Silent.... vol.9 1225 cefiro II
§12月25日 (くもり) 午後 セフィーロ辺境
「十一月三十日に崩れたのはこの辺だろ。人のいない地域でよかったな」
ジェオの言葉に、コ=パイ席にいるフェリオが大きく頷いた。
「まったくだ…。だが、これがいつ人里に及ぶかと思ったら、ぞっとするよ」
同じように外を確認していたイーグルが、ふとランティスを見遣った。ランティスの視線がどこか定まらないことに気づいて、
イーグルは肩を掴んで強く揺さぶった。
「ランティス!?ランティス、しっかりしてください!!ランティスっ!」
強引にトランスを破られたとき特有の頭痛に、ランティスが顔を顰めていた。
「…どうしてトランスに入っているときに邪魔をするんだ…」
「ランティス…。紛らわしい場所で、紛らわしいことするの、やめてください!てっきり『飛ばされた』のかと…」
「それでも良かったんだがな」
「何もトウキョウに飛ばされるとは、限らないんですよ?」
考えたくもないことをいうイーグルに、ランティスが露骨に嫌な顔をした。
「トウキョウに飛ばされないとも限らないだろう?」
「いつからそんな楽天家になったんです?それとも居直りですか??とりあえず、ジェオ、この空域から離れてください」
「了解」
「次は小規模の異変の地域の確認をしましょう。ランティスに変化が起きたら、いつでも離脱できるように注意してください」
そう指示を出すイーグルを、ランティスが横目で睨んだ。
「子供じゃないんだ。好きにさせてくれ」
「一緒に行動しているのにあなたに何かあったりしたら、僕がヒカルに顔向けできません」
「…」
言い出したら聞かないことはお互いによく知っていたので、それきりランティスは黙り込んでしまった。
小規模の異変が起きていたのは比較的狭いエリアに集中していた。その空域にさしかかる頃、窓の外を見ていたランティスが
ぽつりと呟いた。
「今日、ヒカルは来ない…」
「そんなこと言って…。僕がいるとヒカルを独り占めできないからですか?お茶だけご一緒したら、あとはちゃんとヒカルとふたり
きりにさせてあげますから、そんなに拗ねないでください」
「…ヒカルは、来られない…」
オートザムに滞在していた頃から、人を寄せつけない雰囲気を纏っていながら、そのくせ本当はひどく寂しがり屋なのだという
ことをイーグルは知っている。その孤独な心を抱えたランティスがようやく見つけた陽だまりが光だった。ちょっとした嫉妬心で光を
イーグルに逢わせたくない気持ちがあるにしても、光に逢えなくてダメージが大きいのはどう考えてもイーグルよりランティスの
ほうなのだ。それなのに、どうしてこの男はこんなことを言い切るのだろうかと、イーグルは不思議で仕方がなかった。
その空域を離れ、大きく旋回したハリアーはエルグランドの森の方向を目指す。
「あの森で、酷い目に遭ったんですよね、ランティス」
「酷い目に遭ったのは俺じゃない。犠牲になった子供たちだ…」
確かにランティスは酷い怪我もしたが、結果的にはそのことがきっかけになって光と想いが通い合うようになったのだ。だから
ランティスに限って言えば、悪いことではなかった。ランティスの意識が戻らない間にクレフとラファーガによる事情聴取を受けた
光は「自分たちの力が及ばず、二人助けられなかった」と報告した。ランティスも起きていればそう報告しただろう。だが、現実は
違っていた。光には伏せられたが、あの日行方不明になったといわれた少女は十三人もいたのだ。彼らの手の及ばないところで、
さらに三人もの少女がセフィーロから永遠に喪われてしまっていた。食われたのか、異空間に引きずりこまれたのか、あるいは
望まぬ変貌を遂げてランティスたちが葬ったヴァイパーの中に混じっていたのか……。だからランティスはあのとき無理を押しても
掃討作戦に参加したのだ。それだけが救えなかった小さな命への、せめてもの手向けだった。
エルグランドの森を越えて、崩壊現場にさしかかったとき、ジェオのヘッドセットにNSXで留守を任されているザズからの通信が
入った。
「どうした、ザズ?――え、マジかよ…」
ジェオが後方確認用のミラーに映るランティスにちらりと視線を送り、通信をオープンに切り替えながら告げた。
「ヒカル、本当に来られないってよ。ランティスに連絡したいからって、眼鏡のお嬢さんがNSXに来てるんだと」
「フウ!ヒカルはどうしたんだ」
『フェリオ!ランティスさんもそちらに?』
「ああ、ここにいる」
「ヒカルは、ずっと泣いてるんだろう…?いったい、何があった?」
『どうして、泣いているとご存知なんです?…実は…』
「つまり、なにか。可愛がっていたペットを亡くしただけでこの騒ぎ…?」
ともすれば呆れているようにも聞こえなくもないジェオの一言を、通信機の向こうの風が聞きとがめた。
『いま、「だけ」って仰いましたの?!光さんにとっては家族も同然の大切な存在だったんですよ』
「ジェオの言い方が悪かったのは僕がお詫びします。だけど、セフィーロの将来を考えると、確かにこれは看過出来ない問題では
ありますね」
「ヒカルの家族に何かあったりしたら、もっと酷いことになりかねないってことか…。平均寿命で考えれば百年以内に何度かは。
それは、確かに想定外だったな」
「勝手なことを――!ヒカルがそれを望んだとでも思うのか!?」
たまたま森で見かけた小さなラパンの命にさえあれほど揺れていた光なら、長い歳月を共に過ごしてきたものとの別れに、いま
どれほどの痛みを覚えているだろう。その悲しみを受け止めるだけで精一杯なのに、そのせいでこちらの世界が崩れていくなどと
知ったら、どんなに追い詰められてしまうだろう。セフィーロは、まるで呪縛のようだ――柱の願いを叶えるまで帰さないと言い、
柱の願いを叶えて後悔に苛まれる少女につけこみ、新たな柱に仕立て上げ、柱の望んだ世界になるといいながら、その実、光は
未だに柱の座から離れられずにいる――ランティスにはそんなふうにしか思えなかった。エメロード姫の自由を願って戦った兄の
気持ちが、いまなら、本当に解る気がした。
『約束、守れなかった。ごめんなさい、ランティス』
か細い、途切れそうな光の声が聞こえるのと同時に、意識が引っ張られるのを感じたランティスはとっさに呪文を唱えた。
「ヒカ、ル…!異界逍遥≪マジェスタ≫!」
ランティスが唱えた聞き慣れない言葉にフェリオが振り返り、イーグルがとっさにランティスの腕を掴んだ。気配を無くしたランティス
だけでなく、イーグルの身体までもが淡い紫色のひかりに包まれている。
「おい、イーグル!大丈夫か!?」
「いまのところ、僕は大丈夫です。聞き慣れない魔法でしたね」
「くそっ。アスコットが『禁呪は魔法詠唱が長いから、その間に捉まえられる』って言ってたのに、モノにしてたんだな」
「ああ、これがいにしえの魔法ですか…」
『私…今日…これで…』
暇乞いをする風の声が途切れ、ハリアーの計器類が狂ったように、出鱈目な動きを見せはじめた。
「んだぁ、いきなりっ?!磁気嵐に巻き込まれた訳じゃあるまいし…」
「下を見ろ!また崩れ始めたっ!」
割れた大地の破片が舞い上がり、大きな岩塊がハリアーに向かって来ていた。
「機銃斉射!航法をマニュアルに切り替え、これより帰投す…」
機長であるジェオの宣言を、イーグルが遮った。
「帰投はコマンダー権限で拒否します!本機は可能な限り、現在位置でホールド!」
「計器類がイカれてるし、この状況じゃNSXでもハリアーの機位をロストしてるだろう。正副司令官が揃って遭難したとなっちゃ、
艦内パニクるぞ!」
「ハリアーの出力・制御系は無事でしょう?有視界で飛んでもらいます。それに実戦なら、正副戦死もありえない状況じゃない。
これもある意味演習ですよ。しかも予定調和の艦隊演習より、遥かに能力を問われます」
「オートザムと長々戦争しなくてよかったよ…」
誰にともなく呟いたフェリオをちらっと見て、ジェオががりがりと頭を掻いた。
「了解っ!ハリアーは現在位置でホールド!…それで、ここで何しようってんだ、イーグル」
「ランティスを連れ戻します」
「どうやって?一旦飛ばされちまったら、導師でも妖精のプリメーラでも呼び戻せなかたったんだぞ。言っちゃ悪いが普通の人間の
あなたには無理だ」
噛み付いたフェリオにイーグルがにっこりと笑った。
「さっきからランティスが僕の手を振りほどこうとしてる感覚があるんです。だからいまなら追えるかと…」
「なんだ、腕を掴んだだけでも捉まえられたのか…」
「にしても、それ以上どうやって引き戻す気だよ」
「セフィーロで療養していた頃、眠り続けてた僕の意識をたたき起こしたのはランティスです。逆のことをやってみますよ」
「メディテーションか…。しかしあの時とは状況がかなり違うと思うがな」
「やるだけやって、駄目ならその時考えます」
眉を寄せているフェリオにそう告げると、イーグルは自分のヘッドセットを外した。乱れた髪を二、三度頭を振って整えると、右手を
ランティスの顔に伸ばし、自分のほうに向き直らせた。
「ヒカルのためとは言え、無茶をする人だなぁ。ああもう、やりにくい。目ぐらい、閉じててください」
ランティスの瞼をそっと撫でて閉じさせると、イーグルはランティスのほうにぐっと身体を乗り出し顔を近づけた。
「イ、イーグル?目ぐらい閉じろって、お前、ランティスになんつーコトを…」
ジェオの真後ろの席のランティスに過剰に接近中のイーグルが何をしているかは、彼の持てる知識の範囲内で想像するしか
なかった。
「すみません、ジェオ。気が散りますから、少し静かにしてもらえませんか」
「お、俺は大統領夫妻になんて報告すればいいんだ…。イーグルとランティスが◯×△◇◎だなんて」
焦燥感を滲ませたジェオの呟きを耳にしたフェリオが、クックッと笑いを噛み殺している。
「それ、ランティスに聞こえてたら、あとでカミナリ≪稲妻招来≫落とされるぞ」
「笑いごとじゃねぇ!オートザムでは同性恋愛は認められてねーんだよ!」
「いや、だから、メディテーションかけてるだけじゃないか」
「あんなに〔異常接近〕して、か?!」
「いろんなやり方はあるらしいが、お互いの額をくっつけてやるのが、一番『近づきやすい』って話だからな」
「額…?あ、額、ね。んだよ、紛らわしい…。キスでもしてんのかと、冷や汗かいたぜ」
「聞き捨てなりませんね。重度の上官侮辱罪で、軍法会議にかけさせてもらいましょうか…」
「聞こえてたのか」
苦笑混じりのフェリオがイーグルを振り返った。
「ランティスにも聞こえたかもしれませんね。僕を振り払おうとしなくなったし。旧友のあらぬ誤解に、いたく傷ついたんじゃ
ありませんか。ねぇ、ランティス…」
「あ、いや、その、なんだ。俺が悪かった!」
「もう聞こえてないぞ。イーグルの気配も消えた…」
確かに見る角度によってはキスしてるように見えなくもないふたりの帰りを待ちながら、ハリアーは砕けた大地をかわしつづけて
いた。
どこから聞こえてくるのか判らない、でもそれが光の悲しみだということが痛いぐらいに解る、そんな空気に満ちた漆黒の闇に
白い神官服のランティスが佇んでいた。
「あなたが黒ずくめの鎧じゃなくて助かりましたよ」
「勝手について来た癖に…」
「こんなところに…、前に飛ばされた時は二日も居たんですか。ヒカルの悲しみが痛すぎて、僕なら半日と耐えられない…」
「お前がそんなにやわとも思えないが。だいたい遮蔽てしておかないから、痛いんだろう」
「遮蔽?えーっと、…どうやって?」
「それも出来ずにのこのこ来たのか」
頭が痛いという表情で、ランティスがイーグルの肩をぐっと掴んだ。
「あ、楽になった。それでもまだヒカルが泣いてるのがわかる」
「完全に遮蔽したらここにいる意味がない。お前だけ遮蔽度を上げるなんて真似は出来ん。少しぐらい我慢しろ」
「本気でトウキョウへ行くんですか?」
「いま行かなくて、いつ行く?センターシケンが一ヶ月後、シボウコウのニュウガクシケンが二ヶ月後…。こんな状態のヒカルを
延々放っておけるほど、俺は楽観主義じゃない」
「城からは、ヒカルと何度やっても飛べなかったんでしょう」
「ああ」
「ここからなら飛べると?」
「根拠はない。ただ城にいる時より、ここのほうがヒカルの気配を強く感じる」
何も見通せない闇をイーグルがぐるりと見回した。
「ギャンブルみたいな話ですね。で、僕に何をしろと?僕が使えると思ったから、振り払うのやめたんでしょう?トウキョウまで
ご一緒するんですか?」
「馬鹿言え。どこの世界に保護者同伴でデートに行く男がいる?」
「どうして僕があなたの保護者なんですか…。それにしても、デート、ねぇ。ずいぶん言うようになりましたね、ランティス」
「…」
照れたようにむっつりと黙り込んだランティスの横顔を見ながら、イーグルは微苦笑を浮かべた。
「で、具体的には何すればいいんです?」
「トウキョウタワーはどんなところだ?お前は一度行っただろう?それが聞きたかった」
「やれやれ。ヒカルが居る街のランドマークが解らないってコトですか。ヒカルだって飛ぶ時にイメージくれてたでしょうに…」
「ヒカルの知っているトウキョウは広すぎて、目標を絞り込みにくい。お前はあの時見たきりだろう?」
「ようするに僕は水先案内人ですか。解りました。僕もこんなに悲しんでるヒカルをそのままにはしたくない。トウキョウまで、
あなたを送りますよ」
いまでも、つい昨日の出来事のように、イーグルの脳裏に鮮やかに蘇る異世界・トウキョウ――立ち並ぶ巨大なビル…そのくせ
オートザムとは違い、時間が止まっていたあの時でさえ溢れんばかりのバイタリティを感じさせた街…セフィーロほど澄んだ青では
ないけれど、どこまでも広がる空…そして、その空に向けて高くそびえる、赤と白の鋼鉄で組み上げられた尖塔――
瞑目してイーグルの記憶のトウキョウを受け取っていたランティスが、ゆっくりと目を開けて彼方を見遣った。
「またあのひかりが…。あのひかりは、導いてくれるのか…?」
その声に釣られてイーグルも視線を向けるが、彼の目には漆黒の闇以外なにも映らない。
「ひかり…?」
「小さなひかり…。点滅というより、まるで鏡が反射するようなひかりが見えているだろう?」
ランティスが指さす方向に目を凝らしてみても、やはりイーグルの目では何も捉えられなかった。
「いえ、僕にはなにも。あなただけにしか、見えないんじゃないですか?」
「気のせいだと?」
「そうじゃなくて。ヒカルがいま逢いたいと願っているのはランティス、あなただけでしょう?だからあなたにしか見えないんですよ」
イーグルのその言葉に、ランティスが穏やかな笑みを浮かべた。
「――行ってくる」
「ここで、待ちましょうか?」
「いや、セフィーロに戻ってくれ。あとでジェオに絞められるのはごめんだ」
「えーっと、…どうやって?」
来たときと同じようなことを言って苦笑いしている親友に、ランティスは呆れたようにため息をついた。
「お前、あとさき考えずに行動するのをやめろ。仮にも部下を率いる立場なんだろう?」
「あなたにその点を突っ込まれたくないですね」
「言ってろ。じゃあな」
イーグルの肩をとんと突き飛ばし、彼の気配がセフィーロへ戻ったことを確認すると、ランティスは小さなひかりが煌めくほうへと
意識を向けた。
ぴたりとつけていた額を離し、ハリアーに戻ったイーグルがランティスから身体を離した。
「イーグル!戻ったのか!?」
「ランティスを追えなかったのか…?」
たたみかけるように訊ねるジェオとフェリオに、イーグルが苦笑した。
「ランティスは、トウキョウに行っちゃいました」
「飛べたのか!?」
それは風とフェリオも何度も試して、光たち同様断念したことだった。
「多分…」
「多分って、んな曖昧な…」
「彼がトウキョウに行く前に、僕はこちらに帰されちゃいましたから。だけど…」
「「だけど?」」
口をそろえて訊ねたふたりに、イーグルが答えた。
「『セフィーロの柱に異変が起こったとき、異世界から招喚された者が伝説の魔法騎士となって戦う』――トウキョウにいるヒカル
から見れば、ランティスは異世界の者でしょう?それにランティス以外、ヒカルの騎士にはなりえない。だからずっと呼ばれてたん
ですよ、ヒカルに…」
「何のために?柱を――自分を抹殺させるために…?」
「まさか!ヒカルはただランティスに逢いたかったんでしょう。そしてランティスはそのヒカルの願いを叶えるために、ふたりの間を
阻むものと戦っていたんだと思います。ヒカルの願いを叶えたら、戻ってきますよ、セフィーロに…」
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エルグランドの森の事件…「課外授業」参照
ラパン…地球の兎に似た小動物。スズキアルトラパンより
異界逍遥≪マジェスタ≫…解き明かした禁呪を元にランティスが編み出した魔法。異界で意識を保つ。トヨタマジェスタより