Cinderella☆Honeymoon

 

 

 「・・・・・行っちゃったわね。風は雲の上の人か・・・・・」

 首が痛くなるほど見上げていたセフィーロの空にファーレンの童夢が消えると、海がぽつりと呟いた。

 「そうだね、もうセフィーロの大気圏を出たのかな。童夢って意外と速いんだ…」

 同じように見上げていた光が、強張ってしまった肩をほぐそうと後ろで手を組みぐーっと伸ばして返事をした。

確かに童夢の姿は雲間に消えたが、海はそんな意味で言ったのではなかった。

 「違うわよ、光。地球では普通の…でもないけど、ちょっといいおうちの出の女子大生だった風が、セフィーロ

王位継承者のお妃様になっちゃったってこと!セフィーロ版シンデレラとでもいうのかしらね。――雲上人って

意味よ、解る?」

 「海ちゃん・・・」

 戸惑い顔の光は、すぐには言葉が続かなかった。

 「世が世ならもう口も聞いてもらえないところだわ」

 「そんなこと…っ。フェリオだって王子さまになってからも私たちと普通に接してくれてるじゃないか。風ちゃん

だってきっと…!」

 「きっとそうね。でも私たちが考えるより、もっと大変な覚悟を決めたんだろうなと思うと、なんだかね・・・」

 エメロード姫亡き後の≪柱≫に選ばれた光が、『≪柱≫ひとりだけではなく、セフィーロを愛するみんなで

この世界の未来を築いていこう』と望んだことで、混乱がないわけではなかった。

 さまざまな事情を知っていた姫に近しい者はともかく、やはり市井の民には心のよすがとなる存在が必要

だった。それが姫の弟であるフェリオ王子だ。一度にあれもこれも変わっていくことについていけない人々に

とって、いにしえより続く王家の存在は心の支えでもあった。その最後の一人である王子が美しく聡明な

花嫁を得られたことは、新生セフィーロの民にとってもこの上なく喜ばしいことだった。

 「そう思うんなら、なおさら私たちは変わっちゃダメだ。今までも、これからも、風ちゃんは私たちの大切な

仲間なんだから――」

 「光…。そうよね。この世界で三人きりの、かけがえのない仲間だったんですものね・・・」

 新しいセフィーロのありようを決めたのは光自身だ。フェリオを愛していることが第一としても、光の想いを

酌んでくれているのもまた確かだろう。その風に応える為にも、いま学んでいることをしっかり物にしなくては

ならないなと光は改めて気持ちを引き締めていた。

 

 

 

 

 「…フウ、聞いてもいいか?」

 フェリオがふわりと柔らかな髪に隠された彼の恋人…、もとい、新妻の耳元で囁きかけた。

 「どうかなさいました?」

 「シンコンリョコウってやつはこんなにジロジロと他人(ひと)に見られるもんなのか…?」

 「普通は違うと思いますけど。お立場がお立場ですもの…」

 伝説の魔法騎士・鳳凰寺風を娶るにあたり、フェリオ王子は彼女の生まれ故郷である異世界・地球の

慣習にのっとりセフィーロ初となる結婚式なるものを執り行った。

 かつて敵対していた三国からも盛大な祝福を受け、夫妻での初の外交活動としてファーレンへの

公式訪問を行うことになっていた。王室・皇室外交が歓迎されるのは地球もこちらも変わらないらしい。

 結婚式に駆け付けてくれたファーレンの第一皇女アスカの龍型艦・童夢に招き入れられ、異国への

新婚旅行(いや公式訪問!…なんてどうせ口実だけど・笑)に出たまでは良かった。

 ファーレン皇家御用達最高級素材の手触りも滑らかな民族衣装を贈られ、早速着替えてみては、

『最上級シルクのチャイナドレスみたいですわ…』だの、『そういうスレンダーなドレスもそそられるよな…』

などと囁いて風の頬を赤らめさせたりと、初めての二人旅に浮かれてもいたのだろう、バカップル呼ばわり

されても致し方ない様相を呈していた。

 当然のように貴賓室をあてがわれたはいいが、続きの間とはいえお付きの女官たちが室内にいたのでは

思う存分イチャイチャ出来ない…もとい、しっぽりとすごせないので、『身の回りのことは自分でやる流儀

だから』と側仕えを固辞した。

 ……した筈なのだが、童夢に乗り込んで以来、フェリオはふとした拍子に視線というか人の気配を感じて

仕方がなかった。明らかに他人が居る場所ではもとより、二人きりのはずの室内でもだ。

 あまりの落ちつかなさにどうにも我慢がならず、ついには隅から隅まで部屋中を検分したりもした。

一人流浪の旅をしていた頃でさえ、フェリオはこんなことをした経験がなかった。ファーレン滞在中は

皇家に手厚く遇される身でありながらそのような行為に及ぶのは非礼にも当たるのだが、風はそんな

フェリオを咎めもせず、やはり僅かに眉を曇らせて部屋の中を見回していた。

 「フェリオも何かがおかしいと感じてらしたんですね…?」

 「フウもか…。これといって妙なモンもないみたいだがな」

 「オートザムのカメラクルーは来ませんでしたから、どっきりカメラの心配は不要でしょうけど…」

 「『ドッキリかめら』?…なんだそりゃ」

 「地球のテレビ番組の大掛かりないたずらですわ。それを隠し撮りして全国放送するんです」

 「・・ひでぇな」

 「ファーレンの方はテレビカメラに慣れてらっしゃらないようでしたし、スタッフごと着いてきたとは考え

難いですから、それはないと思いますけど…」

 講和成立後の華やかな慶事ということで、オートザムからテレビクルーが大挙してセフィーロに押しかけた

のだ。オートザム大統領令息であるイーグル・ビジョンが座乗艦NSXでやってくるのだから本来なら民間人が

乗れる筈もないのだが、どうやら結婚式を見たかったイーグルの母(つまり大統領夫人)・レディ=エミーナの

発案だったらしい。

 聖堂(注:いつもお茶会をする広間のこと)に十台以上並んだカメラを見て、カメラに追い回された挙げ句非業の死を

遂げた地球の某国元皇太子妃をふと思い浮かべてしまっただなんて、口が裂けてもフェリオには言えなかった。

 民間から高貴の血筋に嫁ぐシンデレラに喩えられるという点では確かに重なるが、王子とはいえフェリオは

悲恋に消えた姉姫のことでつらい想いを乗り越えてきているし、旅の中で庶民の暮らしにも触れている。

 いずれ国王としてセフィーロを治めることになるこの王子は世間知らずなお坊ちゃまではないし、その妃と

なった風もまた苦しい戦いをくぐりぬけてきた一人だ。その二人が手を取り合っていけば、越えられない山など

ないように思えた。新しい理(ことわり)のもとに動き始めているセフィーロには、二人を支えてくれる大勢の

仲間もいるのだから――。

 

 せっかくの巣篭もりだというのにどうにも落ち着けない(え?落ち着きたかったの?w)船旅ならぬ空往く龍の旅を

過ごすうち、二人は童夢がまもなくファーレンへの着陸態勢に入ることを知らせるアナウンスを聞く羽目に

なってしまっていた。

 

 

 

 紫禁城を思わせる広大な皇宮にほど近い空港に、アスカ専用龍型艦・童夢がその長大な躯体を横たえて

いた。空港から皇宮正門までの沿道には、セフィーロの年若い王位継承者夫妻を一目見ようと多くの市民が

小旗を持って待ち構えていた。

 「ずいぶんと・・・大勢いらっしゃいますわね…」

 「マジかよ。勘弁してくれ」

 茫然としている二人にファーレン第一皇女のアスカが誇らしげに告げた。

 「ファーレンの民はいつもわらわの帰りを出迎えてくれるのじゃが、今日は特別に多いのじゃ。やはりみな

セフィーロの美しいお妃様を見たいのじゃな。そう構えずとも、にっこり笑って手を振ってやればいいのじゃ」

 美しくて頭もいい、それでいて魔法騎士として強さも兼ね備えている風はアスカにとって憧れの存在だったが、

今日だけはちょっと先輩顔が出来そうだった。ワガママ放題やっていてもそこは第一皇女、≪にこやかに

お手振り≫は慣れたものだ。

 「沿道のみなさんに手を振るのですか?私が…」

 初めて風がフェリオに出逢った時、彼のことはちょっぴり気障な真似をしたりする旅の剣士だと思っていた。

つらく哀しい伝説の戦いの後、ふたたび崩壊の危機に立たされたセフィーロに招喚され再会した彼が、実は

セフィーロの王子なのだと知らされた風は打ちのめされるほどの衝撃を受けた。

 セフィーロの王子である彼のたったひとりの姉を伝説の戦いで手にかけたのは、異世界から招喚されし

魔法騎士――獅堂光、龍咲海、そして鳳凰寺風――他ならない彼女自身だったのだから。

 それが彼女たちの望みだった訳ではないことは、彼らが一番よく理解してくれていた。何の関わりもない筈の

セフィーロの為に彼女たちの心と身体を傷つけたことを、彼らは心底悔やんでいた。

 エメロード姫亡き後、柱の座を狙って侵略の手を伸ばしてきた者たちからセフィーロを護る戦いの中で、

風とフェリオはお互いを大切にしたいという気持ちを確かめあっていた。

 今にも消え去りそうなセフィーロを光が救い、魔法騎士としての役目を終えた後も、彼女たちはこの世界へと

足を運び続けていた。自分たちが救った、といってはおこがましいが、少なからずその存続に関わった国の

行く末を見守りたい、そして何より、三人が三人ともこの世界の住人に心惹かれてしまっていたからだ。

 窮屈で退屈な王宮暮らしを嫌い剣の修行に明け暮れていたというフェリオは、ともすれば王子であることを

忘れてしまうほど気さくだった。だから風も忘れていた…というより、少し目を瞑りたいと思う時期もあったのだが、

次から次へとクレフに帝王学全般を授けられているフェリオの姿に、覚悟を決めて大学の進路も大きく変更した。

 そしてその結果としていまフェリオ王子の妃としてここにいるのだが、≪にこやかにお手振り≫というのは、

その覚悟の範疇の外側にあった。

 「やっと迎えの車が来たの。…遠来の客を待たせるとはなっておらんのじゃ」

 アスカの声に物思いを中断された風は、我が目を疑っていた。

 「――あの……、あれに、乗るのですか……?」

 長崎あたりか、あるいは中国で見かけるような極彩色のドラゴンボートが地上を走ってきていた。

 「そうなのじゃ。わらわ専用の龍車に客人を乗せるのは初めてなのじゃ」

 にこにこと笑うアスカに、風とフェリオは曰く言い難い微苦笑で一瞬視線を絡ませていた。

 

 はっきり言って著しく趣味にそぐわない乗り物を我慢しつつ、≪にこやかにお手振り≫というのはある種の

拷問だったが、これも国際親善と割り切り二人はそれに耐えていた。

 龍車が皇宮の門をくぐると一息つく間もなく、皇帝陛下との謁見の儀や晩餐会などの公式行事をこなし、

あてがわれた部屋に引き取る頃にはキスを交わす気力もないほど二人は疲れきっていた。

 

 

 「――あの王子は意外に気配に敏いのじゃな。わが国の最精鋭のシノビを気(け)取るとは…」

 童夢内での作戦が失敗したことにアスカが不満そうに呟いていた。

 「よろしいのですか、アスカさま…。あのようなことをなさったのがばれたりしたら、セフィーロの妃殿下が

お気を悪くなさいますよ?」

 「言うなサンユン!……じいはいつもいつも、『姫君としての自覚をお持ちくだされ!』だの、『このままでは

婿も取れませんぞ!』だのと、お説教ばかりじゃ。皇家の存続の為にも、婿が取れんのはわらわも困る……。

じゃから・・・・・」

 「アスカさま・・・」

 いつも勝気な姫君のほんの少し思いつめたような顔を見ると、側仕えの少年はなんと慰めればいいのか

言葉が見つからなかった。

 

 

 三日間にわたる公式日程のあれこれを終えると、その後は本当に二人だけで過ごしたいからとSPも断り、

観光マップを片手にファーレンの名所旧跡を訪ね歩く新婚旅行モードに突入していた。

 博物館で歴史的遺物をじっくりと見るときも、サンユンが女官たちから情報を集めてくれていたおすすめ

グルメの店でランチを味わうときも、九塞溝ばりの清冽で広大な景観を眺めるときも、相変わらず二人は

時折くるりと振り向いては背後を気にしていた・・・・。

 

 

 

 

 童夢のときとは違い、さすがに皇宮内の部屋では妙な視線や気配を感じることはなかったが、それでも

なんとはなしに声を潜めて二人はお互いの耳元で囁きあっていた。

 「――気のせいだとか、自意識過剰だとか、そういう問題じゃないよな・・・?」

 「ええ、私もそう思います。間違いなくつけられていますわね、ずっと」

 「プライベートにうろついてはや三日・・・。誘うつもりで人気(ひとけ)のないところにも行ってやったのに、

一向に仕掛けてこないのはどういう訳だ…」

 「私たちが油断するのを待っているのかもしれませんね。剣も魔法もいつでも使えるようにはしています

けれど…」

 かつて魔法騎士の剣を収めていた風の緑の宝玉は、普段はティアラとして使うことも多いのだが、今回の

ファーレン行では使いづらいだろうからと左腕を護る長い腕輪のような形に姿を変えていた。

 「どこのどいつだか知らないが、俺たちに喧嘩を売ったらどうなるか、思い知らせてやらなきゃな…」

 「フェリオ・・・・。あ………っ」

 立派な天蓋つきのベッドで柔らかな羽毛布団に潜り込みながらそんなことを囁きあう二人の言葉は、

夜の深まりとともに途切れがちになっていった。。。。。

 

 

 

 

 深夜に童夢で飛び立つ予定のフェリオと風のファーレン滞在ももう残り僅か。きらびやかな香港の夜景を

思わせる照明に彩られた街で、北京ダックやフカヒレの姿煮などの中華料理を思わせるファーレン料理を

満喫した二人は、寄り添い腕を組み夜の街のそぞろ歩きを楽しんでいた。

 「今日も来たな…。俺たちつけて何が楽しいんだか」

 今宵もファーレン風の衣装で艶っぽく美しい妻に囁くのが愛の言葉ではないのは残念な限りだった。

 「皆勤賞を差し上げなくてはなりませんね」

 「俺たちのシンコンリョコウを覗き見したオトシマエはつけてやる。いいな?フウ」

 「はい」

 日頃は穏やかな風だが、一生に一度の新婚旅行を台無しにされては怒るのも当然だった。

 観光客の団体の影に紛れて賑やかな通りから裏手の路地へと入り込むと、二人の行く手を遮る三人の男が

居た。

 「見せつけてくれるねぇ…。有り金全部とその別嬪さん置いてけよ。そうしたらおめぇは見逃してやるぜ?」

 散々つけ回していたのがそんなちゃちな理由だったのかと、二人は顔を見合わせた。怖がる様子のない

二人と、ファーレンでは見かけないその髪色に男の一人が肩を竦めた。

 「なんだよぉ、その薄〜い反応は・・・・。ヨソモノか?言葉、通じてないんじゃねぇの?」

 クレフが授けた帝王学のうちには外国語も含まれていたので、フェリオもその授業に付き合っていた風も

日常会話には困らなかった。

 「別嬪さんと言っていただけるのは嬉しいのですけれど、あなたがたに差し上げるような無駄なお金なんて

持ち合わせてはおりませんの」

 にっこり笑ってそう言った風の宣戦布告で、風を後ろに庇ったフェリオとならず者たちの一対三のバトルは

始まった。

 

 

 「何をしておるのじゃ。はよぅ二人を探すのじゃっっ!」

 「「「ははっ!」」」

 甲高い居丈高な少女の声に複数の野太い声が答えるが、その声のするあたりにそれらしき人影は見当たら

なかった・・・。

 

 

 一人旅の間にも城に戻ってからも喧嘩の腕に覚えがあったフェリオは、瞬く間に三人を畳んでしまっていた。

 「ふん。口ほどにもないやつらだな。血を見たくなかったらとっとと失せろっっ!」

 「くっそー、覚えてやがれっっ!」

 見た目には酷くないが肩や肘の関節を外してやったので、痛みは強烈なはずだった。そそくさと逃げ出す

三人を見送り風が呟いた。

 「こういう場合の捨て台詞って、どこの世界も変わらないんですね…」

 パンパンと服の埃を払い終えると、フェリオは風の肩を抱いた。

 「大丈夫か?」

 「それは私の台詞ですわ」

 「関節外すだけだったから、拳も腫れないさ。

そろそろ戻る…か…」

 風にくちづけようとしていたフェリオが表通りへの出口あたりをきっと睨みつけた。

 「ちっ…。さっきのはただの通りすがりの雑魚か。本命がおいでなすったぜ」

 人の気配は確実にある。それでも姿が見えないのはなんらかの魔法で姿を隠しているとしか思えなかった。

 「そちらがそのおつもりでしたら、炙り出して差し上げますわ。碧の疾風ーっ!!」

 狭い通路をかまいたちのような旋風が駆け抜け、見えない壁を切り裂いた。

 「きゃあっっ!!」

 子供の声で上がった悲鳴に風が目を丸くする。見えない壁が風の魔法に裂かれると、一幅の巻物が

裂かれたような物が突然現れぼうっと燃え出した。燃え尽きた巻物が白い灰となって、術を破られたその声の

主の頭上に降りそそいでいた。

 「まぁ、アスカさん!?」

 「…が、引き連れてるのはなんなんだよ・・・・!?」

 幼い主君を護るように、一戦も辞さじと五人のシノビがアスカを囲んでいた。

 「そのほうらは下がるのじゃ!フウたちに手を出してはならんのじゃ!!」

 「「「「「ははっ!」」」」」

 艶やかな黒髪が灰まみれになったままぎゅっとくちびるを真一文字に引き結んでいる幼い姫を見て、

微苦笑した風が優しく声をかけた。

 「姫様のそんな格好をご覧になられたら、国民のみなさんがご心配なさいますわ。そろそろ童夢に

向かうお時間でしたね。龍車のお迎えもいらしたようですし、参りましょうか…」

 こくりと頷いた少女を立たせて、フェリオ夫妻とアスカは龍車で街をあとにした。

 

                                                  NEXT

 

 

 

                             このお話の壁紙はさまよりお借りしています