Stay by my side vol.4
仕事の合間にぽっかりと空いた時間にランティスはイーグルの部屋を訪れていた。
『遅い…。プレセア殿に「ランティスを呼んで欲しい」とお願いしたのは、三日ほど前なんですけどね』
「城を離れてた。至急の用件なら、導師に頼んで呼んで貰えばよかったんだ」
ベッドサイドのソファーに坐りながら、ランティスは答えた。
『最近ヒカルの様子が変だと思いませんか…?』
「…ガッコウが忙しいんだろう。カダイが大変らしい」
『……あなた、ヒカルの課題を手伝ってるんですか?』
「いや」
イーグルの言わんとするところがさっぱり見えないランティスが訝し気な顔をしていた。
『だったら、妃殿下(注:風のこと)たちみたいにスパルタ方式に切り替えたんですか?「課題が終わらなきゃ外へ
連れて行ってやらない」とかなんとか…』
「お前の寝言を聞くほど暇じゃない。端的に言え」
『じゃあ言いますが、ヒカルが泣くなんて余程のことですよ。この間、僕が寝たあと、ちゃんとフォローしたん
でしょうね!?』
「…何の話だ?」
『≪行っちゃいやだ≫って、泣いてたじゃないですか…。それとも≪言っちゃいやだ≫だったのかな。ヒカルの
秘密をばらそうと…、いやそれと引き換えに「俺と付き合え」とか無理難題吹っかけたとか…』
「――寝言と言うよりもはや妄言の域だな。導師のメディテーションを受けたほうがいいんじゃないか?」
『か細い声でしたけど、心のほうは泣き叫んでた…。手が届くほど、いや膝が触れ合うほど傍に居てあなたが
気づかないなんて…!』
「今は余り立ち入らないようにしてると言ったろう…。夢うつつで聞き違えたんじゃないのか?」
『そんな筈は…』
「お前が寝た後に話したことは、チゼータの妹姫のことぐらいだ。正式決定したら教えてくれと…」
『え…?ヒカル、知ってるんですか?』
「そのようだな。女性は耳が早い」
苦笑混じりのランティスに、イーグルもどこか楽しげに答えた。
『この手の噂話には一番関心なさ気だと思ってたのに、やっぱり女の子なんだなぁ、ヒカルも…。彼女が吹聴して
歩くとは思いませんが、早くはっきりさせるべきですね』
「そうだな…」
あの時、イーグルを止めはしたものの、遠からず知らせが入ることをランティスは確信していた。
「今日も光は時間通りかしらね…」
その次の週末、東京タワーの展望台から遠くを見遣りながら海が呟いた。
「最近のあのご様子では、『熱を出してセフィーロに行けなくなっちゃった』っておっしゃってきても驚きませんけど」
「仮病ってこと…?」
「ええ。結局私たち、光さんが何を思い悩んでいらっしゃるのか判らないままですし…」
光が一人で東京へ帰ってしまったのが二回目ともなると、極秘調査などと悠長に構えていられなくなり、海と風は
連れだって光の学校まで押しかけていた。
部活で下校の遅い光を校門で待つ他校生二人を心配した守衛が、陽が陰りはじめた冷え込みもあって詰め所に
入るように勧めくれていた。
「さようなら…」と、気のない一言を発して通り過ぎようとした光を守衛が呼び止め詰め所に招き入れると、さすがに
驚いたようだった。
「海ちゃん、風ちゃん…。なんで二人してこんなとこにいるの?」
光が驚くのも無理はない。揃って東京在住とはいえ、三人は自宅も通う学校もかなり離れているのだ。
「どうしても光さんとお話ししたかったんです。うちの車でお送りしますから、一緒に帰りましょう」
「…うん…」
風が携帯電話で連絡を入れると、近くで待機していたのだろう、鳳凰寺家の黒塗りのベンツが校門前にとまった。
降りてきた運転手が後席のドアを開け、確認に出てきた守衛に名刺を手渡していた。
「鳳凰寺さんちの風ちゃんとはお友達だから心配ないです。二人を詰め所に入れてくれてありがとうございました」
守衛にペこりと頭を下げると、海と風に挟まれるようにして光は車に乗り込んだ。
車が走り出すと後席と前席の間に透明なついたてがせりあがってきて空間を隔てた。
「うわぁ、スパイ映画みたい…」
暢気なことをいう光に風がさらりと答えた。
「お父様が各国要人をお迎えする時の特別仕様車を出して頂きました。運転手さんにはこちらの話は聞こえません。
ですから正直にお答えになってくださいな」
三人のうちでは一番大人しく控えめに見られがちだが、いざ怒らせたら心底恐いのは風だと海はしみじみ思った。
この徹底ぶりにくらべれば私はきゃんきゃん吠えたてるだけの仔犬だと、海は舌を巻いていた。
「心配かけてごめん。でも今は…二人には話せない…」
「光っ!この期に及んでまだそんなこと…」
光の二の腕を掴んで揺さぶる海をやんわりと風が止めた。
「海さん、落ち着いて。『今は』って仰いましたけど、いつかは教えてくださると、そう思ってよろしいんですか?」
「…うん。でも『いつ』とは、私もはっきり言えないんだ」
「そんな曖昧な…」
「正式決定までは余り広めたくないみたいだったから。ちゃんと決まったら直接教えてもらう約束をしたから……、
それまで待って欲しい」
それだけ言うと光は貝のように口を閉ざし、二人の視線を避けるように俯いてしまったのだった。
「海ちゃん、風ちゃん、お待たせ…」
いつもなら元気いっぱいに人波をすり抜け駆けてくる光が、他の観光客に押されるようにしてゆらりと現れた。
『秋はどうしても食欲に負けて体重が増えちゃう…』と嘆いていた光だったが、明らかに面やつれしていた。
「光…」
いったいセフィーロのどんな秘密を抱え込んで、光はこんなになってしまったのだろうと海はかける言葉が
思い浮かばなかった。
「光さん、ちゃんとお食事なさってます?」
「大丈夫。人並みには食べてるよ。普段がばくばく食べ過ぎなだけなんだから…」
食べ過ぎと言いながらも運動量相応で、標準体重より軽いぐらいなのだ。
「…焼いてきたシフォンケーキ、まるごと食べさせたいぐらいだわ」
「ダメだよ。みんな海ちゃんのお手製ケーキ、楽しみにしてるんだもん。食べ物の恨みは買いたくないな。さぁ、行こ…」
言葉とは裏腹に、行きたくないと泣き出しそうな顔をした光が二人と手を繋いだ。
光たちがセフィーロ城の広間に姿を現すと、テーブルや窓際など、いつもよりたくさんの花が飾られていた。
「ヒカル、ウミ、フウ、いらっしゃい!!」
「おはようございます。今日はずいぶん華やかですのね」
テーブルに並べられた料理も普段以上でお祝い事の雰囲気だ。いつものように光をハグしようとしたカルディナが、
この世の終わりに直面したような顔をした光に注文をつけた。
「なんやのん、ヒカル。そない辛気臭い顔せんといてぇや。今日はウチの故郷・チゼータにとっても、ものごっつぅ
めでたい日ぃやねんから、スマイル♪スマイル♪」
ハグするかわりに光の頬をむにむにとつまんだ。
「痛いよカルディナ…。それじゃあタータのこと、正式に決まったんだね」
「はぁん?ヒカルお嬢さまは知っとったんかいな。なぁんやつまらん…。ビッグニュースでびっくりさしたろと思うてた
のに…」
「タータがどうかしたの?」
カルディナと光の会話についていけない風と首を捻りつつ、海が尋ねた。
「どないしたもなんも……。ヒカルお嬢さま、二人には言うてなかったんかいな」
「『正式に決まるまで口外しないように』って、ランティスに止められてたから……」
「頭の固い朴念仁の言いそうなこっちゃ…。おめでたい話っちゅーのはやな、タータ姫さんの未来の花婿はんが
決まったんや♪」
「「ええっ!?」」
海と風の驚愕の声をどこか遠くに聞きながら、ランティス自身の口からではなく、結局こんな形で知ることになって
しまった光は、もうこの場から逃げ出したいぐらいだった。
広間のドアが開き、クレフとフェリオ、身体が眠ったままのイーグルを肩に担いだジェオと折りたたみリクライニング
ベッドを持ったランティス、そしてザズとラファーガが姿を現し、最後に入ったアスコットが扉を閉めた。
「ヒカルたちも来たんだね!」
二か月連続で光の顔を見られたザズは嬉しそうに声を上げた。
『やあ、荷物みたいな格好で失礼、お嬢さんがた』
「だから私とランティスならリクライニングベッドごと運べると申し上げた筈ですが…」
『いや、それもなんだかちょっと…。姫抱っこに匹敵する恥ずかしさがありませんか…?』
ランティスが窓に近いテーブル脇にリクライニングベッドを置くと、ジェオがイーグルをそこに下ろした。
ランティスの姿を正視出来ず俯き加減だった光の視界に、真っ白な神官の服が映り込む。
「俺から話す約束だったな」
「……うん……」
「チゼータ王国第二王女・タータ姫とオートザム軍所属NSX副司令官ジェオ・メトロの婚約が正式に決まった」
「・・・・ジェオ?……え……??」
停止しかけた思考を強引にあの日まで巻き戻す。確かにあの時、視線の先にはランティスと並んでジェオもいた。
それに二人を較べて、どちらが守護精霊に近いかと言われたら、断然ジェオのほうだろう。あれ以来張り詰めていた
糸がぷっつりと切れた光はその場にへたり込みかけてランティスに抱きとめられた。
「ヒカル!?…少し顔色が良くないとは思ったが…」
軽々と光を抱き上げたランティスの蒼い瞳が気遣わしげに翳っていた。
「光ったら…。ちゃんと食べないからそんなことになるのよ」
怒りながらも心配している海の言葉を聞いて、ランティスが光に尋ねた。
「何かつまんでから休むか?」
「ううん、いまは、このまま休みたい…」
いつもならネコミミ+ネコしっぽを出して暴れる光がランティスに甘えるようにしている姿を見て、風はパズルの
ピースがピタリと嵌まるのを感じた。
「そういうことでしたら…、光さんを休ませてあげてくださいね」
「ちょっと、風!それは…」
「いまの光さんには静かに休める場所が必要ですわ。お願いしても構いませんか?」
「ああ。悪いがジェオ…」
「冷やかすヤツが二人減るのは大歓迎だよ!…ってぇのは冗談だけどよ、あんま無理すんなよ、ヒカル」
「う…ん…」
あまりよく眠れていなかった反動が一気にきたのか、ランティスの胸に顔をうずめた光はすでに眠りの国に
引き込まれかけていた。
ランティスが広間を出ていくと、改めて海が祝いを述べた。
「それにしてもいつの間にタータを口説いてたのよっ!真面目そうな顔して、このこのぉ!ともあれ、おめでとう!」
「人聞き悪ぃこと言うなよ…。可愛い姫さんだなとは思ってたが、高嶺の花だと諦めてたさ。口説くのは正味
これからだ」
「…ですが、『婚約が決まった』と…」
『やはり一国の姫君ですからね。なかなか≪ちょっと付き合ってみる≫という、気軽なことは出来ないようですよ』
「俺は自分で決めて風と付き合ってるぞ」
風の肩をぐっと抱き寄せてフェリオが自慢げに言う。
「すでに家族のいないフェリオと、ご両親や他の王族がたもご健在のあちらでは、状況が違いますわ」
「ご明察!場合によっちゃあ、『やっぱりヤメた!』ってぇことも無いとは言えん。勝負はこれからさ」
届かないと思っていたスタートラインに立てただけでもいまは十分というように、ジェオは晴れやかな顔をしていた。
いつまでも主役を独占してはマナー違反だからと、海と風はジェオから離れた。
「…それにしても、この件と光がどう係わってくるのよ…」
「もう大丈夫だと思います。高校受験の頃のように、きっとすっきりしたお顔で東京にお帰りになれますわ」
「風、ずるいわ。ひとりで納得してないで説明してよ」
「いずれ方向性が決まりましたら、その時に…」
「うう〜っ!約束だからね!?」
あの様子なら、そんな日もそう遠くない気もするが、なにしろあの光では未知数が多いので、風は海をはぐらかしていた。