Traveling Stone 《旅の石》

  

 

 光のベッドがまたきしりと音を立てた。意表を突いたつもりなのか単に光が

暗示にかかりやすいのか、制服に革鎧の光が静かにドアを開けて部屋を出た。

上掛けをばさりとベッドに放ったランティスも鎧姿で光の後を追う。

  神隠しの話に怯えていた娘が真夜中に出ていくのに、カウンターでうとうと

していた宿の主人も気づいて目を丸くした。         

 ランティスが『静かに』と合図すると、今ひとつ事情が飲み込めないまま主人は

二人を見送った。三日分を前金で貰っているのでこのまま二人が戻って来なくても

困りはしないのだ。ふらりと現れた旅人の謎の行動に好奇心を掻き立てられはする

かもしれないが。

 

 

 

 普段よりゆっくりめな速度で光は通りを歩いていく。これまで失踪した娘らと

同じ状況であるなら、一人ぐらい目撃者がいても良さそうなものなのにと思った

ランティスだったが、村はずれまで来たところで異変は起きた。

 微かに光の姿勢が前のめりになったかと思うと、背中からまばゆいひかりと

ともにあるものが飛び出した。

 「・・・翼・・・!?」      

 地球の美術館収蔵品画集で見かけた宗教画にある天使のような姿になった光は

肩慣らしでもするように二、三度ちいさく翼を震わせたかと思うと、ばさりと

大きく羽ばたき空へと舞い上がった。

 「精獣招喚!」

 わきまえている精獣は高く嘶(いなな)くことなくカツリと小さな蹄の音を立てた

だけでランティスの招喚に応えていた。空へと駆け上がると皓々とした月明かりを

受けて輝く白い翼の光は迷うことなく真っ直ぐに何処かを目指していた。

 翼のおかげで見失うことが無いとも言えるが、光を追いながらランティスは

その正体が何なのか思い巡らせていた。魔法の気配はまったくと言っていいほど

感じなかった。ランティス自身が使えるセフィーロの魔法だけでなく、チゼータの

精霊魔法、ファーレンの幻術も発動される時にはなにがしかの気配は感じ取れる

ものだ。少なくとも普段のランティスには当たり前に感じ取れている。全知全能の

神ならぬ身のランティスが感知し得ない系統というだけのことなのかもしれないが、

そうなるとやはりかなり厄介な相手であるということになる。

 

 

 

 彼らが最初に足を踏み入れた森を遥かに越え、樹もまばらな荒地を越え、やがて

海のようなところへ出ても、生まれながらの鳥であるかのように光は優雅に飛び

続けている。すぐにでも追いついて光を取り戻したい焦燥感を押さえつけながら、

闇を裂いてランティスは愛馬を駆る。

 水平線が朝焼けに染まる頃、海原の向こうに現れた薄く煙を吐く火山を擁した

緑豊かな島に向けて光は高度を下げ始めた。

 「あれが敵の巣窟か…」

 砂浜に舞い降りた光から少し離れて漆黒の精獣の契約者も静かに降り立つ。光の

身体が僅かに前のめりになったかと思うと、背中から生えているように見えていた

翼が爆発するように四散した。

 反動で砂浜に膝をついてしまった光を抱き起こしてやりたい衝動を歯を食いしばり

(こら)えるランティスをいたぶるかのように飛散した羽根が舞ってその頬を掠めた。

 「……………!?」

 まつわりつくような白い羽根がひとひら、ランティスの黒髪に絡む。頬を掠めた

羽根が残した僅かな気配を確かめるように、ランティスはその羽根を右手に取った。

 光の身体から散ったものでありながら、それはかつてある時セフィーロに降り

注いでいたあれによく似た気配を有していた。

 「・・・魔神・・・?」

 時の止まった東京で柱に選ばれた光が創造主に逆らってまでイーグルを連れ戻した

あの時、あの場に居合わせた者たちの上に舞っていた羽根とひどくよく似た気配を

ランティスは感じ取っていた。ひどくよく似ているのに何かが少し違っていて、

それがランティスを惑わせていた。

 膝をついていた光がゆらりと立ち上がり、内陸を目指して歩き出した。背中に傷を

負っているようでもない様子に安堵しつつ、ランティスも静かにその後を追った。

 

 

 

 

 

 ――その頃、東京では・・・

 「た、確かに・・名案だとは賛成したわ・・・・した・・けど・・・っ」

 海が息も絶え絶えにそう搾り出した。フェンシング部に籍を置く身、運動量は

人並み以上にあるほうだと自負していたが、これは予想外の苦行だった。

 「…海さん…。お話しになると…、余計苦しくなると…思いますわ」

 答える風も苦しげだ。それより何よりそろそろ膝関節が悲鳴を上げ始めていた。  

 しばらくセフィーロから帰れません――事情を手紙に認(したた)めてポストに

投函しておこうという風の提案に海も賛同した。そして手紙を書いて投函する為

ふたたび時の止まったままの東京に飛んできた。

 海と風の二人以外は何ひとつ動かない世界・・・・当然エレベータも動かない

・・・・。そして郵便ポストは・・・東京タワーの「下」にしかなかった。

 「フットタウンの中にあるようにも…聞いた記憶はあるのですけど…、東京

在住でタワーから投函するとは…思ってもみませんでしたから…うろ覚えで……。

地上にあるのは…確かなんですけれど…」

 「降りるだけで・・・こんなに疲れるって・・・・展望台に上がるのなんて

・・地獄みるわね」

 「フットタウン屋上からですと…大展望台まで…150メートル、約600段。

幼稚園のお子さんでも……15分ぐらいで上がられるようですわ」   

 「どこの酔狂なお子ちゃまが…そんなことやってんのよ! バッカじゃない?」  

 「海さん…、ご存じなかったんですか。土日や祝日には…昇り階段イベントを

やってるそうですわ」    

 「物好きすぎる・・・・いやぁぁぁ・・・、膝が笑うぅぅ」  

 ガクリとなりそうになるのを堪えつつ、二人はひたすら階段を駆け下りていった。

 

 

 

 

 

 木々が次第に深くなり、鬱蒼とした森の様相を呈し始める。陽も登りきった頃だ

というのに木洩れ陽が僅かにさすばかりの道なき道を光は歩いて行く。巨木の根に

足をとられはしないかと、少し離れてついて行くランティスの心配など、まるで

無用な軽い足取りだ。

 光を追っていた時も、あまり高度は上げていなかったのでしかと全容を確かめた

訳ではないが、砂浜の奥に広がる森の向こうはかなり切り立った山が聳(そび)えて

いたようだった。         

 これで裂け目のような洞穴でもあればエルグランドの森のヴァイパーの巣窟の

ようだと嫌な記憶がふとランティスの脳裡を掠めたが、それは間もなく現実の物と

なった。

 森を抜けた岩山の裾に、岩肌を裂くような洞穴が穿(うが)たれていた。

 

 

 

 躊躇いもせずに光はその洞穴へと入り込む。近づいてみるとそれは思ったより

大きくヴァイパーの仮の巣穴と違いランティスでも背を屈めることなく入れる幅と

高さがあった。セフィーロ唯一の魔法剣士の結界を物ともせずターゲットを催眠

状態に陥れる敵相手にどれほどの効果があるかのか未知数ながら、ランティスは

前を行く光にも殻円防除を張り巡らせた。

 洞穴の壁に蛍光性の鉱物が含まれているのか発光性の生物が棲息しているのかは

判らないが、陽光もささぬ場所にしてはひどく明るかった。

  コツコツと響いていた光の足音が不意に止まったことに、ランティスは歩を

速めた。

 

 

 

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      昇り階段イベントは実際にありますが、光ちゃんたちが高校生当時にあったかどうかは定かではありません ぺこ <(_ _)>