タキシードミラージュ

 

 

 「もうあと少しかぁ…」

 珍しく海や風と三人だけで帰る駅までの道で、今にも雪の降り出しそうな空を

見上げた光が呟いた。

 「出来はともかくとりあえず期末も終わったことだし、クリスマスもまたたく

間に過ぎちゃってお正月になるのよね。そんでもってまた一つ歳食うんだわ」

 げんなりした海に風が苦笑する。

 「それは誕生日が過ぎたばかりの私への当てつけですか? 海さん」

 「そうだよ! 風ちゃんはまだ過ぎたばかりだけど、私なんてとっくのとうに

過ぎたんだよ!?」

 見た目に反してこの三人の中では光の誕生日が一番早い八月で、海はと言えば

早生まれの三月だ。

 「いいのよ、光は。見た目でカバーできるんだから…」

 「あんまり誉められてる気がしないんだけどな、それ…」

 光の場合、歳より下に見られるのは困るのだ。今でも下手をするとランティスが

あらぬ(ロリ)疑惑をかけられているのにますますもってランティスに釣り合わなく

なってしまう。

 「贅沢言わない!」

 「…て言うかさ、お正月もそうなんだけど…卒業式も来ちゃうんだよ、二月に

なったら…」

 聖レイア学院で二月に卒業式をするのは高等科だ。ランティスが現在双魚宮

(高等科三年)とあって、光にとっては切実な問題だ。

 「もうセンター試験も目前ですし、双魚宮生はあまり登校されませんものね」

 「身体が鈍らないようにって、週一ぐらいは道場にも顔出してるんだけど、

うちだとあんまり話せないし…」

 ランティスと同じく受験生の覚はともかく、ほかに二人も過保護な兄の目が

光っている。光っているだけでは勿論なく、インターラプトも入ってくる。

 「…そう言えばランティス先輩ってどこ狙いなの?」

 流れで何の気なしに聞いた海に光がうっと詰まる。

 「……知らないんだ、私……」

 「ええっ? うっそー!」

 「そんな嘘つかないよ」

 卒業式まであと僅かと言った時以上のヘコみぶりに海は言葉が続かない。

 「先輩にお伺いしなかったのですか?」

 「うん…。高等科って毎学期進路相談の調査票貰うでしょ? あれ、五回目

まで放りっぱなしだったんだよ」

 「…第五回は高二の夏休み明けに提出でしたわね」

 「ランティス先輩、期限過ぎても出してなくて進路指導の先生に怒られてたし。

…っていうか、高二の秋まで一度も出したことなかったんだって」

 「進路指導の豊田先生って厳しいのに、国際バカロレア取得済の男は態度が

違うわね」

 呆れたような海に光がフォローを入れる。

 「でもやりたいことも特にないっぽかったんだよね、先輩」

 「特に無くても文系なり理系なりに絞るものですわ」

 「そうよ。そうやって受験戦争に追いやられるのよー!」

 そんな風に海が嘆いてみせるが、世間の進学校に較べればかなりのんびりした

校風なので、受験戦争のすさんだ感はない。学院自体のレベルが高いので、特に

キリキリとガリ勉しなくてもみな一流大学に進学していくのだ。

 「調査票出すのに一応は書いたらしいんだけど…。書いたら書いたで『よく

考え直せ!』って言われたんだって」

 「そんなに高望み? ケンブリッジかオクスフォード、はたまたコロンビア?」

 ランティスが高等科編入試験で満点を叩き出したことはもはや語り草になって

いる。獅堂覚、鳳凰寺空に並んで東大京大も確実と言われている今年の双魚宮

トップ3だ。そのランティスが考え直せとまで言われるなら、海外の有名大学

しか名前が出てこない。

 「すでに伝説になってるランティスの兄様だってケンブリッジだし、考え直せ

とまでは言われないと思うんだけどな…」

 と庇いながら、それではどこなのかと訊かれたらとんと見当もつかない。

もともと口数が多い方ではないが、少なくとも光の前で進路の話などしたことが

なかった。

 「よくよく考えたら覚兄様がどこ狙いなのかも知らないや。下に三人も控えて

いるから国立だとは思うんだけど…」

 「呑気ねぇ…」

 海の苦笑いに、光がううっと詰まる。

 「風ちゃんは!? 風ちゃんは空お姉ちゃんの志望校知ってるのか?」

 「もちろんですわ。口止めされていますからお教えする訳には参りませんけど」

 実は覚の志望校も小耳に挟んではいるのだが、ここで言ってしまっては光の

立つ瀬がないだろうと風は口を噤んでいた。聖レイア学院で高三の二学期期末

考査まで学年首席を守り通した覚のことだ。光が知ろうと知るまいと、余程の

ことがない限り三月には志望校に合格していることだろう。

 「直接お訊きしなかったのですか? ランティス先輩が光さんをはぐらかす

とは思えないのですが…」

 「そんな立ち入ったこと訊けないよぅ…」

 ちょっと情けない声で答えた光の背中を海がバシンと叩いた。

 「カノジョなんだから、その権利はあるわよ」

 真っ赤になった光の頭上にぴょこんと猫耳が飛び出す。

 「か、彼女!? …私って彼女…なのかな…」

 自信なさ気な光の言葉に海が呆れたような声をあげた。

 「はあ…?」

 「…こうやって三人で下校するのが珍しいほど毎日のようにランティス先輩と

ご一緒なさっている光さんから、そんな言葉が出るとは思いませんでしたわ…」

 風も眼鏡の奥で不思議そうに眼をしばたかせている。

 「あら? そういえば三年になってからは練習週一だって言わなかった? 

なんで毎日一緒に帰ってるのよ」

 「…前に変なのに目をつけられてるから、練習しなくても送ってくれてるんだ」

 本当はその他にも交換日記を手渡すという日課があるのだが、光は言わずにいた。

 「あっきれた! そこまでして貰って『彼女かな』だなんて、何寝ぼけたこと

言ってんのよ、光」

 「ね、寝ぼけてる…かな」

 「寝ぼけていらっしゃるのでなければ、彼女を自認するには扱いに不満がある

…ということなのでしょうか?」

 「不満なんてないけど…」

 「【けど】っていうなら、何かあるんでしょ?」

 スコティッシュフォールドのようにぺしゃりと猫耳を伏せて、光がぼそぼそと

なにごとかつぶやいた。

 「…はい?」

 「え? なに? 聞こえないじゃないの!」

 二人のツッコミに光は真っ赤になって言い返す。

 「そ、そんなの、大きな声じゃ言えないよぉ…」

 風と顔を見合わせた海が、取り出したスマートフォンの手書き機能をオンにして

光の前に突き出した。

 「しゃべれないっていうなら書けば?」

 「ひぃぇぇっ!? そんなのもっと恥ずかしいっ」

 「じれったいわね、もじもじしてないでちゃっちゃと吐きなさい!」

 腰に手を当ててひたと見据える海に、光がううっと唸って人さし指の先を軽く

かんだ。

 「……キス……したことないんだ…」

 「………」

 「…あー、そゆこと…」

 いかに光がねんねぇでも、同級生やらクラブの上級生からそういう話題は何と

なく耳に入るものだ。交換日記を始めてからでもすでに一年以上。いくつかの

言葉も貰ってはいるけれど、二人だけで遊びに行ったりしてもランティスが

そういう行動を取ることはなかった。

 「お兄様とお友達でいらっしゃる分、ハードルが高いのかもしれませんわね」

 「また三対一の決闘とかぁ?」

 いつぞやの球技大会を茶化す海に光が小さく口を尖らせる。

 「覚兄様は……静観してくれるよ。多分」

 「身長差あり過ぎて、振り向きざまとか、壁ドンとか狙いにくいわよねぇ、

きっと」

 ふむふむと思案顔の海に、光が目をぱちくりさせた。

 「ねえ海ちゃん、その『かべどん』って何なんだ? 時々聞くんだけど、それ、

新しい丼物? でもなんか話の脈絡が繋がらなくてずっと不思議だったんだよ…」

 ずべっとずっこけそうになるのを踏ん張った海が光の両肩を掴んで揺さぶった。

 「光っ! 相手が朴念仁なんだから、せめてあなたがもっと女子力上げる努力を

しなさい! 情報収集手薄過ぎよ!!」

 「は、はいぃ…」

 がくがく揺すぶられながら光が頼りない返事をする。

 「『壁ドン』をここで実演すると光さんのコートが汚れてしまいそうですわ。

明日学院でお教えしてもよろしいのですが、帰宅されてからネットで検索される

のが早いかと…」

 「ダメよ、風。帰ったらどうせまた道場直行ですもん、この娘(こ)

 「うっ…」

 否定できないところがつらい。テスト期間の部活の休みを補うため、……と

いうより、いつもと変わらぬ日課だ。

 鞄からiPhoneを取り出すと、さっと検索して風が光に示してみせた。

 「『壁ドン』というのはこういうシチュエーションのことですわ。お相手が

好きな方ならときめくかと…」

 画面を覗き込んだ光があははと苦笑いをこぼす。

 「……高さ的に無理だ……」

 ヘコむ光の背中をバシッと叩き、海が気合を入れる。

 「壁ドンは無理でも、クリスマス舞踏会があるんだから頑張んなさい! 光の

方からアプローチしたっていいと思うわよ?」

 「…それこそ受験生だから先輩出ない予定だし。だから私も今年は行かないよ」

 「そっか…」

 去年の冬、ちいさき薔薇の舞踏会に続き、光がさほど関心を持っていなかった

クリスマス舞踏会にもランティスは光のドレスを見立てていた。しかもクリスマス

舞踏会用のドレスは見立てだけでなくランティスからの贈り物として届けられて

いた。そこまでされていながら「彼女なのかな?」発言では朴念仁も浮かばれない。

 「それに仮面舞踏会って、先輩乗り気と思えないんだよね。この間もちょっと

話したけど、『何をかんがえているんだか』って切り捨ててたもの」

 「ミセス・アンフィニって時々おちゃめなことするものねー。あの朴念仁じゃ

そりゃ持て余すでしょうよ」

 「海ちゃん、さっきから朴念仁、朴念仁って酷いよ」

 「だって事実なんですもの」

 「クリスマス舞踏会、光さんはいらっしゃらないのですね。寂しいですわ」

 「だって先輩以外と踊る気ないもの。家でケーキ食べて閃光と遊んでるよ。

風ちゃんと海ちゃんは楽しんできてね」

 「アスコットがああいうこと楽しんでるとも思えないんだけど、学院内ぐらい

人見知り改善させとかなきゃねー」

 面倒見の良い姉さん女房のような発言に光が訊ねた。

 「海ちゃんこそ、アスコットとお付き合いしてるのか?」

 どストレートなその質問に海が目を丸くして慌てている。

 「こ、恋人とか、そういうんじゃないわよ! ただのボーイフレンドの一人!! 

なんだか危なっかしくて放っておけないだけよ!!」

 ボーイフレンドの一人だと強調しているが、海が他の男子と出掛けたというのを

光も風も見聞きしたことがなかった。

 駅について改札を通ると、光が軽く手をあげる。

 「じゃ、また明日!」

 「ごきげんよう」

 「バーイ!」

 三人は家路へのホームへと別れていった

 

                                                                                      next