おでこにKiss 

 

 

 

 ――貰ったからには、相応の返しをせねばならない――

 

 そうでなくとも多忙なランティスだが、ここしばらくはそのことで頭を悩ませていた。

 それは不愉快な物ではなく、むしろ贅沢な悩みに分類されるものだ。しかし人生のほとんどを魔法と

剣術の修練に費やしてきた朴念仁にとってはいささか難解な悩みではあった。

 

 何をどう間違ったのか、あるいは運命の必然か…。女性に興味が無いのかと言われあらぬ陰口さえ

叩かれていた彼は、遥か年下の異世界生まれの娘と恋に落ちてしまった。

 彼のほうは初めて言葉を交わした頃から彼女を好ましく思っていたが、頓着しない彼女にとっての彼は

≪大好きなお友達≫の一人でしかなかった。また二人の間にはとても大きな障害が種々あったので、

想いを通わせることは叶わないだろうとさえ考えてもいた。

 出逢って三年ほど経った頃、『ようやくおめざめね』と親友らにからかわれつつ、彼女は特別な異性として

ランティスを意識していることを自覚し始めた。

 凛とした瞳そのままのまっすぐな気性は素直に想いを向けてくる。だが同時にひどくはにかみ屋でも

あるらしく、彼のほうから行動に出ると、ネコ耳とネコしっぽと呼ばれるモノ(幻術か何かの目くらましかと

思っていたが、ある時ひっ掴んでみると実体だったのでさらに疑問が増大したものだが…)で彼のその気を

殺(そ)いでいた。

 

 恋人同士と呼ぶにはまだまだぎこちないものの、お互いを特別な一人だと認め合えただけで格段の

進歩だと言えるだろう。

 たとえまだくちびるのひとつも奪えていないにしても。(ランティスのほうは意識がなかったので、

光ちゃんに奪われたことは知りませんw)

 

 

 

  異世界生まれの少女たちとの交流が増えたことで、あちらの様々なイベントも取り入れられるように

なっていた。

 地球暦12月25日の≪くりすます≫は初回から参加していたが、2月14日の≪ばれんたいたんでー≫は

これまでパスし続けてきた。

 『好きな男性に≪ちょこれーと(ランティスにとっては超鬼門の激甘の菓子だという)≫を添えて想いを告げる』と

いうのが本来であったらしいが、『義理ちょこ』と称して、男性女性を問わず彼女たちは某かの菓子を配っていた。

この時点でランティスは辞退になる(笑)し、去年まで『義理』ばかりだった光もランティスには遠慮して押し付ける

こともなかった。

 義理ならば断ることに何の躊躇いもないランティスだったが、今年はそうもいかなかった。なにしろ≪本命≫の

光が、『ランティスは甘いの嫌いだから…』と気遣いさえ見せてくれたのだから。

 よく出来たもので(単なる販売業界の策略だよ・笑)、≪ばれんたいんでー≫にはその答礼の為の≪ほわいと

でー≫なるものが、ちょうど一ヶ月後の3月14日に設定されていた。これまで義理をスルーし続けいま一つ

把握しきれてないランティスだが、光に答礼しないなど有り得べからざることだった。

 そしてやる以上は、礼を失することのないよう完璧にこなしたかった。他の二人の手前もあるだろうし、恥を

かかせるようなことがあってはならない。

 

 まずは導師クレフの書庫で現代地球に関する書物を探し、微かに光の気配の残る本を手に取りひもといてみる。

 『ホワイトデー』…『3月14日の催事。2月14日のバレンタインデーの告白や贈り物に対し、この日に返事や

お返しをする。マシュマロやキャンディーなどが一般的』

 「≪きゃんでぃー≫は聞き覚えがある…。甘くて口の中で長持ちする菓子だったか。≪ましゅまろ≫は聞き

覚えがないな」

 ホワイトデーのお返しを考えているとは思えないしち難しい顔つきで、ランティスはページを繰っていく。

 『マシュマロ』…原料となったアオイ科のウスベニタチアオイの英語名、Marsh mallowにちなんだ名称。砂糖、

卵白、ゼラチン、水を原料とする。成型後デンプンを表面にまぶし、つかないように処理される。空気が多く

含まれるため、軽く、食感も軽い。

 「…これも菓子なのか?セフィーロの何が近いのか見当もつかんな…」

 不穏なオーラが沸き上がらないのがいっそ不思議なほどの眉間の縦皺がふっと解消された。

 「そういえば…地球びいきで、菓子にも目がない男がいたんだったな…」

 この地で療養中のその男は彼の親友だという(少なくとも世間一般はそう思っている・笑)のに、酷い言い草も

あったものだ。

 光が持ち込んだのであろうその本を元の場所に戻し、ランティスは導師クレフの書庫を後にした。

 

 

 ノックもご機嫌伺いもなくイーグルの部屋に入ってくるのは一人しかいなかった。

 「お前に聞きたいことがある」

 『僕、今日は凄く眠いんです…』

 「返事出来る程度には起きているじゃないか」

 『それはまぁ』

 「≪ましゅまろ≫とはどんな菓子だ?」

 『なんです、薮から棒に…』

 「地球の菓子らしい。知っているなら、こちらの世界の似た物を教えろ」

 普段のぶっきらぼうを通り越したランティスの物言いにイーグルが異を唱えた。

 『おやおや…人に物を尋ねる態度じゃありませんねぇ』

 勘の鋭いイーグルのこと、いつも以上のランティスの無愛想さは照れ隠しなのだろうと見抜いていた。

 ≪あぁ、こんなオイシイ時に限って目が開かないなんてもったいない…≫

 そんな思いを心の奥に押し込みつつ、バレンタインデーに光をけしかけたその結果に出くわしているのだろうなと

イーグルは見当をつけた。

 『≪ほわいとでー≫のお返しですか?』

 「・・・・・」

 黙っているのは図星ということだ。

 『そういえば、この間の≪ばれんたいんでー≫にウミが持って来てくれた物に≪ちょこましゅまろ≫っていうのが

ありましたっけ。フワフワとして、噛めば少しは弾力もあるのに、いつの間にか口の中でとろけてくんです』

 「≪生ちょこれーと≫に対しても、同じようなことを言わなかっか、お前?」

 『≪生ちょこれーと≫はすうっととろけますが、フワフワもしてないし、噛んだ時に弾力もありませんよ。僕も起き

出して間もないですから、セフィーロのお菓子ではまだ似た物を知りません。オートザムで言うなら…』

 「言うなら…?」

 『ジェオがよく作ってくれた≪エアバッグ≫が一番近いでしょうか。でもランティスはずっと「要らない」の一点張り

でしたし…』

 ジェオの作っていた≪エアバッグ≫なら記憶にあるが、あの甘ったるい匂いだけで頭痛がしたものだった。

 『≪ましゅまろ≫ねぇ…。そういえばジェオも彼女から≪本命ちょこれーと≫を貰えたようですが、「3倍返し

だから気合い入れないと…」って言ってましたよ』

 これまた聞き慣れない言葉だった。さっきの本にはそんなことは書かれていなかった筈だが…。

 「≪3倍返し≫?」

 『≪3倍返し≫とか≪5倍返し≫とか…。男性の懐具合の問題なのか、どのくらい真剣に想っているかの

問題なのかは解りませんけど、そういう考えかたもあるようですよ』

 「・・・・・」

 物には値段がある。手作りにしても原材料を仕入れない訳にはいかないのだから。光は疲れを癒すポプリを

忍ばせたハート型のアイピローを贈ってくれたが、貰ったものはそれだけではない。

 『私のこれ(注:ハート)をあげるよ!』

 ハート…心に値段はつけられない。ましてや、想いの強さを3倍だの5倍だのと表すことも出来ない。ランティスの

当座の問題は、解決どころか暗礁に乗り上げてしまっていた。

 

 

 

 「ねぇねぇ、ホワイトデーって約束してる?」

 「当ったり前じゃない!事前のデートで欲しいアクセもそれとなくアピールしておいたもん」

 「キャハハハ、策士ーっ!ま、当然やるよね、それぐらい…。アイツの財力が判んないから、私なんて3段階の

金額設定で選んで教え込んだもの」

 級友たちの話にいつものネコからダンボに様変わりした耳の光が目を丸くしていた。

 「みんな、そんなことやってるのか…」

 毎年のように先輩・同級・後輩の女子から義理チョコばかり貰う光は義理返しばかりなので、この手の話題に

食いつくのはかなり珍しいことだった。

 「光もその時の為に覚えておきなよ。趣味に合わない物貰ったって、ブランド物でもなきゃ処分に困るんだから」

 「だけど、好きな人が一生懸命選んでくれた物だろ?それを『気に入らないから』って処分しちゃうなんて…」

 「だからそうしなくていいように予防線を張るんじゃない。それでもダメなら感性が合わないってこともあるわね」

 「私だったら…、ランティスがくれるならマシュマロ1個でも嬉しいけどな…」

 甘い物が超がつくほど苦手なランティスでは、そういう物が多数並ぶ店に行くことさえ苦痛だろう。それを押して

光の為に選んでくれたのなら、もったいなくてすぐには食べられないだろう。そもそもホワイトデーにお返しすることを

知っているかどうかも怪しいのだ。他の皆からお茶会に誘われているからセフィーロに顔出しする予定だが、

ランティスに逢えればそれでもう充分だった。

 「光…、『ランティス』って誰?」

 しまったとばかりにミッフィーちゃんばりにバッテンになった口を両手で押さえてはバレバレもいいところだった。

 「うっそーっ!ネンネだネンネだと思ってたら…。しかもガイジンだぁ?どこで知り合ったのよ!?」

 「幾つ?学生?社会人?」

 「タレントだと誰似?」

 わらわらと光を囲む人だかりが増えていく。

 「あああ、あのっ。そのっ…」

 逃げ出そうにも首根っこを引っつかむ者がいるので光はばたつくばかりだ。

 「ほらほら、洗いざらい喋りな」

 「どこで知り合ったのよ」

 「セ…、っと、た、旅先で…」

 まさか異世界でなんて言えない。

 「歳は?」

 「凄く上(幾つ上なんだか正確には知らないし・焦)。しゃ、社会人」

 「何やってる人?」

 「…(魔法剣士なんて言えないよぅ)剣術指南とか、偉い人の護衛とか…」

 「あ、光ん家って剣道場だっけ?遠征先で会ったお兄さんのお友達とか?」

 適当にごまかせばいいものを、馬鹿正直にふるるるっと光は首を振る。

 「ううん、違うよ。兄様の知らない人」

 「下のお兄さん二人、パニクってるんじゃない?光のこと、ネコっ可愛がりしてるもんね」

 「まだ覚兄様にしか話してないから」

 「きゃーっ!私たち、光の弱み握ったってコト!?」

 「そ、そんなぁ…!私、家から出して貰えなくなっちゃうよ…」

 「ねぇ、写真無いの?芸能人にたとえたら誰?」

 「写真は無いし、芸能人ってよく知らないから判らないよ。いずれは自分で話すから、優兄様や翔兄様には

言わないで…」

 困り果てて拝み倒す光の頭をかいぐりかいぐりしながら、級友の一人が言った。

 「他ならぬ光の頼みだから無条件に聞いてあげたいところだけど、世間の厳しさを教える為にも、ここはひとつ

ちゃんと交換条件出さなきゃね」

 「こっ、交換条件!?」

 「覚さんのスナップ一枚で手を打つわ。ロングショットはだめよ。顔がバッチリ判るやつね」

 「あー、私は優さんがいいな!できれば剣道着姿で…」

 「私は学生服の翔さんがいいわ」

 「待って待って!そんなの覚えきれないよ」

 学生かばんを開けて、光はレポート用紙を取り出した。

 「一人一枚!ホントにそれで黙っててくれるんだね…?」

 「「「異議な〜し!」」」

 そうして光は家庭内平和を守る為に、写真探しに邁進する羽目になっていた。

 

 

 「どうしたんだい?アルバムなんて引っ張り出して」

 居間で写真を物色していた光は覚に声をかけられびくんと顔を上げた。

 「覚兄様…。えーっとね、向こうのみんなに家族を紹介することになったんで写真探してるんだ」

 学校だって向こうのうちだと、光は自分にも苦しい言い訳を捻り出す。

 「家族を紹介、ね…」

 女の子の保護者としてはこちらのほうこそ紹介してほしいぐらいだがと思いつつ、様々な事情からそれも

ままならず、妹の人を見る目を信じるしかない覚だった。

 「何枚か持ってっていい?」

 昨今は写真からでもコピーも出来るのだと級友に吹き込まれていた。

 「構わないよ。昔の本を処分しようと思ってるんだけど、また何か持って行くかい?」

 『異文化理解とより良い未来の模索の為に』ということで、兄たちが廃品回収に出した本を光が拾って

いるのを知っていた覚がそう声をかけた。

 「いいの!?後で見せて貰っていい?こっち探してから覚兄様のお部屋に行くから」

 「解った」

 

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