あなただけの。vol.1

 

 

 「う…ん。あと五分…」

 ごく稀に寝ぼけはするが、総じて寝起きのいい光なのに、その朝だけはいつもと違っていた。誰かが、

いまは下ろしてある光の長い髪をもてあそび、毛先で頬をつついている。

 「五分、三分、二分、五分…もう十五分になるぞ、ヒカル」

 光の耳元でささやく低い声は、少しだけ笑っているように甘く響いた。

 「ラン、ティス…?」

 ランティスの声で起こされるなんて、いい夢見ちゃった…、ぼんやりとそんなことを考えながら、光は

ゆっくりと目を覚ます。

 「あれ、まだ夢見てる…?ランティスに起こしてもらったのに…」

 吐息を感じるほど目の前で、自分の腕を枕にして横たわったランティスが、じっと光を見つめていた。

 「意外に寝起きが悪いんだな。これなら目が覚めるか?」

 長い髪をもてあそんでいた右手をうなじに回し、ランティスは自分の身体を起こして軽くくちびるを重ねた。

 「!?」

 その感触で光は一気に覚醒し、どうしてランティスのそばで目を覚ますことになったのかを思い出した。

 「えーっと、その…、おはよ、ランティス」

 恥じらっている様子が愛らしくて、ランティスはそっと光を抱き寄せる。

 「おはようと言うには、よく眠ったな。…少し、無理をさせたか…?」

 「え?あのっ、ううん、大丈夫」

 「ヒカルの大丈夫はあてにならない」

 ほんの少しからかうような口調のランティスの胸に、光は額を押しつけた。

 「だって、ランティス、ずっと優しかったよ?すごく、すごく、私のこと大切にしてくれる気持ちが、ここから

あふれてた…」

 「まずいな。ヒカルには隠し事が出来なくなりそうだ」

 くすっと微笑ったランティスを、光が上目遣いに軽くにらんだ。

 「か、隠し事ぉ…?浮気はダメだからね!」

 「ヒカル以外の女に興味はないが…、たとえば」

 光の耳たぶを甘噛みして、ランティスが吐息でささやく。

 「いま、どのぐらいヒカルが欲しいか、とか…」

 耳まで真っ赤になった光が、ランティスの厚い胸板をポカポカと叩いた。

 「いっ、いきなり何を言うかなっ!」

 じゃれつく子猫をあしらうように光の腕をつかまえると、ランティスが笑った。

 「あまり暴れるとはだけるぞ」

 光が熟睡している間に身支度を整えたランティスと違い、光が身に纏っているのは、ランティスが掛けて

やったブランケット一枚きりだ。

 「ゃん!」

 ランティスの視線を追って、鮮やかに残された胸元の所有の印に気づき、光は慌ててブランケットを引き

上げた。

 「いまさら隠さなくても…」

 「そっ、そういう問題じゃないの!」

 「そういう姿もなかなか挑発的なんだがな」

 「もう!ランティスのばか!」

 ふくれっ面の光の髪を、ランティスはくしゃりと撫でた。

 「からかうのはこのくらいにして…。シャワーでも浴びるといい。そのあと、城下町へ出よう」

 「え?」

 「朝のお茶の時間も過ぎてる。いまごろ二人で広間に顔を出しても、餌食にされるだけだ」

 「あ、やっぱり…?」

 「俺は少し導師のところに行ってくる」

 「今日、お仕事だったのか?」

 迷惑をかけたのではないかと案じている光の頬に、ランティスが優しく触れた。

 「いや。そう急がない案件だったんだが、ヒカルの寝顔を見ながら片付けた」

 「起こしてくれたらよかったのに…」

 「毎日見られる訳じゃないからな」

 「ゴメンね」

 「それは、いずれそのうち、な。じゃ、行ってくる」

 「行ってらっしゃい」

 新婚家庭みたいだとひとりで赤面しつつ、ブランケットに包まっていた光はベッドから起き出した。

 

 

 光が手早く身支度を整えた頃にランティスが戻り、二人は連れだってバルコニーへと向かった。

新生セフィーロも真夏と呼べるような時季を迎えて、眩しい陽射しが降り注いでいる。ランティスが

招喚した黒い馬に似た精獣エクウスが、光の長い髪をはんで親愛の情を示した。

 「エクウスってば、髪噛んじゃダメだよ」

 ダメと言いつつ、光が本気で怒らないのでエクウスは一向にやめる気配がない。

 「ずいぶん気に入られてるな。俺にもそんなことはしないのに」

 「ランティスは髪が短いし、サークレットで押さえてるからじゃない?…もしかしたら、髪色がこれ

だから金時にんじんと間違えてるとか」

 「キントキニンジン?」

 首を傾げたランティスに、光が笑って説明する。

 「地球の馬が好きなにんじんって野菜の品種のひとつなんだ。エクウスおなか空いてるのかな?」

 「精獣に餌をやる慣習はないが」

 「ふぅん。じゃ、異空間で食べてるのか」

 エクウスと戯れる、というより、エクウスにもてあそばれている風情の光を、幾分不機嫌な顔をした

ランティスが、ぐっと自分のほうに引き寄せた。

 「わっ!どうしたんだ、いきなり」

 光には答えず、ランティスはエクウスの鼻先に指を突きつけた。

 「ヒカルは俺のものだ。お前が遊ぶな」

 「ランティスったら、それヤキモチ?」

 一瞬びっくりして目を丸くした光がクスクスと笑い出した。

 「…悪いか?」

 抑え切れない独占欲と、子供じみた態度を見せてしまった情けなさとがないまぜになったランティスを

見上げて、光がぎゅうっと抱きしめた。

 「私、好きな人も好きなものもたくさんあるけど、ランティスは特別だよ。言わなくても、知ってるでしょ?」

 「それをいうなら、ヒカルだって知っているだろう?」

 「『トウキョウになんか帰さない』って、思ってるけど、それを言っちゃいけないって、抑えてくれてるのを

知ってるよ」

 光の頭をぽむぽむと叩くと、ランティスは天を仰いだ。

 「やはりヒカルには隠せない。メディテーションも考えものだな」

 「ふぅん、そういうこと言うんだ。メディテーションやめたら要注意ってことだね。覚えとこう」

 誰にレクチャーされたのか、ツボを押さえた毒の仕込みかたで、先々ランティスに隠し事をされないよう

牽制をかけている。

 「ヒカル!?」

 「ランティスが興味なくても、狙ってる女性は多いし、私だって心配なんだ。時間がなくなっちゃうから、

おしゃべりはエクウスに乗ってからにしない?」

 促されるまま、さきほど光を奪い合った精獣の背に二人で乗ってセフィーロの空に駆け出す。

 「…プリメーラのことか?」

 光が心配するような女性の心当たりのないランティスは、それぐらいしか名前が浮かばない。

 「プリメーラは妖精さんだから別にいいよ。城下町にみんなと行ったときなんか、熱い視線がビシバシ

飛んできてたじゃないか」

 「俺はヒカルしか見てないから、気づかなかった」

 気配に敏感過ぎる魔法剣士殿は、どうやら命の危機に関わらないものはスルー出来るらしい。

ランティスは熱い視線をスルー出来るだろうが、そのランティスの優しいまなざしの先にいて、違う意味で

熱い『なんなのあの子は?』的嫉妬の視線を浴びせられる光は、落ち着かない気分も味わっていた。

二人で出掛けた時も、みんなで出掛けた時はなおさら、どちらも気恥ずかしさから腕を組んだりしない

(もっともこの身長差では、光がしがみついてる格好になりそうだが)ので、外野には恋人同士なのだと

判りにくいのが、余計な期待を抱かせる一因なのかもしれなかった。それならば…。

 今日の白いワンピースなら、少しは大人っぽく、ランティスの隣に居るに相応しい女に見えるだろうか

などと光が考えているうちに、エクウスは城下町の入り口近くへと降り立った。

 

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