Traveling Stone 《旅の石》

  

 

  その頃、セフィーロ城の次元通路のある大広間では、心配を通り越し海が激怒

していた。

 「夕方には帰るって言ってるのに、もうとっぷり陽が暮れてるわよ。光ったら

無断外泊する気なのーっ!?」

 「明日は月曜日ですもの。学校がお休みだとは仰ってませんでしたし、それは

ないかと…」

 「ランティスが拉致ってるなら未成年者略取で訴えてやるわ!」

 日本にはそういう法律があるが、それをセフィーロで適用出来るはずもない。

東京に帰る時間になっても戻らない光にやきもきする二人にせがまれ、クレフは

ランティスたちの気配を読んでいたが、一向に感じ取ることが出来ず眉を顰めて

いた。

 「お前たちだけでも先に帰りなさい。三軒で捜索願を出されてはことだ…」

 「そんな…」

 「さっきから探しているが、二人の気配どころかランティスの魔法の気配さえ

ない…。なにか厄介ごとにでも巻き込まれたのかもしれん」

 厳しい顔つきのクレフに風が訊ねた。

 「・・ランティスさんが結界魔法で光さんを閉じ込めている訳ではない、と?」

 「そうだ。お前たちがどう感じているかは知らんが、あれでランティスは

ヒカルの家族も大切に思っとる。故意に心配をかけるようなことはせん。だから

状況を知らせるためにも、お前たちは一度帰りなさいと言っとるんだ」

 「解りました。海さん、私たちは一度東京に戻りましょう。光さんのご家族に

きちんと説明しなくてはいけませんもの」

 「そうね。クレフ、光たちのこと、お願い…」

 後ろ髪を引かれつつ次元通路に消えた二人を見送りクレフは大きく息をついて

プレセアに向き直った。

 「二人が城下町に出かけたのは間違いないんだな?」

 「ええ。ヒカルの《旅の石》を見に行ったようですわ。――どうしたの!?

二人とも」

 気配を感じてクレフも振り返ると、そこにはたったいま東京にもどったはずの

海と風がいた。

 「東京の時間が…朝来た時のまま止まってるの!」

 「それって…」

 呆然と呟いたプレセアに風がこくりと頷く。

 「エメロード姫に招喚された時や三国に攻め込まれていた時の招喚と同じです」

 「…お前たちの意志に関わりのないことが起きているからか……」

  光たちが自分の意志で東京とセフィーロを行き来するようになってからは、

二つの世界は同じように時間が流れていた。もっと突き詰めて言えば日本時間が

そのままセフィーロに適用できるほどだ。だからたいてい泊まりがけとはいかず、

東京タワーの営業時間に合わせてやって来て、家族に叱られない程度の時間に

帰っていくのだ。

 「私たちの意志に関わりのないことだから…ただそれだけなのでしょうか?」

 風の表情がひどく強張っている。

 「秋の惨劇も私たちの意志に関係なく起こった出来事でしたわ。でも時間が

止まったりはしなかった…」

 「光があの時よりもっとひどい事件に巻き込まれてるってこと?」

 「そうは思いたくありません…。でも世界の時間を止めてしまうなんてことが

出来るのは…」

 「モコナ以外に考えられない……?」

 プレセアの言葉に反発するように海が言い募った。

 「だけどモコナは魔神引き連れてどこかに行っちゃったじゃない! あれから

誰も見てないのよ!?」

 「…誰も見ていないから還って来ていないとは言えんな」

 「何を言っても推測の域は出ませんけれど…。とりあえずは海さん。手紙を

書きましょう」

 「ええっ?! モコナに『光を返して下さい』って? どこに送る気よっ!」

 「そんなメルヘン志向な話じゃありませんわ。『事情があってしばらくの間

セフィーロから帰れません』と自宅宛に書くんです。あちらのポストに投函して

おけば、たとえ向こうの時間が動き出したとしても、手紙が配達されて余計な

心配を掛けずにすみますわ」

 他の一切が静止している東京だが、確かに自分たちだけは自在に動けるのだ。

 「…いい案だけど、レターセットや切手なんて持ち歩いてないわよ」

 「無難なデザインでよろしければ、私のを使ってくださいな」

 「ありがたいけど、なんでそんなもの持ってんの…?」

 「細かいことを気になさってはいけませんわ。さらさら書いて東京に投函しに

参りましょう」

 「オッケー。クレフ、プレセア、その間にこっちの情報収集よろしくね」

 「うむ」

 「判ったわ」

 善後策を立てるべくクレフたちが出ていくと、テーブルのひとつについて

風たちは手紙を書き始めた。 

 

 

 

 

 

 なかなか戻ってこないランティスを探しに行きたい気持ちはあるものの、右も

左も解らないところでばらばらの行動をした挙句の手酷い失敗は痛いほど思い

知っていたので、光はひとり部屋で所在無げに待っていた。地球と違いテレビや

ラジオがある訳でもなく、手持ち無沙汰にベッドに横たわるうち、ふわふわした

眠気が光を包み始めていた。

 静かにドアが開く音がしたから起きようと思うのに、瞼が重くていうことを

きかない。足音だけでもそれと解るが、そっと頬にかかる髪を払ってくれた時に

微かに漂ったペパーミントのような馨りでランティスが戻ってきたことを光は

感じていた。

 風呂を使い始めた水音に『ランティスが上がってきたら、外の話を聞こう』と

頭の片隅で思いながら、近くに人が居る安心感が先に立って光はそのまま深い

眠りに落ちていった。

 

 

 

 僅かに光のベッドが軋(きし)んだ。何が起こるか解らない場所にいるので、

熟睡しないよう律していたこともあり、その音だけでクリアに目覚めていた。

 セフィーロに滞在している時と較べても随分早くに眠ってしまっていたので、

なんとなく起きてしまったのだろうと思いあえてランティスは声をかけなかった。

 メディテーションを止(や)めてはいるものの、感情豊かな光はたいてい考えて

いることが顔に出る。読む気など無くともそこに書いてあるのに等しい。食事を

終える頃からどこか落ち着かなくなったのは、心通い合う仲とはいえ異性と同じ

部屋で休むことを気にしているらしかった。情報を得たかったのも事実だが、

必要以上に光が緊張しているのが見て取れたので敢えて部屋を空けていたのだ。

 ベッドを降り、足音も無くその場で衣擦れの音がするのを不審に思いながらも

目を開ける訳にもいかず堪(こら)えていたが、魔法が作用した気配に今度こそ

ランティスはそちらを見た。

 僅かな月明かりだけの暗い部屋の中、光はサークレットの魔法石に仕舞われて

いたはずの制服と革鎧姿になっている。光がゆらりとドアのほうに歩き出すと、

ランティスは跳ね起きて光が取手に手を掛ける前にドアを抑えつけた。

 「ヒカル、こんな夜中に何処へ行くんだ?」

 ドアをランティスに押さえつけられても驚くでもなく、光はまだドアに向いた

ままだ。

 「……呼んでる……。……行かなくちゃ……」

 これまで『神隠し』に遭ったとされていた娘たちと同じ事態になっているの

だろうかと、眼を眇(すが)めたランティスが静かに問い掛ける。

 「誰が?」

 「・・・・・」

 「何処へ?」

 「……ずっと…遠く……」

 「どうしてヒカルが行くんだ?」

 「…の…呼ばわる声……聞い、た…」

 相変わらず仕掛けて来ているモノの名が出ない。封じられているのか、光自身

聞き取れないのかは定かではない。

 肩を掴んでゆっくりと振り向かせると、紅玉の瞳は焦点を結ばず、何も映して

いないようにも見えた。片膝を付き、ランティスはこつりと額と額を合わせ強く

呼びかけた。

 「ヒカル!」

 ビクンと一瞬バネ仕掛けのように光の身体が跳ね、二、三度瞬きすると瞳に

いつもの輝きが戻った。輝きが戻った途端、暗がりの部屋の中、目の前のやけに

近過ぎるところにあるランティスの顔に、お約束の猫耳としっぽでわたわたと

慌てている。

 「うにゃああ! ラ、ラ、ランティス、どうしたんだ?! えーっと、あのっ、

その…っ」

  いつかそういうことするなら相手はランティスがいい思うけど、というか絶対ランティスでなくちゃイヤなんだけど、

   まだ高校生だし、覚悟が出来てるような、きっぱり全然これっぽっちも出来てないような……。海ちゃんオススメの

   勝負ランジェリー、ワンセットぐらい買っとくんだったー! でもそんな予定じゃなかったからどっちみち持ってきて

   ないし〜〜っ! うわぁ、もう、どうしよう〜〜っっ!

 これ以上ないほどテンパっている光にランティスが小さく苦笑した。

 「目が覚めたな。何もしないから少し落ち着け」

 そう声をかけると、パチッと小さな稲妻を落として壁際のランタンに灯りを

ともした。

 『何もしない』とまで言われると、ランティスのことを信じてなかったように

思われただろうかと、違う意味で光は落ち着かない。ランティスはそんな光を

そっと抱き寄せて、宥めるように背中をとんとんと叩いていた。

 「誰かが呼ぶ声を聞いたのか?」

 「え…?」

 普段と違う場所で二人っきり、真夜中に抱き締められていることにぽうっと

なっている光は問われたことをいまひとつ把握しきれていない。

 「こんな真夜中に、着替えて何処へ行くつもりだったんだ?」

 「…寝る前、寝間着着てたよね、私…。どうして着替えてるんだろ…」

 それはランティスのほうが聞きたいことだったが、あの虚ろな眼差しは催眠

誘導でも受けていたに違いない。

 「『誰かが呼んでるから』と、一人で出ていこうとしていたんだ…全く覚えて

ないのか?」

 「うん…。夢、見てた気はするんだ…。気はするんだけど、どんな夢だったか

思い出せない…」

 少なくともランティスが感じとれる類の魔法でなかったのは確かだ。そして

ランティスが張り巡らせていた結界をものともせず光を催眠状態に陥れている。

 万が一にも光を傷つけるような結界ではないが、光を連れ出そうとしたモノは

ランティスの結界を無効化出来るのか破ることなく彼女を通らせるつもりでいた

らしい。

 「どうやら青い瞳や緑の瞳の娘だけが標的ではないらしいな」

 「……ランティスがもうやめるって言った理由は納得してるんだけど…、

メディテーションやってみないか?」

 「何のために?」

 「風ちゃんがクレフの書庫に入れてたと思うんだけど…地球の催眠術の本、

何か読んだ?」

 「何冊かは読んだが…」

 「起きてる私には思い出せなくても、深層では憶えてるかもしれない。

そういうのを催眠術で聞き出すことが出来るって聞いたことがあるんだ。メディ

テーションの時もちょっとそんな感じで、昔のこと思い出したりもするし…」

 光の提案をしばし勘案していたランティスだがやがてゆっくり首を横に振った。

 「駄目だ。ヒカルが危険過ぎる…」

 「私、ランティスが相手なら少しぐらい強引でも構わないよ!」

 聞きようによっては随分と際どいことを言っているが、本人がまるで無自覚

なのが何ともたちが悪い。

 「『心の中に土足で踏み込むような真似はしたくないから』って言ってたけど、

ランティスはいつだって私のこと優しく受け止めてくれてたもの……。だから、

きっと大丈夫だよ」

 先程の爆弾発言の意味を取り違えなかった己の冷静さを心の中で投げやりに

褒めつつ、ランティスが答えた。

 「メディテーションをかけられている間、相手に心を委ねるヒカルはそれだけ

無防備になる。何者だか知らんがヒカルに呼びかけていた奴に俺の張る結界は

効かないらしい。無防備になっている状態につけ込まれるのは厄介だ。さっきは

暗示を解けたが、あまり深層から支配されてしまうと門外の俺では対処が難しく

なる……」

 いつ帰れるか判らない…本当に帰れるかも判らない…それでも光を護っていく

ことはランティスの中の紛れもない真実だ。神隠しの謎を解明出来ればポルテの

村の為にはよいのだろうが、ランティスにとってそれは光にリスクを背負わせて

まですることではない。

 「んー…でもここから先、何処へ行くあてもないんだよね?」

 「無くてもメディテーションは駄目だ」

 「じゃ、こうしよう!」

 意気揚々と言い放った光をランティスは沈黙で促した。

 「今度私がふらふら何処かへ行きかけたら、その場でとめないでランティスが

後をつければいい。それでそのまま敵…だかなんだか判らないけど、本拠地まで

乗り込むんだ。上手くいったら今までに消えた娘(こ)たちも見つけられるかも

しれないでしょ?」

 「…メディテーションとは別の意味でヒカルが危険過ぎる」

 ランティスが首を縦に振らないのは織り込み済みだったのだろう、光は小さく

肩を竦めてから続けた。

 「そう言うだろうと思ってた。ランティスが心配してくれてるのは解ってるん

だけど、相手が仕掛けて来てるなら、それに乗るべきだと思うんだ。日本には

『虎穴に入らずんば虎児を得ず』って諺がある。特別な何かが欲しいなら、それ

なりのリスクは覚悟しなきゃ…」

 「リスクに見合うだけのモノが得られるとは限らない」

 「うん、それも解ってる。それでも『神隠しの件は私たちが招喚されたことと

関係ない』って消去することは出来るよね?」

 両手(もろて)を挙げて賛同するとは言いかねる案だがランティスにしても確実な

次の一手がある訳ではないのだ。

 「…いいだろう…」

 「そうこなくっちゃ! さ、そうと決まったら、明日の為にもランティスは

眠っておかなきゃ」

 光はランティスをぐいぐいベッドへと押しやる。

 「ヒカルももう休め」

 「寝るよ! でもランティスは寝間着だけど、私、着替えなくちゃならないん

だもの。お風呂場で着替えてくる」

 「…魔法石に触れれば一瞬だろう」

 「そ、それでもダメ!」

 ランタンの僅かな灯りでも判るほど真っ赤に頬を染めている光の愛らしさに、

ちらと邪(よこしま)な想いが湧き出した心を抑えつけ、ランティスは押されるまま

ベッドに入り、上掛けを頭まで被った。

 「早く休め」

 「う、うん。おやすみなさい」

 「おやすみ」

 ベッドカバーの上に軽くたたまれていた長衣を持って光はバスルームに消えた。

 

 

 

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