ハネウマライダー act.2 見習い魔法剣士(後編)
そんな話をしてから数ヶ月が過ぎた頃、メルツェーデスは愛用の魔法剣を剣術の上での弟子である
ランティスに託して、どこへとも告げずにセフィーロから姿を消した。まだまだ剣術の研鑽を重ねる必要の
あったランティスは城の親衛隊の訓練に参加させてもらいながら、クレフの許で魔法の修練も続けていった。
親衛隊に正式参加が許される年齢になる頃には、ランティスはすでに単独で辺境の魔物退治に出られる
だけの実力を認められていた。というよりも、魔導師としてもクレフの弟子の中でザガート共に五指に入り、
なにより自分で精獣招喚出来るからこそ辺境での仕事を任されている、というのが正しかった。親衛隊に
所属する者の多くは剣闘師であり、遠隔地への足の確保はその都度魔導師に頼らねばならなかったからだ。
このところ微増しつつある辺境での魔物退治を終えたランティスが翼ある白い精獣で城の中庭に降り
立つと、ザガートが出迎えた。
「ご苦労だったな、ランティス。怪我はないか?」
精獣から飛び降りたランティスが、馬体をねぎらうように撫でながら答えた。
「ああ。これは魔物の返り血だ」
自分の精獣が渡り廊下のほうを気にしているのに気づきランティスがそちらを見遣ると、相変わらず
柱の影から白い翼ある跳ね馬をそっと覗き見る小さな姫君の姿があった。
「俺はこの有様だ。…、お前だけ、挨拶してくるか?」
ランティスがそう尋ねると、精獣は常歩(なみあし)で小さな姫君のほうへと歩いていった。並外れて背の
高くなったランティスやザガートが声をかけると逃げ出してしまう姫君も、白い跳ね馬だけならば警戒せずに
近寄ってくるのだった。翼ある白い馬と戯れる小さく可憐な姫君の姿は見る者の微笑を誘った。
「本当にお前の精獣がお好きだな、姫君は」
「あれも姫君を気に入ってるんだろう。俺以外であんなに触らせるのは姫君だけだ」
「最近読んだ古い文献に面白い記述があった。『翼ある白き跳ね馬は、真にそを欲する者の許に
舞い降りる』」
「『真にそを欲する者』…か」
「まだ続きがある。『羽根馬は気高きもの、白き羽根馬はいつくしみ深きもの』」
姫君が跳ね馬に纏わりつくというよりも、ランティス以外はその兄のザガートさえも寄せつけない跳ね馬の
ほうが、逢うたび小さな姫君を気遣うように寄り添っていた。
「もしも姫君があれを必要とするなら…、俺は契約を解いてもいい」
「それではお前の任務に差し支えるだろう?」
「次に月が満ちるのは十日後だったな。その日に駆り出されなければ精霊の森へ行って来る」
「ならば私も同行しよう」
「子供じゃないんだ。立会いは要らない。おかしなものを招喚しても自分で還せる」
しかめっ面でそう答えたランティスにザガートがくすりと笑った。
「その心配はしていない。だがすでに契約しているものと同じ種の精獣が招喚魔法に応じることはない。
羽根馬との契約を解いて、そのあと跳ね馬が応じなければ帰れなくなるぞ」
「休暇の申請でもしておくさ」
「お前に長い休暇を許せる状況じゃないのは知っているな?ここしばらくシルフィさまのお加減が
思わしくない…」
「解ってる」
セフィーロの柱が心身ともに健やかに過ごしているのであれば、頻繁に魔物退治に駆り出されることもない。
旅立ちの前にメルツェーデスが言っていた継承がいよいよ近づいているのかもしれないと、口には出さずとも
城の中枢に近い誰もが感じ取っていた。
十日後の夕刻、セフィーロ城の中庭にランティスとザガート、そしてクレフの姿があった。
「立会いは要らないと言ったはずだ、ザガート。それに何故導師までおられるんです?」
「立会うとは言ってない。何がお前の招喚に応じるのか、興味がある」
「ザガートの言う通りだ。またアバルトのような、珍しいものにお目にかかれるかもしれんからな」
他人の招喚魔法を見世物のように楽しみにしている二人に、ランティスがため息を零した。
「解りました。夜通しかかって明日に差し支えても、苦情は受けません」
「いや、明日の午前は姫君への御進講がある。夜半までには済ませて欲しいものだな」
喉まで出かかった「なら、来ないで下さい」という言葉を飲み下し、ランティスはこれが最後になる白き
羽根馬の招喚を始めた。この一年程で確実に使いこなせるようになったメルツェーデスから譲られた
魔法剣を、背後から引き抜き目の前にかざす。青白く輝く刃に軽く触れつつ、目を閉じて呪文を唱えた。
「…精獣招喚…」
風を纏って真っ白な翼ある跳ね馬がランティスの前に現れる。ザガートは黒鹿毛の跳ね馬を、クレフは
グリフィスをそれぞれ招喚していた。
三人を乗せた三体の精獣が、暮れなずむセフィーロの空へと飛び立っていった。
皓々とした満月のひかりが降りそそぐ精霊の森の泉のほとりに三人の魔導師が降り立つ。森のそこ
ここに、珍しい白い羽根馬の姿を木陰から覗き見る妖精たちの気配さえあった。
「今宵はやけに見物客が多い」
見物客その一のクレフがふっと笑った。ランティスはもう言い返す気にもならないらしい。
「これほど稀有な精獣との契約を、人から解くのは、前例がないでしょう」
「べつに解きたい訳じゃない。だが俺よりこいつを必要としている人がいて、こいつもそれに応えたがって
いるように思えるから、契約を解くと言ってるんだ」
祭祀用の短剣を抜き、ランティスは右手の中指の先を切って、白き羽根馬の鼻先に差し出した。
「――この血をもって、
聖なるものフェラーリを、
招喚の契約から解き放たん。
応酬せよ…」
まだ幼い頃に契約を交わし、そろそろ少年というより青年と呼ぶのが相応しい姿に成長するまでを共に
してきたランティスの掌に鼻を押し付け、甘えるように羽根馬は別れを惜しむ。しばらくそうしてじゃれついた
あと、白いフェラーリはランティスの指先から滴る血を舐めて、招喚の契約を解き戻界していった。
「さて、ここからがお楽しみだな」
まるっきり野次馬を決め込んでいる導師に、弟子は露骨に嫌そうな顔をしていた。
「――我が名はランティス。
魔導師クルーガーとキャロルの血の流れを受け、
導師クレフの導きを給いし者。
異界に住まいし聖なるものに、
招喚の契約を求めん。
出でよ…!」
清き泉の上で弾け飛んだひかりの中から現れたのは、またしても白き翼ある跳ね馬だった。
「また羽根馬…?いや、あれは」
ザガートの呟きを聞かずともランティスには判っていた。
「何故またお前が出て来るんだ。何の為に契約を解いたと思ってる?」
もう一つ光点が現れたかと思うと見る間に膨らんで弾け飛び、水面の上で闇に紛れそうな漆黒の
フェラーリが蹄を鳴らしていた。
「私の跳ね馬より黒い…青毛か。これはまた、ずいぶんと気性が荒そうだ」
その跳ね馬の気性を表すというたてがみは、高い温度の炎を思わせる蒼白い揺らめきを見せていた。
「契約済みのものを呼び出すならいざ知らず、一度の招喚魔法で二体の精獣が応じるなど、聞いたことが
ない…」
感心しているような呆れているような導師の言葉に、ランティスは淡々と答えた。
「いずれにせよ、羽根馬のほうとは契約しないのですから、数に入れることもないでしょう」
新たな契約のために、祭祀用の短剣で左手の中指の先を切り、ランティスは漆黒の跳ね馬に向き直った。
「――我が名とこの血において、
ぬばたまの闇を纏いし聖なるものフェラーリに、
招喚の契約を求めん。
応酬せよ!!」
ランティスは血の雫が滴る左手を漆黒の跳ね馬のほうへと伸ばした。跳ね馬はカツカツと前脚で地を
蹴る仕種を見せながら、ランティスを見定めている。虫の音も、獣の啼き声もなく静まり返った精霊の森の
中に、蹄の音だけが響き渡っていた。まるで『視線を外したほうが負け』とでもいうように、ランティスと
跳ね馬の息詰まる睨み合いが続く。クレフやザガートも身じろぎひとつせず、その契約の成否を見守っていた。
先に動いたのは跳ね馬のほうだった。大きく嘶き、後ろ脚で立ち上がると、ランティスに飛び掛るように
突進する。それでもランティスは微動だにせず、左手を差し出したまま漆黒のフェラーリを見据えていた。
すぐ傍まで来ると、威嚇するように再び後ろ脚で立ち上がるが、微塵も動じないランティスについに根負け
したようだった。ランティスの左手から、契約の印として血を舐め上げた次の瞬間、跳ね馬はバクりと
ランティスの左手を咥え込んだ。
「…何をする…」
半ば唖然としたランティスが低く唸ると、場違いなほど高らかな師の笑い声が背後から響いた。
「人との契約に応じるのがよほど悔しかったとみえる。羽根馬よりも馴らすのに苦労しそうだな、ランティス」
師の期待通りに見世物になってしまったランティスは、渋い顔で漆黒の跳ね馬が甘噛みしていた手を
引き抜いた。
「ランティス、私に祭祀用の剣を貸してくれ」
静かに歩み寄ってきたザガートが声をかけた。言われるまま短剣の柄をザガートに向けて渡しながらも、
ランティスは怪訝な面持ちだった。
「何をする気だ、ザガート」
ランティスの問いに答えないまま、ザガートは右手の中指の先を切り、黒鹿毛の跳ね馬との契約を解いた。
そして左手の中指の先を切ると、泉の水面でランティスと漆黒の跳ね馬の契約を見守るように佇んでいた
白き羽根馬へとその手を伸ばした。
「――我が名はザガート。
魔導師クルーガーとキャロルの血の流れを受け、
導師クレフの導きを給いし者なり。
この血において、
白き翼持つ聖なるものフェラーリに、
いま、かりそめの契約を求めん。
応酬せよ…」
たとえ血を分けた兄弟とはいえ、他人が招喚した精獣に契約を持ちかけるなど、前代未聞の行ないだった。
精獣の不興を買いかねないザガートの行動を、いまさら止めることも出来ずにランティスとクレフは息を
殺して見つめていた。
白き翼持つ跳ね馬が静かな足取りでザガートに近づいてくる。ふと立ち止まり、その真意を見透かそうと
するかのように、ザガートと視線を合わせた。やがてその白いフェラーリは、ザガートの左手から血を
舐めてかりそめの契約を受け入れた。ほうっと長い息を吐き出して、ランティスが兄に尋ねた。
「どういうことだ…」
「姫君をここにお連れする訳にいかないのだから、羽根馬を連れて戻るしかないだろう」
「ならばお前とランティスの精獣を入れ替えればよかったんじゃないか?城で…」
「認承式を控えた身に、そんな手抜きをさせる訳にはいきませんね」
「ふっ。手厳しいな、ザガート」
「認承式…?」
師と兄が何の話をしているのかさっぱり解らない風情のランティスに、ザガートが穏やかな笑みを浮かべた。
「念願の魔法剣士と認められる日が来たというのに、なんて顔をしているんだ」
「しかし俺はまだ『認承の試練』も済ませてない…。それで認承式になど、臨める訳がない!」
セフィーロの中枢を担う導師の弟子だから特別扱いでもされたのかと、酷く険しい表情をしているランティスに
クレフが笑った。
「なんだ、その顔は。言っておくが、べつに私が推挙した訳ではないぞ。もちろんザガートも然りだ。しかし
考えてもみろ。フェラーリほどの精獣と契約を果たし、魔法剣を自在に使いこなせるお前を魔法剣士と認めねば、
この先セフィーロには魔法剣士と呼ばれる者など生まれんぞ」
確かに『認承の試練』で行われるのは特定の精獣の招喚や模擬戦も含めた魔法剣の披露、魔物の
討伐など、ランティスがすでに日常的にこなしていることばかりだった。
「その漆黒の跳ね馬なら、きっと新しい鎧にも似合うだろう。ああ、認承式で噛み付かれない程度には、
馴らしておけよ」
兄の一言にランティスがぐっと詰まったとき、城からの『声』が届いた。
『キャミの村に魔物が出て押されています。できればランティスにも出て貰いたいのですが…』
「休暇は取り消しだな、ランティス」
ザガートの言葉を聞くまでもなく、ランティスは契約を交わしたばかりの跳ね馬に魔法で馬具一式を装備
させていた。
「用件は片付いたんだ、構わない。契約早々で悪いが仕事だ。行くぞ!」
精霊の森を飛び立つランティスを見送り、ザガートはかりそめの契約を結んだ白き羽根馬に向き直り
魔法を唱えた。
「精獣戻界…」
「なんだ、乗らぬのか」
「姫君にお渡しするのに、ですか。泉で清めたことですし、このまま献上します。…精獣招喚…」
師と同じグリフィスを招喚し、ザガートはクレフを促した。
「早く帰ってお休みにならないと、姫君への御進講に差し支えますよ、導師」
「まだ日も変わっておらんわ。年寄り扱いするな」
「失礼しました」
「ああ、ランティスが噛み付かれたのは、ここだけの話にしてやれよ」
「はい」
そう答えはしたものの、あの跳ね馬の気性の荒さでは早晩城でもやられるのではないかと思わないでもない
ザガートだった。
そしてその五日後、セフィーロ城ではクレフの兄弟子にあたるメルツェーデス以来、実に数百年振りとなる
魔法剣士の認承式が執り行われた。背の高い黒髪の青年が、真新しい黒の鎧に身を包み、漆黒の跳ね馬に
騎乗する凛々しい姿は人々の語り草になった。
彼の精獣が白い羽根馬でなくなったことに驚く者も少なくなかったが、また新たに跳ね馬と契約を
交わしていた事実はさらなる驚嘆に価した。
セフィーロ城では剣士との契約を解かれた白い羽根馬が、気遣うように幼い姫君に寄り添う光景がそれからも
時折見受けられた。契約をするでもなく、永くその姫君とともに過ごした純白のフェラーリは、のちに姫君の
最期の願いを叶えるのに殉じたのだという……。
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キャミ…辺境の村。トヨタキャミより(あのCMは個人的に微妙に怖かったデス…)
かの姫君の最期の時の魔神(コミックス版)、よくケンタウロスのような姿とも言われますが、ケンタウロスの存在しない世界なら、ベースはこれかな…と。
このお話の壁紙はAmour Pegasusさまよりお借りしています