Silent.... vol.3 1125 tokyo & cefiro
§11月25日 (晴れ) 夕方 東京
学校帰りの電車の中、ドアの側で夕暮れの町をぼんやり眺める光の姿がある。
「センター試験まで、もう二ヶ月切ったんだなぁ…」
中学三年のときに決めた目標への挑戦まで、あともう少し。我ながら無謀な挑戦だと思い、進路指導の先生にも「もう少し身の
丈にあったところを選べ」と言われながら突っぱねとおしてきた。風や海も光の気持ちを汲んで、セフィーロに遊びに行くたび受験
勉強に付き合ってくれた。多いときでは週末ごとに、少なくとも月に一度は訪れていたセフィーロにも、八月の光の誕生日以来
遊びに行かずにがんばってきた。自分のペースに付き合わせては申し訳ないと、風と海には「二人でセフィーロに行ってきて」と
言ってあるのだが、「光さんお一人に淋しい想いをさせられませんわ」と風は柔らかく笑い、「もう!水臭いこと言わないの!」と
海には背中をバシバシ叩かれた。
二人の心遣いに報いるには自分が目標をクリアすることしかなかった。光の右手は無意識に制服のスカートのポケットに入って
いるパスケースに触れる。
「クリスマスには逢いに行くから、待っててねランティス」
八月の誕生日、いつもとは違い「お昼寝の木」の下(上にはリスに似た動物の先客がいたからだ)でランティスと二人うたた寝を
していたところを、パーティーに遅れて来たイーグルに写され、散々からかわれたときの写真を忍ばせてあるのだ。自分の寝顔を
撮られたのは恥ずかしかったけれど、一緒に写っているランティスの寝顔がなんだか可愛かったからそのままこちらに持ち帰って
きた。学校の友達に見られたら何を言われるか判らないので、すぐには見えない内側に潜ませてある。
「帰ったら閃光のお散歩して、また勉強だな…」
駅に到着した電車のドアが開くなり、光は駆け出した。
家に帰るとカバンを机に置き、普段着に着替える。こんな時期に風邪を引いては困るので、いつもは薄着の光もしっかりと
ブルゾンを羽織った。廊下から裏庭に出ると、光は愛犬の名前を呼んだ。
「閃光!閃光!お散歩行こう!」
スニーカーをきちんと履き、犬のお散歩グッズを手にしながら待つが、閃光がやって来ない。いつもなら光が裏庭に出ればすぐ
にも寄ってくるのに…。不審に思った光が犬小屋を覗くと、閃光が小さく「くぅーん…」と鳴いたまま、うずくまって動かない。
「閃光?閃光…!?兄様!!兄様、来てっっ!」
悲鳴のような光の叫びに、中庭に面した道場で子供達を教えていた覚が顔を覗かせる。
「どうしたんだい、光?」
「覚兄様、閃光の様子がおかしいんだ」
妹の言葉を聞きつつ、覚は道場内を振り返り稽古中の子供達に指示を出す。
「そのまま素振りをあと50回続けるように」
履物をつっかけて、覚が犬小屋までやってくると、光の声を聞きつけた翔も裏庭に出てきた。
「閃光、どうした?」
覚が閃光の頭を優しく撫でるが、「くぅ」と力ない返事が返るだけだった。
「確かに元気がないね。翔、かかりつけの先生に往診出来るか訊いてみてくれないか。先生の時間が取れないようなら、
子供達の稽古が終わり次第連れて行くので、その点も聞いておいてほしい」
「判った!」
翔が家に駆け込んだのを見送り、覚はさらに指示を出す。
「具合が悪いときの基本は保温だから、寝床は家の中に移そう。光、お風呂場の側の物置に古いタオルや毛布があるから、
それを出しておいてくれないか」
「はいっ!閃光、しっかりするんだよ」
母屋へと駆け込む妹の姿をどこか痛々しげに見送りながら、覚は閃光の頭を撫でている。
「――そういう時が、きてしまったのかい…、閃光?」
往診の約束を取り付けた翔が戻ってくると、閃光を任せて、覚は道場へと戻っていった。
稽古の子供達が帰ってまもなく、閃光のかかりつけの獣医が往診にやってきた。まだ仕事から戻らない優を除く三兄妹が、
診察をじっと見守っている。
聴診器を耳から外した獣医は、そっと閃光の頭を撫でた。
「閃光がこの家に来て、もう十四年になるかな…?」
「私の四歳の誕生日に、迷い犬の預かり期間が過ぎて警察から保健所に引き渡されるとこだったのを、覚兄様が貰ってきたん
だよね」
「大人しいのに、もう子犬の時期は過ぎてたせいか、引き取り手がなくて…。道場に出入りしてる知り合いのお巡りさんに
頼まれたんですよ。『お前の家なら庭があるから飼えるだろう』って」
「うちに来るなり、光の兄貴分みたいに振舞ってたよな。優兄(にぃ)と俺と閃光で、光の取り合いしてたし…」
「推定十五歳以上なわけだし、大型犬としては、がんばったほうだと思うぞ」
「先生っっ!」
その先に続けられる言葉を聞きたくないという風に、光が獣医の言葉を遮る。
「お嬢が閃光を可愛がっているのは、私もよぉく知ってるよ。だけど、生きとし生けるものには寿命ってもんがある。犬の場合は
小型犬より大型犬のほうが短命でな、たいていのやつは十年も生きればいいほうなんだ」
「入院させたら?えっと、点滴するとか、酸素吸入するとか…」
「一週間を二週間に、あるいはひと月をひと月半に延ばせるかも知れんがね。動物病院のケージに閉じ込められてわずかに
長生きするよりも、ずっと可愛がってくれたお前達のそばに居るほうが、閃光にとっては幸せだと思うぞ」
「そんな…」
閃光の前脚に触れている光の手に涙がぽたぽたと零れ落ちると、閃光が気遣わしげに「くぅーん…」と鳴いて、光の手をペロリと
舐めた。
「ほら光、閃光が心配してるじゃないか」
「覚兄様…。判ってる。判ってるんだけど…っ。ごめんね、大丈夫だよ、閃光」
大きくひとつ息をついて、覚が獣医の方に向き直る。
「先生、閃光は家で看ます。気をつけることを教えてください」
残された時間がわずかなら、閃光を自分の部屋に入れたいと覚に言ってみたが、やんわりと拒まれた。
「光は遅くまで勉強で起きてるだろう?それでは閃光が休めないよ」
いつも通り二時過ぎまで机に向かいはしたが、問題集なんかとても手につかなかった。床に入る前に閃光の様子を見てみようかと
思いつつ、気配で起こしてはいけないと踏み止まった。のそのそと布団に入ると、光は俯せて泣き声が外に洩れないように枕に
顔を押し付けた
「…っく、判ってた…。いつかは、こんな日が来るんだって…。でも、ずっと、ずっと一緒だったんだ」
幼稚園に行くまでは、剣道の稽古以外いつも閃光と遊んでいた。兄たちが幼い光を構っていたとは言え、一番年の近い翔でも
学校がある日は生活サイクルが違っていたからだ。そんな閃光がもうすぐいなくなる…光にとっては半身をもぎ取られていくような
痛みだった。
そしてその夜、セフィーロで最初の小さな異変が起きはじめていた――。
§11月25日 (晴れ) 深夜 セフィーロ城
「ヒカル…?」
セフィーロ城の廊下で、城下町の夜の見回りに出ようとしていたランティスが振り返る。恋敵の名前が出たことに、ランティスの
肩に止まっているプリメーラがあからさまにムッとした。
「なんでいきなり、あのちっこいのの名前が出てくるのよぅ!」
「ヒカルが、泣いてる…」
軽いトランス状態に入っているかのように、ランティスの視線はどこか焦点が定まらない。
「ちっこいのは、ずーっと、ずーっとトウキョウに帰ったままじゃない!一生来なきゃいいんだわ!泣いてるなんて、ランティスの
気のせいよっ」
両手を腰に当てて、プンプンと怒っているプリメーラの声もランティスの耳には届かない。
「ヒカル、…何が、悲しい…?」
「んもう!ランティスったら、ランティスぅーっ!!」
そうでなくても甲高いプリメーラの声が怒りでさらに高周波になり、ランティスの右の鼓膜を直撃する。耳元に飛んできた羽虫を
反射的に払うように、意識の戻ったランティスがプリメーラを弾き飛ばした。
「きゃうっ!ひどいわランティス」(確かに・・)
人差し指で耳を押しながら、ランティスが呻く。
「人の耳元で喚くからだ」
「なによぅ!ランティスなんか歩きながら寝言言ってたじゃないの!」
「…イーグルじゃあるまいに…」
全く覚えがなさ気なランティスに、プリメーラが目を丸くした。
「覚えてないの…?」
「何をだ」
ランティスの様子は明らかにおかしいが、名前を口にしたくもない恋敵を気にしていたことをわざわざ教えるのも面白くないし、
と考えてるうちに、プリメーラの返事を諦めたランティスが歩きだした。
「あーん、待ってよぉ!教えればいいんでしょ!?あのちっこいのが…『ヒカルが泣いてる』って気にしてたんじゃない」
光の名前を出されて、ランティスが反射的に振り返る。
「俺が…そう言ったのか…?」
「ホントに丸っきり覚えてないの?最初はちっこいのに呼ばれたみたいに『ヒカル?』って振り返ってさ、あとはトランスに入ってる
感じだったけど?」
プリメーラにそう言われても、ランティスは全く思いだせなかった。しばらく考えてみたものの、思いだせないものは仕方がないと
振り切るようにして、予定より遅れて見回りに出て行った。
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この話で光がパスケースに忍ばせている写真は、Lantis&Hikaru FESTA でテンさまが描かれたイラストみたいな感じです♪