未来予想図 -Fuu-

 

 

 

 

 ゆったり時間をかけたアフタヌーンティーを光や海と過ごしたあと、間違いなく風はフェリオのもとに戻ってきた。戻ってはきたの

だが、心もち口数が少なめというか、何かを考えこんでいるような表情に見えて、二人差し向かいで夕食を食べていたものの、

フェリオは何がどこに入っていったか解らないほど落ち着かない思いがした。

 食事を終え、食卓も片付けられたところで、居間のソファーへと席を移した。最初の頃は二人用のソファーに並んで掛けて

しっぽりと過ごしていたのに、最近ずっと風は揃いで置かれた一人掛けのほうに好んで収まっていた。二人掛けのソファーから

でも手は届くのだが、ひじ掛け二つが描く直角に微妙な距離を感じてしまう。風がきちんと姿勢を正してフェリオを見つめた。

 「フェリオに大切なお話があります」

 丁寧な口調は普段通りといえば普段通りなのだが、部屋に漂う微妙な緊迫感を感じとったフェリオの頭はオーバーフロー

寸前だ。

 『…まさか≪リコン≫なんて言い出すんじゃないだろうな…。まてまて、まだ二ヶ月と経っちゃいないんだそ。フウに愛想を

尽かされるような覚えは……。・・・いや、あれはしかし…当然のコミュニケーションな訳だし…。日毎夜ごとはイヤなのか……。

けど≪シンコンさん≫ならそれもアリのハズだよな・・・』

 (何やら心あたりがないこともないようだが、とてもつまびらかにできないので以下自粛・爆)

 取り乱して醜態を晒し呆れられるような事態を避けたいフェリオは、なるだけさりげなさを装って風に尋ねた。

 「どうしたのさ、そんなに改まって…」

 「――地球では入籍した日や結婚式を挙げた日を、毎年結婚記念日として祝う習慣があるんです」

 とりあえず離婚の二文字(あるいはリコンの三文字?)が出なかったことに、フェリオはひそかに安堵の息をもらした。

 「ウミに聞いたことがあるぞ。何年目かによって呼び名が変わるんだろ?一年目がカミコンシキ、五年目がモッコンシキ、

十五年目がスイショウコンシキ、二十五年目がギンコンシキで最強は五十年目のキンコンシキだ」

 「よく覚えてらっしゃいますわね。でもまだ六十年目のダイヤモンド婚式もありますのよ」

 「おっと、それは聞いてなかったな」

 少しおどけてみせたフェリオに、風も柔らかく微笑んでいた。

 「一年目の紙婚式は…私たち、家族三人でお祝いすることになりそうですわ」

 「・・・・・」

 豆鉄砲を喰らった鳩でも羽ばたいて逃げるぐらいの行動を起こすのに、瞬きひとつしないフェリオの目の前で風が手をひらひらと

させていた。

 「あ、あの…フェリオ……?目を開けて寝るなんて器用な特技がおありなんでしょうか?」

 不意に意識が戻ってきたのか、目の前で振られる手をがっしり掴んだフェリオが風の前で片膝をついていた。

 「それって…つまり…その、赤ん坊が出来たってことか……?」

 「他に家族の増えるような理由がありましたかしら」

 頬に手を当て小首を傾げたのに合わせて風のふわりとした髪も揺れる。いつもは聡明さが滲み出た顔立ちだが、今日の風は

母親となる女性の慈愛に満ちていた。

 ぎゅっと抱きしめかけた腕が寸前で止まり、壊れ物を扱うようにふわりと風を包み込んだ。

 「そっか…。家族が増えるのか…。ありがとな、風」

 「お礼をおっしゃるには早過ぎます。授かってから十月十日育んでいかなくてはならないんですもの」

 「≪トツキトオカ≫…?」

 「あちらの世界での平均的な妊娠期間の数え方です。まだセフィーロでのそういう知識を得ておりませんから」

 「俺もあんまり細かいことは…」

 「それではどなたかに母親教室や父親教室の先生になっていただかなくてはなりませんね。クレフはおひとり身ですし、

さすがにこれは無理でしょうか…?」

 「お前たちの世界でいう医師・薬師も兼ねてるから解りそうな気もするがな」

 「実践中のラファーガさんやカルディナさんもおられますものね。この子が産まれてくるまで、フェリオにはいろいろとお願い

しなくてはならないことがあります」

 愛おしそうに腹部に手をあてた風がフェリオににこりと笑った。

 「なんてったって赤ん坊優先だよな。解ってるさ」

 「フェリオは日本語を読むのに不自由はありませんでしたね」

 「まぁな。導師とランティスにずいぶんびしばしやられたよ。『参考までに読んでおくように』って、平気で向こうの世界の資料

寄越すんだからさ」

 「でしたら大丈夫ですわね。空お姉様がフェリオ用に纏めて下さってるんです」

 「義姉上が?俺に??」

 驚いたように少し目を見開いたフェリオに手渡されたレポートの表紙には、≪妊婦の風さん取扱説明書≫と書かれていたの

だった。

 

 

 

 まだ十四歳だった風と出逢って恋に落ちてから結婚するまでに較べれば一年なんてあっという間だろう。

 その身のうちに他の生命も預かる風の大変さは言うまでもないが、フェリオも新米パパとしての心得をクレフやラファーガに

レクチャーされていた。

 カルディナの母親教室を光や海もたまに覗こうとしていたが、『お嬢さまがたのひやかしはお断りや』と叩き出されていた。

 「ひやかしなんかじゃないよ!ちゃんといつかの為に勉強しとかないと…」

 「生徒がいつも風一人じゃあ淋しいじゃない?」

 抗議の声を上げた二人をカルディナがふふんと鼻で笑った。

 「いつの話や解らん備えより、ソツロンとかゆうのが先なんやろ?煮詰まっとるからて現実逃避しとったらアカン。この期に

及んでラクダイして輿入れ予定が延びてしもたら、ランティスとアスコットが泣くで?」

 アスコットはともかく、ランティスが泣くもんなら見てみたいものだと思いつつ、卒論の構成を練り直しにすごすご戻る

娘二人だった。

 

 

 

 「風から聞いた情報を元に、プレママ向けサイトで出産予定日を計算してみたの。2月22日、2のぞろ目、猫の日あたりよ」

 「その頃なら卒業式も済んでるから、少しはお手伝い出来るよね…。男の子かなぁ、女の子かなぁ…」

 「クレフやランティスあたりにはもう判ってるんでしょ?」

 「クレフには聞いてないけど、ランティスは風ちゃんから複数の波動を感じちゃうみたい。カルディナの時もかなり早い時期に

男女の双子だって判ってたんだって」

 出産祝いの下見をする光に付き合いながら、男の子向けの物を見ても女の子向けの物を見ても、『気に入ったなら両方

買えばいい』とあまりにアバウトな返事を寄越すので『もっと真剣に答えて!』とかみつくと、ある程度まで育ってくると、

明らかに母体とは違う個としての波動が確立されてくるので判っているのだと光に教えたのだった。

 「妊婦検診の超音波検査みたいな人たちよねぇ」

 「酷いなぁ…、人並み外れて感覚が鋭敏なんだよ。子供の頃はどうして知らない気配がそこにあるのか理解出来なくて、

たちの悪い妖精にでもからかわれてるのかと思ってたらしいよ。……だから最初に風ちゃんが東京に跳べなかった日、

ランティスに口止めしたんだ。『風ちゃんに何か変化があっても、病気以外なら黙ってて!』って…。赤ちゃんの性別、

生まれるまでの楽しみに取っとく人もいるから」

 「風もそうみたいよね。判ってればお祝いの見当もつけやすいんだけど…」

 「…ランティスにこっそり聞く?私は何かの拍子に顔に出ちゃいそうだからやめとくけど…」

 「当人差し置いて聞くのも変じゃない?私たちも待ちましょ」

 

 

 

 ――そうこうするうちに風のいう十月十日はするりと過ぎていった。

 

 

 

 袴姿の二人が無事に卒業式を迎え、海がピシリとしたスーツ姿で入社式を迎えても…、光が新しいエプロンを手にこども園

のバイトに出掛けても…、フェリオと風から『赤ちゃんが生まれました』と知らされることはなかった。

 

 

 

 「聞いてもいいかな…」

 ようやく優翔連合を説き伏せ、自身の結婚式の準備でばたついていた光がカルディナに尋ねた。

 「どないしたん、そない神妙な顔して…」

 「あっ、あのさ…。凄く立ち入ったこと聞いてもいい…?」

 「…聞くのはかめへん。そやけど答えるかどうかは聞いてみな判らんなぁ」

 光はこれ以上首が曲がらないほど俯き、真っ赤になっていた。

 「・・・『きっとあの頃に授かったな』って思ってから、赤ちゃんが産まれるまで何日ぐらいだった?」

 「……ハァ……?ホンマにどストレートな質問やな」

 「ごっ、ごめんなさい!だって、風ちゃんとフェリオの赤ちゃん…いつになったら産まれるんだろって心配なんだよ」

 「何を小難しい顔してんかと思たら、そないなことかいな」

 「そないなことって…!?凄く大事なことじゃないか!」

 「そら王子さんとフウお嬢さまにとっては一大事やろけど、ヒカルお嬢さまが産む訳やなし」

 「だってもう5月だよ?地球の平均で言えば、2月か遅くとも3月初めぐらいには産まれてたはずなんだ。風ちゃんもそれは

知ってるから、不安じゃないかなと思って」

 だからこそ、風の前では聞けなかった。

 「そやけど具合が悪いなんて話は聞いてへん。導師が様子みてはるんやし、どーんと構えてたらええのんちゃう?」

 「……」

 「もう…しゃあないなぁ。はっきりゆうて、お嬢さまがたの世界みたいに『出産予定日は何月何日』やなんて細かいこと

言う習慣、こっちにはあらへん。そやけどファーレンに行った頃に出来たてゆうんやったら、ヒカルお嬢さまの結婚式前ぐらいと

ちゃうか?」

 「・・・い、一年…以上っ!?」

 「ウチとラファーガはいつでもラブラブやさかい、『いつ出来た』なんて自分でもよう判らんけど、お嬢さまの言うた平均は、

なぁんや相当短い気ィもするし…。なんとはなしにっちゅうレベルの話やけど…、チゼータの踊り子仲間より長いことお腹に

抱えてた気が、せぇへん訳やないかな…」

 これまたさっぱり要領を得ないが、似ているようでもそこは異世界。これから先も知らないことはボロボロ出てきそうだと、

らしくもなくマリッジ・ブルーなどという言葉が頭をよぎる光だった。

  

 

  

                                                 NEXT