Stay by my side vol.1
今日は三国も勢揃いしてのお茶会が開かれていた。ファーレンの皇女アスカは博識で話し上手な風を
気に入っており、顔を合わせるたび纏わりつくほどに懐いていた。風のそばには当然のようにフェリオが
いて、風が話すのを面白おかしくまぜっかえしている。
チゼータの姉姫・タトラは同郷のカルディナと談笑しつつ、スタイルの良い海にチゼータの民族衣装を
着てみないかなどと勧め、何故かアスコットが真っ赤な顔をしてそれを阻止せんと頑張っていた。
セフィーロで療養中のイーグルはいまだ起き出せずにいるが、地球のプールサイドにあるような小型の
リクライニングベッドに寝そべり、意識だけお茶会に参加していた。ジェオやザズがオートザムの近況を
報告するのを、ランティスやクレフもそばで聞いていた。光も同じように聞いていたのだが、話がやや
専門的になりちんぷんかんぷんになってきたのと喉が渇いたのとでその場をそっと離れた。
ランティスが飲んでいたものを一口もらって気に入ったので、それを探してテーブルの間をさまよっていた
光は、ぼんやりランティスたちを見てため息をついてるタータに気づいた。
「どうしたんだ、タータ。遠路で疲れちゃったのか?」
「…我が国のブラヴァーダの乗り心地は最高だ。セフィーロまでぐらいなら疲れたりしない」
「だって、ため息なんかついてるから」
「・・・・・ヒカルは婿取りをせっつかれたりしないのか?」
「うにゃ?」
予想外のタータの言葉に、光の紅い髪の間からぴょこんとネコミミ飛び出していた。
「うーん…話ならちらっと出てるみたいだけど、兄様が断ってくれてる。まだ学生だし、地球の平均で
いえばあと10年ぐらい先だよ。そういえば二人姉妹なんだっけ。タータ、もうお婿さん貰うのか?」
話の流れから素直に質問した光に、真っ赤になったタータが喚き散らした。
「ななな、なに、あほなこというんや!?」
「タータ、こ・と・ば・づ・か・い♪」
離れた場所からでも姉姫は一言だけ釘を刺し、一斉にみなの注目を浴びた光はひらひらと手を振りつつ
笑って誤魔化すことにした。関西人以外にはクリティカルヒット≪痛恨の一撃≫であるという≪あほ≫にも
めげず、光はその天然っぷりでほわわんとやり過ごす。
「あははは。何でもないんだ。ごめんなさーい」
それぞれ興が乗っていたのかすぐに話に戻る中、ランティスだけがまだ光を気にしていた。光がさらに
「大丈夫」というふうに手を振ると、ジェオに水を向けられたのを機に話に戻っていった。皆の視線の集中
砲火が途切れると、タータがふたたび口を開いた。
「……古参の大臣が、『自分の息子はどうか』って売り込んできてるんだ。頭は結構切れるんだけど、
なまっちろいやつでさぁ…。全っ然好みじゃないんだ」
「タータの好みって、守護精霊≪ジン≫みたいなタイプだっけ…?」
以前その話を聞いた時、失礼この上ないことに(そうか?)海は思いっきり鳥肌を立てていた。
「だってそのぐらい逞しくなきゃ男じゃないよ。ヒカルだってそう思うだろ?」
光は何とはなしにタータの視線を追って、その方向にいるランティスの横顔を見てしまう。
「うーん…逞しいほう、…かな」
「出来れば私より背が高いやつのがいいし」
「そうだね。かなり高い…」(いや、ザズとクレフ以外はたいがい貴女より高いよ)
「私より戦闘力≪キャパシティ≫低い男は願い下げだし」
「…文句なしに強いよね」
「わりと顔も好みだったりするんだよな。あれで結構優しいやつだし」
タータが並べたてる条件に相槌を打つ光の声のトーンが次第に落ちていく。
「……うん、凛々しい顔立ちだし、すごく優しい、…よね」
「誰か決まった相手っているのかな。ヒカルよく話してるし、なんか聞いてないか?」
「………ごめんなさい。そういうこと、聞いたことないや」
「あやまんなよ、そんなぐらい。そっか。変なの押し付けられる前に、指名してみるってのもありか。国の
中枢メンバーなんだし家格が違うって蹴られたりしないよな。父様に言ってみよ」
「・・・・・」
問題解決とばかりに上機嫌になったタータとは逆に、光はランティスを見つめたままきゅっと真一文字に
くちびるを引き結んでいた。
タータの爆弾発言(聞いていたのは光だけだが)から少し経った頃、光はランティスの執務室兼私室に遊びに
来ていた。イーグルはかなり深く眠っているし、海と風はそれぞれデートに出払っていたからだ。一人予定のない
光を気遣った海が「一緒に果樹園の収穫手伝う?傷物なら少しは貰えるわよ」と魅力的な提案をしてくれたが、
たまのデートを邪魔するほどヤボでもなかった。
急ぎの仕事を片付けてからでよければ町へ案内しようとランティスが言い、ここでそれを待っているのだ。
部屋の主の性格を表したようにきちんと整頓された書棚の前に立ち、分厚い本の背表紙を眺める。まだ
セフィーロの文字も読めない光では、そこに並ぶものがなんなのかも判りはしないのだが、いかにも異文化に
触れているという雰囲気を味わっていた。
ひとしきり棚を見終わったところで、その書棚の上に、まるで隠すように押しやられた横置きの本があることに
気づいた。少し棚から離れて首を伸ばしてみると、地球でいう美術画集あたりにあるような大きな本といった
感じだった。書棚そのものがかなり高いので、光ではとても手が届かない。
「本、見せてもらってもいい?」
ひとつの書類に署名し終えたランティスが顔を上げた。
「ヒカルはまだセフィーロの文字を読めないだろう?」
「あの棚の上に横置きしてある本。美術書かなんかでしょ?それなら文字がわからなくても平気だもん」
「…あれは駄目だ」
一言の元に言い渡し、ランティスはまた次の書類に目を通し始めた。愛想が悪いとみなに酷評されている
ランティスだが、光に限っては今までそんなふうに思ったことがなかったので、取り付く島のないこの扱いは
かなり意外だった。
普段と違うランティスの反応に、つい二、三日前の家での出来事を思い出した光が訳知り顔で言った。
「あ・・、そういう本なんだね、あれ…。ふぅん…」
「・・・・?」
一人納得している光の声に怪訝そうにランティスが視線を上げた。取り込んで畳んだ洗濯物を持って兄の
部屋に行った時、いつもなら「箪笥の前に置いといて」という翔が襖を僅かに開けて、なぜか光の視線を遮る
ようにして受け取っていた。友達が遊びに来ているときはことさらに妹を見せびらかすほうなのにおかしいと
思ったら、なんとなくエロ怪しげな雑誌を友達の一人が隠すように座布団の下に突っ込んでいた。同じ年代の
兄がいる同級生から話を聞いてはいたが、自宅で現場を見たのはそれが初めてだった。
「うち、兄様がいるから別にそういうのなんでもないよ。ランティスだって男の人なんだもん、見たい気分に
なることもあるよね、きっと…」
「…何の話だ…?」
「ここだけの話にするって約束する。ランティスに見せてもらったなんて、誰にも言わないよ。ただセフィーロ
美術史の一ページとして見ておきたいんだ、あれ」
机のそばまでやってきて声を潜めて真顔でそう言った光に、ランティスは眉間に皺を寄せた。
「・・・・そんな大仰なものじゃない…」
「日本の浮世絵にもね、危絵(あぶなえ)とか春画とかってジャンルがあるんだ。セフィーロにもあったって
おかしくないよね。あ、もっとくだけた青年向けの実用的なの(笑)もあるんだって」
日本の美術史の資料を導師クレフに頼まれて整理したことがあり、光が言っているジャンルがどういう物を
指すか瞬時に理解したランティスが、口に含んだ香茶にむせ返った。
「何を勘違いしてる…。あれはただの風景画集だ」
「…そうなのか?それならなおさら私が見ても困らないよね?セフィーロ絵画の勉強になるし…」
それなりの間柄の相手ならともかく、まだ想いを通わせることも出来ていない少女にこんなところで妙な
理解を示されてもありがたくないランティスは、仕方なさそうに立ち上がると書棚の一番上からその本を手に
取った。書棚に向かい光に背を向けているランティスの口元がなにかを呟くように動いたが、ランティスの
背中を見つめる光はそれに気づかないようだった。他に座る場所もないので、ベッドに掛けるように促し、
ランティスはその本を光に手渡した。
「ありがと」
ランティスから手渡された大きな本をきちんとカバーの掛けられたベッドの上に置く。膝の上で広げるには
大き過ぎたからだ。
「へぇ・・本当に風景画なんだ…」
ここで拒んでいたらあらぬ疑いをかけられたままだったんだろうかと心ひそかに悩みつつ、ランティスはまた
書類を片付けにかかっていた。
セフィーロにはいわゆる機械的な印刷と呼ばれるものはなく、手作業か魔法による写本ばかりだという。
分厚い表紙をめくると、美術書というより誰かのスケッチブックを装丁したもの、といった雰囲気が見て取れた。
古びたそれを傷つけないよう、そろりそろりと一頁ずつ、光はその中に切り取られた景色を脳裡に灼きつけていく。
「これ…セフィーロの景色なんだよね…」
「……ああ」
「本っていうより、誰かのスケッチブックみたいだ」
「…導師クレフが描いた物だ」
「ふうん…。クレフって絵が上手いんだね。あれ…?くっついて開かないページがある…」
「・・・・・破損しては困る。そこはそのままにしてくれないか・・?」
「破けちゃったらクレフに叱られるもんね。見られるところだけ、見せてもらうよ」
浅瀬のアクアマリンからピーコックグリーン、そして遥か沖のコバルトブルーへとグラデーションが美しい凪の海原。
柔らかな色合いの花咲き乱れる深緑色と常磐色が綾なす草原。なだらかな丘の上に佇む石造りの城。遥か彼方の
天空に浮かぶ山を目指し、白い鳥たちが群なして舞う蒼い空。
「やっぱりランティスの瞳の色って、晴れた日のセフィーロの空と同じだ」
――いつか、そう遠くない未来、こんな空を見上げて思い出すんだろうか…。
「そうか…?」
――空の色…夜明け前、闇が陽のひかりに払われ始める頃の紫紺の空は兄・ザガートの憂いを帯びた瞳を
ランティスに思い出させるのだが、それを光に告げるのは憚られた。
「明けの空は……、少し哀しい色してる。菫青色っていうのかなぁ。太陽が昇りきった明るい空はランティスの瞳
みたいな勿忘草の色だけど」
ランティスの想いを見透かしたような光の言葉に内心ぎくりとしながら、さりげなさを装って問い掛ける。
「ワスレナグサ…?」
「地球の野原に咲く花だよ。花言葉は、≪私を忘れないで≫……」
事故とは言え、記憶喪失ですっぱり光のことを忘れさっていたランティスには耳に痛い花言葉だった。
「・・・すまない・・・」
突然ぼそりと詫びられて光もまたぎくりとする。
『いよいよ本決まりになったのかな…。でも結婚が決まったからってランティスが私に謝る理由なんて、別に、
無い…のに』
「別に、謝ることなんてないよ…」
俯いたまま、喉から絞り出すようにやっとそれだけの言葉を紡ぐ。そんな光の姿に、ひと時でも知己の中から
自身の存在が消えてしまったことが、そんなにもつらかったのだろうかと、ランティスは己の至らなさを悔やんだ。
しばし考えてみたものの、上手く宥める言葉を見つけられないランティスは、少しでも早く仕事を片付けて気晴らしに
連れ出してやろうとまた書類に目を通し始めた。
視線を落としたまま決定的な言葉を待っていた耳に、ランティスが書類を繰りサインを入れる音が届き、光は
きゅっとくちびるをかみしめた。
『…教えてもくれないのか……?』
いつもなら心地好いこの部屋の静けさが、今日は突き刺さるように痛かった。
風景画の中へ逃れるように、意識をそちらに振り向ける。セフィーロの景色でありながら、光が見知ったものは
なにひとつ無かった。魔法騎士が招喚された頃にはすでに平穏から程遠かったからだろうか。
セフィーロを知っているつもりでいた。いずれはこの地で暮らすことを心に決めていた。今、窓の外に広がる風景と、
古びたスケッチブックに綴じ込められた景色との隔たりに、暗い焦燥感が翳を差す。
幻想的な美しさを閉じ込めた画集をめくりつつ、光は自分でも気づかないうちに黙々と山積みの書類を捌いていく
端整な横顔に見入っていた。
『あの話、どこまで進んでるんだろう・・・・。タータが婿取りってことは、チゼータに行っちゃうのかな。ランティスなら
チゼータの衣裳より、剣道着のほうが絶対似合うのに…』
どうしてそこで比較対象として剣道着を思いついたのか自分でも解らず、ぼんやり考え込んでいるとランティスの
声が耳に入った。
「知らない景色では面白くないんじゃないか?」
ランティスが仕事の手を止めて光のほうをじっと見ていた。
「そ、そんなことないよ!あのっ、そのっ…、なんていうかずいぶん違う感じの景色になっちゃってるけど、いいの
かなって心配になってさ。画家さんがカンヴァスに油絵で描いた力作と、裏の白いチラシに子供がパステル
クレヨンで描いたお絵かきぐらいの差を感じるんだ。みんなで支えるだなんて、私ってばお気楽過ぎたのかな…」
ドメスティック≪国内ローカル≫なたとえで意味の解らない言葉があったものの、光の言わんとするところは
ランティスにも読み取れた。
「同じである必要がどこにある?」
「そりゃあ、すっかり元通りは無理にしても、せめてグレードアップしなきゃいけなかったんじゃないかなって。
この画集にあるような景色を知っている人は、いまのセフィーロにがっかりしてるかもしれない…」
「以前のセフィーロは≪柱≫一人が描き出したものだ。そういう意味で、今より統一感があるのは当然だ。だが…」
ふいに言葉を切ったランティスの顔をじっと見つめる光に、仕方がなさそうに続きを口にした。
「…他の何もかもを打ち捨てて創りあげた景色は、俺にはどこか悲壮な物に見えた」
「ランティス…」
市井の民と違い≪柱≫の側近くにいた者にとって、この世界はただ美しいと手放しで喜べる物ではなかった。
今のセフィーロは雑多な感を拭えなくはないにしろ、そのどれもが人々の望む幸せの光景であるのは間違い
なかった。慣れないだけに失敗がないとは言えないが、それすらも楽しんで乗り切っていけるバイタリティーが
垣間見られる前向きな風景に思えた。
「でもどうして…?私が見るの、嫌がってたよね」
「変に気にするのが判っていたからな」
「そりゃあ気にもなるよ!だって何が正解だったのか解らないんだから」
「正解も必要ないだろう」
「…そんな…」
「オートザムのような環境悪化に傾くならともかく、いまのセフィーロの在りように問題はない」
「だけど…」
「……そんなに一から十まで気にかけていては、まるで≪柱≫のようだぞ」
みんなで支えることを決めながら、些細なことにも心を痛めてしまう光に、「もっと突き放していいんじゃないか」
という意味で言ったつもりが、光は自分自身がランティスに突き放された気がして、きゅっとくちびるを引き結んで
視線を落とした。
『ランティスがチゼータに行っちゃったら、こんなふうに甘ったれた愚痴聞いてくれる人居なくなるんだから、しっかり
しなきゃダメだってこと…?』
ランティスが記憶を取り戻してやっといつも通りの日々を過ごせると思ったのもつかの間、他国の王族との婚儀と
あっては、光が異を唱える余地などありはしなかった。気心の知れたタータが相手なら、露骨な政略結婚というほど
ぎすぎすしたりしないだろうということだけが僅かな救いだった。
ランティス自身はこういうことを口にしないタイプだと理解出来るが、クレフたちが何一つ教えてくれないのは、
やはり魔法騎士は部外者だと思われているのだろうかと、光は一抹の寂しさを覚えた。
光が視線を画集に落としたあと、ランティスは自身の療養とクレフの不在で積み上がってしまった書類をまた
さくさくと片付け始めていた。もしもふたたび横顔をじっと見つめる光の切なげな視線にランティスが気づいていた
なら、何かあったのかと問いただしていただろう。
最低限必要なところまで決裁すると、ランティスはトントンと書類を整え、光に声をかけた。
「すまない、待たせたな」
「ううん…」
「どんなところが見たい?」
「…知らないことばっかりだから、どこでもいいんだ。セフィーロのこと、きちんと勉強したいから…」
教えて貰えるうちに学んで、ちゃんとやっていかなくちゃ…≪柱≫としてではないにしろ、いずれセフィーロで
生きていくと決めている以上、甘えてばかりはいられなかった。