Stay by my side   vol.3

 

 

 「…ごちそうさまでした…」

 自分の使った食器を流しに運び、かちゃかちゃと洗い始めた妹の後ろ姿に、優が声をひそめて長兄に耳打ちした。

 「もう五日目だよ、兄さん…。光が朝ご飯のおかわり食べないの…」

 自宅道場での朝稽古後でもあるし、学校でも部活の朝練があるので、ご飯二膳ぐらいは食べておかないと昼まで

もたないのだ。

 覚が見た限り、二学期が始まって間もない日曜日に東京タワーへ出掛けた後ぐらいから、時折物思いに耽っている

ように感じられた。

 夏休みの終わり頃、あちらの誰かが大怪我をした上に記憶喪失になってしまったと連日見舞いに行っていたことが

あった。新学期の始まる前日、帰ってくるなり、「兄様、毎日出掛けること許してくれてありがとう!!今日ね、

ランティスの記憶が戻ったんだ!私のこともちゃんと判るって!!」と嬉しそうに報告していたのも記憶に新しい。

 『ふうん。あちらの国唯一の魔法剣士さまとやらはランティスという名前なのか…』と、妹の報告を聞きながら、

覚は彼女の話以外に窺い知る術もない世界のことを頭の中で整理していた。ランティスのことで一喜一憂している

姿に、『その人は、光にとって特別な人なのかい…?』と尋ねたいような気がしない訳でもなかったが、本人に自覚が

無いのに誘導をしてもいけないと、静観することにしていた。

 光は出歩いていて不足した練習時間を密度の濃さで取り返し、夏休み明けの実力テストもまずまずという、

充実した日々を過ごしていたはずだった。

 最近は練習を見てみても、覇気がないのは言うに及ばず、集中も出来ていないようだった。これ以上事態が

悪くなるようなら、一度話し合ってみなければならないなと覚は考えていた。

 

 

 「…風は何か聞いてるかと思ったんだけどなぁ…」

 コードレスホンを左手に、右手は鍵盤がわりに勉強机を叩きながら海が呟いた。

 『先週は私たちを置き去りでお帰りになったりして…。確かに少しご様子が普段と違いますものね』

 電話の向こうの風の声も気遣わしげだ。

 「ランティスの記憶が戻ってめでたしめでたしと思ったんだけど…」

 『ええ』

 「あーっ、もう!私たちはそんなに頼りがいが無いの!?光ったらいつもいつも一人で抱え込んで…」

 『光さんはお優しいかたですから、私たちに心配をかけたくないんでしょう』

 「現に心配してるんだから、無駄な抵抗よ!」

 『そうでなければ…』

 言葉を濁した風を海が促す。

 「なければ、何よ…?」

 『「自分の…私たちの力の及ばないことだから」と、諦めていらっしゃるのかもしれません』

 「『光』と『諦める』って言葉が、どうにも繋がらないわ…」

 『そうですね。ご自分の努力ひとつでどうにかなることなら、光さんは決して諦めないと思います。ですけど、

その問題が第三者の…光さんの立ち入る余地がないことならどうでしょう…?自分の気持ちがどうであれ、結果が

どうであれ、ただそれを受け入れるしかないと思ってらっしゃるなら、私たちまで煩わせまいとされるかもしれません』

 「解ったような解んないような…。もっと具体的に言ってよ、風」

 『確信している訳ではありませんが…』

 またも言い淀んだ風を海がせっついた。

 「ヤマカンでもあてずっぽうでもいいわよ、この際!」

 『雰囲気としては、恋わずらいだと思いませんか?』

 「…それはそうだけど、イーグルにしろランティスにしろ、光の気持ちに応えないはずないわ。中高生じゃあるまいし、

親友に遠慮ってこともないでしょう!?」

 『私もそう思います。ですが、もし光さんが想いを寄せたかたに、他に大切なかたがいらしたらどうでしょう?

そのかたを傷つけてまで、ご自分の想いを口になさると思いますか?』

 「え゛え゛え゛ーーっ!?光が彼女持ちの誰かに横恋慕してるっていうの!?それともランティスかイーグルが

お子ちゃまの光に見切りつけて彼女作った途端に、光がその気になっちゃったってこと!?」

 『断言出来るだけのデータは私にもありません。ただの仮説です』

 「びっくりした…。でもなんか説得力あるわね。光が叶わぬ恋わずらいかぁ。相手は…向こうの誰かだと思う?」

 『学校では出逢いがなさそうですし…』

 三人とも女子校なので、通学途中か対外試合で遠征したときぐらいしか男子生徒と接点がない。

 「アスコット、フェリオ、ラファーガ、クレフ……。誰彼なくよく話してるけど、横恋慕って感じじゃあないのよね。って

ことはランティスかイーグルに別の女か……」

 『それもあまりピンと来ませんけれど』

 「風の読みが当たっているなら、光を問い詰めたって、クチ割らないわね、きっと」

 『こちらに何か手札がありませんと、多分……』

 「ちょっと探りを入れてみるか」

 『どなたから…?』

 「やっぱり手始めはあの二人でしょ」

 『イーグルさんの韜晦術は侮れませんし、普段から口数の少なめなランティスさんが、私たちにそういうことを

話して下さるでしょうか?』

 「うーん、それは出たとこ勝負!一歩踏み出さなきゃ何にも出来ないわ。お節介かもしれないけど、光がつらい

想いを抱えてるなら、せめて慰めてあげたいじゃない。ひとりで泣かせるなんて嫌よ」

 『光さんが幸せになれればそれが一番ですけど、どうしても叶わないことなら傍に居て差し上げるぐらいは……』

 「じゃあ、来週セフィーロに行ったら……」

 二人の作戦会議は深夜まで続き、長電話のあまり、どちらも珍しく母親のお小言を頂戴したのだった。

 

 

 まずは手近なところから。アスコットにこの手の話題を聞いたところで無駄と解っている海は、遠慮する光を強引に

誘って果樹園の手伝いに出かけていた。

 フェリオと話してみたもののこれといった手がかりを得られなかった風は、連れだってイーグルの部屋を訪れていた。

 「お邪魔します。…起きてらっしゃいます?」

 『やあ、珍しいお客様ですね。ヒカルなら来ていませんよ?』

 「フウはイーグルに会いに来たんだ。ランティスは外回りだしな」

 「光さんは海さんと果樹園のお手伝いですわ。私、イーグルさんにお伺いしたいことがありますの」

 『……彼女がなんだか怒っているように感じるのは、僕の気のせいでしょうかね、フェリオ王子』

 眼を開いていない分、声のトーンなどには以前よりも敏感になっていた。

 「…怒ってない…とは言い切れない」

 『彼女を遠ざけたってことは、ヒカルのことですか。だったら、僕が聞きたいぐらいです。最近あまり元気がありません

からね』

 イーグル自身が気にかけるぐらいなのだから、心当たりはないのだろう。

 『この間、ケンドウとセフィーロ親衛隊の剣術とオートザム国軍のレーザーソード操剣術の話を三人でしていた時も、

不意に黙り込んでしまったり…』

 「色気のねぇ話してんだなぁ」

 「どんな話の流れで黙ってしまわれたか、覚えてらっしゃいます?」

 『……ファーレンの青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)の扱い方の話をしたり、チゼータの姫君がたの剣の舞も、

美しいだけの舞とは侮れない、実戦にも通用するものだとランティスが結構買ってたり…』

 「不毛だ…。あまりにも不毛だ…」

 いくら光が恋愛ごとにお子ちゃまだからと言って、好ましく思っている筈の二人にしてからがこの扱いでは、いつに

なったら目覚めるか判ったもんじゃないとフェリオは呆れていた。

 『あとは何だったかな…。ああ、チゼータの姫君たちの守護精霊の話から、民族衣装の話になって。ランティスは

オートザム滞在中は僕らと同じ格好をしていましたから、ファーレンやチゼータでも着たのかって聞いたりして…。

ファーレンあたりのカッチリ系はともかく、守護精霊みたいなチゼータの衣装はなんだか似合いそうにないなと

からかい半分で振ったんですけどね。気に障ったのか「お前には関係無い」って睨まれちゃいました。……そんな

ぐらい、で……』

 話途中で黙り込んだようなイーグルに風が問い掛ける。

 「何か気になることが…?」

 『………』

 「イーグル?おーい、寝ちまったのか?」

 『まだ起きてます。そうか。あの時、違和感を覚えた理由が解りました。ランティスがあんなふうに…「お前には

関係無い」なんて言ったりすると、いつもならヒカルがとりなしてくれるんです。「そんな言い方しちゃダメだ」って…。

あの時は、それが無かったんだ…』

 「……そして、黙り込んでしまわれたのですか…?」

 『流れとしてはそうですね。だけど、ランティスが「お前には関係無い」って言ったのは僕に対してだったのに、

それでヒカルがどうかしたとは考えにくいんですが…」

 「さっぱり埒が明かないな。どうする?フウ…」

 「もう少し考えさせてください…」

 イーグルの話通りなら、光がランティスの言葉に傷ついたとは思えない。それでも『お前には関係無い』という

言葉と『何かを諦めているような光』が、同じパズルの離れたピースのように、風の脳裡にちらついていた。

 

 

 果樹園の収穫に駆り出された光は、売り物にするには疵の大きい果実を貰ってみんなと分け合っていた。

同じように手伝っていたアスコットの魔獣たちも、おすそ分けを貰って嬉しそうに食べている。昔は恐怖の対象でしか

無かった魔獣たちも、今では子供たちでさえすっかり馴染んでいた。

 子供たちと遊ぶ魔獣を見遣りつつ、光がアスコットに尋ねた。

 「魔獣招喚って、凄く難しい…?属性魔法は生れつきのものが左右するって聞いたけど…」

 生れつきはどうあれ、≪柱≫なら全属性使えそうな気がするのだが、その手の発言をしたことがばれるとランティスに

睨まれるのでアスコットはその点には口を閉ざしていた。

 「魔獣招喚は無属性魔法だから、誰でも出来るはずだよ。魔獣が好きな人ならね。慣れないうちはどの子が応じて

くれるか判らないから、どんな子でも契約する気構えがないと…」

 「それなら大丈夫。動物さんはみんな好きだよ」

 「動物と魔獣はちょっと違うような…。だけど光、どうしてそんなこと聞くの?」

 「いつも誰かの手を煩わせてばかりじゃ悪いじゃないか。なんでも自分で出来るようにならなくちゃ…」

 少し遠い眼をしてそう答えた光を海がふわりと抱きしめた。

 「光ったら…そんな寂しいこと言わないで。みんなで手を取り合ってやっていくんだから…。もっと頼ってよ、ね?

私も、風も、みんなも居るってこと、忘れないで…」

 「海ちゃん……ありがと」

 海の腕に手を添えた光の目許には微かにひかる雫があった。

 

 

 その日の昼下がり、 ランティスと二人でイーグルの見舞いに来ていた光だったが、相変わらずふとした拍子に

物思いの海に沈み込んでいた。ランティスはティーカップとソーサーを物音立てずに扱うが、先程からことりとも音が

無いのは光がお茶にも手をつけていないからだろう。ふわふわと忍び寄る眠気の波間を漂いつつ、イーグルは

そんな光を気にかけていた。

 『ジェオが置いていったパウンドケーキ、お口に合いませんでしたか?』

 そんな物が目の前にあることにたったいま気づいたとでもいうように、光は慌ててフォークを手にして一口味わった。

 「……ううん、甘さ控え目で美味しいよ。ランティスは、これでも苦手…?」

 さっき花を生けるついでにプレセアが用意していったのだが、ランティスのケーキは手付かずだった。

 「ヒカルが食べればいい。オートザムの干し果物を使ってるから珍しいだろう」

 甘い物を見ても飛びつかない光の様子をランティスも気にしていたらしい。餌付けかっ!?

 『チキュウやセフィーロの果物でなら、ウミがよく作ってくれてるみたいですね。あの気候のせいかなぁ…、

果物が美味しいのは何と言ってもチゼータでしょうね』

 機械的にケーキを口に運んでいた光の手がほんの一瞬ビクンっとぶれて、皿の上に落としたフォークがカチャンと

派手な音を立てた。

 「ごっ、ごめんなさいっ」

 無作法を詫びて首を竦めた光の右手を、断りもなくランティスがそっと掴んだ。

 「筋でも傷めてるのか…?」

 「そっ、そんなことないよ。平気だから、…放して…」

 光にそう言われてしまうと、ランティスも放さない訳にいかない。目を閉じていても敏感なイーグルが二人の間の

微妙な空気を察知して、部屋の静けさを埋める言葉を探した。

 『チゼータと言えば…、ランティスあたりからもう聞いてますか?ヒカル』

 「よせ、イーグル。他人に明かすのは正式に決まってからのほうがいい」

 『もう決まったも同然じゃないですか、けち…』

 「万が一にも話が整わなければ、傷つくのは女性側だ」

 『おや、朴念仁のあなたにしちゃなかなかの配慮ですね。仕方ない、ここは折れましょう』

 イーグルの口から出た≪チゼータ≫と≪ランティス≫という言葉だけでもういっぱいいっぱいだったのに、それに

対するランティスの態度に余計にいたたまれなくなった光が、ガタンと立ち上がった。

 『どうしました?』

 「……いっちゃいやだ……」

 聞き取れなかったランティスが小さく苦笑した。

 「またガッコウに忘れ物をしたのか?ヒカル」

 「え?あ、うん、そうっ!ちゃんと課題出さなきゃ内申書がた落ちになっちゃうんだ。そんなことになったら、勉強に

付き合ってくれてる風ちゃんと海ちゃんに顔向け出来ないや。二人にはまたメモ残してくから…」

 「広間まで送ろう」

 立ち上がりかけたランティスの肩を光が慌てて押さえた。

 「大丈夫!あの、お行儀悪く食べっぱなしだから、ここを片して貰えると…」

 いつもなら「しなくていい」と言っても片付けをする光だが、とてもそこまで持ちこたえられそうになかった。

 「ああ…」

 「イーグル、またね」

 『………』

 「寝ちゃったかな…。おやすみなさい。あの…私も少し知ってるんだ、タータのこと……。だから、ちゃんと決まったら

……ランティスが教えてね」

 「…わかった」

 微かに目を見開いたランティスを見つめていた光がきゅっとくちびるを噛んだ。

 「じゃあ、さよなら…」

 たたっと駆けていった光の背中にランティスがぼそりと呟いた。

 「…どこの世界も女性は早耳だな…」

 テーブルにあったトレーにカップなどを載せながら、余った菓子は小鳥たちにやろうなどと考えるランティスだった。

 

 

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