星に願いを
RRRRRRR……!!
いまどき古風なベル式の目覚ましの音が母屋中に響き渡る。襖仕切りの純日本家屋の獅堂家は
各個室の防音性に著しく劣っていた。
「ひかるぅ!さっさとそのやかましいの止めてくれよぉ。二日酔いの頭にに堪(こた)えんだからさ…」
妹とはいえ年頃の娘の部屋の扉は本人の許しなく開けぬよう長兄に申しつけられている翔が
襖越しに唸っていた。
『ご、ごめんなさいっ!翔兄様!!いま止めるから!!』
止めるというよりはたき飛ばす勢いだったらしく、光の部屋からは時計が転がるような音がしている。
ようやく静寂を取り戻した室内に、翔が声をかけた。
「二度寝すんなよ。七夕イベントあるんだろ、保育園」
『うん、大丈夫。ありがとう、翔兄様…』
いつもの光なら目覚ましが鳴り響く前にたいてい起床しているし、礼を言うなら襖から顔ぐらいは
出すのにと思いつつ、グワングワンと脳内で釣鐘が撞(つ)かれるが如き頭痛に耐えかねて、ヨロヨロと
自分の部屋へと戻っていった。
しっかり止めた目覚まし時計を抱えたまま布団で起き上がった光は、思いつめた顔して宙の一点を
見つめていた。
「…セフィーロを救ったらもうお払い箱なんて……ランティスと手も繋げなかったなんて、そんなの
悪い夢だよね……?」
他の誰がいるでない部屋で、光は自問自答していた。
壁に飾られた大きなパネルを見遣る。あれは高校三年生に上がる春休み…。城下町の元城付き
絵師の家族が保管していたランティスの絵を見せてもらったことがあり、これはそのレプリカだった。
本来ならばその絵は魔法剣士の認承式に華を添えるはずたったが、儀式の直前にランティスの
精獣が替わってしまったがためにお蔵入りになったのだと聞いた。差し上げましょうとの申し出を
受けたが、壊滅的な崩壊を経たセフィーロにとっては数少ない文化財のひとつだろうと思えたので、
あちらの世界の人たちの手の届く場所に置いておこうとそのまま保管をお願いした。
「手も繋げずに帰って来たなら、あんな絵をもらえるはずないんだもの…」
光がランティスと連れ立って城下町を訪れているのを知った上で、持ち主はあの絵の存在を教えて
くれたのだから。
セフィーロではなんら違和感の無い剣士然とした姿に、部屋の蛍光灯を取り替えにきた優が『これ、
何のゲームのポスター?タイトルも入ってないじゃないか…。あー、ひょっとしてこいつ、レイヤーとか
いうヤツか?!ペガサスまで仕立てるとはハンパねぇ情熱だよなぁ…』と、まるで見当違いな感想を
述べていた。だが、きっとそれが東京で暮らす者たちの普通の感覚なのだろう。
「海ちゃんと風ちゃんと…、三人一緒に戦ったんだから…」
それすら妄想だったような心細さに囚われて、携帯電話の電話帳をチェックする。
「【う】…海ちゃん、【ふ】…風ちゃん、ほら、ちゃんとある」
電話をかけて確かめたい衝動にかられたが、ここ数日は二人とも海外に行ってるんだったなと思い
とどまった。時差をものともせず架電するほどの緊急性もない。思わせぶりなメールを送ったりしたら
余計な心配をさせるのがオチだ。
「夢なんかじゃない…よね」
ちょっと夢見が悪かったぐらいで何をぐらついているんだと、両頬をピシャリと叩いて掛け布団を
はねのける。シンプルなデザインのドレッサーの小引き出しを開けて、風のイタリア土産にもらった
ベネツィアングラスのムリーネ細工のジュエリーボックスをそっと開いた。
「ほら、ちゃんとあるじゃない。ランティスにもらった星のブレスレット…」
あれは高校二年の夏…十七歳の誕生日とインターハイ二連覇の祝いにと、ランティスみずから光の
左手首につけてくれたものだ。千年周期で飛来するミレーニア彗星を見に連れ出してくれた極北の森
で…。それらの記憶すべてが妄想のはずがない。
ある意味自業自得とはいえ、一年に一度しか逢えない、それすら晴天でなければ叶わない織姫と
彦星の物語を子供たちに読み聞かせながら、なかなか逢えない自分たちの関係が二重映しになり
ひどく落ち着かなかった。
「関係…か」
向こうにいけばみんなとのお茶会もそこそこにランティスと過ごしている。仕事が押している時は
執務室で書類を捌いているその傍らで本を読んでみたり、こちらもレポートを持ち込んでそれぞれの
作業に没頭していることも少なくない。それでもその合間を縫い、一緒にお茶を飲んで同じ空間を
共有しているだけでほっこりと心が暖まった。
剣術指南に当たっているときは、手合わせもしたし多少の手伝いもした。時間が許せばあちこち
遠駆けにも連れてもらった。
二人っきりでいい雰囲気になればキスを交わすこともあったし、恋人同士と呼んで差し支えない
関係のはずだと思うが、最近少しあることが気になりだしていた。
大学の合宿や、バイト先の親睦会でも女ばかりでお酒が入ってくると結構あけすけというのか、
赤裸々な話が飛び出してくる。
『未成年ですから』と酒を固辞して白面(しらふ)でいる分、光ひとりで赤面し、結果飲んでるのと
大差ない赤ら顔になっているのだった。
「他人は他人…。私たちは私たち…。だよね」
光の周囲の恋人同士に比べれば、お子ちゃまと言われてもやっぱり仕方ないんだろうかとの
疑問が頭をもたげてくる。自分としてはそう違和感もないが、大人のランティスはどう思っているん
だろうと、また思考がぐるぐると袋小路に入り始めた。
子供たちに怪我をさせてはいけないからとブレスレットは遠慮していたが、海の提案で買い足した
チェーンを繋いでペンダントにしてみる。
「お星さまだし、七夕にちょうどいいよね」
別段見せびらかすつもりはないが、Tシャツの胸元にそっと忍び込ませたアミュレットだった。
七夕祭りといいながら、生活発表会と夏祭りを足して二で割ったような催し物だった。園児たちが
七夕や星にちなんだ合唱やお遊戯を披露したり、スーパーボールすくいやヨーヨーつりがあるかと
思えば、フラッペやたこ焼き、焼きとうもろこしを売っていたりという具合だ。普通の夏祭りと違うのは
園児向けの小さなサイズも用意されているところだろう。
光はスポーツチャンバラ体験コーナーを任されていた。ゲーム機やパソコンで遊ぶことに慣れた
子供たちに身体を動かす楽しさを知ってほしかったからだ。星にちなみテレビアニメで人気だという
コズミックパイレーツ風の衣装を先輩保育士に作ってもらっていた。(……コスプレ?)
「もう降参?私を倒さなきゃお宝はGET出来ないよ?」
スポーツ体験と言っても敬遠されるのが関の山なので、光から一本取ればコズミックパイレーツ
クッズがもらえるという特典付きだった。
「オレも参戦していい?!」
すでに小学校に上がっている園児の兄がハイハイと手を挙げていた。あいも変わらずちんまい
ままの光とたいして背丈も変わらない。それでも日ごろ剣道で培った物にそれなりの自信がある光は
受けて立っていた。
「本気でかかってこい!!」
ちょいと斜に構えた海賊風の剣捌きで、振り下ろされるエアーソフト剣を躱(かわ)す。そのこが
なかなかの運動神経の持ち主とみるや光は積極的に打ち込んでもいった。
いい粘りを見せていたが所詮インターハイ三連覇の光の敵じゃない。ガンガン打ち込んでくるのを
受けて後じさりながら、光は相手の剣を弾き飛ばすタイミングを窺っていた。
「光ちゃん危ないっ!!」
何が危ないの?と思った時には、転がってきたスーパーボールを踏んづけて身体が思いっ切り
のけぞっていた。
「うわあっ!?」
後頭部強打はまぬかれたものの、敵もさる者、光が体勢を大きく崩した隙にエアーソフト剣を
突き出してきていた。
「もらったーっ!!」
突かれたところで痛くはないが身体は反射的にクリティカルヒット(痛恨の一撃)を避けていた。
エアーソフト剣が首筋を掠めた刹那、ブチッと何かがちぎれたような音がした。
「!!??」
「やりぃ!オレの勝ち!」
首筋など切られれば当然光の負けだ。
「えー、いまのなんかズルくなぁい?」
「ひきょうなのはだめなんだよー!」
ここまでに光に挑戦して敗れていた園児たちのブーイングにその少年は悪びれもしなかった。
「油断大敵って知ってるか?ま、知らねーだろうな。勝負の最中は全方位に神経研ぎ澄ませなきゃ
ダメなんだぜ」
いつだっかランティスに同じようなことを指摘されたことのある光は返す言葉もない。普段通りの
剣道の摺り足気味の足運びなら、スーパーボールを踏みつけることもなかったはずだ。調子に乗って
海賊風の派手なアクションにしていた光が悪い。
「参りました!でも小さい子相手の時は手加減してあげてね」
「チビとやったってコズミックパイレーツクッズもらえないからやんないよ〜!」
「なるほど。ハイ、好きなの選んでね」
「どれもらおっかなー?」
クッズ選びに夢中の少年のうしろで光は教室内に落ちたペンダントを拾い上げた。
「あ……」
よりにもよってこちらで買い足した鎖じゃなく、ブレスレットのほうの鎖が切れていた。
「謝らなくちゃ…」
何もしないで切れたなら不吉だとかいうが、今の場合は切れるだけの理由があったのだからと、
光は何度も自分に言い聞かせていた。
七夕祭りも無事に終わり、来客や園児たちが帰ったあとの片付けも終えたところで光はポケットの
壊れたブレスレットをまさぐっていた。
『どうしよう…セフィーロの物だし、こっちのお店で直してもらうのってまずいよね…』
素材が地球の物とまったく同じかどうか判らないし、変な疑問を持たれても困る。幸い明日は
午後の授業しかないしと心を決め、自宅に電話を入れた。
「あ、もしもし。覚兄様?あのね、今日これから向こうに行きたいんだ。明日は大学午後からだから、
それまでには戻るから…」
『光…。向こうに行くなら行くで事前に言うことって約束してたはずだろう?』
「どうしても今日行かなくちゃならないんだ。帰ってから叱られるから、ごめんなさいっっ!!」
『あ、こら…』
一方的に通話を切って電源も切ると、光は東京タワーを目指して急いでいた。