決戦は月曜日

 

 まもなく新学年も始まるという四月のある日。ようやく日本に戻ってきたイノーバがフェリオを

自分の部屋に呼び出していた。アスコットと二人で暮らす部屋の隣に借りているイノーバの部屋に

一人だけ呼びつけられるのはお説教だと相場が決まっていた。

 「帰った早々説教か?律儀だな、お前…」

 「それが私の仕事です。貴方が何一つご相談下さらなかったので、私のほうも訓告を受けて参り

ましたよ。『お目付け役として同行していながら何をしていたのか』とね」

 「訓告!?お前がわざわざ本国に呼び戻されるほど素行は悪くないぞ、俺は」

 「・・・翠玉の指輪の件をお忘れか・・・」

 「!? なんでお前が知ってるんだよ!」

 大切な人が見つかったことを喜んでくれた姉がイノーバを訓告処分にするとはとても思えない。

サニーには『姉上以外には内密に』と書き添えておいたはずだし、いったいどこから話が出たの

だろうと思い巡らせていると、ため息混じりにイノーバが言った。

 「貴方の見る目の高さには感心しますが、脇の固め方の甘さはしっかり反省なさるべきですね。

ホウオウジは世界に知られた名家…それだけに社交界への正式デビュー前のご令嬢といえど

ご存知のことも多い。あの翠玉の指輪の来歴もご存知だったようだ」

 「父方の祖母様(ばあさま)譲りのものだとは言ったさ」

 「その点ではなく、あの指輪を持つのがどういうご出自の方かをご存知だったから貴方との距離を

とられたのですよ。名家に名を連ねるといえど、王侯貴族ではないいわば一般のお嬢さんだ。

それも無理からぬことでしょう。他にいくらも譲り受けた品はあったでしょうに、よりにもよって何故

あの指輪だったのです?」

 「あの翠玉の色が…一番フウの瞳の色に近かったんだ。だいいち、セフィーロの出だとは話したが

王族だなんてことはまだ一言も言ってない!」

 「貴方が話さずともあの指輪の意匠を見て気づかれたのですよ。貴方が一般の留学生とは違うと

いうことにね」

 「古めかしいデザインだから、由緒ある家だとでも思われたか…」

 やれやれと肩を竦めているフェリオに、頭が痛いといわんばかりにイノーバがこめかみを押さえて

いた。

 「貴方のほうがお解かりではなかったのか…。あれは貴方のお祖母様がセフィーロへお輿入れ

された折に、ご生家から贈られた指輪ですよ?」

 「知ってるさ、そのぐらい」

 「…ではあの意匠がそのご生家の紋章のアレンジであるということだけご存知なかった訳ですか」

 「え……?」

 目を見開いて唖然としているフェリオに、イノーバが畳みかけるように言った。

 「欧州有数の王家の紋章を基にしたあの意匠は、『どこへ嫁いでも生家の誇りを傷つけることの

ないよう振舞われよ』という意味を込めて、他国へ嫁がれる姫君に授けられるものです。ご令嬢が

ご存知のことを、貴方はご承知おきではなかったと・・・?」

 「…知らなかった…」

 「貴方が城で座学を真面目に聞いておられれば問題なかったはずです。『そこそこにいい家柄の

出の留学生』だと思っていた先輩が、実は『やんごとなき血筋のお忍びの姿』だなどと気づかれては

驚かれるのも無理はないと…私はホウオウジのご令嬢に同情の念を禁じえませんね」

 本来それはフェリオ自身の口から風に告げるべき事柄だった。風が権力や名声に惑わされて

媚びるような人間だとはとても思えないが、これまでフェリオに親しく笑いかけてきた娘たちの中には

そういう手合いも皆無ではなかった。だからこそ慎重に運びたいと思っていたのに、そんなところで

自分が失敗していようとはフェリオは考えてもいなかった。

 「貴方がご自身のことを明かされた上で、それでもおそば近くに居たいとホウオウジのご令嬢が

おっしゃったというならいざ知らず、バレンタインのチョコのお返しがいきなりあれでは、『なにかの

お戯れだったのでしょうか』とご家族が心配されるのも致し方ないでしょう」

 「戯れなもんか!」

 「・・・そうおっしゃるだろうとは思いましたがね。非公式にホウオウジ家の方々とお目にかかられた

陛下もそのようにフォローされていましたよ。姉君様とはいえ、一国の頂点に立つ方に何をさせたか

大いに反省なさるといい」

 「海外って、…フウたちはセフィーロまで行ってたのか…」

 「セフィーロ国内では目立って仕方がないでしょう。隣国の午餐会の帰りに立ち寄られたカフェで

出会った旅行中の日本人一家としばし歓談された…という設定ですよ、表向きはね。貴方の花嫁

候補の話が国内でヒートアップしてる中で、年頃のお嬢さん二人を連れた名士と陛下が親しくお話し

されていたとなれば、それだけで騒ぎになる」

 「・・・」

 「それに重大なことをお忘れのようだ」

 自分の配慮が行き届かなかったばかりに姉の手まで煩わせ、この上まだあったのかとフェリオは

投げやりだ。

 「まだあるのかよ…」

 「今回の留学には貴方の見聞を広めるという目的も確かにある。しかし国内の不穏な状況から

遠ざけるという側面が大きい」

 「知ってたさ、そのぐらい!」

 「本当に理解しておられたのなら、どうして同行している私にも無断で、ホウオウジのご令嬢との

関係を深めようとなさったのです!?」

 真っ赤になったフェリオが慌てて反論する。

 「かっ、関係を深めるって、何言ってんだよ、お前!!フウはまだ十三歳なんだぞ!」

 イノーバは永久凍土級の冷たい一瞥をフェリオに寄越した。

 「貴方こそ何をおっしゃる。『学院の先輩と後輩』の枠から『将来を見据えたステディ』になるのは

深化に他ならないでしょう。お側に控える私より先に反体制勢力にそれを知られた場合、貴方の

大切な方を危険に曝すリスクが跳ね上がることをちらともお考えにはならなかったのですか?」

 「!?」

 「陛下は…ご自身がそうであられたように、貴方の伴侶も貴方自身が見極め選ぶのが望ましいと

お考えです。だがそれを良しとはしない実力者も多い。面と向かって異を唱えられるならまだしも、

極秘裡に排除しようとする手合いが絶無とは言えないのがセフィーロの実情です。貴方のご信頼を

得られなかった我が身の不明を恥じてはおります……が、それはさておき、私に秘するということは、

ホウオウジ家の警護を固めるのがそれだけ遅れるということです。あいにくと私は魔法使いでは

ありませんからね。最適の人材を選び、ニッポンの法律法令を叩き込み、ホウオウジ家のご迷惑に

ならない警備をさせるにはそれ相応の準備期間が必要なんです」

 「・・・悪かったよ・・・」

 ようやくことの重大さを思い知ったフェリオががっくりと肩を落とす姿に、イノーバが小さな咳払いを

ひとつした。

 「お解かりいただけたのなら結構。本国からの要員が配されるまでの間、ホウオウジ家のお手を

煩わせることで調整がつきました」

 「それは…どういう…」

 王族に見初められたことを玉の輿と考えるか暗殺の危険に娘を曝すぐらいなら「お目こぼしを」と

請うかは微妙なあたりだが、鳳凰寺家が協力を惜しまないということはフェリオの存在と風への

気持ちを拒絶しないということに他ならない。

 「貴方がご令嬢とお付き合いしたいと望まれるならそれを拒まないし、貴方がたに無断でご令嬢の

見合い話を決めるようなこともしないという意味ですよ。ここまで明言せねば解らないようでは、盆暗

(ボンクラ)の謗(そし)りは免(まぬか)れませんね」

 先程から貶され放題だが、耳にした言葉を噛みしめているフェリオは一向に堪(こた)えない。

 「それにしても、あのご当主の危機管理は実に素晴しい。執事や運転手に至るまで、要人警護に

つけるほどの技量の持ち主揃いでしたよ」

 遠い異国で存分に楽しむ学生生活。そこで知り合った可愛くて聡明なガールフレンド…。確かに

将来を少しは考えていたけれど、それがこんな大掛かりな話になるだなんて……。滅多に他人を

誉めることのないイノーバの手放しの誉めようとうらはらに、フェリオはげんなりしてきていた。

 「あーあ……なんだってこんな面倒な家に生まれちまったんだろうな、俺は……」

 幼くして両親と死別した後、勉学に励み国費奨学生となりコネクション無しの身には超難関の王宮

執務官の職についたイノーバにしてみれば、それはなんとも生ぬるい愚痴だった。

 「……貴方の何倍もの面倒をすでに陛下はお引き受けですよ。男子なら、か弱き姉君様を支える

気概を持たれるがいい。ホウオウジ家にはご嫡男がおられぬようですが、『王族の地位を棄てても』

なんて寝とぼけた戯言(たわごと)は許しませんので、そのおつもりで…」

 機先を制してイノーバは楔(くさび)と見紛うばかりの釘を刺す。そんな夢を見たことがないと言えば

嘘になるが、先王亡き後の姉の苦労を知ればこそ、たった一人の弟である自分が逃げ出すことなど

許されることではない。そう遠くない未来、心の拠り所となる伴侶を姉が迎えるとしても、傍観者を

決め込むことなど自分自身でも赦せないだろう。

 「いつでも姉上に頼っていただけるように、ここで一人前の男になってセフィーロに帰る!目の前に

いるお前と、自分自身に誓う!!」

 なかば睨みつけるようなフェリオに、イノーバは微かに口角を上げ不遜ともとれる微笑を浮かべた。

 「有言実行であることを切に願いますよ。貴方のお目付け役としての評価がいまより下がっては、

帰国後の私の出世に響きますので」

 どこまでも嫌味な奴だとフェリオが苦い顔になる。

 「ああ、言い忘れていました。ホウオウジのご令嬢からの言伝(ことづて)がありました」

 「フウからか!?」

 パッと明るい声を上げた少年をからかってやりたい衝動が、イノーバの心の奥に蠢いた。

 「…上のご令嬢からも言伝をお受けになるような仲だと…?ご姉妹で寵を競わせるような真似を

なさるのは陛下のご不興を買うこと必定かと思いますが」

 「ばっ、馬鹿言え!無菌培養に見えてもあの姉さんは彼氏持ちだぞ!」

 「聖レイア学院高等科生徒会長シドウ サトルでしょう。それも当然調査済みです」

 しれっと言ってのけたイノーバにフェリオは開いた口が塞がらない。

 「その程度の身辺調査もしないほどおめでたい役立たずだと思われていたとは心外です。お側に

控えながら何一つご相談いただけない訳だ…。いっそ御役御免を願い出て、もっと厳しい古参の

執務官の方と代わっていただくのが王弟殿下の御為(おんため)かもしれない…」

 それだけはなんとか避けたい。嫌味のスパイスはかなり効きすぎとはいえ、イノーバはフェリオと

アスコットを自由にさせてくれているほうなのだ。それに古参の執務官らは軒並みフェリオに自分の

娘を売り込んでいたので、風とのことを面白く思わないに決まっている。

 「俺が悪かった。これからはもっと頼りにして相談するから、ここにいてくれよ、頼む!」

 「…考えておきましょう。それで肝心の言伝ですが、『新学年の始業式の日より、いつもの時間に

駅でお待ちしています』とのことです」

 「ホントかっ!?本当にフウがそう言ったんだな!?」

 「私がそのような嘘で貴方を謀(たばか)るとでも……」

 二、三度室温が下がりそうなイノーバの物言いに、フェリオが慌てて頭(かぶり)を振る。

 「いや、その、だからそういう意味じゃなく!!あんまり嬉しかったから都合よく空耳したのかと

思っちまったんだよ。伝言サンキュ!」

 言伝をちゃんと聞いたことをメールしよう、いや、電話をしてもいまなら出てもらえるだろうと、

フェリオはイノーバの部屋を飛び出そうとしていた。

 「王弟殿下!」

 呼び止められてドアのところでフェリオが急停止する。

 「何だよ、改まって…」

 「ニッポンの諺をひとつ、お教えしておきます。『せいては事を仕損ずる』…衷心より射止めたくば

…焦らず手順を踏まれることだ」

 「肝に銘じとく!じゃな!」

 

 

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