Silent.... vol.5 1202 cefiro
§12月 2日 (くもり) 朝 セフィーロ城
広間での会議の後、クレフはふたたびランティスの部屋に戻っていた。どんなに集中して、セフィーロより外まで意識を広げて
みても、ランティスの気配は感じ取れなかった。
「お前にもしものことがあれば、お前自身がヒカルを泣かせてしまうことになるんだぞ。戻ってこい――、ランティス」
その声が届いたのかどうか、ランティスのまぶたがぴくりと動いた。まるで朝陽が眩しくて目が覚めたとでもいう感じで、ぼうっと
寝起きの顔をしている。
「ランティス!気がついたか?」
「…導師?どうして、ここに…?いや、視察に出ていたはずなのに、どうして城に…」
幾分混乱しているランティスにクレフが尋ねる。
「視察に出たことは記憶にあるのか。そこで、何があった?」
「何、というほどのことは…」
「お前、最近ヒカルの声が聞こえているのだそうだな」
「…プリメーラが話したんですか。――ただの、俺の思い過ごしです」
「ただの思い過ごしなら、どうして『ヒカルが泣いている』と思うんだ?」
「それは…」
そんなことはクレフに指摘されるまでもなく、ずっと心の奥に引っかかっていた。出逢ったばかりの頃、ランティスは悲しげな顔の
光しか知らなかった。やがて時を経て、お互いの心が通い合うようになってからは、いくつもの光の笑顔を見てきた。中庭に飛び
交う小鳥と戯れる時の無邪気な笑顔、セフィーロにも訪れるようになった真夏に涼を求めて連れ出した湖で遊んだ時のはじける
笑顔、初めてくちづけた時のおどろきと恥じらいがないまぜになった笑顔――それなのにランティスは、いまはどれひとつとして、
その笑顔を想い出せなくなっていた。ただ彼女の声が聞こえるだけなら、「たった四ヶ月逢えなかっただけで、このザマか」と、
自分の心の弱さの表れの幻聴だと嘲笑って済ませたかもしれない。けれどもそれと同時に、腕の中に抱きしめているときでさえ
こんなには判らないというぐらい鮮明に、心を引き裂かれていくような光の悲しみが伝わってきていた。「クリスマスには逢いに来る
から」――光の誕生日に交わした約束の日まではまだ三週間以上もある。自分がトウキョウに行けないばかりに、光をひとりで
泣かせたままでいる己の無力さがランティスには許せなかった。
言葉を濁したまま答えないランティスに、クレフがさらに問いかける。
「理由(わけ)を答えたくないなら、それでもいい。それなら、お前はいままでどこにいた?」
「どこ…?」
「お前が視察に出た先で意識を失ってから、私はこのセフィーロのどこにもお前の精神を感じ取ることが出来なかった」
「覚えていません…」
セフィーロにいなかったというのなら、どうしてトウキョウに行けなかったのかと、自分自身への苛立ちが募る。
「…ともあれ、意識が戻ってよかった。今日はこのまま休んでおけ」
「いえ、もう大丈夫です」
「次にどこかへ飛ばされて、また還れる保証はないんだぞ、ランティス」
「それなら、トウキョウへ飛ばされる確率もゼロじゃない」
窓の外を見据えてそう呟くランティスを、クレフはじっと見つめた。
「お前、何を隠してる?」
「…報告を上げるようなことは、何も」
言外に『隠し事はあるが言うつもりはない』と宣言しているようなものだった。
「ザガートといいお前といい、言い出したら聞かない頑固さはクルーガー譲りだな」
「そう仰られても、父のことはほとんど記憶にありません」
「まぁ、無理はないが。だが、あまり無茶をするな。ヒカルを、悲しませたくはないだろう?」
「…」
「なるべく城外へは出るな。私からはそれだけだ」
「解りました」
クレフの気配が遠ざかるのを待って、ランティスはベッドから起き出し、執務机の上に地図を広げた。現在のセフィーロ城と
旧セフィーロ城があったとおぼしき場所(なにしろ一度はその国土のほとんどが消滅してしまったので、クレフの力をもって
しても『この辺り』程度の見当しかつけられなかった)、そして辺境の数箇所に印がつけられていた。それらは新生セフィーロが
落ち着きはじめた頃から、見回りを兼ねて辺境に出向いてはランティスが探し続けていた、ある場所の候補地を示しており、昨日
出向いたのは偶然にもその中のひとつだった。
最初はただの懐かしさから始めたことだった。家族の話を楽しそうに聞かせてくれる光に、ザガートのことはさておき、生まれ
故郷がどの辺りにあったかぐらい話せたら、ぐらいの軽い気持ちだった。とは言えランティスが両親と相次いで死に別れたのは
五歳の時だし、彼と兄のザガートが生まれ育った村は、禁呪を解き明かすという目的の性質上、村の外の者はたとえセフィーロ
最高位の導師といえど、その場所を知らされていなかった。両親を亡くした幼い兄弟を城へ連れて行ったのは、彼らの母親から
『自分に何かあった時は、二人をセフィーロ城のクレフに預けてほしい』と頼まれていた村の魔導師だった。その言葉がなければ、
すでに魔導師としての修行を始めていたザガートまでが村を出ることはなかっただろう。禁呪を解き明かすのは並の魔導師には
到底出来ないことだし、ザガートはすでに桁外れの力を認められ、やがてはクルーガーの跡を継ぐ者と目されていたのだから。
それは血の繋がりからではなく、あくまでその天与の才ゆえのことだった。
その村もエメロード姫消滅後の崩壊に飲み込まれたので、そこにいた魔導師たちも新セフィーロ城に避難していたかもしれないと、
ランティスは微かな望みを抱いていた。だがそれは一番最悪の形で、とうの昔に断たれてしまっていた。『神官ザガートがエメロード
姫を幽閉した』とされていたころ、数多の剣闘師、魔導師たちが姫救出に向かい散っていったと言われているが、その中にその村の
魔導師がいたらしいと、三国との講和が成立してしばらく経った頃、人づてに聞かされた。幼い頃可愛がっていた者の、かつての
仲間の忘れ形見の『乱行』に、見て見ぬふりは出来なかったのだろう。
ザガートは自分に向かってきた者の中に、かつての知己がいたことを知っていたのだろうかと、ランティスはふと考えた。ザガート
自らが対峙したのは魔法騎士だけだろうと、ラファーガがちらりと話していたが、それが真実かどうかも、もう永遠に判らない。長らく
師事した導師クレフさえ敵に回したザガートなら、そうと気づいても己の願いのために容赦などしなかっただろうとも、心のどこかで
確信していた。
あの村を出ることなく、一魔導師としてその生涯を送ったなら、ザガートはエメロード姫に出逢わず、エメロード姫は自らの消滅を
願うことなく、異世界から三人の魔法騎士が招喚されることもなかっただろう。魔法騎士たちだけでなく、どれほどの人が巻き
込まれたのか、正確なところは誰にも解らない。光と心通いあうようになってからも、それが自分に許されることなのかと、
ランティスは考えずにはいられなかった。
『姫とザガートを手にかけた』と苦しむ光は、合わせ鏡に映る自分自身でもあった。同病相憐れむと嘲笑われようと、光を求める
心も偽りではなかった。そして光が自分を必要としている限り、護り支えていくとも決めていた。
その頃から『故郷探し』の帯びる意味合いが変化してきた。禁呪を解き明かす為の村が辺境にあったのは、未知の魔法の
危険性を鑑みてのこともあったが、その地が沈黙の森と逆に恐ろしいほど魔法増幅力が強いガイアと呼ばれる場所だったからとも
言われている。実際ランティスがピックアップした場所は、いずれも新・旧セフィーロ城のある場所に勝るとも劣らない、魔法増幅力が
飛びぬけて高いガイアばかりだった。
『柱一人ではなく、皆で支えるセフィーロに』と、エメロード姫の次の柱に選ばれた光は祈り、表面上はそのようになった。だが
有史以来そのような前例はなく、混乱がないとは言えなかった。恐らく異世界の者が柱になったのも、その柱がセフィーロに
とどまらないのも前代未聞の事態だろう。『セフィーロにもう柱はいない』と、ランティスと光はかたくなに言い張っているが、押し
切られそうになる出来事は多々あった。光たちにはなるべく気づかれないよう配慮しているが、光不在のときのセフィーロは
不安定になりやすかった。意志の力の強いクレフ、ランティスら城の者たちでようやく持ちこたえることもしばしばだった。光が
セフィーロにいるときに世界が安定していればいるほど、その力に驚嘆せざるを得なかった。光自身、ふとした拍子に多少気に
しながらも、基本的には自分はもう柱ではないと思っている。だからエメロード姫のように祈る姿を見せることもない。それでも、
ただそこにいるだけで世界の調和が保たれるのだ。だが、本当に光に負担がないのかどうかは、微妙なところだった。時折酷く
感情が揺らぎやすくなるのが、イーグルの指摘したフラッシュバックだけのせいなのか、あるいは世界を支える負荷がかかって
いるからなのか、ランティスにも判断がつけられなかった。
異世界に住まう光は、本人がその気になれば『セフィーロを支える』ことから逃れられる。こちらへ来なければ、それで済むの
だから。(もっとも向こうにいる時の光に、どの程度負担がかかっているかまでは窺い知る術もないが) もともと彼女には縁も
ゆかりもないこの世界を、その肩に背負い込む義務などない。そうでなくとも、突然連れて来られ、武器を手に取らされ、柱を
消すこと(=人殺し)まで強要されたのだ。その上、『次の柱としてこのセフィーロを支えてほしい』などと、分別ある者なら、
あまりの厚かましさに口の端にも出来ないだろう。それでもその優しい少女は、押しつけられた重荷を投げ出しもせず、精一杯
両手を広げて受け入れた。どんなに傷ついても、まっすぐに立ち向かおうとするその少女・光を護る為に、あらゆる力を、まだ形に
なっていない力でも、ランティスは手に入れたかった。もしいまある力で事足りるなら、導師クレフが手を差し延べていない訳が
ない。彼とて真実を告げぬまま魔法騎士を、光をセフィーロの運命に巻き込んでしまったことに呵責を感じている一人なのだから。
――そして、見つけたのはほんの偶然の出来事だった。どうしてそれらがそこにあったのかは解らない。その時クレフに報告
しなかった自分の心も解らない。クレフの蔵書庫に在るはずのない、まだ解き明かされていない禁呪の魔導書の数々を、
ランティスはクレフに告げずに持ち出した。その中に、もしかしたら記されているかもしれない、光を護る力を形にする為に。
いまとは違う言語体系の古代セフィーロ語で書かれた禁呪は、解き明かしたあとに使ってみなければ、その効力が解らない
という難点がある。その実験の為の場所が必要だった。『魔法力でザガートには遠く及ばない』といいながら、ランティスもまた
桁外れの才能の持ち主であることは、彼がセフィーロ唯一の魔法剣士である事実が物語っていた。
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クルーガー…古代セフィーロの文献に残る禁呪の解読に携わっていた、ザガートとランティスの父。トヨタクルーガーVより
ガイア…魔法増幅力の高い一帯を示す言葉。トヨタガイアより
イーグルの指摘したフラッシュバックに関しては「課外授業」参照