課外授業  vol.5  〜ふたりの戦い〜 

 

 

 『美味しくいただかれそうになっていた』三人をまず奪還して、大柄なランティスでは立ったまま入れない天井の低い洞には

光が切り込んでいった。狭い洞ではエスクードの剣を振るうのも一苦労だが、魔法を使えない以上贅沢は言えなかった。

光の動きに合わせて、少しずつ洞の奥へとランティスが殻円防除の範囲を広げてきていたので、無理な体勢でガードが

甘くなってもなんとかやられずにすんでいた。片っ端から祝祭の贄を横取りしていく乱入者二人に、怒り狂ったヴァイパー

たちが次々襲い掛かってくる。

 「炎見せなくても充分エキサイトしてるよなぁ…」

 向かってくるヴァイパーを倒しながら、光はひとりごちる。奥へ奥へと走り込んでいくと、いきなり天井の高い空間に行き当たった。

 「「ギギギッ!」」

 真正面にいたと思った数匹のヴァイパーが不意に姿を消した。「えっ?!」と思った次の瞬間、光は真上にぞくっとするような

殺気を覚えた。頭上に湧き出た四匹のヴァイパーの攻撃を地面に身を投げ出すようにしてかわし、その勢いで一回転して立ち

上がると、一呼吸置いてから大きく剣を横に薙ぎ払った。

 「たぁぁぁぁっ!」

 剣圧に炎を乗せないように、光は慎重に気合いをコントロールしていた。他に潜んでいるヴァイパーがいないかを見回し、

ほうっと息をついて足を蔓のような物で縛られたまま気を失っている十歳ぐらいの二人の少女を揺さぶり起こした。

 「大丈夫か!?しっかりするんだ!」

 二人は意識を取り戻したものの、ぼんやりと視線をさ迷わせていた。

 「もう心配いらないよ。ちゃんとお家に帰してあげるからね。立てる?」

 安堵の表情を浮かべるでもなく、泣き出すでもなく、少女たちは揃って首筋の小さな傷を押さえながら光の指示に従った。

少女たちを連れてランティスの許に戻ると、子供は八人に増えていた。光が洞を攻略している間に、ランティスが取り返した

ようだ。

 「ランティス!中で二人見つけたよ」

 「あぁ、怪我はないか?」

 光が連れて戻った二人の少女の纏う空気が、何故かほんの一瞬だけランティスの神経に触ったが、外で護っていた少女の

一人が「お姉ちゃん!」と縋りついていったことで、それは霧消していった。

 「うん、大丈夫みたい。でも凄く怖かったみたいで、泣きもしないんだ、この子達…」

 「俺はお前のことを聞いたつもりなんだが」

 他人のことばかり気遣う光に、こんな状況だというのにランティスは苦笑してしまった。

 「私は大丈夫だよ。だってランティスがずっと殻円防除で護ってくれていたもの。ランティスのほうこそ、ずっと魔法かけた

ままで、つらくない?」

 「解く訳にもいかないからな」

 本来の殻円防除は、攻撃あるいは衝撃を受ける瞬間だけ張り巡らせるものだ。かつてクレフがセフィーロ城を覆っていた時も、

戦艦接近時などに限られていた。そのクレフは魔法に専念していたし、人並み外れた魔法力と剣術を備えている魔法剣士と

いえど、延々と魔法をかけたまま戦い続けられるものではなかった。

 多少でも解ければランティスの負担は飛躍的に軽くなるが、試しに一度解いてみたら、脅えた子供達の恐怖心が魔物を

生み出してしまい、それの始末に手がかかってしまった。いずれにせよ十人もの子供達をエクウスでは連れ帰れない。

アスコットの魔獣の手を借りようと、ずっと城のクレフに呼びかけを続けているのに、答えは少しも返ってこなかった。これだけの

子供達が姿を消していれば、当然どこかから城へ連絡が入っているはずだが、それをヴァイパーと結びつけて考える者が居るか

どうかはランティスにも疑問だった。

 某かの理由で『声』が届かないなら、直接呼びに戻るしかない。精獣とはいえエクウスはかなり気性が荒く、ランティス以外の

者に大人しく触られているのは光だけだった。

 「ヒカル、お前、ひとりで馬に乗れるか?」

 「乗馬公園で係のお兄さんが引っ張る馬に跨がったことしかないよっ!やぁぁぁぁっ!!」

 殻円防除のひかりのドームに近づいてくる数匹のヴァイパーを、ドームから半歩踏み出し剣圧で薙ぎ払いながら光が答える。

 「出来なくてもやってもらう。エクウスで城に戻って、アスコットたちを呼んでくるんだ。はぁっ!」

 ランティスの放つ剣圧は殻円防除越しでも勢いを削がれることなく、十数匹まとめてヴァイパーを葬り去った。

 「ランティスたちを置いてくなんて、そんなこと出来ないっ!」

 冗談じゃないとばかりに、光はいやいやと首を振った。

 「ずっと導師を呼んでいるが『声』が城に届かない。あとどれだけヴァイパーがいるかも判らないのに、いつまでも持久戦をやる

訳にはいかないだろう!?精獣招喚!!」

 殻円防除のドームを押し広げて、ランティスはエクウスを招喚した。

 「イヤだったら、絶対にイヤだっ!」

 「きゃぁぁぁっっ!」

 「お姉ちゃんっ!?」

 ランティスに突っかかる光の声に、二つの悲鳴が重なった。いきなり間近に感じた魔獣の気配に剣を構え直したランティスと

光は、信じられないものを目の当たりにした。そこにいたのは、光が洞から助け出した二人の少女のはずだった。少なくとも、

それは彼女達の着ていた服の切れ端を纏っていた。けれども背中から生えたコウモリのような羽根も、青黒い鱗のようなものに

覆われた全身も、顔立ちさえもヴァイパーに他ならなかった。

 「『繁殖に使う』とは、そういうことか…っ」

 苦々しく吐き捨てるように呟くと、かつての妹に牙を立てようとしているヴァイパーの右の羽根と、もう一匹の左の羽根を

がっしり掴み、ハンマー投げの要領で殻円防除の壁へと叩きつけた。

 「お姉ちゃんが…、お姉ちゃんがぁ」

 光が襲われかけていた少女に駆け寄りしっかりと抱きしめてやる。

 「怪我はない?」

 「お姉ちゃんたち、首に怪我してたの。『大丈夫?』って聞いたのに、返事してくれなくて。首、押さえてたと思ったら、羽根っ、

羽根が出てきて、身体が黒くなってきて…っ。うわぁぁぁぁぁぁん」

 目の前で姉の異形への変貌を見てしまった少女の悲痛な泣き声が、連鎖反応的に子供たちの不安を煽り、殻円防除の

ドーム内に次々魔物を生み出していく。

 「くっ!」

 手当たり次第にランティスは魔物を無に帰していくが、子供たちが落ち着かないことにはただのいたちごっこだった。

 「泣いちゃダメだ!!泣いたらもっと魔物が出てきちゃうんだよ!!みんなは、私たちが絶対に護る!だから泣かないでっ!」

 どんなに光が言葉を尽くしても、まだ幼い子供たちをそう簡単には宥めることは出来なかった。それでもこれ以上子供たちを

失うわけにはいかない二人は、際限なく現れる魔物を倒し続けるしかなかった。

 「…これではヒカルを行かせるどころの話じゃない。どうすれば…?――ヒカル!」

 「はいっ!?」

 ようやく落ち着いてきた少女を左腕に抱きながら、魔物を切り捨てた光がランティスを振り返った。

 「子供たちにメディテーションをかけて落ち着かせるんだ」

 「私、まだランティスとしかやったことないんだよ!?」

 「言葉が届かないなら、心で話すしかないだろう?その子には、ちゃんと出来てるじゃないか」

 ランティスの優しい視線の先には、姉を目の前で喪ってしまった少女の姿があった。

 「そうか…。そうだよね。解った!」

 ランティスは左手を子供の額にかざし、不安におののく幼い心に語りかける一方で、右手で剣を振るっては魔物を消し

去っていた。そんな器用な芸当の出来ない光は、一人ずつをぎゅっと抱きしめながら、『必ず護るから!』と懸命に訴えかけて

いった。

 一人、また一人と宥めてようやく魔物の出現が落ち着き、あとに残った問題はあの二匹だった。二人の少女だったモノは、

その気配が完全に魔獣のそれに変わっていた。「容赦はしない」と言った光でも、あの二匹を手に掛けることは決して出来ない

だろうとランティスには解っていた。だから自分が――そう思った刹那、殻円防除の壁に叩きつけられて横たわっていた

ヴァイパーがむくりと起き上がった。一匹は執拗にかつての妹を獲物と見据え、もう一匹は足を挫いている少女を胸に

抱きこんでメディテーションをかけている光を獲物と狙っていた。ランティスが二匹まとめて一気に剣圧で薙ぎ払うには、

位置関係が悪すぎた。

 「ヒカルっ!来るぞ!!」

 走りながらそう声をかけたものの、光がそのヴァイパーに手を出せるとは思わなかった。せめて身をかわしてくれればいい、

そう願っていたランティスだったが、かけ慣れないメディテーションに力を入れすぎていた光はもうふらふらで、すぐには動く

ことが出来なかった。それでも、そのままいけば何とか間に合うと思っていたランティスの予測は見事に覆されてしまった。

妹をつけ狙うヴァイパーが異空間を通って一気に距離を詰めたので、ランティスはもう剣を投げつけることでしかそれを

阻めなかった。かつては少女だったヴァイパーの断末魔の悲鳴に下くちびるを噛み締めながら、今、腕の中にいる少女を

護るために、自分に向かってくるヴァイパーを剣で刺し貫いたはずの光の身体が目標を失って泳いだ。

 「消えたっ!?」

 「ヒカルっ!!」

 横飛びでヴァイパーを見失った光と少女を左腕に抱いてその場を離れようとしたランティスの右脇腹を、光の背後を狙いに

きたヴァイパーの鉤爪が深く切り裂いた。「くは…っ」という呻き声とともに、光を抱いていた左腕が緩み、ランティスはそのまま

左肩から地面に倒れこんだ。何が起こったのかを光は一瞬で悟ったが、何が起こったのかは信じたくなかった。胸に抱いた

少女の目にかつては人間だった魔獣の最期が映らないようしっかりと抱きしめ、剣を逆手に持った光が今度こそヴァイパーを

刺し貫いた。背後でどさりと倒れる音を聞き届けてから、光はランティスに駆け寄った。

 「ランティスっ!ランティス、しっかりして!」

 「ヒカ…ル、怪我は…ない、か?」

 「怪我してるのはランティスのほうじゃないかっ!」

 「け…ん。俺の、剣を…」

 光がランティスの剣を探して視線を上げると、姉を喪った少女がおずおずと捧げ持って来ていた。

 「ありがとう。はい、ランティスの剣だよ」

 ランティスは右手で傷口を押さえていたので、光は左手に剣を握らせてやった。

 「サーク…レット、外して…くれ」

 いままでランティスが金色のサークレットを外したところなど見たことがない光は不安げに問い返す。

 「何するの?ランティス」

 「いいから、外…せっ」

 ほんの少しだけ癖のある黒髪に埋もれた金色のサークレットを、光はそっと外してランティスに見せた。

 「外したよ。これ、どうするの?」

 剣を握り締めたままの左手を上げて、サークレットを持った光の手をぐっと押しやった。

 「それ…持って、エク…スで、戻れ。魔力…封じて…るから、城まで…、持つ…」

 「ばか言わないで!帰れるわけないよ!」

 「殻円…除、もたせるか…ら、行け」

 胸の前で魔法剣を握り直すと、光の知らない言葉がランティスの口から紡がれはじめた。

 「何言ってるの…?ランティス!?」

 光の声に答えることなく、苦しい息の下でランティスは一心に何かの呪文を唱えていた。長い呪文を唱え終わると、

ランティスの身体が淡い紫色のヴェールに包まれたようにぼうっとひかり、殻円防除のひかりのドームは一段とくっきりとした。

 「早く、行け、ヒカ…ル」

 そのままランティスは意識を失った。

 「ランティス!?ランティスーーーーーーーーっ!!」

 光の絶叫が殻円防除をも通り抜け、セフィーロの空に響き渡った。

 

 

 「光!?」

 「光さんっ?」

 「ヒカル?!」

 光の悲痛な叫びは、セフィーロ城で絵地図を前にしていた海、風、クレフにも届いていた。

 「ランティスに、何かあったな…。どちらのほうから聞こえた?ウミ、フウ」

 「多分…」

 「こちらの方向ではなかったかと…」

 海と風が指さしたのは、まるで空白地帯のように赤い印が全くない方向だった。

 「事件が起こらなかったのではなく、報告が届かなかった、ということか?」

 呻くようなフェリオ王子に、クレフが頷いた。

 「考えられますね。どの道他に事件の手がかりもない。ラファーガ、アスコットとともにその方向を当たってくれ」

 「判りました。いくぞアスコット」

 「待って、私も行く!」

 「私も、参りますわ」

 口々にそう言った海と風をクレフが止めた。

 「お前達はダメだ!」

 「どうしてよ!?捜索隊は多いほうがいいに決まってるでしょ!」

 「女の子ばかりが姿を消してるというのに、お前達を出せるか!?」

 「ですけど…」

 振り返ったアスコットが海の顔をじっと見つめた。

 「ウミ、ヒカルはきっと僕らが見つけてくる。だからお茶の用意でもしておいてあげなよ」

 「アスコット…」

 「そういうことだから、フウも城にいるんだ。お前の代わりに俺が行ってくる。男の俺は問題ありませんね、導師?」

 「フェリオ!?」

 「王子!?別の意味で問題がありますが…!」

 揚げ足を取られたようなクレフがこめかみをひくつかせながら、フェリオに苦言を呈した。

 「もし、ランティスになにかあったのなら、早く見つけてやらなきゃならないでしょう?」

 フェリオの真剣なまなざしに押されて、クレフのほうが折れた。

 「判りました。くれぐれもお気をつけて…」

 足早に出て行く三人を、残された人々は不安げに見送った。

 

 

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