課外授業  vol.4  〜祝祭の庭〜 

 

 

 川べりの木にもたれかかったまま光の不安定さに思いを巡らせていたランティスが、いきなり降ってわいたように近くまで

迫っている複数の魔獣の気配を察知した。

 「なんだこいつらは…?くっ、どうしてこんなに近づくまで気づかなかった…!」

 「ギィィッ、ギィャァーーー!」

 「お母さーんっ!」

 「ギギギギッ」

 「うわぁぁぁん…」

 生い茂る木々の葉に隠されてなかなかはっきりと姿を確認出来ないが、森の上を群れ飛ぶ魔獣の羽音と、小さな女の子の

叫び声が聞こえた。ほんの一瞬だけ見えた魔獣の姿に、ランティスは愕然とした。

 「あれは、ヴァイパー?…この森で『祝祭』を始めるつもりか?まずい、向こうにはヒカルが…!」

 光が居る森の奥へと、ランティスは猛然と駆け出した。これほど近づいてくるまでランティスが魔獣の気配に気づけなかった

事実が、その予想の正しさを裏付けていた…。

 

 気味の悪い獣の鳴き声と子供達の泣き声は、光の耳にも届いていた。

 「なに、今の声、空から聞こえた…?」

見上げてみても、木々の葉に遮られて何者の姿も捉えられない。それでも戦いを越えてきた戦士としての勘が、光に異常

事態を知らせていた。右手をグローブの宝玉に触れると、立ちのぼる炎の中からひとふりの剣が現れる。

 「獣と…、確かに人間の子供の声がした。捜さなきゃ!」

 どうしてこんな時にランティスから離れてしまったんだろうと下くちびるを噛み締めながら、ランティスのところに戻る術を

知らない光はひとりで動きはじめた。

 

 しばらく立ち止まっていた光の気配が強い闘気を帯びて動きはじめたことに、ランティスは焦っていた。

 「ヒカルも気づいたか…。あれは性質(たち)が悪い。ひとりでは行くな」

 よりにもよってこんなところで光をひとりにした己の迂闊さを、ランティスは激しく後悔していた。

 

 獣の声が聞こえた方向を追いながら、見上げた空に一瞬よぎった影を頼りに光は動いた。確実に魔の気配を読めない

光でさえざわざわと肌が粟立つような嫌な空気が、森の奥の岩山の山裾辺りから漂ってきていた。なるべく気配を殺して

少しずつその方向へ動いていた光の目に、山裾に降り立つ数匹の異形の姿が映った。

 「絵本で見たガーゴイルみたい…。数が多いな」

 子供達がさらわれている以上、「魔物はともかく、魔獣は生き物だから殺したくない」などという甘い考えを通せないのは、

光にも解っていた。ただ、倒すにしても囚われている子供の数も多いので、下手にひとりで飛び込んでも全員を助け出せる

勝算が見えなかった。

 「ランティス、来てくれるだろうか。…あんなに酷いこと言っといて、私、勝手だな」

 たとえセフィーロの辺境へ視察に出ていても、光たちが城に来た気配は判ると言っていたランティスなら、森の中で離れて

しまった自分を気配で追ってくれるはず――そう思って、敢えてランティスを捜さず、獣を追うことに決めたのだ。

 「気づいてなかったら、『ひとりにして!』って、私が言ったから来ないかもしれない。もしランティスが来なくても…!」

 泣き叫ぶ子供達の声に、手が白くなるほどエスクードの剣を握りしめて一歩を踏み出した時、不意に背後から抱きすくめられ、

悲鳴を上げかけた口を大きな手で一瞬だけ塞がれた。

 「後ろの注意ががら空きだ、ヒカル」

 全力疾走で駆けてきたランティスの激しい鼓動を背中に感じながら、光は涙が溢れそうだった。

 「だって…」

 「とにかくちょっと待て。話しておくことがある」

 ランティスから身体を離して、光は信じられないという表情をしてランティスに食ってかかった。

 「まさか『獣の子供が飢えるから手を出すな』なんて言うんじゃないよね?!」

 あまりといえばあまりな光の言葉にランティスの右手が上がり、ぶたれるだけの暴言を吐いた自覚のある光はギュッと

目を閉じ、歯を食いしばった。「なぐってくれてもいい!」と光に言われたときでさえ上げなかった手を、自分のものではない

異物であるような目で見遣ったあと、ランティスはぐっと拳を作ると左の掌に打ちつけた。自分の頬が打たれたのではない

乾いた音に、光は驚いたように目を見開いた。どうしてまたあんなに酷い言葉をランティスに投げつけたんだろうと、光は

自己嫌悪に陥っていた。そんな思いがありありと見て取れる光の表情を、ランティスは痛ましげに見つめていたが、片膝を

つくと、厳しい顔つきで光の両の二の腕を強く掴んで揺さぶった。

 「ランティス…?」

 「いいか、ヒカル。俺とお前の間の話は城に帰ってからだ。子供達を助けたいなら、今はこちらに集中してくれ」

 怖いほど真剣なランティスに気圧されて、光はこくんと頷いた。

 「あの魔獣はおそらく、ヴァイパーと呼ばれているものだ。俺も文献でしか知らないし、文献でもその実在さえ怪しまれて

いた代物だ。以前話した時、導師も実物は知らないと仰っていた」

 「クレフでも知らないんだ」

 「とりあえず文献の話だけでもヒカルに伝えておく。普段は異空間に住んでいるが、繁殖期を迎える何百年かに一度、

大挙してこちらの世界に出てきて、子供を…特に女の子を好んでさらっていくらしい」

 「どうして…?」

 「繁殖前の栄養源に食っているという説が一般的だが、…」

 視線をそらして続きを言い淀んでいるランティスを、光が促した。

 「他にも、あるの?」

 「繁殖そのものに使ってる、とも言われている。それを『祝祭』なんて名付けたやつの気が知れないが。だから、ヒカル

自身も危ないんだ」

 「…解った。美味しくいただかれちゃうのは嫌だから、容赦なくいくよ」

 光の表現を複雑な表情で聞きながら、ランティスが話を続けた。

 「それから攻性魔法はダメだ」

 「コウセイ?」

 「あぁ、攻撃と読み替えていい。俺が使う雷属性以上に、ヒカルの炎は厳禁だ。命中した個体は倒せても、残った

やつらが興奮して狂暴化したら始末に負えん。だから剣の扱いにも注意しろ」

 「え…?」

 「お前のエスクードの剣は炎を発することが出来るだろう?確実にコントロール出来るか?」

 「気合い入り過ぎないように、冷静にいかなきゃダメってことだね。やるよ」

 「それと爪や牙に毒があるとも言われてるから不用意に近づくな」

 次から次へと手を封じられて、光は困惑した。

 「魔法厳禁で、近づいちゃダメって…」

 「炎を伴わない剣圧で薙ぎ払えばいい」

 「あっさり言うね。ラファーガと戦うほうが、打ち合えるだけマシだったな…」

 「泣き言はあとだ。子供達を助けたら殻円防除で囲い込んでいくから、ヒカルもあまり離れないでくれ。城を覆うように

大きく広げることは出来るが、複数の同時展開は出来ない。下手に広げると魔獣ごと囲い込むことになる」

 「了解」

 「これは私見だが…」

 「まだ何かあるの?」

 「あとひとつだけな。やつらの知能程度が解らないが、異空間から出て来てるってことは、どこから現れるか判らない

ような攻撃の可能性も頭に入れておけ」

 「さっきの私みたいに、見えないところの注意がお留守じゃダメってことだね」

 「何か聞きたいことは?」

 「大丈夫、ちゃんとやれるよ」

 ランティスは光の肩をぐっと抱き寄せ、低くささやいた。

 「まず右側で捕まってる三人を助けて、岩山の洞の中を確認する。いいな?」

 「うん!」

 腰から引き抜いた魔法剣に青白い刃を煌めかせたランティスと、凛としたひかりを帯びたエスクードの剣を握りしめた光は、

魔獣たちの祝祭の庭に飛び込んでいった。

 

 

 光が柱になり、そしてその座を降りたあと、セフィーロは少しずつ国土を回復していった。先代の柱・エメロード姫の消滅に

よる世界の崩壊と三国との戦いの間セフィーロ城に避難していた人々は、みなそれまで住んでいた場所を失ってしまったので、

それぞれが新天地での仕切直しを余儀なくされていた。人々は地球でいうところの開拓団のように四方へ散らばっていった

ので、各地と城との連絡役兼相談役として魔導師が同行していた。

 辺境に近いいくつかの村の魔導師から、導師クレフに事件を知らせる呼びかけが多数入って、城内もにわかに慌ただしく

なった。風と二人、城下町でお忍びデートを楽しんでいたフェリオ王子や、海を伴い果樹園の収穫を手伝っていたアスコットも、

怒鳴りつけるようなクレフの『声』に急いで城へと戻った。

 広間に全員が集まったことを確認して、クレフがセフィーロの絵地図を天井に映し出した。地図の上に赤い印がぽつぽつと

点っていく。

 「昼を過ぎたころから、赤い印の村から『子供がいなくなった』と連絡が入りはじめた」

 「まだ日暮れ前ですから、遊びに夢中なのではありませんか?」

 小首を傾げた風に、クレフが答えた。

 「男の子ならありがちな話だが、姿を消したのが女の子ばかりというのが気掛かりでな」

 「そやなぁ。男の子が一緒やったら、ちょい羽目外して冒険もするやろけど、女の子ばっかりで、っちゅうんは、あんまり

聞かへんわな」

 カルディナの話を聞いた海は、形の良い眉を潜めた。

 「セフィーロにひとさらいが居るってこと?さらってどこかに売り飛ばすの?」

 恐ろしく物騒なことをサラリと口にした海に、ラファーガが目を剥いた。

 「それはセフィーロの民に対する侮辱か?!」

 剣を抜きかねない剣幕に押され、海は「降参」とばかりに両手を挙げる。

 「情けないけど、地球じゃありえない話じゃないんだもの。もちろん国外犯も考えられるわ。結界はないんだし、誰だって

出入り自由でしょ?…でも三国の人を疑うのも、ね…」

 「人であればまだいいのだが。ただ、ひとりだけ『怖いのが、お姉ちゃん連れて飛んでった』と話しているらしいのが

気になる。幼い子の言うことなので、どこまで正確か判らんが…」

 「それは、魔物ということでしょうか」

 不安げな風に、難しい顔をしたアスコットが答えた。

 「魔獣ってこともありえるよ…」

 「みんながみんな人間と仲良くしてくれる訳じゃないのね」

 多くの魔獣たちと心通わせているアスコットの気持ちを慮って、海が優しく声を掛けた。

 「『薬草摘みは遠出になる』って言ってたけど、事件とは方向が違うのかしら?ランティスやヒカルまで『声』は届いて

ないんでしょうか?」

 プレセアの疑問にクレフが顔をしかめた。

 「ヒカルはともかく、ランティスに聞こえないはずはない」

 「あいつはこの非常時に何をやってるんだ…。外でも結界張ってるんじゃなかろうな?」

 苦虫を噛み潰したような表情のラファーガに、クレフはゆっくりと首を横に振った。

 「たとえ結界の中に居ても、呼びかけられれば術者自身は気づくものだ。それにヒカルと二人きりでいるのに結界を

張る意味がなかろう?」

 

 

 クレフの『声』は、セフィーロから異空間へ飛ぶヴァイパーに引きずられて消えてゆき、ランティスたちには届かなかった。

もっとも、その頃の二人には、とてもその場に居ない他人の呼びかけに構っている余裕などありはしなかった。

 

 

 

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ヴァイパー…地球の想像上の怪物・ガーゴイルに似た魔獣。ダッジ・ヴァイパーより