Å・RÅ・SHÎを呼ぶ男

 

 ひさびさにのんびりと過ごす休日。光が昼食の片付けをする間、ランティスは

一人息子レヴィンの子守をしていた。

 面倒を見るといっても何か危ないものを口にしたりしないかとか、始めたばかりの

伝い歩きで転びはしないかと見ている程度だ。

 今はラグの上にぺたんと座って、なぜか右腕だけをぐいんぐいんと振り回している。

 「あーしー、あーしー」

 ああすることがそんなに面白いのだろうかと不思議に思いつつ眺めるうちに、

ランティスはふっと僅かな違和感を覚え始めた。

 いったい何がそんなに自分の中で引っかかるのだろうかとしばらく考えて、

ようやくそれに思い当たった。

 エメロード姫による最初の招喚以来、光たち三人はずっと日本語で話している。

他方セフィーロの者はセフィーロ語で話しているのだが、双方の世界を創った

気まぐれな創造主の力のなせる技か意思の疎通に困ることは無かった。文字に

関してはまったくもって配慮されなかったようだが、こと会話に関してはそれぞれが

自分の母国語で話していても、頭でちゃんと理解出来るようになっていた。そうで

なければ魔法騎士たちは見知らぬ世界でたちまち立ち往生していたことだろう。たまに

相当する語彙が無く戸惑うこともあるが、日常に差し支える程のことは無かった。

 ランティスやクレフなどは精力的に地球の言語を学んだ事もあり、今では意識して

いれば光たちが話している日本語を直接聞き取って意味を汲むことも出来るほどだ。

 日本語とセフィーロ語のそれぞれを母国語に持つ二人の間に産まれた子どもの言語

習得に関しては、フェリオ王子夫妻のところの先例があるのでランティスはあまり

心配していなかった。

 そしてさっきから何が気になっていたのかというと、腕を振りまわしながら、

レヴィンが日本語で「脚」と言っていることだった。

 四足歩行の動物なら人間の上肢にあたる部分を脚と呼ぶが、人間なのだからそこは

腕と言うべきところだ。

 今日は父の顔を見ても泣きもせず機嫌良く遊んでいるのだからと思ったものの、

息子の間違いはやはり正さねばならないだろう。

 「亨(とおる)=レヴィン、それは脚ではなく腕だ」

 言われたところで当の息子にはまだよくわからないのできょとんとしている。

しばらく固まっていたものの、気を取り直したのか、また「あーしー、あーしー」と

右腕を振り回し始めた。

 ふうっとため息をつき、どうしたものかと考えていると、洗い物を終えた光が

冷やした香茶を運んできた。

 「地球のアイスティーの真似してみたんだ。ランティスの口に合うかな」

 「それよりヒカル。レヴィンが言葉を覚え違えてる」

 「え?」

 「腕と脚を覚え違いしたようだ」

 そう言われた光は小首をかしげていた。

 「そう、かなぁ…? レヴィン、おててはー?」

 自分の前に跪いた母に問われて、レヴィンがパーをして腕をつきあげる。

 「てーって! てって!」

 「じゃあ、あんよはー?」

 脚を挙げてみせるほどの筋力はまだ無いので、わずかにばたつかせているだけだが、

何やらもぞもぞと脚を動かしているつもりのようだった。

 「…間違えてないみたいだよ? ランティス」

 さっきは確かに…と思ったランティスがレヴィンに訊ねた。

 「レヴィン、脚は?」

 「あー…。あー。……あーしー、あーしー」

 そう言ってまたぐるぐると右腕を回す。

 「間違えてるだろう?」

 しばらくそのしぐさを見ていた光が唐突に笑いだし、レヴィンの頭を撫ではじめた。

 「あはははは。レヴィン、お利口さんだね。あれ、覚えちゃったんだ。……バッテリー、

まだ残ってたっけな…」

 光が立ち上がって、サイドボードの上に置いていた地球から持ち込んだ液晶ディスプレイ

付きポータブルDVDプレーヤーを持ってくる。

 セフィーロには大規模な発電設備がないので、地球のものを参考にオートザムで開発された

ソーラーバッテリーチャージャーで電源をまかなっている。

 「私がこれで見てる歌、覚えちゃったんだよ」

 ディスクが入ったままなのか、そのままPLAYボタンを押してチャプターサーチをかけている。

 「きっとこの歌の振りつけだよ」

 何やら音楽が流れ、五人の若者が動き回っているのも判るのだが、ランティスはやや困惑

しつつ訊ねた。

 「これは…歌…なのか?」

 「へ……? ああ、この曲、最初のうちはラップなんだよ。なんて言えばいいのかな…、

メロディに歌詞のせるんじゃなくて、リズムに合わせて歌詞を喋ってくんだ。そういえば

セフィーロではこういうラップって聞かないよね」

 音を聞きつけたレヴィンが、はいはいして二人が画面を見ているところへやってくる。

 「あー! あー!」

 「レヴィンも見たいよねー。特等席の父様のお膝で見よっか」

 光がよいしょっとレヴィンを抱っこして、ラグの上であぐらをかいているランティスの

脚の上に座らせる。リズムに乗れている…というレベルにはいかないが、何やら楽しげに

身体を揺すっているので確かにこれがお気に入りなのだろう。

 曲調が変わってラップとやらから歌らしくなってきて少し経ったところで、光が「ここ

だよね」と言い、それは唐突にやってきた。

 「あーらしー、あーらしー」

 「あーしー! あーしー!」

 光が歌うのに合わせてレヴィンも歌い、その振り回したレヴィンの拳がランティスの

喉仏のあたりにクリティカルヒットした。鍛えようもない場所を力任せに打たれて咳き込む

ランティスと、ぶつけた痛みで当然のことながらレヴィンがうわぁぁんと泣き出すしで、

のどかな家庭内は時ならぬ嵐に見舞われた。

 「うわぁ、腕振り回すってこと忘れてた。痛かったよねぇレヴィン。痛いの痛いの、

飛んでけー!!」

 わんわん泣きながら抱きついてきたレヴィンをあやしながら、ぶつけた小さな拳を

包んで光が日本で定番のおまじないを唱える。

 「ヒカル…。治癒魔法を修得したのか? ごほっ」

 「ほえ? 違うよー、地球のただのおまじない。気休めなんだけどね。転んだりすると

母様がやってくれるんだ。セフィーロでは無い?」

 光の提唱で城下町に開かれたミゼットでも怪我をする子はいるのだが、治癒魔法を

使える者が何人か常勤でいるので気休めのおまじないを唱える余地はなかった。

 「……記憶に無い……。ごほっ」

 元々セフィーロにそれがないのか、ランティスが幼いうちに両親ともに失くしたために

その記憶が無いのかどちらとも取りかねる言葉に、光が一瞬詰まった。

 「……ランティスもごめんね。大丈夫?」

 ランティスは喉仏あたりを押さえながら軽く頷くがまだ違和感があるのか時折小さく

ごほっと咳き込んでいる。押さえている大きな手をどけて、光は呟いた。

 「痛いの痛いの、飛んでけー」

 あまり光から触れられることのない首元に軽くくちづけられると、一瞬背中にぞくりと

甘い誘惑が沸き起こる。

 まだ昼間だし子どもも見ているしと葛藤しているランティスの気も知らず、光がさらに

超弩級の嵐を巻き起こす。

 「レヴィンもご機嫌治ったかなー? そうだ! 父様にも一緒にA・RA・SHIやって

もらおうかー。ねー?」

 我ながら良い思いつきだとニコニコする光に釣られてレヴィンもキャッキャと笑いだす。

 「………」

 笑えていないのはランティス一人だ。一緒にやるとはどういう意味なのか光に問いたい

ところだが、聞いてしまえば何か引き返せないようなそら恐ろしさがあるのは自分の思い

過ごしだろうかとの昏(くら)い考えが心に渦巻く。

 聞くべきか、聞かぬが幸いかと苦悶するランティスの目の前で、光の頭上に突然ぴょこりと

猫耳が飛び出した。ランティスが何もしていないのにこれが飛び出すのは、光がどこかからの

『声』を受け取っているサインだ。

 魔導師同士の遠隔連絡手段である『声』を結婚後かなり経ってからランティスの指導のもと

マスターした光だが、どういう訳か受信時にぴょこりと猫耳が飛び出す癖がついていた。

 「ミゼットのほうで相談したいことがあるって。しばらくレヴィンお願いしてていい? 

お昼も食べたし、もう少ししたらお昼寝すると思うから…。お昼寝しだしたら、上掛けして

あげてね。あ、そうだ! もうちょいこれでご機嫌に踊り疲れてもらっとこ。そしたら

きっとすぐに寝ちゃうよ」

 A・RA・SHIとやらをエンドレスに設定すると、通い精獣(正確には半精半獣)である

ファイアーアーレンスのアレックスに乗り、光は城下町へと出かけていった。

 

                              NEXT

 

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亨=レヴィン…ランティスと光の第一子。子供の頃のランティスにそっくりだとクレフが

       評するほど父親似。トヨタレビン(AE86)より。

       地球の暦でいう8月6日生まれ。

ミゼット…師弟関係を結ぶことの多いセフィーロで、もう少し横の連携を取れるように

     ならないかということで光が提唱した幼保一元施設。ダイハツミゼットより

     (ミゼットは「ちび」の意味)。

 

ファイアーアーレンス…城から街まで光を連れて行ってくれる本性は炎の姿をした狐に

           似た半精半獣。力をセーブしている時の外見は灰色の狐。  

           光の意向で招喚契約は結んでいないので、通い精獣(ほぼ居座り状態)。

           アーレンスフォックス消防自動車より。