Die Ouverturen
球技大会が済み、フェリオが鳳凰寺家に出入りする口実は無くなった。風はお手製のハチマキをフェリオに
くれたが、そこに特別の好意があったのか、単に鬱々としている留学生への気遣いだったのか、いまひとつ
読み切れなかった。
球技大会の合間の日曜、ルノアール展に二人で出掛けもしたが、それすらデートと呼んでいいのか微妙な
辺りだった。全体的に見ればデートと表現していいはずだが、肝心要の〆に食らったサプライズのせいで、
その日一番の目標を確保しそびれるという憂き目にもあっていたからだ。
§ § § § § § § § § § §
中央棟の学食でたまたま三人と隣り合わせた時に、『ルノアール展のチケットを二枚戴いたんですけど…』と
風が話しているのが耳に入ってきた。海はすでにそれを見た後で、『私はパス!』と言い、光は剣道部の交流戦
やらの対外試合で開催中の土日は時間が取れないと嘆いていた。いつもはお弁当持参でLibra≪天秤宮≫αか
βの教室で昼食をとる三人と学食で偶然隣り合わせただけでもラッキーだったが、こんな耳寄り情報をフェリオが
聞き流す筈もなかった。
「そういう特別展って本物が来るんだろ?」
隣りにいるからといってフェリオが話に入ってくると思っていなかった風が戸惑い気味に答えた。
「え…?確かオルセーやオランジュリーの収蔵品を借り受けていたと思いますが…」
「だったら俺じゃダメか?一度は本物が見たいと思ってたけど、同じヨーロッパでも田舎の小国には貸し出して
くれなくてさ。フランスまで行く機会も無いし…」
「…ではお二人にお譲りしてもいいか、姉に尋ねてみてからでも構いませんか?」
本当は風も見に行きたかったのだが、人気の高いルノアール展は日本でならまた開催される機会もあるだろう。
「お前が見る為に姉さんは譲ってくれたんだろ?だったらフウは見るべきだ。俺の分のチケット代は払うよ。
アスコットはそういうのに興味が無いし、土日も出掛けてるから、俺一人で退屈してるんだ。一人でどこかへ
出歩けるほど、まだ慣れてないしな」
『よく言うよ…!!』
アスコットの呆れ声は口の中で踏みとどまっていた。フェリオがアスコットの脇腹をこっそり捻っていたからだ。
一人ふらりと姿を消すフェリオの放浪癖のせいで、どれだけ僕が近衛やイノーバに搾られたと思ってるんだと、
飲み下した文句で喉が詰まりそうだった。
あまりにオープンなフェリオの誘い方に海は目を丸くしていたが、光は風をみてニコニコ笑っていた。
「よかったね、風ちゃん。チケットが無駄にならなくて」
「えっ?あ…、そう…ですわね」
熟慮する前に光に言われたせいで、そのまま提案を受け入れたような格好になってしまっていた。
『ナイスフォロー!!』と心の中で光とハイタッチでもしたいぐらい、あるいは単にガッツポーズでも決めたいぐらい、
フェリオには好都合な展開だった。
待ち合わせは何時にどこでと上機嫌なフェリオと相談しつつ、父の許を訪れる要人のご家族を観光案内する
こともあるのだし…、と風は風で正当な理由を見つけていた。
そんな風たちのかたわらでは海がアスコットに仔猫の具合を尋ねていた。いつの間に海とアスコットに共通の
話題が出来たんだろうと光がきょとんとした顔になり、小猫のような耳をぴくつかせていた。仔猫を見舞う話を
サクサクまとめる海たちと、美術展の後の予定を詰める風たちを光は羨ましげに見ていたが、そのうち何か
閃いた顔で誰かにメールを打ち始めていた。
ランティス先輩、こんにちは(^-^*)/
突然ですが、
今度の日曜、お時間ありますか?
少し遠いのですが、某県立高校剣道部との
定期交流戦があります。
道場と違って同年代ばかりですが
県大会上位入賞の常連校なので
見ているだけでもすごいです(≧∇≦)
集合場所は聖レイア学院前駅・北改札
集合時間は7時です
もしかすると普段登校するより早いですか…?f^_^;
P.S.剣道部の遠征は制服着用です(^-^)v
★・・・・・★しどう☆ひかる★・・・・・★
五分と待たずに返信が届いた。
了解
∞ Message from Lantis Infini ∞
いつもながらの簡潔なメールに光がぷぷっと吹き出すと、海が視線を上げた。
「どうしたの?そんなに笑えるメール?」
見られていると思わなかった光が慌ててふるるっと首を横に振る。
「ううん、そんなことない。普通だよ」
署名より本文のほうが長かったメールは何通あっただろうと考えながら、それはそれで先輩らしいかなと光は思った。
§ § § § § § § § § § §
少し風に雰囲気の近い柔らかなルノアールの絵画。知的な彼女に似合いの美術館デート(フェリオ的にはすっかり
デート気分だ)。要らないと言われたチケット代の分、結構旨いらしい(東館和風喫茶の松花堂弁当と引き換えの
カルディナ情報)ミュージアムカフェでランチをご馳走して、夕暮れ近い森林公園をそぞろ歩きしつつ、舞踏会の
パートナーを申し込む……というのが、事前に立てたプランだった。
「慣れないことはするもんじゃない…か」
フェリオにしてみれば舞踏会は日常茶飯であった(サボってばかりであったにしろ・爆)。しかもパートナーを承諾してもらう
為に心を砕くなんてことは、これまで経験がなかった。故国の舞踏会にあっては、彼に誘われて否と言った者は
皆無だったのだから。けれども今彼が誘いたい意中の人は、かつて一緒にお茶を飲むことさえ拒んだ強敵だった。
「何か言った?」
「や、何でもない…」
二人きりの美術館デートのはずがやたらと学院生、それも女生徒ばかりに出くわし、『もしかしてデート?!』の
声がかかると『転入間もないフェリオさんが街に不案内なので案内役を務めているだけですわ』と風はクールに
答えていた。
ふわりと頬にかかった巻き髪のせいで、フェリオからは表情が見えない。本当にただそれだけの理由だったのか、
多少なりと好意を抱いてくれていたからなのかは大きな問題だった。
何故かそのまま皆がついて来てしまい、風は他の客の迷惑にならないよう小声で作品背景などを学院生らに
説明していた。
「ねえ、知ってる?五月になったらうちの学院って舞踏会があるのよ」
気安く話しかけてきた一人に、日ごろ人当たりのよいフェリオにしては珍しくぶっきらぼうに答えた。
「生徒会長に聞いた」
「パートナーはもう決まってるの?」
「いや」(まさにこれから申し込むんだから、邪魔しないでくれ)
「じゃあ私は?」
「まぁ!ここはひとつクラブの先輩に譲ってよ」
「それとこれとは…」
少しずつエスカレートしていく声に風が静かな剣を振り下ろした。
「他のお客様のご迷惑になりますわ。続きは美術館を出てからになさいませ」
はっとしたように肩を竦めて、学院生らは風に従っていた。
特別展も美術館の常設展示もほぼ見終われば昼食時になっていた。落ち着いたミュージアムカフェで二人きりの
ランチ…というフェリオのプランはとても実行出来そうになかった。お邪魔虫(虫扱いは失礼か?)がまだぞろぞろついて
来ているのだ。
「お腹空いたよね〜。みんなで食べに行かない?」
「賛成!」
「私、美味しいイタリアン知ってる!」
「えー、フレンチがいいよ」
「フェリオは何が食べたい?案内してあげるわよ」
あちこちから勝手な誘いがかかる中、フェリオはいきなり拝み倒す仕種で声を張った。
「悪い!せっかくのお誘いだけど、今日はミス鳳凰寺が二人分のランチの予約を取ってくれてるんだ。予約の
時間があるから、俺達はこれで!じゃあな!」
そんな予約を取った覚えがなく目をしばたかせている風の腕を取り、フェリオが駆け出す。風は手を引かれて
走りながら、『ごきげんよう』と後ろに声を投げるのが精一杯だった。
皆の視界から外れる辺りまで来たところで風がフェリオを止めた。
「ま、待って下さい。私、この靴では走りづらくて…」
ハッとしたフェリオが風を振り返る。フワリと柔らかなワンピースに合わせたパンプスでは確かに走りづらかっただろう。
「すまん!あそこで少し休もう」
こもれびが優しく降り注ぐベンチへとフェリオが誘った。
「それに私、ランチの予約は取っておりませんわ。フェリオさ…、フェリオが『こっちで探しておくから』っておっしゃって
いたので、検索もしていませんし」
「解ってる。ホントはミュージアムカフェに行くつもりだったんだ。結構旨いって聞いてたから。けど、あのまま居たら、
延々ついてこられそうだったからな。なんであんなに学院生が湧いて出たんだか…」
それは学食などという場所で開けっ広げに待ち合わせ云々を話していたせいで、フェリオ目当ての女子の耳にも
入ってしまったというだけなのだが、女の子たちの目当てが自分だということにフェリオはピンと来てないようだった。
「それは…きっとご一緒したいからですわ」
「ルノアール展に行きたきゃ学校に言えって。社会科見学とかいうやつでやるんだろ?そういうの」
「まぁ、よくご存知ですのね。でもそうではなくて、あの方たちはフェリオと少しでもお近づきになって、≪ちいさき薔薇の
舞踏会≫にパートナーとして誘って貰えたら、ってお望みだったのですわ」
「学校イベントだから逆指名もアリだとは聞いてるけど、だからって団体で来られてもな。それに、俺は申し込む相手を
もう決めている」
「そう…なのですか」
何故か微かに落胆している自分が心の片隅にいる。バドミントンのサービスが苦手と言っていたフェリオだが、風が
気をつけるべきポイントを指摘してからはめきめき精度を上げていた。角度はいまひとつながら相手のミスを誘える
スマッシュさえ打てるようにもなっており、運動神経とカンの良さが窺えた。弓道部に体験入部しにきた時、部長が
披露した立射礼を形だけ真似ていたが、その仕種には優雅さがほの見えていた。見様見真似とはいうものの、
日ごろ培われた物が無ければああはいかない。抜群の運動神経を持ちながらワルツは苦手という光がいい例だ。
球技大会が済めば体育のダンスレッスンが始まるが、光は今から恐々としているぐらいだった。
そんなことを目まぐるしく考えていた風の手を取り、フェリオが小さな箱を載せた。
「あの…これは?」
「開けてみろよ」
言われるままリボンを解き、包装紙を丁寧に剥がす。ビロードに包まれた箱の蓋を開くと、小さな花束をかたどった
ブローチが収められていた。
「綺麗…。ですがこんな素敵なものを戴く理由がありませんわ。チケットは姉に貰ったものですし…」
「理由ならあるさ。舞踏会の前になったら、薔薇のコサージュを携えてパートナーになって欲しいと申し込むって聞いた。
けど、せっかく二人っきりで出掛けるのに、それまでなんて俺は待てないね。これは薔薇のコサージュの代わりだ」
「え…」
「薔薇のコサージュを受け取った時は、俺のと交換してくれないか?フウ」
両手で小箱を捧げ持ったままの風の手をフェリオが包み込む。
「そのワンピースにもよく似合う。……パートナーのことは今すぐじゃなくていいし、断るなら花束返せなんてことも
言わないから…」
黙り込んだままの風に少し焦ったフェリオが言葉を付け加えていた。こんなぐらいで慌てるようではとてもプレイボーイ
なぞ務まらないだろうと、風がくすりと笑った。
「似合うとおっしゃるなら、つけていただけますか?姿見が無くてはちゃんと留められませんわ」
「お、おう!もちろん…」
ブローチを持ってピンを外したものの、伸ばしかけた手が途中で止まっていた。このブローチを留めるなら衿より
胸元だ。留めてほしいと望んだのは風だが、さすがにいきなりそれはマズいだろうかと急ブレーキがかかって
しまっていた。(なんでどさくさ紛れにいけなかったんだ、俺!!)
「あー、フウ。少しこの辺を浮かせてくれないか」
少し赤い顔で視線を外したフェリオに風もかえって身構えてしまう。
「あ、すみません。…これでよろしいですか?」
「おう。…よし、やっぱり似合ってる。さーってと、いきあたりばったりになっちまうけど、昼飯行かないか?」
「それでは私がご案内しますわ。急なことで大したお料理は出ないかもしれませんけど、味は折り紙つきです」
「フウに任せるよ」
「失礼して少し連絡を入れますね。『……もしもし、風です。これからお客様をおひとかたお連れしますので、
二人分の昼食お願い出来ますか?…はい、では一時間ぐらいで参ります』…大丈夫なようですから参りましょうか?」
「旨い店の当日予約を通しちまうなんて、すごいな。さすがはお嬢様だ」
厭味でなく感心しているのが解っていたので風はさらりと受け流した。
「そんなに大したところではありません。お口に合うとよろしいのですけれど…」
そのあと連れて行かれた見覚えのありすぎる場所と、昼食の席で引き合わされた二人にフェリオが大慌てするのは、
一時間ばかり後のことだった・・・・・。
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