゲットにしたテロなのか、単なる馬鹿者のおふざけなのかはまだ判らねぇ」

 「おふざけなんてレベルか!?あれが…。普通だったら、あの二人は今頃…!」

 「俺に怒るなよ。最近『無人暴走族』てのがのさばってるんだ。何が楽しいのか知らんがね。もっとも、ここまでの

被害が出たのは初めてだが。背後関係を特定できるまでは、被害者の身元も判らないってことにしたんだろう。あの

爆発で助かったとなりゃ、それはそれで説明がやっかいだからよ」

 イーグルが装備している生体シールドでも、あれだけの落下と爆発の衝撃を同時に受ければ持ちこたえられたか

どうかは疑問だった。しかもそれだけ高性能の生体シールドの所有者が襲撃されたことを認めれば、大事になるのは

必至だ。だからといって、それ以外の方法で助かったことを公表するのは、現状ではさらに論外だった。

 「しっかしまぁ、たいがい規格外なヤツだとは思ってたが、よくこんなところから首都まで魔法飛ばすなんて真似

出来るよな」

 「出来るか、そんなこと」

 思ってもみないランティスの返事に、ジェオが目を丸くした。

 「あん?けど、さっきお嬢ちゃんが、『ランティスが護ってくれた』って言ってたじゃねぇか」

 「俺が助けていたなら、あのニュースであんなに驚く訳がないだろう?」

 「おお、言われてみれば確かに。んじゃ、誰が助けたんだ?」

 「――事故が起きた…、爆発炎上したときの時間は判るか?」

 「オートザム標準時で2035。ここだと2005だな」

 聞くだけ聞いたランティスが思案顔で黙り込む。その時間はちょうどメルツェーデスの部屋で、彼にメディテーションを

かけていた頃だ。これまでのセッションで彼の意識に掠りもしなかったので、思い切ってかなり深いところまで追って

いた。その時、左手に、いや、左薬指に強い痛みのような違和感を覚えたのは確かだが、あれがそうだったのだろうか。

すぐに戻るのが危険なほど深いレベルだったので、段階を踏んでセッションを解いた時にはもう、いつもの夜と変わらぬ

輝きの紅い石がそこにあるだけだった。それにランティス自身には魔法を詠唱した覚えがまったくなかった。他に考え

られるのは、石自身が秘めた力か…。

 

 

 結婚式のリハーサルのあと、光の薬湯を用意していたクレフに、ランティスは石の来歴を尋ねてみたが、詳細は

判らないのだという。クレフの師にあたる魔導師から引き継いだ一切合切の中にあった物らしい。確かに桁外れに

魔力の強い感のある石ではあるが、そんな得体の知れない物を祝いと称して寄越したのかと、ランティスは苦情を

言うのを通り越してほとんど呆れていた。育ての親にも等しい師だけに、弟子のそんな心中はお見通しのクレフが笑った。

 「何か問題があったか?ラグレイトが応えたと聞いてるぞ。最強のケッコンユビワじゃないか」

 プレセアからも報告を受けていたのだろう。どの鉱物と合わさったのかも承知しているらしい。

 「ケッコンユビワが最強である必要性が解りませんが?」

 せめてチクリと言い返すぐらいは許されるだろう。

 「主のいない強い魔法石は、『尖っている』分、ただの石ころより質(たち)が悪い。とは言え、あれほどの石を物置の

奥で眠らせたままでは、もったいないではないか」

 「…」

 「単独で魔法力の強い弟子なら何もお前に限らんが、あの石は『ひとそろい』でいることを望んでいるからな。お前と

ヒカルが一番適任だ」

 そこまで話したところで薬湯が煎じあがったので、話はそれで打ち切られてしまった。 二人を見込んでいるように

言いながら、その実、『野良の魔獣を捕まえてあるから、招喚で使えるようにお前らで馴らしておけ』と言われている

のと大差ないようにランティスには思えた。

 

 

 「厄介だな…」

 光とともにいるのであれば、多少のことなら自分が対応出来るだろう。離れていても、それが普通の指輪であるうちも

まだいい。問題は光と離れている時に、こういう訳の解らない現象が起こることだった。(もっとも、その『訳の解らない

現象』のお陰で、光たちが九死に一生を得たと言えなくもないのだが。)オートザムに滞在している間は、セフィーロに

いるときと違って、『ちょっと他の魔導師に話を聞いてみる』、という訳にもいかないのだから。

 「なんか不味いことでもあるのか?」

 「…いや…」

 未知数が多すぎて、ランティスとしても明確な答えなど持ち合わせてはいなかった。

 

 

 結局そのまま、『たまにはまともに寝やがれ』と、眠気覚ましのコーヒーをジェオに取り上げられ、ランティスのほうも

精神的にどっと疲れてしまっていたので、大人しくそれに従った。

 朝までぐっすり眠って、身支度を整え、ここへ来て以来初めて食堂で他の者と食事を共にした。昨夜話の途中で

引っ張っていかれたランティスにティーダが心配げに声をかけてきたが、詳細を話す訳にもいかないので「大丈夫だ」と

曖昧な答えを返した。

 書庫に戻ると仕切り直しとばかりに、また新たな一冊に手を伸ばした。何しろやってることといえば、「魔導書(=教科書)

丸写し」に等しいのだ。しかも使い物になるかどうかも、どこがどう繋がるかもさっぱり解らない代物なので、片っ端から

書き出していくしかない、究極のルーティンワークだった。アスコットかもっと入門したてのような弟子でもいれば押し

つけたいぐらいの単純作業なのだ。(短気ばかり起こすので、そんな使いっ走りもクレフの許にはいやしないのだが・苦笑) 

ランティスクラスの魔導師であれば、まだしも禁呪の解読のほうが確実に形になっている魔法だけに、ヤバい代物で

あろうとやりがいもあるというものだった。

 書紙を用意して本のページをぱらぱらとめくっていたランティスの手が止まった。

 

 

  ★ 宵の水の月 第十三の日

     「やつれた姿を見せたくない」と水鏡越しになったが、やっとお前に逢えた…。

     ここを遠く離れた地で、≪世継ぎ≫が生まれたと聞いてから、どれほど月日がたっただろう。 

     俺がこの地に戻ってからでも、もう5年が過ぎようとしている。

     何度謁見を願い出ても拒み続けたお前が逢う気になったのは、いよいよ時間がなくなってきたからか?

     近侍の者が譲位を勧めても、「あの子はまだ幼いから…」と、お前が頑として拒み続けているのは  

     本当にただ幼い者への気遣いなのか?

     俺とお前がその想いに気づきもせぬまま逝かせてしまった者への償いとして

     最期の時まで柱であり続けることを、自らに課しているだけじゃないのか?

     

     たとえ魔法が使えても、たとえ剣の腕がたっても、

     たとえこの国唯一の魔法剣士と呼ばれても、いったいそれが何になる?

     この身に病を引き受けてやることも出来なければ、

     その身から打ち払ってやることも出来ないというのに 

 

 

 「これは…、メルの日記か…」

 他人の日記など読むものではないとそのまま閉じようとしたランティスだったが、日々の徒然を綴る合間に思いついた

ように書きつけられた魔導式の記述が散在していた。

 「分けて書け、分けて…!」

 隣の部屋で深く眠ったままの男に文句を言いつつ、なるべく日記部分は読み飛ばそうとしたランティスだったが、

そこに思ってもみなかった因縁を見いだすこととなる…。

 

 

  

SSindexへ                                                              The Private Papers of Mercedesへ

14daysindexへ                                                           すっ飛ばして、7月 3日 vol.2へ

                                             

 ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆ 

当サイト限定事項

メディテーションに関しては「つつみこむ」、「課外授業」、「a long time ago」等参照

セッション…メディテーションを行ってマインドリンクしている状態

ラグレイト…プラチナに似た、魔導師の杖や魔法剣にするのに適した魔法適応性の高いセフィーロの鉱物。手にする者を選ぶ。ホンダラグレイトより

 

The Private Papers of Mercedes は、ランティスと光の結婚指輪に使われた石にまつわるお話になります

 

                                          

                                        このページの壁紙はさまよりお借りしています