タキシード★ミラージュ
「母様、ただいま帰りました」
台所で夕飯の準備をしていた母がその声にふりかえる。
「おかえりなさい。光さんにお届け物がありましたよ。お部屋に置いてあります
から、きちんとお礼のお電話を差し上げなくてはいけませんよ?」
「…お届け物…?」
お礼の電話が要るような届け物に思い至らない光が首を傾げている。
「うふふ。去年もこの時期に届けて頂いたでしょう? 覚さんは『クリスマス
舞踏会は出ない』とおっしゃっていたから新しいのを仕立てていないのだけれど、
もう一度確認したほうが良いのかしらねぇ…今からお願いしてお仕立てが間に
合うかどうか…」
「…まさか…!」
母の言葉も終わらぬうちにばたばたと台所をあとにして、光は自分の部屋へと
かけていった。
「あのドレスブティックのお包みだ…」
多くの有名人が利用するそのドレスブティックは一般の宅配便などを使わず、
お店の従業員が直々に届けにやってくる。今年の春、ちいさき薔薇の舞踏会用の
ドレスが届いた時、たまたま家にいた光は目をまん丸くして思わず最敬礼で受け
取ってしまったぐらいだ。
クリスマスらしく赤と緑で彩られたリボンを丁寧に解いて、白い箱を開く。
「うわぁ……。お姫様みたいだ。ティアラまである」
金色の三日月が額に揺れるデザインのティアラがキラリと輝いている。
「でもこれ……なんだかあの本のプリンセスの衣装にすごく似てるんだけど…、
まさか…、だよね」
過去三回ランティスが選んだ物とは大きく趣向が異なるドレスにぽつりと光が
呟く。仮面舞踏会なのだからこのぐらいやってもいいということなんだろうかと、
光は穴が開くほど見つめている。
「あ、電話しなくちゃ。今、大丈夫かな…」
学生鞄からケータイを取り出すと、光は着信履歴から贈り主を呼び出していた。
風邪をこじらせた別宅住まいの祖母の見舞いのために自由登校をパスしていた
ランティスは、帰宅した自分の部屋に真新しいタキシードが吊るされているのに
眉をひそめていた。
「また仕立てたのか…」
身長198センチから伸びてはいないし、その他のサイズも変わりないのだから、
着て行きどころのそうないこの手の服はもう十二分にある。
机の上に置かれた便箋にしたためられた母の手紙にランティスの眉間がさらに
険しくなる。
『ヒカルちゃんから連絡が来たら話合わせといてねー』
「…ヒカルまで巻き込んで、いったい何をする気だ…」
深いため息をついたランティスを見澄ましたかのように、光専用に設定した
着信メロディが流れた。
あまりのタイミングの良さ(悪さ?)に一瞬戸惑うが、出ずにやり過ごすことは
ありえない。
「どうした…?」
母の企みがつまびらかでは無いので、当たり障りのない言葉を選ぶ。
『もしもし、光です。今、話しても平気? 勉強の邪魔してない?』
「帰ってきて一息ついたところだ」
『グラン・マ、大丈夫だったのか?』
祖母の見舞いに行くために今日は登校しないことと、帰りに送れないことを
メールしていたので光も気になっていたのだろう。
「風邪をこじらせて数日寝込んでたらしい。『寝ているのにもポリッジにももう
飽きたから、デリで美味しいもの買ってきて』と、行って早々使い走りにされた」
『あはは。お祖母様孝行だよ。食欲出てきたなら安心だね』
「こちらで暮らしてくれたほうが気を揉まずに済むんだがな」
『だって海も山も近いいいところだもの。離れたくないの判るよ。えっと、
それも気になってたんだけど…。あのね、今日学校から帰ったらドレスが
届いてたんだ。ありがとう』
光と話しながら、勝手に新調されたタキシードから推測しうる答えが間違って
いなかったことにランティスは電話口でこめかみを押さえていた。
「…気に入ったか?」
『うん! プリンセスみたいでちょっと照れるけど、すっごく素敵なドレス
なんだもの! でもランティス、舞踏会出たりしてていいの? 受験目前なのに』
「…問題ない…」
学院内舞踏会のドレスコードは一般に比べて遥かに緩い。だからちょっとした
外部のパーティにも着ていけるような物を選ぶようランティスは心掛けてきた。
それらは光が可愛く映える物ではあったが、プリンセスと喩えてくるとなると
明らかに傾向が違っていると思って間違いないだろう。
仮面舞踏会には興味がないし、光に余計な心配をかけるのも本意ではないので
受験生らしく家で勉強しているつもりだったが、そんなドレスに身を包んだ光を
一人で舞踏会に行かせるのは桁違いに不本意だ。可憐な花の蕾に悪い虫がたかる
のは目に見えている。一日羽目をはずしたぐらいで差し支えるような際どい成績
でもない。それより何より、母が光にいったいどんなドレスを選んだのかが気に
ならないはずがなかった。
『仮面舞踏会も面白そうだよね。プリンセス・セレニティらしくなれるように
頑張るよ』
「……」
嬉々とした光の声を聞きながら、セレニティとは何処の国の、いつの時代の
王女だったろうかと、ランティスは世界地図と世界の王室系図を思い浮かべて
眉間にしわを寄せていた。