課外授業  vol.6  〜光の闘い〜 

 

 

 「お姉ちゃん、どこかに行っちゃうの?」

 足を引き摺っている少女が不安げに光を見上げた。

 『いま、不安にさせたら、メディテーションかけた意味がなくなっちゃう』

 そう思った光は、少女ににっこりと笑いかけ、破けかけていた自分の服の右袖を肩口から裂いた。火傷に貼り付けるという

ティアナなら、挫いた部分の熱をとってくれるかもしれないと思いつき、少女の足首に巻きつけてやりながら、きっぱりと言った。

 「大丈夫。どこへも行かないよ。絶対にみんなを護るからね!」

 ランティスを心配してぐずぐず泣いてる時間はない。いまは、光ひとりでなんとか切り抜ける方法を考えなければならないの

だから。助けは呼ばなくてはいけないが、他の者をエクウスが乗せないならどうやって知らせるか…。

 「手紙だ!手紙を書けばいいんだ!」

 グローブの宝玉からルーズリーフとシャープペンシルを取り出して、光は子供たちに声をかけた。

 「魔獣が近づいてきたら、私に教えてね。いい?」

 「うん!」

 子供たちの返事を待って、光はまずエクウスで飛んだ場所の略図から描き始めた。城を出て、草原を越え、沈黙の森を

右に見下ろし、そのあと遠くの左手に見えた赤い稜線を越えて降りた。紅葉のことをクレフに相談したと言っていたから、

それで判ってくれるだろうか…。他に書いておくことは…。

 「お姉ちゃん!怖いのが来たよっ!」

 光が顔を上げると殻円防除のドームを囲うように数匹のヴァイパーが集ってきていた。エスクードの剣を手に取り、光は

すっくと立ち上がった。

 「お前らに構ってる暇なんかないんだっ!どけぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 ランティスが強化したはずの殻円防除の壁を物ともせず、かつてのエメロード姫を思わせる金色のオーラに身を包んだ

光の剣圧がヴァイパーたちを一閃した。光は剣をシャープペンシルに持ち替えると、また手紙を書き始めた。

 『紅葉した森にヴァイパーがたくさんいて、さらわれてた子供たちが八人いる。ランティスがヴァイパーにやられて

怪我してるから早く来て!』

 書き上げた手紙を縦長に折って、エクウスを呼んだ。

 「エクウス、おいで!」

 そう呼ばれて、精獣エクウスは並足で光の許にやってきた。

 「お願いがあるの。あなたの大切な人のために、お城までひとりで戻って欲しいんだ。助けを呼びに、行ってくれる?」

 エクウスは光に鼻先を押しつけて、了承の意を表した。書いた手紙を結びぶみの要領でランティスのサークレットに

結わえつけ、そのサークレットを手綱にしっかりと結びつけた。

 「急いでね、エクウス!」

 光が馬体を軽く叩くと、大きく一声嘶いてエクウスは天空へと駆け上がっていった。エクウスを見送って、光はランティスを

振り返る。苦痛にゆがんだ顔には脂汗が滲んでいた。外に目を向けると、先ほどの光の一撃にたじろいだのか、ヴァイパー

たちは少し遠巻きにこちらの様子を窺っていた。

 「このお兄ちゃんの手当てしてるから、外の様子見ててね!」

 子供たちにそう言い置いて、光はランティスの傷口周りの服をぐっと引き裂いた。

 「酷い…っ」

 魔法騎士として招喚されてから怪我をしたことは数限りなくあったけれど、たいていは風の回復魔法で治してもらって

いたので、傷の手当てなどろくにやったことがなかった。地球の生活ではなおさらだ。せいぜい転んで擦り剥く程度だし、

それ以上なら医者の範疇だった。

 「えっと、切り傷にもティアナだったよね?」

 ぶつぶつ独り言を言いながら、摘み取った薬草の袋を漁り、かたわらに植物図鑑も広げて間違いがないか見比べる。

 『爪や牙に毒があるとも言われてるから不用意に近づくな』

 ティアナを口に入れて咀嚼しようとしたとき、ふと、ランティスの言葉が光の脳裏に蘇った。

 「しまった!この傷、爪にやられてるんだ。毒消しはヴェロッサ…。ティアナとどっちが先?」

 そんな突っ込んだ話まではした記憶がなかったので、光が自分で考えるしかなかった。

 「毒蛇とかに咬まれたら血を吸い出して血清だから、こっちが先だよね。もっと早く気づかなきゃいけなかったのに…っ」

 光はランティスの傷口から血を吸っては吐き出し始めた。傷口に力をかけられた激痛に呻き、無意識に痛みの原因を

振り払おうとしたランティスの右手が、掴んだ光の右腕に爪をくいこませた。

 「いっつっ…!ごめんっ。しばらく我慢して、ランティス!」

 三本の爪が残した傷口の血をひととおり吸い出したとき、少女の叫び声が上がった。

 「お姉ちゃんっ!来るよ!」

 ペッと血を吐き捨てた口許を袖で拭い、エスクードの剣を手にして光が振り向きざまに剣圧を放つ。

 「邪魔をするなっっっ!」

 取り囲むヴァイパーを薙ぎ払うと、水筒に残っていたお茶で口を漱いで吐き出した。

 「ティアナかヴェロッサか…、どっちが先だろ。やっぱり毒消し…?よく考えなきゃ」

 『毒に侵されてない状態で触れるのは良くない。一時的なものだが、麻痺が出る』

 ランティスに言われたことを思い出し、光は懸命に考えた。

 「さっきの口に含んだ血でも毒回るのかな?それならヴェロッサが先でいい。でもそうでなかったら、私まで動けなく

なる…?」

 どの程度まで麻痺するのか聞いておくべきだったと悔やみつつ、光はティアナを掴んで口に放り込んだ。噛み始めてすぐ

光は「うっ!」と口許を両手で押さえて、涙目になった。

 『に、苦い…。どのぐらい噛んだらいいんだろう…』

 とりあえず葉っぱを噛み砕けたと思うまで噛んだところで、はたと光は止まってしまった。

 『…噛み潰したはいいけど、どうやって飲ませよう、コレ…』

 水筒のコップを使おうかと一瞬思ったが、どろりとした口の中の感覚に、それでは流し込めそうにないと諦めた。

 『――えーっと、その、これは手当てなんだから、怒らないでね、ランティス…』

 苦痛で引き結ばれたくちびるに指をかけて、光は口移しで噛み砕いたティアナをランティスに飲ませた。ティアナの

強烈な苦味に顔を背けようとするランティスに、口にティアナを含んだままの光は心で話しかけた。

 『ランティス!お薬なんだから、ちゃんと飲んで!!』

 ランティスがむせてしまわないようにゆっくりと口の中のティアナを飲ませ終えると、また光は新しい葉をガシガシと

しがみ始めた。もう一度ティアナをランティスの口に含ませ、三度目に噛んだものでは傷口を覆った。

 「ティアナの苦味だけでも、味覚は麻痺しちゃいそうだな…」

 「お姉ちゃん、また来たっ!」

 「だから、こっちに来るなぁぁぁぁぁ!」

 ともすれば殺気立って炎を走らせてしまいそうな自分を律しながら、光はヴァイパーの群れを弾き飛ばしていった。

 

 

 自らが招喚したワイバーンの背に乗ったアスコットと導師の精獣・グリフィスの背に乗ったフェリオとラファーガが、

天空を駆ける黒い馬の姿を認めた。

 「あれは…、ランティスの精獣じゃないか?」

 「エクウス!!」

 フェリオが指笛を吹き鳴らして、エクウスの脚を止めた。先代の柱・エメロード姫の形見のピアスを身につけたフェリオ

王子には、それなりの敬意を払っているらしい。

 「手綱に何か結んであるな…」

 ラファーガの指摘に、フェリオが手綱に手を伸ばした。

 「ランティスのサークレットだ。これは文か…?」

 サークレットに結ばれた、細くたたまれた紙をフェリオが広げた。略図のようなものが描かれているのは判るものの、

何を書き込んであるのかはさっぱり見当がつかなかった。

 「これは…、ヒカルが書いたのか!?俺達じゃ何がなんだか解らないぞ!」

 「導師を呼んで、ウミたちに読んでもらおうよ。それを貸して、王子!」

 魔力の高いアスコットが手にすることで、城のクレフにより鮮明なイメージを伝えられるはずだった。

 

 

 セフィーロ城では導師クレフがアスコットからのイメージを受け取って、天井に映し出していた。

 「う、薄いっ」

 「せめてサインペンで書いていただければよかったのですが…」

 遠くから伝えられて揺らいでいるイメージから細いシャープペンシルの文字をなかなか読み取れず、海と風が目を細めている。

 「『紅葉の森』とか書いてない…?ううっ、字がゆらゆら揺れてて気持ち悪いっ」

 「もみじ、ですか?クレフさん、セフィーロにももみじがあるのですか?」

 「モミジ?なんだそれは」

 「人間の赤ちゃんの手のような形の葉を持った木ですわ。この時期になると赤く染まって美しいんですけれど、それは地球の

お話ですし…」

 怪訝な顔をしているクレフと、小首を傾げている風をよそに、海は懸命に天井とにらめっこしていた。

 「違うっ!『の』じゃなくて『した』だわ。もみじした…?あーっ、もみじじゃなくて『こうよう』なんだ!」

 「紅葉した森にいらっしゃるのかしら…。セフィーロにも紅葉の名所がありますの?」

 「コウヨウというのが解らんな」

 クレフの言葉に海と風が顔を見合わせるが、風のほうが先に気づいた。

 「エメロード姫のいらした頃のセフィーロは常春の国だったんですものね。紅葉というのは…」

 

 

 エクウスはフェリオのマントを咥えて、引っ張るしぐさを見せた。

 「俺達を案内できるか?二人はどこにいる?!」

 「サークレットに封じてある魔力がもてばいいんだけど」

 「それでも行けるところまで案内してもらおう。ぐずぐずしている時間はない」

 もと来た方向に駆け出したエクウスを追って、フェリオたちは動きはじめた。

 

 

 森の中ではひかりの壁越しの睨み合いが続いていた。すでに三桁近いヴァイパーを葬り去ったはずなのに、一向に数が

減る気配がない。

 「ホントにどれだけ出てくるんだか…。てぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 さきほどから、近寄ってきたヴァイパーを薙ぎ払っては、ランティスの様子を窺うという繰り返しだった。ティアナだけは

飲ませたものの、いま自分がヴェロッサを口にしていいものかどうかの判断を光はまだつけかねていた。麻痺が出ようと

なんだろうと、それでランティスを救えるものなら光に躊躇うことはない。ただ、いまは子供たちを護ることをまず考えなければ

ならなかった。

 「ランティスは私をエクウスで行かせるつもりだったんだから、私はここにいない計算だったはずだ。殻円防除で護りきれるって

こと…?」

 ランティスが意識を失っているにもかかわらず殻円防除が解けないのは、彼が唱えていた長い呪文のおかげなのだろうと

光は見当をつけた。いまもランティスの身体は薄紫のひかりのヴェールで包まれたままだったが、明らかに顔色は悪くなって

きていた。

 「やっぱりヴェロッサも使わなきゃダメかな…。ランティスがそうやって護ってくれるなら、私がランティスを――」

 光はヴェロッサを手に取ると、むしり取った葉を口に放り込んだ。噛み始めた光はティアナのとき以上に目を白黒させていた。

 『か、辛いっ!激辛っっ!こんな辛いもの、傷口につけていいのか、ホントに…』

辛いものが嫌いな光には比喩ではなく涙が出てくるような辛さだった。急いで噛み砕こうとして、口の中を噛んでしまい、

その傷口に沁みて光はじたばたしていた。

 『ちょっと血の味がしちゃうかな…』

 光はランティスに覆いかぶさるようにして、今度はヴェロッサをゆっくり口に含ませた。

 『辛いと思うけど、我慢してね、ランティス』

 新しいヴェロッサを噛み砕きながら、次に来るときは絶対に乳鉢と乳棒を持参しようと心に誓う光だった。

 

 

 「お前たちの言うコウヨウなのかどうか判らんが、あの方向にあるエルグランドの森でこの時期赤や黄色に葉の色が

変わってしまう木が多くあると、ランティスが言っていたな…」

 風に紅葉の説明を聞いたクレフが思案顔でつぶやいた。相変わらず天井に映し出されている光の手紙を読み取るのに

専念していた海が、やっとの思いでいくつかの文字列を判読した。

 「『ヴァイパーがたくさん』…、『子供…八人』…。子供って、行方不明になってるって報告が入ってる子供のこと…?」

 「ヴァイパーだと!?本当にそう書いてあるのか?」

 大きな声を出したクレフに気圧されながら、海が頷いた。

 「そう読めたわ」

 「本当にあんなものがいたのか…」

 苦い表情を浮かべたクレフが、エルグランドの森の方向へ向かいつつある三人に、古い文献の話を『声』にのせて届けた。

 

 

 森の中、それも山の端近くの森ともなれば日暮れも早い。迫りつつある夕闇に、不安げな表情になっている子供たちに、

もっと近くに来るようにと光は声をかけようとした。

 「こっちにおいで」

 そう言ったつもりが、まったく声にならなかった。酷く風邪をこじらせてしまって声が出なくなった時のように、空気が喉の

奥で空回りしていた。

 ≪あれ?なんで声が出ないの??みんな、もっと近くにおいで!!≫

 声を張り上げて言ったつもりが、少しも声にならず、ただ咳き込んでしまっただけだった。咳き込んだ挙句に喉が切れて

しまったような痛みを感じ、口許を押さえていた手には血さえついていた。咳き込んでいるのに気づいて、姉を喪った少女が

心配そうに光のそばにやって来て言った。

 「お姉ちゃん、さっきヴェロッサ噛んでたでしょ?しばらく、お話出来ないと思うよ?」

 『あ、それで…。声帯が麻痺したのかな…。まぁ、この状況下で手足が麻痺するよりマシか…』

 エスクードの剣を握りなおしながら光がひとりごちた時、外のヴァイパーたちがガサガサと動き始めた。

 『また来るのか!?…あれ、数が減っていってる?』

 大勢の人の気配を感じた獣が逃げていくように、ひかりのドームを囲むヴァイパーたちが姿を消していった。外を凝視する

光の目の前に、夕闇に紛れてしまいそうな漆黒の精獣が蹄の音を鳴らして駆け降りてきた。

 『エクウス!?』

 殻円防除のひかりのドームにゆっくりと入って光の前までくると、エクウスの姿は掻き消え、ランティスのサークレットが

光の手の中に落ちた。それと同時に三人の男たちが森に降り立った。

 「ランティス!ヒカル!無事かっ!?」

 『ラファーガ!フェリオ!アスコット!来てくれたんだね!ランティス、もう魔法を解いても大丈夫だよ!』

 たとえ声にならなくても、光はそう伝えたかった。それでもまだ殻円防除のドームは消えなかった。招喚士に従っていても、

魔獣はその壁を通れないので、アスコットはその外で呼べるだけの飛べる魔獣を招喚していた。ラファーガやフェリオが

手分けして子供たちを魔獣の背に乗せていく。最後に残っていた少女が、ランティスに寄り添う光のそばにやってきた。

 「お兄ちゃん、大丈夫だよね…?」

 声に出せない光は、少女をしっかりと抱きしめて心に語りかけた。

 『大丈夫。すっごく強い人なんだもん。きっとすぐに元気になるから、心配しなくていいよ』

 「お姉ちゃんもありがとう」

 駆けていく少女の後姿に、光は目一杯手を振った。子供たちを魔獣に乗せ終わると、ラファーガとアスコットがランティスの

そばにやってきた。

 「こんな状態でまだ魔法をかけ続けてるのか、こいつは」

 多少呆れているように聞こえなくもないラファーガの言葉に、光は声が出ないのも忘れて抗議した。

 ≪ランティスがこうしてくれてるから、私たち持ちこたえられたんだ!酷いこと言わないで!≫

 声が出る代わりに咳ばかりが出てむせ返る光の背を、近づいてきたフェリオがさすってやった。

 「ヒカル、いま話せないんだって?無理に声を出そうとせず、心で話せばいい。多分、聞き取ってやれると思うから」

 「それにしても、なんでランティスの意識がないのに魔法が解けないの?」

 『私の聞いたことのない言葉で、長い呪文唱えてた…。身体が薄紫のひかりに包まれてるでしょ?なにか無理なこと

してるんじゃないかな…』

 不思議そうなアスコットに、光が心配げに答えた。

 「導師の精獣で来ててよかった。殻円防除を解けないんじゃ魔獣に乗せるのは無理だからね」

 力のあるラファーガと上背のあるアスコットが、ぐったりとしたランティスを左右から肩を入れて抱え上げる。フェリオの手を

借りて、まず光がグリフィスに乗り、その背中におぶさるようにランティスが乗せられた。

 「ヒカル、潰れてない?」

 『大丈夫だよ。ちゃんとランティス支えられるから』

 自分の身体に回されたランティスの両腕をしっかりと掴んで、光がアスコットに答えた。ランティスの背後に乗ったラ

ファーガが、フェリオとアスコットに合図する。

 「城へ戻るぞ!」

 グリフィスを先頭にした救出部隊が、エルグランドの森から飛び立っていった。

 

 

 

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ワイバーン…アスコットの招喚獣。鷲のような上半身の鳥人。ボクスホールワイバーンより

グリフィス…クレフの精獣。頭が鷲、翼もつ獅子(地球でいうところのグリフォン)。TVRグリフィスより

エルグランドの森…ここ数年、「紅葉」や「黄葉」が見られるようになった辺境の森。日産エルグランドより