すくーるでいず -THE BOY MEETS THE GIRL-
act1.プラットホーム
「…それにしても、誰が球技大会なんて面倒な物を考えついたんだ…」
校舎三階にある生徒会室の開け放たれた窓の桟に腰掛けていた、黒髪碧眼の男子生徒がぼそりと呟いた。
「ランティス・アンフィニ、危険だからそんなところに座らない!後輩に示しがつかないよ。球技大会は創立当初から開催
されている。確か初代理事長の発案だったと思うよ。つまり君のひいお祖父さまだ」
「曾祖父(ひいじい)さんの因果が曾孫に報い…か」
曾祖父の代から日本国籍があるものの、長くイギリスに留学していたゆえか時々妙な日本語を使う親友にくすりと
苦笑しつつ、その部屋の一番大きな机でチーム分けの表を見ていた生徒会長の獅堂覚が軽く目をみはった。
「今年はいい感じに戦力がばらけてるよ。白熱した勝負が見られるんじゃないかな…。おい」
覚に言われて仕方なく窓辺から降りたランティスは、大きなソファーから長い脚をはみ出させてすやすやとうたた寝を
始めていた。
「生徒会室で寝るのも後輩に示しがつかないんだけどね、副会長」
生徒会長のクレームを副会長は寝たふりをしてスルーしていた。
聖(セント)レイア学院は幼稚舎から高等部まである名門私立校として名が通っている。(大学もあるにはあるのだが、
航空操縦学科とフライトアテンダント養成科しかないことから、セントレア学院と間違われることもしばしばだった。ほとんどの
生徒はそれぞれ進路を見極めて国内外の有名大学に進学していく)
各学年2クラスと小規模であるので、学年を越えた交流により社交性を確立するべく、縦割りチーム分けによる校内行事が
数多く存在した。球技大会はその最たる物だ。紅白2組では競技数に対して生徒が多過ぎるので、さらに出席番号の偶数
奇数で分けられ、4チーム対抗戦が繰り広げられる。
ランティスが生徒会役員になった為に運動部部長に繰り上がった空手部主将ジェオ・メトロ、これまたランティスと双璧の
サボり魔ながら女生徒の人気の高い帰宅部もとい文化部部長(茶道部の幽霊部長)イーグル・ビジョンが綺麗に分かれて
いた。文化系ながらイーグルはスポーツ全般をそつなくこなすが、持病のナルコレプシーのせいで突然ばったり眠り込む
リスクがあった。
ちなみに面倒くさがり屋のランティスがなぜ副会長なんぞをやっているかといえば、立候補者がいなかった場合の救済策
である生徒会長(覚)指名によるものだ。これは余程の理由がなければ拒否出来ず、その余程の理由を捻り出すのが面倒
だったランティスは渋々副会長になっていた。
「僕たち四人兄妹、見事にバラバラだ。君のところに妹が入ってるからよろしく」
「妹?……サトル、マサル、カケル、ヒカル…男ばっかりだろう?」
「いや。一番下、今年中一の光は女の子だよ。まぁ、男兄弟の中で育ったせいか少々言葉遣いは女の子らしくないけどね」
「…『一番下が剣道の大会で優勝した』とか、この間言ってなかったか、お前」
「言ったよ。あの子も小さいうちからやってるし、中一だからまだ一級だけど、うちの道場では参段以上の者とも渡り合ってる
からね」
「ああ、剣道の段位取得は年齢制限があるんだったか?」
「年齢とか段位を取ってからの年数とか、まぁ、いろいろと…」
「強い者を強いと認めて何がいけないんだろうな」
「僕にも解らないね。ま、運動神経は悪くないよ。学年平均より少し(?)小さいけど」
「…」
以前に優と翔は見かけていて、二人とも覚とよく似た整った顔立ちをしていたので、あれの女の子版――市松人形のような
子なんだろうとランティスは漠然と考えていた。
「あれは…、初等科生か…?」
普段ランティスは学院敷地内(もともとアンフィニ家の敷地を学校に提供したのだが)に住んでいる。セカンドハウスで悠々
自適の生活を送る祖母を訪ね、そこからの登校となったので、祖母が手配してくれていた座席指定の特急から通過駅の
ホームを見ていた。
198cmと並外れて長身のランティスが満員電車で不自由しないようにという気遣いだった。もし立っていたなら、長身過ぎる
ランティスではかえって窓の外もロクに見えず、それに気づけなかっただろう。通過するほんの一瞬だったので確かとは
言えないが、学院の初等科生ぐらいの少女と、着崩した制服が不良の看板を背負っているような他校の男子学生が言い
争っているのを、大人たちが遠巻きに見ているようだった。駅員が止めに入ってくれればいいが、どうにも相手が悪いように
思われて、ランティスは次の停車駅で降りる支度をした。
「それにしても…、小さい癖にあんなタチの悪そうなのと言い争う無茶な生徒がうちにいたとはな」
家柄で選んでいる訳ではないらしいが、比較的良家の子弟が多く、学院内外での揉め事はほとんどない。カツアゲの
ターゲットにされかねないほどの家の者は自家用車の送迎が多く、公共交通機関で通学するのは一般的な家庭の者である
ことが多い。それでも聖レイア学院生は品行方正で通っているので、喧嘩沙汰になることはまずなかった。
ランティスがひと駅を戻ってくる間もまだ遠巻きな人の輪が崩れていなかった。黒いクロワッサンを逆さまに乗っけている
ような髪型の下級生が座り込んでいるのを全身で庇うように、ふわふわとした紅い髪を後ろでみつあみにした初等科生が
立ち塞がっていた。
「この子から巻き上げたお財布を返せって言ってるだろ!それに怪我させたんだから、ちゃんと謝れ!」
自分より遥かに上背があってガタイのいい、見るからにガラの悪そうな相手に怯みもせず、その初等科生はキッと睨み
つけていた。
「んなガキが万札持ってうろついてるからだよ!俺っちがアリガタ〜く使ってやるって言ってんじゃねーか。だいたい関係
ねーのに、口出してくんじゃねーよ!お前もちょっと可愛がってやろうか?あぁん?!」
そう言ってその男子学生は紅い髪の初等科生の胸倉を掴みあげた。つま先もつかないほど締め上げられながら、その
小さな手は一瞬拳を作り反撃に動きかけたのものの、ハッとしたようにその手を下ろして悔しそうに歯を食いしばっていた。
紅い髪の少女は不意に背後から伸びた腕にしっかりとウエストを抱きかかえられ、頭上を越えた大きな手が、その男子
学生の肘関節を緩く掴んでいた。
「俺の後輩に乱暴な真似はやめて貰おうか…」
『うっわぁ…、ぞくぞくするほどいい声だなぁ。熾天使≪セラフィム≫がいるなら、きっとこんな声だ…』
ぶん殴られる寸前で救われた紅い髪の初等科生は、助けに入った者が知ったら脱力しそうなほど呑気なことを考えていた。
ランティスが穏やかな物言いなのではた目には解らないが、その男子学生は冷や汗をかいていた。緩く掴んでいるように
見えて、しっかり押さえ処を心得ているので、下手に動くとあっという間に関節を外されるのが判っていたからだ。
「あの子から巻き上げた物を返して貰おう。ついでに非礼も詫びて貰いたいんだが…」
淡々と言いながら、ランティスはもう少しだけ指先に力をこめた。外国人留学生の多い聖レイア学院でも、ここまで馬鹿
でかい学生はそう多くない。運動部を束ねる空手部主将のジェオ・メトロ、漕艇部主将のラファーガ・スパーダかあるいは…。
ランティスに肘関節を掴まれている男子学生は、学年を表す襟章の他に『副』の文字の徽章を見つけて血の気がひいた。
『生徒会副会長のランティス・アンフィニかよ…。マズっ』
あいつに目をつけられたら、命がいくつあったって足りゃしないというのが、不良仲間でのもっぱらの噂だった。実際、
ランティスが転入してからというもの、聖レイアの生徒にちょっかいを出す馬鹿者はほとんどいなかった。
「わ、解ったよ。返しゃいいんだろ!」
胸倉を掴み上げていた手をようやく離し、ランティスに掴まれていないほうの手で巻き上げたばかりの財布を持ち主に放り
投げた。
「詫びがまだだが…」
「だから悪かったって言ってるだろ。離せよ」
「とても詫びているようには聞こえんが、あれで許すか?」
腕の中の後輩を下ろしてやりながらランティスが尋ねた。
「私は構わないけど…」
へたり込んだままの下級生のところに、同じ年頃の少年が人波を掻き分けて駆け寄ってきた。
「アスカさま!私がはぐれたばかりに…」
「サンユン!膝が痛いのじゃ〜」
「こういう場合は…強盗傷害か…?」
ランティスがぼそりと言うと、その男子学生はランティスの手を振り払ってダッシュで逃げ出していった。紅い髪の初等科生は
かばんのポーチから消毒薬と救急絆創膏を出して、手早く下級生の手当てをしていた。
「応急処置完了!学校に着いたら、保健室でやり直して貰うんだよ?」
「先輩、ありがとうございます。アスカさま、立てますか?」
「平気なのじゃ。わらわを助けてくれたこと、礼を言うぞよ」
妙に時代がかった物言いだが、いろいろなバックグラウンドを持つ風変わりな生徒が多いので、いちいち突っ込んでは
いられなかった。
紅い髪の初等科生はランティスのほうに向き直ると、ビシッと90度の最敬礼をした。
「助けてくれてありがとう!私、Libra≪天秤宮≫αの獅堂光ですっ」
「…Libra≪天秤宮≫?中等科だったのか……シドウ?」
確かに彼女の学年章は中等科一年を表すLibra≪天秤宮≫だ。しかもシドウヒカル…?一学年50名そこそこの中に、
シドウなんて苗字はそうざらにいないだろう。
「お前、シドウサトルの妹か…」
「兄様を知ってるのか?あ、その徽章…生徒会の副会長さんだったら…知ってるよね。…ぅぁぁぁ…」
これは間違いなく覚に筒抜けになるとちょっと気まずげな光と別の次元で、ランティスも自分自身の思い込みとのギャップに
戸惑っていた。
「・・市松人形・・・」
ランティスの呟きを聞きつけて光はきょとんとして目をぱちくりさせていた。あの三兄弟からはちょっと想像がつかなかったが、
……これはこれで…別系統の可愛らしさにあふれていた。
「それにしても無茶なことを…。敵うと思ったのか?」
間もなく到着した電車に乗り込みながら、苦笑混じりのランティスが尋ねた。
「だって、周りの大人は誰も助けてくれなかったから…。知らない子でも後輩であることに変わりはないし」
後輩であるかどうかも本当は関係なかったのだろう、気負う風もなくそう言ってのける真っ直ぐさは、確かにあの覚の妹らしく
思えた。
「最初は殴るつもりだったろう?どうしてやめたんだ?」
「あちゃ、見られてたんだ…。そんなことしたら剣道部が試合に出られなくなっちゃうよ。連帯責任だからね。明らかに殴られて
からなら、一発ぐらい反撃してもいいかもしれないけど」
そんなことになっていたら、あの男子学生は八つ裂きにされたことだろう。覚と話した後に解ったことだが、無頓着な
ランティスが知らなかっただけで優と翔のシスコンぶりは学院内でもかなり有名らしく、妹に怪我をさせたような輩をタダで
済ませるとはとても思えなかった。(そんな事態になっていたら剣道部は廃部の危機だったろうが)
電車が学校最寄り駅のホームに滑り込むと、光は改めて向き直った。
「さっきは本当にありがとう。朝練に遅れそうだから、私、走ってきます。えっと…」
「ランティス・アンフィニ。生徒会役員の名前も覚えてないのか?」
「えへへ。覚兄様しか判んなくて…。それじゃあ!」
ランティスを見上げてにこっと笑うと、ドアが開くなり人波を器用にすり抜けて光は駆け出していった。