課外授業 vol.7 〜告白〜
セフィーロ城へ戻ると、ランティスは自室へ運び込まれ、そばについていようとした光は、導師クレフに止められた。
「とりあえず、その汚れた格好をなんとかしてこい。ランティスは私が看ているから」
言われてみれば、とても怪我人のそばにいられるような姿ではなかったので、光はしぶしぶ海たちに誘われるまま
風呂に向かった。
「声が出ないんですって?光」
『うん』
海の言葉に、光は一生懸命心で答えた。
「回復魔法では治せないって、導師が仰ってたわね」
気遣うようなプレセアに、光は慌てて笑顔を作ってみせる。
『一時的なものだっていうし大丈夫だよ。みんなに心配かけちゃってごめん』
「謝ることなんかなぁんもあらへん。お嬢さまがたは、騒ぎに巻き込まれただけやねんから」
光の髪を洗ってやりながら、カルディナが話しかけた。
『だけど…、だけど、二人助けられなかったんだ…。私たち、間に合わなかったんだっ!』
そう言って光は顔を被って、声も出せないまま泣きはじめた。プレセアが泣きじゃくる光の肩をそっと抱き寄せる。
「でもねヒカル、あなたたちがいなかったら、あの八人も家に帰れなかったのよ。どうしていままでヴァイパーのことが、
あんまり知られていなかったか判る?」
光は顔を上げると、首を横に振った。
「さらわれた子供たちが帰ってこなかったから、本当のことがよく判らなかったのよ。ランティスとヒカルが命がけで
戦っていたことは、あの子達が一番知ってるわ」
下ろされていた長い髪と、心細さに自分の身体を抱きしめるようにしていた光の左手に隠されていた右の二の腕には、
指の跡の青あざと深い爪痕が刻まれてた。
「光!!何よその腕の傷は…」
『私が傷の手当てしてるときに、ランティスが掴んでたんだ。骨、砕けちゃうかと思ったけど、折れてはないから大丈夫だよ』
「そんな問題じゃないわよ!風、魔法を!」
「癒しのか…」
海に請われた風が回復魔法を唱えようとすると、光は傷口を押さえてかぶりを振った。
『イヤだ、風ちゃん!これには触らないで!!』
「光さん…?」
『ランティスの意識がちゃんと戻るまでは、触らないで…。お願い』
「光…」
「判りました。ランティスさんが起きられるまでは触りません。だからそんな顔なさらないで」
「そやそや。お嬢さまが辛気臭い顔しとったら、治るもんも治らへんで!セフィーロは意志の世界やねんから、『ランティスは
絶対元気になる!』って信じてやらなアカン!な?」
『そうだよね…』
いまひとつ元気になりきれない光に、海が発破をかけた。
「さぁ、身奇麗になったことだし、ランティスのところへ行ってらっしゃい。朝までついててあげればいいわ」
「海さん!?」
あまりに大胆な海の言葉に、風が目を丸くしている。
「心配要らないわよ、風。相手は怪我人なんだもの。このまま向こうに帰っても、光、ランティスを気にするあまり腑抜け
ちゃいそうじゃない?来週末までは来られないんだし」
『ありがと、海ちゃん。私、先に上がるね』
ザバーっと水音を立てて立ち上がると、光はお風呂場をあとにした。
急いで髪を乾かしランティスの部屋までやってきた光は、殻円防除が解かれていないことに戸惑っていた。
『クレフ!どうしてまだ魔法が解けてないんだ!?』
「ヒカルか…。このバカが無茶な魔法のかけ方をしたせいで、私では解けんのだ。本人の意識が戻るまで放っておくしか
あるまい。ランティスの生命力なら、それまで放置しても問題はなかろうが…」
『どういう意味?』
「ヒカルが知らない言葉の呪文を唱えていたそうだな?すでに解き明かされている禁呪に『生命力を魔力に置き換える』と
いうものがある。それの極端な使い方をすれば、たとえ意識を失おうが、その術者が死ぬまでは魔法が有効になる、という訳だ」
『キンジュ?』
聞きなれない言葉を、光がおうむ返しに聞き返す。
「『禁じられた呪法』と言えば解るか?…古い話になるが、セフィーロはお前達以前にも魔法騎士を招喚したことがあったらしい」
『――だから、伝説になったんでしょう?』
「まぁ、それもあるが、柱の消滅による崩壊で文明が途切れたような形跡も見られるのだ。いまの言語体系では読み解けない
書物がセフィーロには多数あってな。それに記された魔法はその効力が定かではないことから、長らく禁呪と呼ばれている」
『どうしてランティスがそんなの知ってるの?だって、クレフでも解らないようなものなんでしょ?』
窓辺に近寄り、中空に浮かぶ月を見上げながらクレフは答えた。
「あれとザガートの両親はともに優秀な魔導師で、禁呪の解読に携わっていた。そしてその為に、命を縮めたと言えなくもない。
しかし、物心つく前に親と死に別れているのに、どうしてランティスが知っていたのか…」
『そんな危ないもの使ってるのに、止められないなんて…。そりゃあセフィーロの人は寿命が長いのかもしれないけど、
いま必要のないものにランティスの命が削られていくなんてイヤだ!』
「仕方がないだろう!あのバカが聞く耳を持たんのだから」
『私じゃダメ?私の声も、いまのランティスには届かない?』
「それはメディテーションをかけるという意味か?無理だな」
『どうして!?そりゃ、この一年半ぐらいはやってないけど、子供たちにさっきかけたばかりだし、何とかなるよ!』
「あれだけ頻繁にやっていたのに、あいつは基本的なことも教えとらんのか。二者間のメディテーションは精神的に成熟していて
余裕のある者が、未熟さで、あるいはなにがしかの問題を抱えていて心に余裕のない者に対し手助けをすることをいう。心の
領域を、一時的に貸してやる、と言えば解るか?」
『ごめん、よく解らない…』
しばし考え込んだクレフが、ベッドサイドのテーブルに置かれた水差しを指さした。
「この水差しを、お前の心だとしよう。その底には、何かが落ちている。だが水差しの水は上まで満杯で、手を突っ込んで
その何かを取ろうとしたら、水が溢れ出してしまう。それは解るな?」
『うん』
「水ならばいくら零れようと構わんが、心はそうはいかない。だが、一時的に水を他の器に移して余裕を作ってやれば、
手を差し入れてその何かを取り出して向き合うことができる。その為の仮の器になることをメディテーションをかける、と
言っている。ランティスがヒカルの、あるいは、ヒカルがおびえた子供たちの器になることは出来るだろう。だが、ヒカルでは
ランティスの器にはなれん。私には、お前自身が、いまは安定を欠いているように見えるからな」
『でも、ランティスもリラックスできるって言ってくれてたのに…。思ってもいないお世辞を言うような人じゃないよ、
ランティスって…』
「ヒカルにその才がないとは言わん。だがあくまでランティスの力に引っ張られてこそのものだろう。あれの意識のない
状態で、ヒカルだけの力では無理だ。それに、ランティスの修行はまだ終わってないぞ。なぜ中止したのかは、聞いて
いるんだろう?ヒカル」
両手の指を組んでぐっと握り締めた掌を額にあてて、心の声を絞り出した。
『クレフに言われなくたって、全部解ってる…!だけど、だからって、いまの自分に出来るかもしれないことをしないまま
東京に帰って、ランティスにもしものことがあったりしたら…、そんなの、そんなの耐えられないよ!軽蔑されるかもしれない。
嫌われちゃうかもしれない。二度と顔も見たくないって言われるかもしれない。それでも…、ランティスが元気で生きていて
くれたら、それだけでいいんだ。やらなかったことを後悔するぐらいなら、やった結果を受け入れるほうがずっとマシだ!』
「ヒカル…。出かけている間に何があったのか知らないが、ランティスがお前を嫌ったりするはずがないだろう?」
穏やかにそう話しかけるクレフに、光は黙したまま答えなかった。それ以上、光が話さないことを悟ると、クレフは静かに
立ち上がった。
「解った。ヒカルの気が済むようにやってみろ。何かあったら、いつでも私を呼ぶがいい」
『うん。ありがと、クレフ』
ドアが閉ざされても、なおしばらくの間、光はランティスの顔をじっと見つめていた。
『顔色、よくないな…。私がもっと早く毒のことに気づいてれば――』
クレフの回復魔法で傷口は塞がったし、これ以上は毒が回ることもない。ただ、すでに回ってしまったものは、魔法では
取り除くことができず日にち薬しかないという。毒消しのヴェロッサはまだ残っていたからそれを使えるだろうと光は思って
いたが、毒を受けてから時間が経っては効果がないのだとプレセアに教えられた。あのときぐずぐず思い悩まずヴェロッサを
使っていれば、ランティスに余計な負担をかけずに済んだのにと光は悔やんでいた。だから、他に出来ることがあるならもう
躊躇うまいと、この部屋に来る前に決めていた。
『どうやってしよう…』
子供たちを相手に図らずもかけた一年半ぶりのメディテーションは、光自身やり方を思い出せず、怯える幼い心を宥める
スキンシップの延長のような形になってしまった。ランティスとしていた頃は、初めは『おでこをコツンとぶつける格好』で、
その後あれこれ試してみたものの、メディテーションの途中でリラックスしてきた光が、そのまま眠りに落ちていくのが
常だったので、『ランティスの膝に乗せてもらって背中を預ける格好』でするようになっていた。よくよく考えてみれば、
どうみたって普通のやり方ではなく、『ランティスによる光だけの為のメディテーション』だった。(普通の神官が迷える民
相手にこんなやり方をしていたら、セクハラどころで済まない問題だろう)思い返してみるにつけ、どれほどランティスが
光のことに心を砕いてくれていたかが解る。だからいまは、自分に出来るすべてでランティスの為に何かしたかった。
とは言え、ずっと特別扱いされていた光には、基本的なやり方もいまひとつよく解っていなかった。
『お昼寝じゃないからもたれるのはダメだし、おでこコツンとするのもこの体勢では無理だし…』
ランティスは子供たちの額に手をかざしていたが、やりつけていない光はそれできちんと出来るのか自信が持てなかった。
『やっぱり実証済みのやり方が確実だよね。ちょっと、お邪魔します』
傷口に当たらないよう、大きなベッドに眠るランティスの左側に光がするりと潜り込む。
『えーっと、これは手当てなんだからね。つっ…!』
誰にともなく言い訳をしながら右腕を枕にしようとして、ランティスが光の二の腕を掴んでいたときの爪痕と青あざになって
しまっている指の跡が疼いた。いまはこの痛みに耐えるのも、あの森でランティスに酷い言葉を投げつけた自分への罰だった。
淡く紫色のひかりを帯びたままの身体の隣に横たわり、光は左腕でそっとランティスを抱きしめた。
『私の声が聞こえる…?ランティスの目が覚めたら、話したいことが…、ううん、話さなくちゃいけないことがたくさんあるんだ。
もう魔法解いても大丈夫なんだよ。早く起きて…。私、まだ、酷いこと言ってごめんなさいって謝ってもいないんだ』
一年半のブランクの為なのか、あの頃ふたりの間のメディテーションが上手くいっていたのはやはりランティスの力あってこその
ものだったのか、光の声はいまだ届かない。
『「ふたりの間のことは城へ帰ってからだ」って言ったじゃない。もうお城に戻ってるんだよ、ランティス』
深く眠ったままのランティスの左肩に光が顔をうずめた。
『お願いだから、もう魔法はやめて。私、ランティスに許してもらえなくても、嫌われても、二度とそばに置いてもらえなくても、
それでもいい。あなたが元気になってくれたら、それだけでいいから…、いまだけ私の声を聞いて…!』
なかなか届けられない想いが、涙の雫になってランティスの肩を濡らしていく。いつもなら、いつものランティスならたとえ
眠っている間でも、光の涙に気づいて優しく抱きしめてくれるのに。もう自分の声ではランティスの心に届かないのだろうか。
『――はじめて逢ったときから、あなたの瞳が気になってたんだ。どうしてかなんて解らない…。噴水のそばでふたりきりで
話したとき、「お前もひとりのとき泣いたんだろう……」って、他の誰でもないランティスが気遣ってくれたのが嬉しかった。
だって、殴られるどころか、兄様の敵討ちに殺されたって、私は文句言える立場じゃなかったから…。ホントはセフィーロに
来るの、凄くつらいこともあるんだ。姫やザガートを殺したときの夢を見た日は特に。でも、ここへ来なければ、私、ランティスにも
逢えなくなっちゃうんだ…。だから…、だから…』
光の左手はぎゅうっとランティスの服の右肩を掴んでいた。
『海ちゃんに「警戒心なさすぎ!」ってよく叱られるけど、私、ランティスに抱きしめてもらうと、すごく安心出来るんだ。私の
罪を知った上で、それでもここにいていいんだって…、生きていていいんだって、ありったけの想いで伝えてくれる気がするから…。
正直言って、それにずいぶん甘えてたなって思う。だけどランティスが許してくれるから、せめて自分の精一杯の力でセフィーロの
ために何かやりたいって、そう思った。でもね…、でもそれは、セフィーロにあなたが、ランティスがいるからなんだ。クレフや
プレセア、他にも大切な人はいるけど、誰もあなたの代わりになんてなれない。あなたがいなくちゃ、どうしていいか判らない…。
お願いだから、私を置いてかないで…』
光自身も心身ともに疲れきっていたので、強烈な睡魔に襲われては、ハッとして頭を振り、眠気にあらがいながらランティスに
語りかけ続けた。ふと気づくと、夜の闇が薄れはじめ、気の早い小鳥が窓の外をよぎっていった。この夜が明けたら、クレフと
ラファーガの事情聴取がある。『形式だけのものだ』とラファーガはいうが、ランティスがこの状態だから光が出来うる限りの
説明をしなければならないだろう。亡くなってしまった子供たちがいるのだから。どうやって彼女たちの親に詫びればいいかも、
いまの光には判らなかった。万が一にも、あの変貌が起きるようなことがあってはならないと、様子見に城へと連れてきた
子供たちを、それぞれの親の待つ村へも送り届けたかった。『ヒカルがそこまでする必要はない』とクレフは言ってくれたが、
知らない顔して帰る割り切りの良さは持ち合わせていなかった。
光は起き上がると、いまだ魔法を解かないランティスの黒い髪をそっと指で梳いた。ふたりでうたた寝をした時、ごくたまに
光が先に目覚めたらそばで見ることが出来た端正な寝顔。いつもと違うのは、外されたままサイドテーブルに置かれている
サークレットと、こんなにも近くにいるのに、抱き寄せてもくれないこと…。やはりクレフが言った通り、意識のないランティスに
メディテーションをかけるには、光では力不足なのだと認めざるを得なかった。小さなノックの音に気づき、ベッドから抜け出した
光がドアを開けた。
『おはよう、クレフ。もう事情聴取始めるの?』
「うむ。お前がトウキョウに帰る時間もあるだろう?…ランティスはまだ解かないようだな」
『クレフが言うように、無駄に足掻いてただけだったよ。クレフの部屋でするのかな?』
「そうだ」
『じゃ、先に行っててくれない?すぐに追いかけるから…』
言葉はさりげないが、懇願するような響きをクレフは感じ取っていた。
「いいだろう」
『ありがとう、クレフ』
閉ざされたドアに、感謝の言葉を告げ、光はベッドに歩み寄った。窓辺から差し込む柔らかい秋の朝陽も、ランティスの
目を覚まさせてはくれない。
『あとひとつだけ、言ってないことがあるんだ…』
ベッドに両手をついて、ランティスの吐息を感じるほどに近づいていく。
『ランティス、好き…』
頬を伝い落ちた涙に濡れたくちびるを、光はそっとランティスのそれに重ねた。それは他の誰にも、そして自分自身にも
言い訳のしようがない、光からランティスへの告白だった。