Silent.... vol.6 1208-1218 tokyo

§12月 8日 (みぞれ) 午後 東京

 

 あれから学校帰りに途中下車して動物病院に寄るのが光の日課になっていた。受験生にあるまじき行動だが、覚は「自分の

行動には自分で責任を持つこと」としか言わなかった。電車に揺られつつ昨日から始まっている期末試験のためにノートを開くが、

意識はすぐに閃光へと向かってしまう。ポケットのパスケースを無意識にまさぐりながら、光はぼんやりと考えていた。

 「あと何回逢えるだろう…。もう家には帰れないのかな」

 涙が溢れそうになるのを、くっと上を向いて光は堪えた。

 「ダメだ。きっと帰れるって、私が信じなきゃ!あの時のイーグルだって、私が望んでセフィーロに連れて帰ったんだから」

 セフィーロの柱の座を巡って東京でイーグルと争うことになったあの時――光が柱になり、戦いに敗れたイーグルは消滅ある

のみと創造主≪モコナ≫に宣告された。けれども光が、海や風が、そしてランティスが創造主に剣を突きつけてまでイーグルの

生還を願ったから、彼はいまも元気でやっているのだ。だからきっと、閃光も連れて帰る――ただの自己暗示といわれようが、

光はそう願わずにはいられなかった。

 

 

 改札を抜けて、閃光の待つ動物病院へと急ぐ。この時間帯は本来なら夜診前の休診時間だが、学校帰りに閃光に会いにくる

光を特別に通してくれる。

 「受付のお姉さんにも、お礼言わなきゃなぁ…。こんにちはぁ、獅堂です!」

 動物病院の玄関ドアを開けると、待合室に翔の姿があった。

 「あれ、翔兄様も会いに来てたんだ」

 「…迎えに、来たんだ」

 「閃光、うちに帰れるの!?やったぁ!」

 信じる心が力になるのは、なにもセフィーロばかりじゃない――いつもは消毒液の匂いがするのに、何故か甘い香りがする

診察室を小走りに通り抜けた光の目の端に、診察台に置かれた、大きな、真白い箱が映る。

 「何だろ、あれ…。閃光、おうちに帰ろう!」

 昨日まで閃光が居たケージは空だった。他のケージに移されたのかとキョロキョロと見回すが、大型犬用のケージには姿がない。

追いついてきた翔が、静かに光を呼んだ。

 「光、閃光はこっちだ…」

 大型犬の閃光はいつも主診察室で診て貰っていたが、こじんまりした副診察室に居たのに気づかなかったのかなと、光は苦笑

した。

 「えへ、慌てすぎだね、私」

 引き返してきた光に通せんぼするようにして、翔は光の両肩を掴んだ。

 「兄様?」

 「…閃光はここにいるんだ」

 翔が光の身体を向き直らせた先には、さっき見た、大きな、真白い箱。甘い香りがしていたのは、その箱の中に納められた

たくさんの花の匂いだった。だけれど、これではまるで棺のような――。そうして光は、白い花にうずもれて眠る閃光を見つけた…。

 

 

 動物病院からの帰り道、泣き声ひとつ立てず閃光の棺に覆いかぶさるようにしている光に、ぽつぽつと翔が話しかける。大学に

出かけた翔に、病院から電話を受けた覚が連絡を入れたこと。そして翔だけはなんとか閃光の最期を看取ったということ。

 「…どうして…、教えてくれなかったの…?」

 か細い声で搾り出された言葉に、翔がため息をつく。

 「あのな、期末試験受けてる最中に呼べる訳ないだろ」

 「テストなんか、再試受ければいいじゃないか!」

 「馬鹿言え。『愛犬が危篤だから、試験受けずに早退します』なんて、俺達が許しても学校が許すか」

 確かに翔の言う通りだろう。光にしても理屈の上では判っていたが、心がそれについてきてはくれなかった。

 

 

 一晩だけの約束で閃光を自分の部屋へ入れた。大型犬なのでそのまま庭に埋める訳にもいかず、荼毘に付す為に明日には

ペットセレモニー業者に引き渡すのだ。

 「土曜日までこの状態で保管していただく約束だから、しっかり試験を受けなさい。いいね」

 覚はそれだけ言うと、光の部屋から出ていった。

 思えばお座敷犬でない閃光が光の部屋に入るのは、今日が初めてだった。そして、これが最後。

 「ごめんね、閃光…。ごめんね…、私が、閃光を…」

 紙の棺に眠る閃光の顔を見たいのに、その頭を撫でたいのに、光はへたり込んだまま、もう身動きひとつとることができなかった。

 

 

 そして、また、向こうの世界の片隅が音を立てて崩れていった――

 

 

§12月14日 (くもり) 東京

 

 兄達が予想していた通り、光の期末試験はもう目も当てられない有様で、保護者として覚が学校に呼び出され事情を尋ねられる

始末だった。再試と25日までの補講と冬休み期間中の自宅学習の三点セットと引き換えに、ようやく二人は長い説教から解放

された。

 「一度は許しておいてなんだけど、こういう事態では仕方がないね。25日の鳳凰寺さんたちとの約束は、お断りしておきなさい」

 「…はい…」

 がっくりとしょげる訳でもなく、泣いて抗議する訳でもなく、それどころか覚の言葉をちゃんと理解してるのかさえ危ぶまれるような、

魂の抜けた返事だった。

 

 

§12月18日 (雨) 東京

 

 再試はとりあえず全教科赤点を免れたという程度の出来だった。相変わらずほとんど眠れていないようで、その上食事も喉を

通らないのでは、いかに普段元気がとりえの光といえども倒れて当たり前だった。

 「今日で二度目なんだって、光が貧血起こして倒れたの…。そろそろ医者に診せること考えたほうがよくない?」

 大学が冬休みに入っている翔が、学校からの連絡で光を迎えに行き、担任の教師からそう聞かされていた。

 「ペットロス症候群ってやつか。光が一番可愛がっていたからなぁ、閃光のこと…」

 弟の話を聞きながら、優も深い溜息をつく。それは覚にも見当はついていて、知り合いの心療内科医のところへ一度は連れて

行こうとしたのだ。

 

 

    「年の暮れのご挨拶に行くんだけど、付き合ってくれないか?たまには外に出るのも気晴らしになるだろう」

    そう覚に声をかけられ、光は何も言わずについて来た。駅まで歩きながら、電車に乗りながら、話しかけるのは覚ばかりで

   光はほとんどろくに返事も返さない。その光がはっきりとした反応を示したのは、訪問先の表札の前だった。

    「私、知ってる…。ここ、覚兄様の知り合いのセラピストの先生のお家でしょ?セラピの先生に話すことなんか何にもない!

   私、先に帰って試験勉強してるからっ」

    来た道を駆けていく光を覚は追わなかった。あんなに拒絶反応を示していては、もうカウンセリングを受け入れるような状態

   ではないだろう。

    「勉強なんか少しも手についてないだろう、光…」

    さすがの覚も今回ばかりは打つ手を思いつけないでいた。

 

 

     「私が、正義の味方気取りであの野犬と戦ったりしなければ、閃光はあんな怪我しなくて済んだのに…。…私が、私が

   閃光を死なせたんだ…」

    閃光が荼毘に付されている間に光が呟いた言葉を、優が聞きとがめた。

    「光…。閃光はいずれにせよ長くなかったんだ。それは判ってただろ?」

    「だけど、あんな痛い思いしなくて済んだんだ。あと一週間か十日か、ううん、もっと生きていられたかもしれない。自分で

   カタをつけられもしないのに、私がいい気になってたから――」

    「じゃあ、あと一週間閃光と一緒にいる為だったら、あのチビが野良犬に咬まれて大怪我したって構わなかったって、そう

   言ってるのか?!光」

    「そんなこと言ってるんじゃないっ!」

    「翔!言いすぎだ。…光も、そんな風に自分を責めてばかりいては、閃光が浮かばれないよ」

    ただ閃光を喪うことだけでも耐えかねる事実なのに、閃光に怪我をさせてしまったと自責の念に駆られている妹の姿は、

   兄達には見るに忍びないものだった。

 

 

 「私が閃光を死なせた」――そんな想いに囚われている光の心を兄達が解きほぐそうとしているのは知っていた。その為に、

覚がセラピストのところへ光を連れて行こうとしたことも。

 「正義の味方気取りで死なせたのは、なにも閃光だけじゃない――。エメロード姫もザガートも、私が、この手で…」

 セフィーロでのことを少しは話してある覚にも、それだけは口が裂けても言えなかった。同じ経験をした海や風の前でなら、少しは

心のうちを曝け出せたかもしれないが、二人も光と同じ受験生なのだ。その二人に、今この時期に甘えることを自分に許せるような

光ではなかった…。

 

 

 

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