未来予想図 -Fuu-

 

 

 前期試験を終えた光と海が連れ立って、いつもより相当かさ張る荷物を持ってやってきた。たまたま広間にいたフェリオが

『今日はずいぶん大荷物なんだな』と声をかけると、慌てたように光が答えた。

 「私もちまちま引っ越し準備しないと、東京タワーにトラックで乗りつける羽目になっちゃうから、あははは…」

 とってつけたような答えだなと憮然としながらも、この際、風以外のことはどうだってよかった。この二人ならばあるいは…と

ちらりと思いはしたものの、風とフェリオのどちらに付くかと言えば当然ながら風の味方だろう。(いや、別段喧嘩をした訳でも

敵対している訳でもないが…)

 あれこれ思い巡らすフェリオの前で、光がそっと左手を胸に当てて小さく呟いた。

 「…ここへ戻れ…!」

 光の身体が紅い閃光に包まれた次の瞬間、その胸元に紅玉の嵌め込まれたペンダントが輝いていた。

 「はぁ、やっとこれが使えるよ…」

 光が苦笑した次の瞬間、大荷物がその中に吸い込まれて消えた。

 「魔法騎士の宝玉を持ち歩いてんのか…?」

 目を丸くしているフェリオに光がふるるっと首を横に振った。

 「あれはさすがに無くすと困るから、これは市で売ってる普通の旅人向けの宝玉。それにちょこっとランティスに魔法かけて

もらってるんだ。ちっちゃいサーヴァント≪使い魔≫もまだ喚べないから、その代わり」

 「普通の旅人に使えるかい…。俺がなんだってあんな馬鹿でっかい剣を持ち歩いてたと思ってんだ。それだって多少なりと

魔法適性がある奴でなきゃ使えねぇんだよ」

 「そうなのか?ランティスは普通に使えそうに言ってたけど…」

 魔導師の隠れ里に生まれ育ち、セフィーロ最高位の導師に師事した魔法剣士だけに、なにがしかの魔法は使えて当たり前と

いう感覚があるのかもしれない。

 やれやれと小さく肩を竦めつつまだ何か物問いたげなフェリオの様子に気づいた海が腕組みして彼を見据えた。

 「風に無理させたりしてないでしょうね?」

 「するものか!…ウミがそんなふうに聞くってことは、やっぱりフウはどこか悪いんだな!?」

 「…悪いというのかな、あれ…」

 「光!」

 たしなめるような海の声音に光の口がミッフィーちゃんばりのバッテンになっていた。

 「こんなところで油売ってちゃ駄目よ。フェリオってばちょっと自覚が足りないんじゃない?」

 先日もクレフに、お忍びをもう少し控えるよう釘を刺されたばかりのフェリオがムッとしていた。

 「自覚って、何のだよ!?」

 「あっきれた…。家族を養ってく自覚に決まってるじゃない!」

 両腰に手を当てた海が言い放つと、光が海のブラウスの背中をつんつんと引っ張っていた。

 「海ちゃん…っ!」

 「結婚したからには、妻である風といずれ生まれてくる子供を養ってくのが夫でしょうが。婚姻制度があろうとなかろうと、それは

セフィーロだって同じだと思うんだけど?親友の旦那サマにいつまでも独身気分でふらふらされちゃあ、心配のひとつやふたつ

したくなるわ。…とにかく、用事があるから今日は風を借りるわね」

 「……あとで、ちゃんと返せよ!」

 「ふふーん、場合によっちゃ利子付きかもね。行きましょ、光」

 子供の言い合いのようなやり取りを残して、娘二人は広間をあとにした。

 

 

 

 荷物を海の部屋に置いたあと、二人は風の様子を窺いながら海の部屋へと誘った。

 「なかなか来られなくてごめんね、風。調子はどう?」

 「まずまずですわ。就職活動をなさらないにしても、そろそろ卒業論文の準備もありますものね」

 本人が学びたい事を網羅したとはいえ、風の最終学歴は大学中退ということになる。風の優秀さを惜しんだ学科主任教授が

大学生活の集大成としての研究考察を卒論がわりに評価してくれていたので、その苦労の一端は判るつもりだった。

 「買うのが微妙に照れ臭かったんだけど、ハイこれ」

 「ありがとうございます。来るべき物が来ませんしもう間違いないとは思うのですが…。少し失礼しますね」

 風が確かめてくるのを、光と海も黙りこくったまま待っている。

 カチャリとドアの開いた音に、光たちの視線が集まる。風は二人ににっこりと笑んでいた。

 「間違いありませんわ。授かってます」

 ビーチフラッグスでもやるかの勢いでダッシュした二人が風の前で急停止する。

 「やったーっ!よかったね、風ちゃん!」

 「改めておめでとう、風」

 「こんなに早く授かるとは思わなかったので、準備がまるで出来ていなくて…。ご迷惑をかけてしまいました」

 「ちっとも迷惑なんかじゃないよ!男の子かな、女の子かな…。カルディナん家みたいに男女の双子もいいよね!あ、もちろん

男の子だけとか、女の子だけとかでも素敵だよ」

 「光ってば、あんたが舞い上がってどうするの…」

 「だって、風ちゃんはずっと『なるべく早く赤ちゃんが欲しい』って言ってたから…」

 「風の未来予想図は想った通りなのかしらね」

 「さあ。こればかりはコウノトリさんのご機嫌次第ですから。それにこれからが大変なんですもの」

 「ご実家でも喜んでらしたわ。お母様があれも持たせればよかったこれも持たせればよかったって、もう大変で…」

 「これでも空姉様がずいぶん厳選してくれたんだよ。東京タワーの展望台まで持ってけるようにって…」

 「それにしても海外旅行…しかもヨーロッパ周遊に持参するようなスーツケース五つは凄すぎませんか…」

 これを持ってあの展望台に上がったのかと、自分宛ての荷物ながら風が苦笑いしていた。

 「お上りさんだって一人一個が限界だよね。空姉様と、『忘れ物してるよ』って電話くれた覚兄様呼んで手伝って貰ったんだ。

覚兄様だけ二個持ち」

 「まあ…」

 「なんていうか…。絵に描いたような美男美女が馬鹿でかいスーツケース持ってるもんだから、注目浴び倒してたわよ」

 「あははは。いきなり大荷物が消えて回りの人たちびっくりしたかなぁ…」

 こちらの世界へと吸い込まれる刹那、何やら言葉を交わしている覚と空を見たような気がしたものの、光がこれといって何も

言わないので見間違いだったろうかと海は小首を傾げていた。

 五つのスーツケースのロックのそばに、これまでに見た覚えのない1〜5の数字のタグが付けられていて、風はまず1番から

荷を解いた。開けてすぐ判るところに白い絹目の和封筒とアイボリーの洋封筒が挟み込まれており、それぞれの裏には母と姉の

名が記されていた。

 「お母様と空お姉様からですわ…」

 「本当なら顔を見てお話ししたかったでしょうね」

 こういう折には、電話もメールも届かない遥かな国へと嫁いでしまったのだと、しみじみと実感が沸き起こる。

 まず母の手紙を、そして姉の手紙を読み終えた風の頬に涙がひとしずく零れた。

 「風ちゃん…」

 「『妊娠中の体質は母親似になるケースが多いようですから、切迫流産にはくれぐれも用心なさいますように』って…」

 それを聞いた光が唸っていた。

 「うーん、セフィーロで妊婦検診なんてやってたかな…」

 「どうでしょうか…。空お姉様の時にも私の時にも切迫流産で入院した経験があるそうすから、私も用心したほうがいいとは

思うのですが、あまり身体を甘やかしすぎるのも体重が増えるばかりになりそうですわね」

 「バランス良く食べて、無理のない適度な運動するしかないね。中庭のお散歩とか」

 「フェリオとお忍びで城下街うろうろは駄目よ、ふふふっ」

 「さすがにそれは当面自粛ですわ」

 「もう話すんだろ?フェリオ、びっくりするかな?」

 「本当は安定期に入るまで黙っていたいぐらいなんですけど…」

 「どうしてよ、風!?」

 「切迫だけじゃなくて…、本当に流れてしまったことも三度ほどあったようですから…」

 きゅっとくちびるを引き結んでいた光が風の右手を両手でくるみこんだ。

 「……でもさ、やっぱり話さなきゃ……。フェリオをがっかりさせたくない風ちゃんの心づかいも解るけど、風ちゃん一人で

抱え込むなんてよくないと思う。風ちゃんとフェリオと…二人から生命を分けて貰った子なんだから、フェリオにも知る権利が

ある……っていうか、知っとかなきゃ駄目だよ!」

 「光さん…」

 「私も光の言い分に賛成。風が自分で言わないなら、私たちがバラしちゃうわよ」

 「海さんっ!」

 「さっきだってすっごく風ちゃんのこと心配してたんだよ、フェリオ」

 「そうそう。心優しい乙女の私たちとしては黙ってるのが苦しくて苦しくて…。ぽろりとしゃべっちゃいそう」

 からかうような、というよりなかばおどすような二人に風が白旗を掲げた。

 「お二人に話されるぐらいなら、自分できちんと話します」

 「それでこそ我らが風よ。さて、この荷物どうする?新居のほう?」

 「いえ、子供部屋にあてる部屋はありますけど、しつらえが整っていませんから、元の私の部屋へ。あれから換気もして

ありますわ」

 さっき開けたスーツケースを風が閉じるのを待って、光がまた宝玉にしまい込む。

 「光さんのペンダント、とても便利そうですね」

 「えへへ、城下街とかでお買い物する時にいいんだよ。ランティスが一緒なら持ってくれるんだけどさ」

 「え゛…、あいつが荷物持ち…?」

 この国唯一の魔法剣士である偉丈夫にそんなことをさせているのかと海が呆れていた。

 「私の中の魔法剣士といいますか親衛隊長の定義がぐらぐら揺らぎますわ」

 「そんなに変かな?じゃあフェリオやアスコットは女の子に荷物持たせて平気な顔してるのか?」

 「フェリオはフェミニストですもの。きちんとエスコートしてくださいますわ」

 「私、フルーレより重い物は持てないの。まあマッチョって訳じゃないから、さっさと友達喚んでるわね」

 私の魔神は私のもの(モコナが次元の彼方へ連れていったようだが…)、カレシの招喚獣も私のものとでも言い出しそうだ。

 「じゃあランティスが持ってくれたっていいじゃないか…」

 光がぷうっと膨れっ面になる。

 「なんていうか…キャラの問題よ」

 「やはり意外性には女心を大きく揺さぶられますものね」

 「意外って…。ランティスが優しいこと、みんなが知らないだけじゃないか」

 「はいはい、言ってなさい。それにしても、さすが風のお姉さん、ナンバータグなんてつけて几帳面よね」

 「順を追って開ければいいように荷造りしてくださったみたいです」

 1番には母親と空からの手紙や、妊娠が判ってすぐに読みそうなプレママ向け雑誌。東京の役所で貰うことの出来ない

母子手帳代わりの、可愛らしいマタニティダイアリー。東京とあまり気候が変わらないと聞き選んだシックなマタニティウェア。

母の経験が参考になるだろうからと、大切に保管されていた空と風を授かった時の母子手帳のコピーと、母親の記憶から

書き起こした物が添えられていた。

 「空お姉様の字ですわ…」

 「凄いね、こんなにたくさん」

 「いいわねぇ、きょうだいって…」

 一人っ子の海は心底羨ましげだ。

 「…これは姉様にしか出来ないよ。兄様が三人居ても、こんなの絶対無理だ…」

 「光さんったら。忘れ物を届けてくださる優しいお兄様じゃありませんか」

 「そうよ、光。贅沢は敵なんだから」

 「判ってるよ。でも世の中には『無い物ねだり』って言葉があるって知ってる?」

 珍しく光が理屈をこねている。

 「まあ、光にはまだ望みがあるわよ。お兄さんたちに優しいお嫁さんが来たら、お義姉さん三人出来上がり!ってね」

 「兄様がたのお嫁さん…?そっか。義姉様が出来るんだ…。覚兄様なんか結構お見合い持ち込まれてる筈なんだけど、

そんな気配ないなぁ」

 不在がちな家長に代わり獅堂家を仕切る身としては、末っ子のややこしい嫁入りが片付くまで落ち着けないのかもしれない。

 「光のお兄さんたちってそれぞれにカッコいいけど、やっぱり覚さんが別格って感じよねぇ。頼れる大人の男の落ち着きって

いうか…」

 「あら、海さん…。年上の方に転向ですか」

 「うわぁ…。アスコットが泣くよ?」

 ここで『泣く』と言われてしまうあたりがなんとも情けないのだが、出会った頃からアスコットに泣かれると海はどうにも弱いのだ。

 「奪い返しに来なさい…!ってのは物理的に無理か…」

 どこまで本気なのかそう呟いた海に、光が言ってはならないことをポロリと零した。

 「海ちゃんが義姉様なんて、ちょっとコワイかも…」

 「なんですって〜!?コワイと言ったのはこの口かぁ〜〜?」

 光のよく伸びる両頬を引っつかんで、海がむにむに引っ張っている。

 「う゛み゛ち゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛ん゛、ご゛め゛ぇ゛ぇ゛ん゛」

 「海さん、そこそこにしませんと光さんがお多福になってしまいますわ」

 「口は災いのもとなのよ。反省なさい!」

 「はひぃ…」

 ほっぺたをさする光に風がくすくす笑っている。

 「笑いすぎて喉が渇いてきましたわ。お茶に参りませんか?」

 「それなら光が淹れてくれるわ、ね?」

 「あ、うん。あのね、妊婦さん向けの≪たんぽぽコーヒー≫っていうのを商店街で見つけたんだ。味見してみたけど結構

香ばしくって美味しかったよ」

 勝手知ったる海の部屋とばかりに、光がパタパタとお茶の準備をし始める。

 「で、味見するだけして、お家の台所に置き忘れたのよね、これを」

 「大学の友達から電話が来たりして、ばたばたしてたからさ。で、覚兄様が『忘れてるよ』って連絡くれたんだ」

 「忘れ物届けて貰うだなんて、小学生並なんだから」

 「反省してるよ。だけど覚兄様が居てくれたおかげで楽に運べたじゃないか。空姉様と三人でこれ五つはきつかったって」

 「まあね。向こうに帰ったらお礼にケーキでも焼くわ」

 「やったぁ!」

 「ひぃかぁるぅ、私は覚さんに焼くのよ?」

 「もちろん覚兄様が最優先だよ。でもきっとお相伴にあずかれるもん!……はい、たんぽぽコーヒー、入ったよ」

 「クッキーぐらいしかないけど、召し上がれ」

 「いただきます。――本当に香ばしいですね」

 「なるほど。カフェイン中毒の妊婦さん向けね。しばらくこれで代用しろってことか」

 「こっちの妊婦さん向けの物はカルディナに教えて貰えるよね。なんてったって先輩ママさんだもん」

 「≪肝っ玉母さん≫って雰囲気だから、どこまで風が参考に出来るか判んないけどね」

 「あのヴェールを魔法でベビースリング代わりにされていたのには驚きましたけど…」

 「≪守りの風≫でゆりかご揺するのはやめなさいよ」

 「あら、いけないでしょうか」

 どうやら試してみる気はあったらしい。

 「カルディナのは判んないけど、私たちの魔法って心が疲れるみたいだし、育児で疲れてるところに追い打ちかけちゃうかも

しれないよ。ベビーバギー使うなら頑張って運ぶからさ」

 城下街での情景を思い起こしていた光が、こちらで見た覚えのないグッズをあげてみる。

 「そういえば、普通に抱っこの人しか見てないわね。ベビースリング使ってる人も見覚えないような」

 そもそも赤ん坊のいる知り合いというのもカルディナぐらいしか心当たりのない三人では手持ちの知識もしれている。

 「これからたくさん勉強しなくてはいけませんわ」

 「ふふっ。頼りにしてるわよ、風♪」

 「まぁ、海さんったら」

 「結婚式も出産・育児も風ちゃんが私たちのお手本だもん」

 「光さんまでそんなことおっしゃって…。来年には嫁いでいらっしゃるんでしょう?」

 「…の予定だけどね。実は風ちゃんの結婚式から帰ったあとに話したんだよ。ランティスのこと」

 「猛反対されてるんでしょ」

 「優兄様と翔兄様がね。父様母様と覚兄様は『大人なんだから好きにしなさい』って」

 「溺愛されてるもんね、光…」

 予想通りと海が苦笑いしていた。

 「別にね、駆け落ちしたっていいんだけど…、でもやっぱり納得して見送って欲しいなって…甘いのかなぁ…。まあ一年あるから

頑張って説得してみるよ」

 気合いを入れるように、光は自分の両頬をぴしりと叩いて風に向き直った。

 「いつか参考にさせて貰うから、今は遠慮なく使ってね。最大限協力するよ」

 「≪情けは人の為ならず≫を実践するだけなんだから、びしばし働くわ」

 「はい、頼りにしてます。光さん、海さん…」

 

  

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