Traveling Stone 《旅の石》

  

 


 

 『汝、声に応(いら)えし者……我が問いに答えよ…』

 細い洞穴を抜けたそこには山の半分がたを刳(く)り貫いたかのような巨大な

空間が広がり、一番奥まったところに何者かが鎮座していた。

 「…わたしに…わかることなら…」

 突然光がそう言ったことにランティスは眉をひそめた。光には何かが聞こえて

いたのかもしれないが、ランティスには風鳴りのようにしか聞き取れなかった。

 『汝が我が声を聴くとは、異なことだ…』  

 ランティスの耳には岩場に砕け散る波のような音しか聞こえない。

 「…でも、呼ぶ声がしたから…、ここまで来たんだ…ウィンダム、セレス」

 光が呼んだ名はランティスにも覚えがあった。鳳凰寺風が纏っていた空神と

龍咲海が纏っていた海神の名だ。創造主とともにセフィーロを去ったはずの

あれらがこんなところにいたのだ。

 『炎神に認められし者に我らは纏えぬ…。だが汝であれば、聞きたいことは

ある…そこの者にもな』

 ごうぅぅぅっという風の唸りが途切れた刹那、遥か高位に在る者の圧倒的な

力の前に殻円防除の壁が掻き消され、ザザァァァァンとどこからともなく湧き

出たうねる波が光に襲いかかり、ランティスが立っているところまで華奢な

身体を押し流してきた。

 「ヒカルっ!?」

 催眠状態からいきなり激流に投げ込まれて溺れそうな光をランティスが抱き

あげる。奔流は瞬く間にいずこかへと消え去り、濡れねずみの二人だけが残された。

 足元を確かめたランティスがおろしてやると、水をしたたかに飲んだせいか

光はケホケホと咽(むせ)返っていた。   

 「あれ、ランティス? どうして私達こんなにずぶ濡れになってるんだ?

…っていうか、ここどこ??」  

 催眠が解けたばかりなのか光は状況が掴めず困惑している。背中を擦(さす)って

やりながら、ランティスは洞穴の奥を睨んだ。

 「ポルテの村からお前を攫(さら)った元締めらしい…」

 ランティスの示したほうを光もキッと見据えたが、そこに鎮座する蒼の魔神と

碧の魔神に目を丸くしていた。

 「セレス! ウィンダム! どうしてこんなところにいるんだ!?」

 『…其(そ)は我らこそが問いたい…。なれど汝には他に聞きたいことがある…』  

 「聞きたいこと? それなら私たちにだっていろいろあるよ!」  

 『セフィーロでは神とも崇められた我らを畏(おそ)れぬか……。柱討つ者は肝の

据わりが違う…』  

 「…!?」

 痛いところを衝かれた表情の光の肩をランティスがしっかりと抱き寄せる。

 「奴らの目的はいったい何だ?」  

 「え…? 聞きたいことがあるとか、今、言ってたじゃないか」  

 危急の事態にぼんやりするような人じゃないのにと、光が怪訝な顔をしている。  

 「俺には魔神の声が聞こえない。風鳴りや波の音にしか聞こえん」

 「そうなんだ……っくしゅっ! …ふぇっ……くしゅ!」     

 ずぶ濡れのままひんやりとした洞穴の空気に晒されて身体の冷えた光が立て続けに

くしゃみをした。マントで覆ってやりたいところだがランティス自身もずぶ濡れだ。

 『柱の座にありながら、これしきにも手を打てぬか…』  

 嘲りの色をのせたウィンダムの呟きに、火山の熱を微かに帯びた烈風がごうっと

わき起こり二人を巻き込んだ。光を抱きしめたランティスが片膝をついて持ち

(こた)えていると、みるみるうちに二人の服を乾かしていった。

 「服、乾かしてくれたのか? ありがとう」

 光は律儀に礼を述べているが、もとを正せば、ずぶ濡れにしてくれたのも奴ら

だと、ランティスは黙って魔神を睨んでいた。

 『瑣末なことだ…。柱に近き者よ。我らの声が聞こえるか?』  

 目を瞠(みは)っているランティスにウィンダムは続けた。

 『我は知を掌(つかさど)る存在(もの)…束の間の智慧を与えるなど、容易(たやす)

こと…』         

 ウィンダムは知性の神でもある。ここでランティスに話が通じないのは面倒だと

でも思ったのだろう。

 「セフィーロから創造主ともども消えたお前たちが、何故(なにゆえ)こんなところで

人攫いに成り下がっている…」

 かつてセフィーロにいた創造主と魔神は光たちに途方もない重荷を負わせた。

魔法騎士の招喚を望んだのはエメロード姫かもしれないが、その摂理を定めたのは

創造主であり、荷担したのは魔神たちだ。そんな摂理でさえなければ、少女たちが

故なき罪の重さに苦しむこともなかったはずだと思うと、ランティスの言葉も

自然と辛辣になる。光たちが生還したことに沸き立つセフィーロから、格好をつけ

ながら早々と去っていった彼らには言いたい文句が山のようにあるのだ。

 「…創造主に刃向ける者は口のききようも知らぬな…」  

 呆れているような、どこか面白がっているようなセレスに光が問いかけた。   

 「村では神隠しだって騒ぎになってるんだ。ポルテの村から消えた女の子たちの

行方、セレスは知らないか?」    

 「我らの声に応えし者はこの島に来た。だが誰一人として我らを纏えなかった。

今もまだ海沿いの集落に居よう」

 「…また柱を立てたのか…!?」  

 魔神は世界の絶対的な存在である柱に対抗し、弑(しい)する力を得る為に纏う物

だった。その魔神を纏っていた三人の魔法騎士が居ない世界で、その身代わりに

なる者を探していたということは、彼らが力を行使する対象もいるはずと考えた

ランティスが吐き捨てた。  

 「柱たりうる意志強き者はこの世界に居らぬ。魔法を操るほど世の理(ことわり)

明かした者もまだ居らぬ。我らは我らの目的の為に纏う者を欲したまで…」

 「目的?」     

 「汝がここへ来(き)しも巡りあわせか…。レイアースは何処(いずこ)に在る?」        

  炎神…海神…空神…三体揃って創造主とともにセフィーロから去ったはずだった。

 かつて炎神を纏った光がここにいるのに姿を現さないのはそういう理由だったのだ。

 「何処って…レイアースはモコナやあなたたちと去っていったじゃないか!

あれ以来セフィーロでは見ていないし、呼ぶ声だって聞いてない!」  

 「…汝も知らぬか…」

 ウィンダムの声に落胆の色がさしていたように思うのは気のせいだろうかと

ランティスは魔神を見据えていた。

 「炎神を探したければ、ここの住民を拐(かどわ)かしたりせず己の力ですればいい」

 「我らは三位一体…ことにレイアースは我らの核…あれの存在なく、我らだけの

力で界は跳べぬ…」  

 「『カイ?』」

 字面を思いつかなかったのか、光が不思議そうに聞き返した。  

 「…セフィーロがあり、それを取り巻き魔神が住むという異空間がある。同じ

ように、この世界も存在していて、それを取り巻く異空間がある…という仮説が、

セフィーロでの一般的な世界の捉え方だ。そして、セフィーロから狭間の異空間も

越えてこの世界に移動することを『界を跳ぶ』などと表現する。ヒカルが言って

いた『平行宇宙』の考えと少し近いか?」  

 ランティスが噛んで含めるように説明すると、得心したように光が頷いた。  

 「我らは我らを纏う者に力を与えるが、我らもまたその者から力を得ることが

出来る…」 

 「それで纏えそうな娘(こ)を連れてきたっていうの? 酷いよ! 残された

家族がどれだけ心配してると思うんだ!?」         

 光たちがセフィーロに招喚されていた間、東京の時間は止まっていた。だから

セフィーロで彼女らが死の危機に瀕することがあっても家族は心配することも

なかった。だがここでは違う。直接その家族に会った訳ではないが、同じ村に

住む者たちも娘らの消息を気にかけていたのだ。家族が心配していないはずがない。

 「仮にも神を名乗るなら、攫った娘たちを親元に帰せ。纏えぬ者に用はないと

捨て置くな」

 「足枷している訳でもない。去るも留(とど)まるも、あの者たちが望んだこと…」    

 「ヒカルのように羽根を与えて飛ばせたのなら、その羽根なくしては戻れない

だろう。魔法も使えぬなら尚更だ…」    

 「海を往(ゆ)くなど、界を跳ぶほど難(かた)くはない…魔法に頼るまでもなきこと」

 暗闇の中、ひたすら光を追うことに専念していたが、ランティスの愛馬は相当な

距離を駆けていただろう。一人、二人が乗るような小舟では遭難するのが関の山だ。

 「それしきのこと、人の力で成せぬようでは、ここに未来などない」  

 「そんな・・・」   

 突き放すような魔神の言葉に光が絶句する。

 「《過去》は我が翼の許(もと)に眠り、

  《現在》はセレスがやすらぎたゆとう海原、

  《未来》はレイアースを燃え滾(たぎ)らせる希望・・・」      

 「未来の展望の持てぬ世界に炎神が見切りをつけたとでも言うつもりか!?」  

 どこまで勝手な神なのかとランティスの表情は険しい。   

 「それは我らにも解らぬ。彼(か)の地を後にして、創造主とともに数多(あまた)

界を越えここに辿りついた。未熟な萌芽のこの地にあれば長きに渡り眠れるはずと」  

 「火の山を戴くこの島にレイアース、南の凪いだ海淵にセレス…。そして北の

峻険に我は塒(ねぐら)を定め、深き眠りについた」

 「お前たちが寝こけている間に炎神が姿を消したか」  

 「え? でも界は跳べないって言ってたじゃないか!?」

 「レイアースは我らが要…。別格ゆえ、どこへなりと望むまま往ける」   

 「だけど…レイアースがセレスやウィンダムを置いて何処かへ行くなんて…

そんなことしないと思う」

 光の海や風を思う心を認めてくれたレイアースが友を裏切る真似をするなどと

考えたくはなかった。

 「だがこの世界には居らぬ。それは確かだ」

 「きっと何か理由があるんだよ! その理由が何かは…私にも解らないけど」

 「レイアースを待ちあぐみ…、やがて創造主も何処かへと姿を消した」   

 「我らは常に創造主に随(したが)い、ひとつ世界を見護ってきた。界を違(たが)える

ことなど無かった・・・」

 「だから魔神を纏える娘の力を借りて、モコナとレイアースを探しにいこうと

していたの?」   

 「眠っている間に親に置いてゆかれたおさなごでもあるまい。静かに留守居は

出来んのか」    

 「柱に近き者…、汝は口の利きようを弁(わきま)えるがいい。したが正鵠を得て

おるのは認めよう」   

 ランティスの譬(たと)え方はともかく、それが真実であることを魔神も悟っては

いるらしい。    

 「創造主が炎神纏いしセフィーロの柱をわざわざこの地に遣わしたいわれなぞ、

他にはあるまい…」     

 「たとえ喚(よ)ぶ声を聴いても結果纏えぬ娘を何人攫おうと埒が明かないことを

知らしめる為に、魔神と確実に話すことが出来るヒカルを送り込んだのか…」

 見えてきたことの顛末の馬鹿馬鹿しさにランティスが深いため息をついた。

 「・・・モコナがってこと? そりゃあモコナによく似た《旅の石》は手にした

けど…。モコナもセフィーロで見ていないんだよ?」

 「汝が懐に携えし石には、僅かではあるが確かに創造主の気が残っているな…」

 「…あの自称地精の行商人か…」  

 ランティス自身、ビートの知己が居る訳でもなかったので、あの行商人がビート

だと名乗るのを疑いようもなかった。顔に傷があると言われれば、目深に被った

フードを怪しむことも、剥ぎ取ることもないと踏んでいたのだろう。

 「お前たちの使い走りとして異世界まで飛ばされた訳か。まったく、はた迷惑も

たいがいにしろ」

 「ランティスってば…。セレス、ウィンダム…、レイアースは何か気がかりが

あったんじゃないかと思うんだ。それが片付いたら、きっとここに戻ってくるよ。

静かに待っててあげられないかな」   

 「我らとレイアースは三位一体……レイアース纏いし汝の願いとあらば聞かぬ

でもない…」   

 「じゃあ、ここで待ってて。纏えそうだからってもう攫っちゃダメだからね?」

 「……」

 「…返事は? 返事してくれなくちゃ判らないよ」  

 仮にも神と名のつく身。なのに光の言い方ときたら、目下の者か、下手をすると

ペットにでも命じているような感が拭えず、魔神たちはそれが気に入らなかった

らしい。光はそんな魔神たちの複雑な心境には構いもせず、いたずらっ子を叱る

大人のような顔でじっと見据えていた。

 「…よかろう」

 「話はついたな。ではそろそろセフィーロに還してもらおうか」   

 「自らさえ界を跳べぬ我らに、それがかなうと思うか?」

 「……神隠しの謎解いただけじゃダメなの? ま、まさか、こっちでモコナを

見つけなきゃ帰れないとか?! そんなのどこ探したらいいの…?」  

 がっくりと脱力したように両膝に手をついた光の背をランティスが軽く叩いた。

 「原因はかたがついた。この島に攫われてきた者たちを探すぞ。本人が望むなら

ポルテの村に連れて帰る方法を考えよう」

 「…そうか。まだそこがクリア出来てないよね」

 ランティスの精獣は何しろ気性が荒く気難し屋だ。光のことは気に入っている

らしくタンデムライドを嫌がらないが、その他の者となると生命に関わるほどの

緊急事態でもなければそっぽを向いてしまうのだった。  

 ポルテの娘たちがそれなりにこの地の暮らしに馴染んできているなら、緊急避難

とは言い難い。時折、本を見ながら創師の真似事もするランティスだが、大海を

航行出来るレベルの船を魔法で創り出すのは相当数の本職の創師を束ねなければ

ならない大事業だろう。魔神たちのいうように、魔法に頼らぬ造船方法もあるには

あるが、読書量がかなりあるほうとはいえ、大型船の設計図まるごとを覚えている

はずもない。

 「取り敢えず集落を探す。行くぞ」

 「うん」

 先に歩き出したランティスを追いかけて、光が後ろを振り返った。

 「セレス、ウィンダム…元気でね。モコナやレイアースが戻ってきたら、また

セフィーロにも遊びにおいでよ。エメロード姫の頃ほどじゃないかもしれないけど

ずいぶん綺麗になったと思うもの…」  

 「…我らに縊(くび)られぬよう、こころして治めるがいい…」  

 「私はもう柱じゃないけど…二度とセフィーロに魔法騎士を喚んだりしないよ

……絶対に……!」   

 背負ってしまった下ろすことの叶わぬ荷の重さを知っているから、決してまた

誰かにそれを負わせるようなことはしない…。それはランティスも知らない…

セフィーロの誰一人知らない、海や風と誓った三人だけの約束。ずっと柱に支え

られてきたセフィーロを、柱に頼り続けてきたセフィーロの民…人もそれ以外の

存在も…を、ひとり歩きしなさいと突き放した光の誓いだった。魔法騎士として

同じ重荷を分かち持つ二人はその誓いの立会人だった。

 「我らがセフィーロに降り立つは、柱を亡き者とする為、招喚されし時…」   

 「だから! そういう堅苦しいこと抜きにして遊びに来ればいいって言ってるの!

頭堅いなぁ、ウィンダムは…。せっかくセフィーロが新しくなったんだもの。

魔神の役割も新しく決めればいいと思うよ。よーく、考えといてね。じゃあ!」

 立ち止まり待っていたランティスを追って光は駆け出した。

 

 

 

 

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