ふたたび出逢う君に…  vol.3

 

 広間の奥まった一角に、ひかりの粒子を纏って光が一人降り立つ。

 「助かった…。誰も居ないや」

 クレフには即座にばれるだろうが、プレセアやカルディナがここにいたら、おしゃべりもせずに通しては貰えないだろう。

 廊下へ出るとまず光専用にしてくれてある部屋へ向かい、小さな机の上にクレフ宛ての白い封筒を載せた。クレフは

日本語を読めないかもしれないが、それならそれで海たちを待つだろう。

 部屋から出て歩きながら光は考え込んでいた。問題は今現在ランティスと同室のイーグルだ。(正確に言えば、

イーグルの部屋にランティスがほうり込まれたのだが)

 耳元で誰が何を言っても聞こえないぐらい深く眠っていてくれればいい。そうでなければ席を外すことも出来ない彼の

前で修羅場を展開することになるかもしれない。優しい人だから、そんなことになったらきっと心を痛めるだろう。

 二人が静養する部屋の扉をノックした光は、『どうぞ』というイーグルの心の声を聞いて躊躇いがちに開けた。

 「こんにちは、具合はどう?」

 『こんにちは。平日は部活じゃなかったんですか?』

 「剣道部が使ってる修錬場の補修工事の準備があるから午前中だけだったんだ。あの…、ランティスは?

クレフがちゃんと治したのか?」

 脚、腕、肋骨を骨折したままで先日はベッドに起き上がるのがやっとという感じだったのに、イーグルの隣のベッドは

もぬけの殻だった。

 『いいえ。治してませんけど、脱走しちゃいました。魔法でギプスみたいに脚を保護して、剣を杖がわりにして。僕の

顔を見飽きたんだそうです。失礼な言い草でしょう?』

 クスクス笑っているイーグルに、光は尋ねた。

 「どこに行ったか知ってる?」

 『今日は寝てる間に脱走されちゃいましたからねぇ。まぁ、起きてたってあの人は何にも言いやしませんけど…。

オートザムに居た頃より格段に愛想が悪いですよ、今のランティス…』

 「そんな風に言っちゃ可哀想だよ。まだ傷だって痛むだろうし、記憶を無くしてしまった自分自身がもどかしいんだと

思うな」

 『まぁ、場合によっては別人のように人格が変わってしまう症例もあるようですから、それに比べれば変化は

少ないように思えますが…。優しいんですね、ヒカルは』

 「本当に優しければ…」

 あの時、彼の望んだ通りに、きちんと話していたはずだ。

 『ヒカル…?』

 話し半ばで口をつぐんでしまったことを不審に思ったイーグルが呼びかけると、光はハッとしたように明るい声を作った。

 「外までは出てないだろうから、ちょっと探してみるよ。じゃあね」

 

 

 

 もう少し話したげなイーグルに気づきながら光はその部屋をあとにした。

 「どっちを見に行こう…」

 抜け出したランティスが向かう先は、自身の部屋か、お気に入りの中庭のどちらかじゃないかと光は考えていた。

 「あ、でも『中庭が好きだった』って記憶もないのかな…」

 あれだけそばにいたのに、ランティスがあの中庭を気に入っていた理由さえ知らない自分に光は呆然としていた。

 荒れ果てていた頃とは違い、今のセフィーロにはいくらでも美しい場所がある。一人で昼寝をするのにうってつけな

穴場も、城周辺だけでも結構ある。時折しか来られない光たちでさえ見つけたのだから、ランティスが気づかない

はずがない。それでも彼は仕事の合間(時には三国とのお茶会をすっぽかして・笑)のつかの間の休息を、あの中庭で

過ごしていた。

 

 

 

 「ここに来るのか…?」

 らしいといえばこの上なくらしいのだが、他人行儀なまでに殺風景な自分の部屋に帰る気にもなれず、ランティスは

自分の部屋より近い中庭の噴水の縁に掛けていた。

 一昨日、NSXが来た時に艦内の医療機器で精密検査を受けても原因を特定できなかった頭痛が、少し前から

また嘘のように軽くなってきていた。このところ頭痛に阻まれて気配を読みそこねることもしばしばだったが、あの日

ランティスが泣かせてしまった少女に間違いなかった。

 「俺を見たら、逃げてしまうかもしれないな」

 ランティスは自嘲を含んだ苦い表情を浮かべた。あれから何度考え直しても、泣かれた理由が解らなかった。「何故

あんな少女と戦ったのか」とイーグルに尋ねたら、こともなげに「僕は侵略者でしたからね。逆らう者は誰であれ容赦

しなかった…それだけです」とサラリと言ってのけた。納得した訳ではなかったが、それ以上答えないだろうとも思えた。

 確実に近づく気配に、このままここにいてあの少女と話したい気持ちと、泣かせるぐらいなら立ち去ったほうが

いいのだろうかとの気づかいが、ランティスの中でせめぎあう。

 少女はイーグルの部屋のほうから中庭に来ていたので、出くわさない為には酷い回り道をする羽目になる。いくら

魔法を使っていても歩くのが大儀なのには違いないのだ。

 「こんにちは。部屋からここまで歩いて、疲れてない?」

 彼の姿を認めても逃げ出しもせず、ぎこちなさはあるもののにこりと微笑んでくれたことに、ランティスは安堵を覚えた。

 「…寝てばかりでは、身体がなまるからな」

 「治してなくても脱走するのかって、クレフに叱られたんじゃないか?」

 「導師の短気は今に始まったことじゃない」

 「あはは、それもそうだね」

 ランティスの肩に止まっていた小鳥が小さく羽ばたき、少女が差し出した指に止まる。

 「ゴメンね。今日は海ちゃんと一緒じゃないから、おやつ持ってないんだ」

 そう詫びても次々小鳥たちが少女に舞い降りるのは、それだけ馴れている証だろう。

 小鳥たちの挨拶が終わるまで手持ち無沙汰なランティスは、杖がわりの魔法剣の青白いひかりの刃を出したり

消したりしていた。ランティスにしては落ち着きのない仕種に思えたが、今の自分に何が出来て、何が出来ないのかを

確かめているようにも感じられた。

 光が指に止まっていた一羽を少し勢いづけて飛び立たせると、他の小鳥たちも一斉に羽ばたいていった。小鳥たちが

去ったあと、噴水の水音と微かな風にそよぐ葉擦れの音だけが二人を包んでいた。

 刃を収めた魔法剣を持ったままのランティスの手を取り、自分の胸に押し当てるようにして光は大きく息を吸った。

 「……初めて二人きりで話したのも、ここだったんだ…」

 仮にも刃先の出るほうを敵でもない者に突きつけることを躊躇うランティスが引こうとしても、光はその手を離そうと

しなかった。

 「何をしている…?」

 戸惑い混じりのランティスの問い掛けに答えず、光は静かに続けた。

 「魔法騎士の伝説の成就は聞いてるんだよね?」

 「…ああ」

 「魔法騎士は…柱の…エメロード姫の願いをかなえるために、異世界から招喚された」

 「このセフィーロの何人たりとも、柱を害することなど出来ないからな…」

 「姫を救い出すことだけが、セフィーロを救う唯一の手段だと考えていた魔法騎士は………あなたの兄様…

神官ザガートを倒した。――その魔法騎士が…私だ」

 ファーレンでもない、チゼータでもない、オートザムでもない、そしてもちろんセフィーロでもない空気を纏った、

不思議な娘たち…その可能性をただの一度も考えなかったと言えば嘘になる。だが、「まさかあんな子供が…」と、

否定する気持ちのほうがはるかに強かった。

 「俺を知っていたなら、この剣のことも解っていたんだろう。そんな真似をして刺し貫かれるとは思わなかったのか」

 「あなたにはそうする権利がある。ただ愛する人の…姫の心からの自由を求めていたあなたの兄様の命を、

私が奪ったんだもの。ランティスが仇を討ちたいと望むのは当然だ。だけど……、こんなこと頼むのは筋違いだって

解ってるんだけど………、他の二人はそっとしておいてほしい。だって、私が一番最初に『魔法騎士になる!』って

安請け合いしちゃったから…、あの二人は、私に巻き込まれただけなんだ。だから…、だからもう責めないで

やってほしい」

 「そして今度は、お前の家族が仇討ちに来るのか?」

 「私の家族は、セフィーロには来られないよ」

 「ならば他の魔法騎士が。この間の、あの二人が…」

 友を傷つけることは許さないと言い放った毅然とした態度の裏には、この少女と同じだけの覚悟があるように思えた。

 「そんな負の連鎖が、いったい何になる?」

 「ランティス…」

 「ザガートは世界を敵に回すことを厭わなかった。世界の安寧よりエメロード姫を選んだ時に、生命を捨てる覚悟で

いただろう」

 あまり詳細まで導師は話さなかったが、招喚された魔法騎士たちがザガートを討つまでに夥しい血が流された

ことだろう。それをむざむざと看過した罪は自分にこそある。何かを強く望むことのなかった兄の、たった一度の

ゆずれない願いを叶えることも、姫の心の自由を許すことも不可能なら、自分こそが手を下すべきではなかったかと。

≪柱≫を弑することは出来なくとも、セフィーロの為に兄を討つのが親衛隊長としての責務ではなかったかと。

 「セフィーロに何の関わりもないお前たちの手を、血まみれにさせた卑怯者は俺だ」

 「違うっ!ランティスは卑怯者なんかじゃない!たとえたった一人の家族でも、『世界を救う為だ』って大義名分

掲げて切り捨てるほうが、ランティスはずっと楽が出来た筈だもの。簡単に正義の味方になれたし、みんなの

同情だって買えたんだっ」

 目にいっぱいの涙をこらえつつまくし立てる娘に気圧されたように、ランティスはじっと光を見つめていた。

 「≪柱≫が支えることが当然の世界で育ってきたんだもん。それ以外なんて考えたことなくて、それでも何とか

したくて、だから一人で旅に出たんだろう?卑怯だからじゃない。ランティスは優しかったから、兄様とエメロード姫を

助けてあげようとしていたんだ。なのに…っ、なのに私たちが台なしにして……」

 「魔法騎士が姫を伐たなければ、このセフィーロは存続出来なかったと聞いている。だから、お前たちを責める

理由は何もない…」

 ランティスのその言葉に、光は口許を押さえ、零れる涙を止められなかった。

 「どうして…」

 「……ヒカル…?」

 「記憶をなくしてるのに、どうして同じこと言うんだ…?」

 彼の手ごと掴んだ魔法剣を抱きしめたまま膝をついた光の頬に、ランティスは痛みをこらえながら不自由な

左手をのばして触れた。

 「それが偽らざる俺の本心だから、何度告白されても変わりようがない。だから、もう泣くな」

 もう二度と頬に触れることはないかもしれないと思っていたランティスの大きな手に、光は白い小さな手を重ねた。

 「こういうとこも変わんないんだ。ふふっ」

 名前も顔も忘れてしまっていたくせに馴れ馴れしい振る舞いだったろうかという考えが掠めたところにそう言われ、

ランティスはギクリとして手を引っ込めようとしたが、上腕の痛みとはにかんだような光の笑顔に縫いつけられて

動けなくなっていた。

 微かに顔を歪めたランティスに気づいて、光はそろりと頬に触れるランティスの手を外し、ゆっくりと彼のほうへと戻した。

 「無理しちゃダメだ。クレフ、治してくれてないんだろ?私は回復魔法使えなくて…、ごめんなさい」

 「謝るなと言っているだろう?詫びるぐらいなら…」

 「他に何かしてほしいことがあるのか?」

 自分の左手をくるみこんだままの光の手を、ランティスはぐっと握り返した。

 「このまま、俺のそばに…」

 するりとそう言ってしまってから、『これではまるで口説いているようではないか』という考えがよぎり、他の言葉を

探そうとしたランティスの視線が光の頭上にぴょこんと飛び出したものに釘付けになった。

 「・・・タン…獣の耳・・・?」

 一瞬タント≪たぬき≫と言いかけて、何故か言ってはいけないような気がしてランティスは言葉を選びなおしていた。

 「うにゃっ!?」

 慌てて自分の頭を押さえようとした光の手より先に、ランティスの右手が三角のピンと立った左耳を掴んだ。

 「痛いよ、ランティスっ!」

 今度はふさふさの長いしっぽも飛び出していたが、さすがにそれを鷲掴みにするのは憚られた。

 「すまない。実体だとは思わなかった。――そういう種族なのか?」

 「しゅ、種族って…(汗)。種族は人間だよぅ…、多分」

 ランティスにも他の誰かにもそういうツッコミかたをされた覚えがなかった光が答えに窮していると、宥めるように

ランティスが頭を撫で始めた。

 「人に見られてはいけなかったのか?他言しないと約束するから、心配するな」

 そんな心配はしていないし、きっとみんな知ってるはずだとも思いつつ、ランティスに撫でられるのが心地よくて、

光はされるがままに委ねていた。

 『呼ばれたときの感じは少し違うけど、頬に触れたり、頭を撫でてくれたりするときの感じは、そんなに変わって

ないかな…。…あの時見た夢とは違う…。私のことを忘れていたって、ランティスはちゃんとここにいるんだから…。

もしも…、もしもランティスが望んでくれるなら…』

 いつもよりほんの少しだけぎこちない大きな手が髪を撫でる感触を、光は目を閉じて受けとめていた。

 『ランティスにこんなに撫でられるのって、猫になった夢以来かも…』

 耳としっぽが出てしまったままなので、もしかしたら愛玩動物扱いされているのだろうかという疑問が頭に浮かび、

しっぽが物憂げにぱたぱたと振れた。

 「初めて二人で話したのがここなら…」

 飽かず光の柔らかな髪を撫でていたランティスがぼそりと呟くと、光はゆっくりと目を開けて晴れた日のセフィーロの

空色の瞳をみつめ返した。

 「もう一度、この場所から…」

 『やり直したい』ではそれこそ別れた女を口説き落としているようだし、どうして自分はこうも上手い言葉が見つけ

られないのかと、ランティスは気ばかりが焦る。

 「いや、何と言うか…、お前が居ると頭痛が引いて考えも纏めやすい…」

 確かにそれは事実その通りだったが、これではまるで光を利用すると言っているようだし、あまりな言い草なのでは

ないかと、的確な言葉がますますもって遠ざかっていく。それでも光は別段気を悪くする風もなく小首を傾げ、それに

合わせて頭上の耳もぴくんとはねた。

 『どういう仕掛けだ…。そういう種族でなければ、異世界の魔法なのか…?』

 相変わらずフルオプション≪耳としっぽ≫が気になって仕方がないが、光がそれについて突っ込まれたくないよう

なので、大人の男として見ないふりをしようと決めていた。

 「おかしいなぁ。回復魔法は使えないんだけど…。本当に私が居ればましになるのか?」

 「ああ」

 「それじゃあ、お泊りは無理だけど、夏休みの間、毎日来るよ。って、あと5日しかないけど」

 即答した光の髪を撫でていたランティスの手が、気遣わしげに動きを止めた。

 「ブカツで忙しいのだろう?イーグルがそう言っていた。無理をするな」

 ふるるるっと首を横に振ると、その動きを追って三つ編みのお下げが揺れる。

 「ちっとも無理じゃないよ。部活で使う修錬場…えーっと、親衛隊が剣術の鍛錬に使ってる場所みたいな物なんだけど、

補修工事があるからお休みなんだ。おサボじゃないから大丈夫!」

 光の「大丈夫」という言葉にほんのわずかな引っ掛かりを覚えたが、降り注ぐ太陽のような満面の笑みを向けられると、

ランティスはそれ以上異を唱えることなど出来なかった。

 「東京タワー…、あっち側のゲートがある場所なんだけどね、そこが開いたら一番に飛んで来る。だから脱走しちゃ

ダメだよ?」

 「ここに居る」

 部屋で大人しく寝てるという選択肢ははなからないのかとちらりと思いつつ、光が笑った。

 「本当に好きなんだね、中庭。記憶をなくす前もここが好きだったんだよ、ランティス」

 「そう…なのか?」

 「この噴水の縁かあの木の一番太い枝がお気に入りで、よく一緒に座っておしゃべりしてたんだ。…って、話してたのは

ほとんど私だったけどね。てへっ」

 話し方は微妙に男言葉なのに、ペロッと舌を出す仕種がいかにも少女らしく、気づかぬうちにその微妙なバランスに

心惹かれていた。

 「あ、そだ。私、クレフにもう一度掛け合ってみるよ。ちゃんと回復魔法かけてって…」

 「導師は明日からファーレンに赴くことになっているから無理は言えまい。本来なら俺が行くはずだったらしいんだが」

 「ランティスが?珍しいね。いつもならファーレンはフェリオに任せてるのに…」

 「魔法と幻術の共同研究ではフェリオ王子は門外漢だからだろう。立派な剣士になられたようだが…」

 ランティスが大人になったフェリオと顔を合わせたのはオートザムから帰国してからだと聞いていたので、その辺りの

記憶も飛んでしまっているのだろう。一度にあれもこれもと話しては混乱させるだけだし、ランティスの疑問に随時答えて

いくほうがいいかもしれないなと光は考えていた。

 「回復魔法ってかけるのって大変なのか?魔法騎士の中では風ちゃんしか使えなくて。私たち、ずっと風ちゃんに

頼りっぱなしだったよ」

 「心にも身体にも相応の負担はかかる。対象の傷や精神の状態にもよるし、術者の要領の良し悪しにも左右されるから、

一概には言えんが…」

 「水属性の海ちゃんはともかく、炎属性の私じゃどうひっくり返しても回復魔法に結び付きそうにないよね。はぁ、役に

立たないなぁ…」

 「寒さに凍えている時には、炎の温かさは力になる。そう悲観したものでもないだろう」

 思いがけない視点を指摘されたことで三角の耳がまたぴくんとはねたが、光は頬をかりかりと指で掻いた。

 「うーん…でもパワー全開だから、温まるレベルで済まないよ、多分」

 「試す前から諦めていては何事も始まらない」

 「そうだね。そのうちやってみる。今日はクレフに会ってないから、全然魔法使えないし」

 「…?」

 怪訝な顔をしたランティスに気づき、光が補足した。

 「私たちの世界では魔法が使えないんだ。魔法騎士やる時に初めてクレフに授かったんだけど、あっちに帰る度に

使えなくなっちゃうんだ。外に出かける予定がないときはわざわざ頼まないから…」

 『異世界の魔法でもないのか…』とフルオプション≪耳としっぽ≫の仕掛けが相変わらず気になるものの、それも

ひっくるめて≪光≫という存在なのだろうと、納得しはじめているランティスだった。(いや、するか?普通……)

 

 

 

 

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