Silent.... vol.7 1208 cefiro

§12月 8日 (くもり のち 雪) 午後 セフィーロ

 

 十二月に入ってからも、辺境での小さな異変はずっと続いていた。クレフに言われたとおり、ランティスはずっと城内にとどまって

いたが、それでも時折意識を飛ばされかけているのか、会議の席などでも何度も呼んだり揺さぶったりしなければならないことが

頻発していた。カルディナなどは羽根扇でランティスをビシバシひっぱたいた挙句、その羽根扇が壊れてしまったと難癖をつけて、

もっと上等な品を買わせたりもした。踊り子用の羽根扇も高価だが、幻惑師の使うものとなればさらに高価で、『ヒカルにもこんな

高価なものを贈ったことがないぞ…』と、ランティスがぼそりと呟く有様だった。

 城内にとどまっていても、意識を保ちきれないランティスでは真剣を使っての剣術指南も危険すぎるので、しばらくはラファーガに

任せきりだった。いつまた意識を飛ばされるか判らず、なるべく人目のつくところにいたほうがいいのではないかと勧めるクレフの

言葉を丁重に断り、ランティスは自室に引きこもっていた。城で実験することは出来ないにしても、光を護る力に繋がる何かの

手がかりはないものかと古い魔導書を繰り続けていた。

 ふいに世界が大きくひずんだような気配とそれを感じ、本を閉じて立ち上がり、ランティスは自室にいるはずのクレフを心で呼んだ。

 『導師、いまのは…』

 『また、大きく崩れたようだ。城とエルグランドの森を結んだ延長線上だったな』

 机の上に広げたままの地図を、ランティスがちらりと見遣る。また重なってしまったのは、偶然なのか何かの必然なのか、とにかく

自分で確かめたかった。

 『――行きます』

 『お前は城から出るなと言っただろう!ランティス!!』

 クレフの言葉を黙殺して、ランティスは自分の部屋を飛び出していった。

 

 

 エメロード姫が心穏やかであった頃には見たことのない鈍色の空を、漆黒の精獣エクウスが駆けていく。

 『あれはきっと雪雲だよ。積もるといいなぁ…。雪合戦して、雪だるま作って、楽しいんだから』

 去年の今頃、光がそう呼んでいた雲に空は覆われていた。城で大きなひずみを感じたとき、ランティスには光の泣いている声も

聞こえていた。クレフがそれに言及しなかったのは、彼には聞こえなかったからなのか、そんなことを言ってしまったらランティスが

大人しくしているはずがないと思ったからなのかは判らない。それでももうランティス自身は確信していた。一連の異変は確実に

東京にいる光の身に関わりがあることだと。確信はしていても、いまのランティスは何ひとつとしてそれに対して打てる手立てを

持ち合わせていなかった。

 城のあるガイアは魔法騎士たちが異世界との行き来に利用している。それ以外のガイアに『異変』が起こり続けるのは、あるいは

異世界と繋がりやすい何かがあるのかもしれない。そこからなら東京へ飛べるのではないか――そんな想いでランティスは

エクウスを駆っていた。

 「衝電破激!!」

 「殻円防除!」

 鈍色の空を裂いて走った電撃がエクウスの行く手を阻む。ランティスが殻円防除で護ってはいるものの、驚いたエクウスは後ろ脚で

立ち上がる。手綱を引き絞ってエクウスを御したランティスが、招喚獣ワイバーンで追いついてきたアスコットを睨みつけた。

 「何の真似だ?アスコット」

 「やっぱりエクウスは速いね。僕の友達じゃ追い越せないんで、足止めさせてもらったんだよ」

 「邪魔をする気なら、容赦はしない…」

 怒気をはらんだランティスの低い声は、兄である神官ザガートに恐ろしいほど酷似していた。

 「おっかないなぁ…。導師には『即、連れて帰ってこい』って言われたんだけど、単独行動をしないってことで手を打たない?」

 「どういう意味だ?」

 「魔法を学ぶ者として、ランティスの使う禁呪に興味がある。だから同行させてよ」

 「――責任は持てない」

 「『危ないことはしない』ってヒカルと約束してるんじゃなかったっけ?」

 「どうしてそんなことをお前が知ってる?……ウミか」

 「当たり!彼女たちの間じゃ隠し事は無理だよ、ランティス」

 どこまでふたりに筒抜けなのだろうと一瞬考え込んだものの、いまはどうでもいいことだとランティスは頭を切り替えた。

 「好きにしろ」

 「やった♪」

 大人になったようで、微妙に子供っぽいところの残っているアスコットだった。

 

 

 エルグランドの森を越えてしばらくした頃、ランティスが長い呪文を唱えはじめた。空駆ける風切り音のせいでなく、アスコットには

それが何を言っているのかまったく聞き取れなかった。唱え終えたランティスの身体は、薄紫のひかりにぼうっと包まれていた。

 「それって、あのエルグランドの森で使ってた禁呪…?」

 「少し違うが、まぁ似たようなものだな」

 「…それ使ってヒカルを泣かせたんじゃなかったっけ?」

 「今度はちゃんと導師が解けるようにはしてある」

 「てことは、また『飛ばされる』のが前提だったりするんだね。で、ランティスは何をしようとしてるの?僕を同行させてくれた、

ホントの目的は何?」

 意外に聡いなというふうに目を瞠ったものの、ランティスはさらりと答えた。

 「飛ばされた先を確認しようとしている。前に飛ばされたときは、まったく記憶がないんでな。日暮れまでに俺が『戻らなかったら』、

身体だけ城に持って帰ってくれ」

 「こんな寒いとこで、そんなに待てっての!?ひどいよ、ランティス」

 「勝手についてきたのはお前だろう」

 「うっ…、解った。でもそれ、かなりヤバそうなものに思えるんだけど。ヒカルに怒られても知らないからね」

 「お前が黙っていれば、禁呪を使ったことはばれないと思うが…?」

 「でっかい図体のランティス引き摺って帰ったら、目立ってしょうがないじゃないか。カルディナに問い詰められたら、僕、白を切り

通せないもん。そこからばれるよ」

 アスコットの言葉に、ランティスはやれやれというふうにため息をついた。

 「禁呪は、使ってみなければ本当の効力は解らない。『そんなに危ないとは思わなかった』とでも言い張るさ」

 「ふぅん…。そうやってあしらってるんだね、ヒカルのこと。ウミ相手には出来ないや」

 余計なことを言ったアスコットは、思いっきりランティスに睨まれた。

 

 

 「はあーっ。はあーっ。寒いねぇ、ワイバーン」

 「キキッ!」

 かじかむ両手に息を吹きかけながら、アスコットが友達に愚痴る。予定通りといっていいのかどうか、崩壊現場に近づくと、

ランティスはやはり『飛ばされて』しまった。正直言って、初めて会った頃のランティスは『神官ザガートの弟』として、アスコットに

とってはどこか恐ろしい存在だった。オートザムから戻ったばかりの頃などは、ランティス自身が触れれば切れそうな雰囲気を

纏っていただけに、近寄ることも避けていた。それが、いつからだったろう、アスコットたちに向ける視線は相変わらず底冷え

しそうなぐらいなのに、光にだけは暖かくて優しいまなざしを向けていることに気がついた。『結婚したいのは、ランティスと

イーグル!』などと、光が子供じみたことを言ってた頃から、それはずっと変わらなかった。エルグランドの森での事件のあと、

ようやく光が自分自身のランティスに対する気持ちに気づいたのだと、海がのちに教えてくれた頃からは、ランティスの纏う空気も

目に見えて柔らかくなっていった。

 『飛ばされ』かけていたランティスを、アスコットはじっと観察していた。それは禁呪のかかり具合を外から確かめる為でもあったが、

意外さに目を奪われたせいもあった。アスコットの目には何も映らない虚空に手をさしのべ、『ヒカル…』と愛する者の名を呼ぶ

甘やかな声と切なげな表情を見せたランティスに、うっかり他人のキスシーンを垣間見てしまったような気分にさえさせられたからだ。

 「もしかしたらザガートも…僕らのいないところでは、こんな目でエメロード姫を見つめてたのかな…」

 ザガートの旗の下にいたのは、ただただ友達と過ごせる場所が欲しかったからで、彼が本当は何を望んでいたかなど、かけら

ほどにも気にとめていなかった。それを知ったのは、ザガートもエメロード姫も消滅して、柱なきセフィーロが崩れてはてていこうと

している頃だった。『柱がセフィーロを支えること』をずっと当たり前だと思ってきた。それがセフィーロの理だったから。子供の

自分なら、きっと『バカなことするんだね、ザガート』と笑い飛ばしていただろう。でも大人になったいまなら、戦わずにはいられ

なかったザガートの気持ちが解る。もしも愛する人が、海が柱に選ばれてしまったら、誰と心通わせることも出来ず、ただ

セフィーロのためだけに存在しなければならないことになってしまったら、自分だって戦う道を選ぶだろう。誰を相手に戦えば

いいのかも解らないけれど。

 柱に選ばれたのは、海ではなかったけれど、海の大切な友達の光だった。その事実を創造主≪モコナ≫に告げられたときの、

海と風の、そしてランティスの受けた衝撃は遠く離れた城にいた自分でも、痛いぐらいに感じ取れるほどだった。けれども彼らの

受けた衝撃とは裏腹に、光はすんなりと柱になることを一度は受け入れた。柱の不在でとめどなく崩れていくセフィーロに、彼女は

ずっと心を痛めていたから。そして受け入れた上で、新たな柱として『セフィーロをみんなで支えていく』ことを祈り、セフィーロは

少しずつ変わりはじめた。『みんなで支える』ようになって、世界を支えるということがどれほど大変なことなのか、ようやく

アスコットにも、城の他の者にも実感できた。ことに光が東京に帰っている間には。自分達で背負ってみて初めて、エメロード姫や

光が不平ひとつ口にせず抱えていたその荷物の重さを知り、光だけは押し潰されることのないようにとそれぞれが心に誓っていた。

 

 

 「もうすっかり陽も落ちたし、帰ろうか」

 「キィ!」

 「エクウス、ランティスが言ってた通り、日が暮れたから城へ帰るよ。意識がないランティスを落っことさないでね」

 気性が荒い上に気位も高いエクウスは『お前風情に言われずとも承知している』と言わんばかりの態度で鼻を鳴らした。

 「乗り手に似て可愛いげないなぁ。あんな風になっちゃいけないよ、ワイバーン」

 友達に講釈を垂れながら、ランティスの抜け殻を連れたアスコットは、クレフのカミナリが待ち受けているであろうセフィーロ城へと

戻っていった。

 

 

 ふと気づくと、自分が目を開けているのかどうかも判らなくなりそうな闇の中にいた。意識を保てているのは禁呪が上手くいった

ということだが、こんなに何も見えないのでは危険を冒した甲斐がないなと、ランティスは多少落胆していた。セフィーロ城の廊下で、

あるいは視察に出た辺境で、掠めるように感じとった光の悲しみがより強く感じられるのに、ランティスはその気配をたどることが

できなかった。目の前にいるようでもあり、背後にいるようでもあり、足元にいるようでもあり、頭上遥かにいるようでもあった。そこは

明らかにセフィーロとは違う空間であり、そして東京でもないように思えた。

 『街にある建物という建物が、NSXが全部の艦外灯火を点灯したときより明るくって、空の星が霞んで見えないぐらいなんだよ』

 いつだったかセフィーロの夜空の星の多さに感嘆の声を上げた光が、自分の住む街をそう表していた。おそらくオートザムの

都市の雰囲気に近いのだろうと思ったことを覚えている。それでも光の声が聞こえるのと時を同じくして崩れたこの地しか、いまは

手がかりになりそうなものもない。ランティスはどんな些細なことでも見逃すまいと、精神を研ぎ澄ましていった。

 どのくらいの間そうしていただろうか。遥か遠くで、見間違いかと思うほど微かに、何かがキラリと光った。どう考えても届かないと

知りながら手を伸ばしたとき、不意に、酷く心が痛んだ。

 『ごめんね……、ごめんね…。私が…を』

 光が泣きながら誰かに詫びている――そんな気がした。

 

 

 セフィーロ城のバルコニーに着くなり、アスコットはクオンを招喚し、エクウスの背からランティスを降ろさせた。それを見届けたかの

ように、エクウスは静かに精獣の住まう世界に戻界した。

 「サークレットの魔力、ギリギリかぁ。もっと遠かったら危なかったな」

 ホッと安堵のため息をついたアスコットが背後の気配に引き攣った。

 「私はすぐに連れて帰れと言わなかったか?アスコット」

 「すみません。でもランティスに本気出されたら、僕じゃ太刀打ち出来ませんから」

 「ランティスもランティスだ。還れなくなったらどうするつもりなのだ、この馬鹿者が」

 クレフは雪男のような招喚獣に担がれた愛弟子の頭を導師の杖で軽く小突く。

 「還ってきますよ、絶対」

 「何故、そう思う?」

 「ヒカルが呼んだら、応えないはずないと思うから」

 理由にならない理由に、クレフのは肩を竦めた。

 「ヒカルが次にくるのは二週間も先だぞ。それまでこの馬鹿者が起きんのでは、私の仕事が増えてかなわん。まったく…」

 

 

 二日後に目を覚ましたとき、執務机の上には『勝手に抜け出した罰だ』というクレフの伝言メモとともに大量の書類が山積みに

されていて、寝起きのランティスをうんざりとさせていた。

 

 

 

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