決戦は月曜日
・・・さかのぼること約二ヶ月・・・
それは3月14日、ホワイトデーのことだった・・・
転校初日のあの雨の日以来、風を好ましく想っていたフェリオは《ちいさき薔薇の舞踏会》で
ワルツのパートナーとなってからというもの、かなり明確に将来を見据えたうえで彼女にモーションを
かけていた。
ここでは一介の留学生にすぎないフェリオだが、故国に帰れば第一王位継承権を持つ王弟殿下
などと呼ばれる身だ。遊学中とはいえ浮名を流すわけにもいかない。世は情報化時代。いつ何時
自国関係者の目にとまり、旧態依然の小さな王国に閉じ込めては可哀想と重臣たちを説き伏せ
長期留学させてくれた姉・エメロードを悲しませることになるやもしれない。国内のごたごたから
遠ざけることが一番の目的ではあっただろうけれど、それもまた姉としての偽らざる本心だったろう。
エメロードにもイギリスに留学経験があるが、ほんのわずかな期間で呼び戻されてしまっていた。
それでも運命的な出逢いをし生涯の伴侶となる相手を見つけられたのだから、自分にだってその
可能性はおおいにあるとフェリオは思っていた。
そしてその目にとまったのが鳳凰寺風だった。良家の子女の多い学院の中でもトップクラスの、
それこそ身分を公にしていないフェリオでは馬の骨扱いされかねないほどの名家のご令嬢だ。
なにも家柄に左右されるわけではないが、反対される要素は少ないほうがいい。ましてや本人が
可憐で、聡明で、非の打ち所がないのだから。
同じ部活動を選んで待ち合わせて登下校したり、休日には美術展や映画も鑑賞した。時々は
家族との用向きや仲良し三人組での先約があるからと断られることもあったが、他の男子の誘いを
鮮やかなまでに躱(かわ)しつづけている姿を見るにつけ、風が自分に好意を持ってくれているとの
意を強くしていた。
『善は急げ』とか『思い立ったが吉日』とかいう言葉がこの国にはあると聞き及び、なるほどと
フェリオは納得していた。世間的にみれば中学生がなにをと思われるかもしれないが、上流階級の
家庭では早いうちに家同士の約束事で婚約などということが往々にしてあるからだ。
女官のサニーに手紙を書き、『姉上にお願いして祖母の形見の翠玉の指輪を探して送って』と
頼んでいた。直接サニーに探して欲しいと言わなかったのは、何かの事件が起きたときに盗みの
濡れ衣でも着せられては気の毒だからだ。それほどに王宮の中といえど穏やかならぬ空気が
漂っていた。
しばらくして送られてきた深緑色のビロードの小箱に収められた翠玉の指輪には、姉からの短い
手紙が添えられていた。
「大切にしたい方がもう見つかったのですか?翠玉の指輪が特別なものだということはよくご存知
だと思います。フェリオにはまだたくさんの時間があるのですから、焦らず、本当に心から愛おしく
大切にしたい方にお渡しになってくださいね」
姉上だってわずかな時間に見つけられたのにと苦笑しつつ、「十分に解っています」と今度は
メールで返事をしておいた。
去年の12月は誕生日祝いのパーティにも招かれた。もちろんその場に学院生は多くいたが、
招かれたという事実でフェリオは気をよくしていた。クリスマスと年越しは鳳凰寺家が海外で
過ごしていたためこれといった進展なく過ぎていったが、バレンタインデーに手作りチョコを
もらえたとなれば、ここは押しどころと誰しも思うだろう。だからホワイトデーにはバッチリ決めようと
あれを本国から取り寄せたのだった。
春先ということで咲く品種も少なめな薔薇園温室内の小さなテーブルで風が二人分用意してくれた
お弁当を食べ終えると、フェリオは改まって口を開いた。
「…ホワイトデーだから、これ…。気に入ってもらえるといいんだが」
やけにかしこまっているフェリオに風が目を瞬(しばた)かせていたが、空のお弁当箱を包み
終えるとにこりと笑った。
「まぁ、ありがとうございます」
右手で隠したままテーブルの上を滑らせるようにして、ラッピングを施された小箱をフェリオが
差し出した。見るからに指輪がはいっていそうなサイズに風が戸惑う。
「あの・・・これは・・・」
手を触れようともしない風に焦れて、フェリオがさらに押しやった。
「開けてみれば判るさ」
まだ中学一年…指輪をもらえるなんて想像するほうが厚かましかったかもしれないと気を取り直し、
風が小箱を飾るリボンに手を伸ばした。リボンを解き、ラッピングの紙を丁寧に開き、硬質な紙製の
箱の蓋を開けるとそこには深緑色のビロードの小箱。どう見ても指輪の箱に見えるがイヤリング
ぐらいならこのサイズでも入るかもと風はおそるおそるその蓋を開けた。
指輪を手にすることなく凝視している風に、いてもたってもいられないフェリオははやる気持ちを
抑えつけながら言った。
「サイズは直さなきゃならないと思うし、父方の祖母様(ばあさま)から譲り受けたものだから、
デザインも古めかしいと思うけど、受け取ってもらえな・・」
『いか?』まで聞かずに、ビロードの小箱をパタンと閉じた風がフェリオに訊ねた。
「・・・エメラルドとプラチナだとお見受けしました。違いますか?」
「台座は多分そうだろう。翠玉(すいぎょく)とか緑玉(りょくぎょく)って呼んでるけど、エメラルドの
ほうが一般的かな。お前の瞳の色によく似合うと思ったんだが・・・エメラルドは嫌いか?」
「好き嫌いの話ではありません。私、このようなもの頂けません。いただく理由もありませんから」
「いや、理由なら俺にはある。俺はフウのことが…」
「ホワイトデーにお返しをしたいというお気持ちだけ頂戴します。とにかくこれは受け取れません。
失礼します!」
お弁当箱の包みを入れたミニトートを手に薔薇園から駆け出していく風を、まさかの展開に呆然と
したままのフェリオが見送っていた。
きちんと話したいと思っても、放課後の部活で顔を合わせた風はヴェール越しのようによそよそし
かった。他の者がいる前では普通に接してくれていたが、フェリオと二人きりになることは明らかに
避けていた。いつも一緒に帰っていたクラブの帰り道も、「今日から車で登下校いたしますから、
朝も駅で待たないでください…」と拒まれ、話をする時間すら与えてもらえなかった。
おおっぴらにする話でもないしクラブハウスから正門前までの時間でも話せればというフェリオの
期待はあっさりと砕かれた。クラブハウスの玄関前に入校許可証を首から下げた鳳凰寺家の
運転手が待機していたのだ。
「お迎えにあがりました、風お嬢様」
恭(うやうや)しく頭(こうべ)を垂れる運転手に風が答えた。
「いきなり予定変更してすみません。不都合はありませんでしたか?」
「風お嬢様のご用向きを最優先で承るようご当主様より申しつかっておりますので、不都合など
あるはずもございません。お鞄をお預かり致します」
『主従の関係なのだから運転手が荷物を持って当たり前』などという考えとはまったくもって無縁
だが、運転手なり執事なりが随伴しながら風が鞄を持って歩いていては、かえって彼の評価を
下げてしまいかねない。いまは鳳凰寺家に奉職する運転手も、もっといいお家からスカウトされない
とも限らないのだから。
「お願いします。それではフェリオ先輩、私はここで失礼致します。ごきげんよう」
「…っ!」
堅苦しいのは嫌いだという彼の望みを聞き入れて先輩呼びを自粛していた風が呼び方を変えた
ことに、フェリオは平手打ちをかまされる以上の衝撃を受けて立ちすくんでいた。
いったい何が風を怒らせたのか…、怒っているというのも微妙に違う気がするが、それ以来、
風がフェリオを避けている事実には間違いなかった。メールを打っても返事が来ない、携帯に
電話をしても出てもらえない。思い余って自宅の電話にかけてみても、「風お嬢様へのお電話は
当面お取次ぎしないよう申しつかっておりますので…」と断られてしまい、取り付く島もなかった。
風に口も聞いてもらえないからといって、部活をサボるような真似も出来ない。学年が違う以上、
待ち合わせて登下校しないいまとなっては風の顔を見ることが出来る貴重な時間なのだ。
フェリオの視線に気づくと慌てたように顔を背けてしまうが、そこに嫌悪はないように思えた。
むしろ戸惑いを隠せずにいるふうに感じたフェリオは終業式までにはこの状況をなんとかしたいと
思ったものの、その努力はものの見事に空振りに終わってしまった。春休みは家族そろって海外で
過ごすということで、終業式が終わるが早いか風は学院から姿を消してしまっていたのだった。
お目付け役のイノーバは本国に呼び戻され、宿題もない春休み。羽根伸ばし放題のはずである
にもかかわらず、フェリオのテンションが低いままではアスコットのほうも浮かれようがなかった。