その、数日前…
西館カフェテリアの一画で、光は一心不乱に積み上げた本の一冊を読んでいた。
その背後から、淹れたてのコーヒーを片手に忍び寄る影がひとつ。光の手元を
じいっと肩越しに覗き込む。
「あら、なあに? マスカレイドに興味があるの?」
「うにゃっ! 理事先生!」
前のめりになっていた姿勢を起こした光の後ろにいたのは、学院理事の一人で
あるミセス・アンフィニ、ランティスの母親だ。
「ヒカルちゃんも少女漫画読むのね」
積み上げられた本の一冊を手に取り、パラパラとめくる。
「クラスで流行ってて…。ところでマスカレイドってなんですか?」
「仮面舞踏会のことよ。……あら、宮廷物って訳でもないのね」
なにゆえ登場人物がマスクをしてるのかと不思議そうなミセス・アンフィニに
光がかりかりと頬を掻く。
「えっと、ヒロインが危ない時に助けに来てくれる正義の味方っていうか…」
「ふぅん、なるほど。ヒーローのコスチュームな訳ね」
「そんな感じ…です」
本のタイトルをまじまじとみつめ、光に返したミセス・アンフィニが微笑む。
「美少女戦士ねぇ…。もうすぐお昼休みも終わるわよ。授業に遅れないように
気をつけて」
ひらひらと指を動かし、「また遊びにいらっしゃいね」と肩越しに光に声を
かけると、ミセス・アンフィニは楽しげにハミングしながらカフェテリアを
去っていった。
「…こういうの、好きなのかな…?」
その機嫌の良さを計りかねる光が小首をかしげて後ろ姿を見送っていた。
「海ちゃん、風ちゃん、おはよう!!」
剣道部の朝練から戻ってきた光が中央棟の掲示板前にいた二人に声をかけた。
「おはよ、光」
「光さん、おはようございます」
「クリスマス舞踏会のお知らせがどうかした? …あれ?」
もともと掲示されていたプリントの『クリスマス舞踏会開催のお知らせ』の
『舞踏会』の前に、吹き出し型のポストイットで『仮面』と追加されていた。
「何これ…。誰かのイタズラなのか?」
こんな子供じみたことをする生徒はあまりいないのにと、光が首を捻っている。
「私、仮面の文字の後ろの封蝋に見覚えがありますわ」
「私もよ。パパ、ママ宛の郵便の封筒で見たことあるわ。光も見たことない?」
「…うちに来た郵便わける時は、宛名しか気にしてないから…。二人とも誰が
これやったか判ってるんだ」
「ミセス・アンフィニよね?」
「…誰かが勝手に使用したということでもない限り、そういうことですね」
「ほえっ!?」
そんなにあれが気に入ったのだろうかと疑問に思いつつ、光が読んでいた漫画が
元でこれを貼りにきたみたいだなどと憶測で言い出せる筈もない。
そこへ掲示板の話をクラスメイトから聞きつけた覚と空もやってきた。
「本当に仮面舞踏会になさるのね…」
「優が『学院のことで相談があるんだけど…』って呼びに来た時は何が起きた
のかと思ったけどね」
三年前期まで生徒会長を務めた覚の後任は、獅堂家次男坊の優だ。立候補を
決める時から特に相談しに来ることもなかったので、何事なのかと驚いたほどだ。
学院生の自主性を尊重し、理事とはいえ学院行事に口を出すということはこれ
までなかった。それが恒例行事のひとつであるクリスマス舞踏会を仮面舞踏会に
してみないかとミセス・アンフィニから提案があったというのだ。それも直前も
直前、学院内掲示も出た後にだ。戸惑う生徒会役員一同に「今から言っても多分
準備が間に合わないわよね。仮面ならこちらで各種用意するけれど、如何?」
そこまで言われて即お断り出来るはずもなく、「生徒会で検討させてください」
と一旦保留にするのがようやっとだったらしい。
前生徒会長の覚をオブザーバーに呼び出し臨時に開かれた生徒会でも、皆顔を
見合わせては首を傾げるばかりだった。
積極的な賛成もなく、さりとて断固とした反対もなく…基本的に皆顔見知りの
学院内舞踏会で仮面をつけたところで相手がどこの誰だか判らないという程には
ならないはずだし、仮面を着ける意味がよく解らないのだ。前例のない事態に
優が前生徒会長の意見を求めた。
「まぁ、仮面も用意してくださるというなら、提案を受け入れてみても別に
構わないんじゃないか? 理事だからということでギャラなしの生演奏をして
くださる訳だし、ミセス・アンフィニにも何かの楽しみがあっていいだろう」
世界的に有名なピアニストであるミセス・アンフィニと、そのコネクションで
招いたカルテットの生演奏で舞踏会の曲が奏でられているが、学院関係者という
ことで毎年ミセス・アンフィニはギャラを辞退しているのだった。
最終的な決断は現役生徒会役員に一任していたので、覚もこの掲示を見るまで
知らなかったらしい。
「僕らは灰色の受験生だからクリスマスなんて関係ないけどな」
「あら、覚さんにしては余裕のない発言ですこと。いいじゃありませんこと?
一日ぐらい楽しんでも」
「空…」
「うふふふっ。この間の模試の成績次第ということで…」
くすくす笑う空の声に重なって、予鈴のウェストミンスターチャイムが響く。
「しまった。東館三階端までダッシュだよ? 空」
「いい運動になりますわ」
駆け出す二人を見送って、海が呆気に取られている。
「青春してるわねぇ…意外に」
「感心している場合じゃありませんわ。私達も西館二階へ急がなくては…」
「うわぁ! 一時間目の英文法、風ちゃんに聞きたいことあったのにぃ」
「先生に当てられないことを祈ってくださいな。ともかく急ぎましょう」
ひらりとスカートの裾を翻して、三人も教室へと駆けていくのだった。
2014.12.25
メリクリ♪
(本編間に合わずorz)
先日の暫定ラン誕記念茶会とGeolog公開分から
一部改稿しています