風はいつものようにフェリオとお忍びで城下街に出掛けていった。お忍びと言いながら、街の人々には毎度
ばればれだった。一人で街を歩く時に風の不在を尋ねられては「彼女は遠い国の人だから」と嘆いてみせて
いるのだろう、「いつになったらずっとセフィーロにいてくださるようになるんです?」と、懇願混じりの愛ある
からかいを受けることもしばしばだった。
果樹園の作業が落ち着いているこの時期、海は農園で働く者達の伴侶や娘達を集めて、ブイテックやプラグ
などセフィーロ特産の果物を使ったお菓子作りの指導に当たっていた。これまで海が考えてきたレシピを惜し気も
なく公開し、セフィーロの外貨獲得手段の一翼を担えればと考えているらしかった。
光はランティスの執務室で彼の仕事が一段落するのを待っていた。どうしてもランティスの都合がつかないなら
アスコットの魔獣を借りることもあるが、街の子供たちに会いに行くわずかな道中も貴重なデート時間には
違いなかった。
時々「本当にその書類の内容読んだのか?」と光が心配になるぐらい彼の決裁は速い。そして一番最後の
ページにさらさらと署名を入れて、次に取り掛かる。いつでも光のことを優しく包んでくれるその大きな手には、
光が彼の為に選んだ一本がキラリと輝いていた・・・・・。
on your birthday
東京の暦でいえば、もう間もなく12月。12日の風の誕生日はセフィーロでお祝いする予定だし、それが
済んだらあっという間にクリスマスだ。クリスマスやお正月など、東京のあらゆるイベントがセフィーロだけでなく
こちらの各国に広まり、それぞれのお国柄を反映した形で定着しつつあった。
今年の光の誕生日の件以降、海や風にはことのほか心配をかけてしまっていたので、いつも以上のお祝いを
しなくちゃと、クレフの診察を受けに来ていたイーグルにこっそり相談しにやってきた。なぜこっそりかというと、
ランティスに相談済みのことを他の人にも聞くなんて失礼なことのように思えたからだ。
「妃殿下への贈り物ですか?」
まだそう呼ぶのは気が早いのに、イーグルは風のことをそう呼んでいた。
「うん、イーグルならなにかお洒落な物思いつくかなと思って…」
「そう評価して貰えるのは光栄なんですが、セフィーロの物を贈るのなら、やっぱり僕よりランティスのほうが
詳しいと思いますよ」
ランティスの名前が出たところで、光がばばばっと赤面した。まだお付き合いを始める以前の高校生時代なら
いざしらず、婚約までしていながらこの反応はいくらなんでもおかしいとイーグルはポーカーフェースの下で
勘繰っていた。
「あのっ、ほらっ、ランティスって私ぐらいにしか贈らないし、私と風ちゃんじゃ好みが違いすぎるし…。あははは」
なにかとんでもないことを言ったに違いないランティスを後でつついてやろうと、イーグルは光への追及の手を
緩め、ふと思い出したようにするりと言った。
「そうだ。ランティスの誕生日になにかするなら、僕らも乗りますよ」
「ほえっ!?ランティスの誕生日って、いつ!?知ってるなら教えて!」
「いやだなあ…。婚約者の誕生日知らないんですか?」
グサッと見えない大剣に突き刺されつつ、光が答えた。
「何度か聞いたことはあるけど、『いまさら祝う歳でもない』って、はぐらかされちゃって…」
まぁ何年前に生まれたかは言いたくないにしても、日付ぐらいは教えてやればいいのに、全く困った朴念仁だと
イーグルの口からため息が零れた。
「この時期だった筈なんですが…。ファイター・テストの登録データのアーカイブを当たってみましょう」
腕に装着した武器・コンピュータ内蔵のギアからNSXにアクセスし、そこにないと確認すると本国データバンクに
アクセスし始めた。
「ちょっと時間がかかりますけど待ってて下さい」
「え…オートザムまで探してくれてるのか?」
「超弦空間通信システム稼動実験を兼ねてるんです。上手く行かなくても許して下さいね」
二十分程も待っただろうか。やっとイーグルのギアにデータが飛んできた。
「ああ、やっぱり記憶通りでしたね。セフィーロ暦でいう≪宵の星の月 第十九の日≫です」
「うう、解んないよ…」
「東京の暦でいうと…12月19日ですね」
「風ちゃんの誕生日とクリスマスの間!?」
「それで言いたがらなかったのかな…」
「ランティスったら…。そりゃあクリスマスは楽しいイベントだけど、ランティスの誕生日のほうがずっと大切なのに…」
きゅっとくちびるをかみ締めた光に、イーグルが微かに淋しさの滲んだ穏やかな笑顔を向けた。
「それは、できれば本人に言ってやって下さい。ランティスにとってのヒカルがかけがえのない存在であるように、
ヒカルにとってのランティスも大切な存在なんだって、ちゃんとクギ刺しといて下さいね。でないとあの人はすぐ無茶を
するから…」
「うん。教えてくれてありがとう、イーグル。あのっ、ランティスには内緒にしてくれるかな?」
「いいですとも。サプライズの成功をお祈りしていますよ」
風への贈り物は海と相談する手もあるのでとりあえず保留にしつつ、光の意識はランティスへの贈り物選びに
飛んでいた。
特に出掛ける予定もないが、デスクワークを片付けるランティスの傍らで光は大学のレポートの資料を読んでいた。
それぞれの作業に没頭していても、そこにその人の気配を感じられるだけで心が安らぐ、遠距離恋愛の二人には
貴重な時間だった。
資料に没入していた光の耳に、シュッシュッと何かを削るような音が聞こえてきて、一休みがてらランティスの
手元を覗きにいった。
「…羽根ペン削ってるのか?」
「書いているうちに先が潰れてくるからな。この羽根も貴重だからあまり削りたくないんだが…」
以前に光のシャープペンシルまでへし折ったランティスは筆圧が高すぎるのだ。
「お城にいる鳥さんたちの羽根より大きそうだね」
「中庭にロッキーはいない。あれは山に近い草原に住むものだ。セフィーロ再生後はあまり目撃情報がないが… 」
光の表情の陰りに気づき、ランティスは言葉を加えた。
「旅をしていた頃と違って、俺も辺境へ出る機会が減ったし、ロッキー自身もっといい棲みかを見つけたのかも
しれない。そう気にするな」
「うん…」
伏せられたままの視線が納得出来た訳ではないことを物語る。それでもそんな負の感情に支配され続けることは、
この国では決していい結果をもたらさないことを知っているから口にはせずに踏みとどまっているのだろう。
俯いた顎を掬い上げ、ほんの一瞬視線を絡める。揺れる瞳が閉ざされるとランティスはそっとくちびるを重ね、
腕の中にしっかりと抱きしめる。ついばむように小さなくちづけを繰り越すうちに、二の腕で袖を掴んでいた光の腕が
ランティスの背中へと回り、ぎゅうっと縋りつく。それを合図にするかのように深くなったランティスのくちづけに、
光もおずおずと応え始める。
思うさまに光のくちびるをむさぼりながらランティスはふと思う。くちづけを交わすようになったばかりの頃、
いつもいつも光の反応があまりに硬いので、『もしかすると嫌がってるんだろうか』とかなり真剣に考え込んだ時期が
あった。ランティス自身を嫌っているならそもそも彼の部屋へは来ないだろうし、光が本気でキスを嫌がっているなら
無意識に魔法を発動してでも拒んだろう。
時に不意打ちを食わせるとそれこそネコミミどころかしっぽまで飛び出す有様だが、ランティスが気づかぬそぶりで
押し切ると、光のフルオプションもいつの間にか消えていくのだった。飛び出す瞬間は何度か目にしているが、
一度ぐらいは消える瞬間も見てみたい気持ちもあるのに、意外にその機会には恵まれなかった。
男の子っぽいしゃべり方や振る舞いをするかたわらでひどくはにかみ屋だった光も、二人きりで過ごす部屋に
限れば、いまでは多少のフェイントでもネコミミを出すこともない。出逢ってから最初の三年に比べれば、この三年は
驚くほど大人になってきたなと思う。
くちづけの合間に息をつぐ仕種さえほの甘く、自制するつもりでいるランティスでさえ溺れてしまいそうになる。
そんな自分がどれほどランティスにとって蠱惑的であるか、本人に自覚がないあたりがひどく厄介だった。
『トウキョウになんか帰さない』
その言葉を何度飲み込んだかもう数えきれない。
――遠く姿を見られるだけでいい。
――元気な笑い声が聞こえるだけで安心できる。
いい歳をして、まるで少年の恋わずらいのようだと、自嘲したことも数多ある。
たわいない言葉を交わし、ゆっくりと心を通わせ、いつしか身体を重ね…………少しずつ高くなる望みは
叶えられてきた筈なのに、それでも満たされない自分の欲深さが恐ろしくなる。
セフィーロにさえ居てくれれば、たとえ遠く離れても気配を感じ取ることが出来る。だが彼の絶大な魔力でも
東京にいる光のことまでは解らない。あの冬の出来事は世界の(次元の?)狭間を漂っていた母の形見の輝鏡に
因るところが大きい。婚約指輪にかけた禁呪は効力を発揮しているようだが、それでさえランティスに光の気配を
届けてくれる物ではなかった。
蕩けてしまいそうなくちづけから解き放たれた光がじいっとランティスを見つめて…いや、軽く睨んでいた。
「どうした?」
「…キスしながら他のこと考えてた…?」
普段の光はどちらかと言えば他人から向けられる感情に鈍いのに、こんな時だけ敏感だから堪らない。伸ばした
右手をうなじに滑り込ませ、もう一度抱き寄せて軽く耳たぶを噛むようにささやきかける。
「キスが上手くなったと思ってた…」
「!?!」
真っ赤になった光のひさびさのフルオプション(ネコミミ+ねこしっぽ)に、してやったりとでもいう風に、ランティスが
微かに笑った。
「なななっ、なに言い出すかなっ!」
「ヒカルの詰問に答えたつもりだが」
大人の余裕を見せるランティスに、光が子供じみてはいるが愛らしいふくれっ面になる。
「う〜、誰のせいだと思ってるんだ…。私に教えたのはランティスじゃないか…」
いかにも機嫌の悪い猫のように、しっぽがぱたりぱたりと振れている。
「なら、もう少し上級編もおさらいしようか」
うなじから上がった右手は頭上のネコミミごと髪を撫で、今度は背中を滑り降りて、しっぽをもてあそぶ。
ふたたびくちびるを奪われ、「あ……っ、ふっ…」っと墜ちかけた光だったが、ピピッという腕時計のアラームで
踏みとどまった。
「ダメだよ!お仕事中だろ?それに今日は日帰り…だもん」
ほんのわずかに光も残念がっているニュアンスを感じ取り、光にその気があるなら昼間だろうが仕事中だろうが
構わない……と言いたいところだが、急ぎ片付けねばならない書類はまだ残っていた。
光を膝に座らせたまま、やりかけだった羽根削りを再開する。
「万年筆貸そうか?」
「マンネンヒツ?」
ランティスの膝から下りて自分のペンケースとレポート用紙をとって、また膝の上に戻る。
ペンケースをごっそりひっくり返すと、光はランティスの執務机で筆記用具の展示会を始めた。
「シャープペンシルは前に使ったよね。でもオフィシャルな物には不向きなんだ。公的な物に使うなら、ボールペンか
サインペンか万年筆かなぁ。あ、万年筆のインク、ブルーブラックだっけ…。こんな色なんだ。どれがいいか試し書き
すればいいよ」
太さも長さもまちまちの光の筆記用具をランティスは不思議そうに眺めている。
「手の大きさに合わせて選ばないのか?」
「合わせることもあるよ。その万年筆は私が持ちやすいサイズだから、ランティスには細いかな…?でも羽根ペンより
しっかり持てそうな気もするけど…。多色ボールペンは私には太いけど、いっぱいボールペン持ち歩く煩雑さよりは
マシって感じ」
勧められるままに試し書きしていたランティスは、結局万年筆を借りることに決めていた。
「これの書き味が一番しっくりくる。太さ的に持ちやすいのは、さいんぺんなんだがな」
「ふぅん…」
そう呟きながら、光はランティスが書類を裁いていく手許を飽かず眺めていた。
ロッキー…ロック鳥なみの巨大な鳥。ダイハツ ロッキーより
このお話の壁紙とラインは Lazy Colors さまよりお借りしています