Traveling Stone 《旅の石》

 

 

 村と呼ぶにもそう大きくない集落なので無いかもしれないと危ぶんでいたが、

通りで見かけた者に教えられた宿の戸を二人はくぐった。

 「二、三日滞在したい。…この通貨は使えるか?」

 聞き取った前金の額をランティスが取り出した。何をするにも代価は必要と

なる。ここがどこだか解らない以上、まず確認せねばならないことだった。

 「へえ、問題なく。よほど遠いところからお越しで?」

 何かと手抜きな創造主だが、こういう時はいっそありがたい。

 「まあな」

 「然様(さよう)で…。悪いこたぁ言いません。この年頃のお嬢さんをお連れなら、

早いことここいらから…ポルテの村から離れたほうがいい」

 黙って隣に立っていた光とランティスが目を見交わした。

 「何かあるのか?」

 「・・神隠しですよ。これまでは青い目や緑の目の娘さんばかりでしたがね。

みなお嬢さんぐらいの年頃だった…」

 女の子ばかりの神隠しと言われ、光は我知らずランティスの二の腕にぎゅっと

縋りついていた。エルグランドの森の惨劇――あれからまだ半年足らず。いまも

光の耳には異形と化した者の断末魔の悲鳴が、手には刺し貫いた感触がこびり

ついていた。気丈なようでも多感な少女には酷過ぎる記憶だ。

 青ざめた光をふわりと抱き上げ、ランティスが宿の主に告げた。

 「その件は留意する。とりあえず床(とこ)で休ませたい」

 「ああ、申し訳ない。お嬢さんには恐ろしい話でしたな。ご案内します」

 宿の主人の後を歩くランティスの腕の中で、光がもぞりと動いた。

 「あの、私、ちゃんと歩くよ。大丈夫だから…」

 「大丈夫な顔色には見えない。じっとしてろ」

 「…うん…」

 抱(いだ)く腕に力を籠められると、鎧越しにとくんとくんと心臓の音が伝わり、

光の中に安堵が広がっていく。

 「こちらのお部屋へどうぞ」

 先に入り込んだ主人は光を寝かせやすいようにと寝台の上掛けをめくって、

軽く畳んだ。

 「すまない」

 「食事の支度が出来ましたら声をおかけします。それまでごゆるりと…」

 光を横たえ上掛けをかけてやったランティスが、出て行きかけた主人の背中に

声をかける。

 「少し訊ねるが…」

 「はぁ」

 「『セフィーロ』という名を聞いたことはあるか?」

 「はて・・・。小さな集落ですし住んでいる者はみな顔見知りですが、とんと

存じませんな。その方をお探しで?」

 「…いや、知らないならいい…」

 一礼して出て行った主人の気配が遠のくと、ランティスは深いため息をついた。

首元まできっちりかけられた上掛けをきゅっと掴んで光が呟いた。

 「…やっぱりセフィーロじゃないんだ、ここ…」

 ランティスが誰一人知った者の気配が無いと言ったときから懸念していたこと

ではあったが、これでもう疑いようがない。柱を喪った後、セフィーロは消滅

一歩手前まで国土が崩壊してしまい、生き残った民はみな城に避難していたのだ。

たとえ他と交流の無い辺境に住んでいたのだとしても『セフィーロを知らない』

という人間が存在するはずが無い。

 「そのようだな…」

 「…ごめんなさい…」

 「何の詫びだ?」

 「だって…、ランティスを巻き込んでしまった…。私が引っぱり込まれたから、

ランティスまでこんなところに連れてきてしまった…」

 「そんなことか」

 「そんなことって…! さっきあんな風に言ったけど、何かことを為(な)せば

絶対帰れるだなんて保証、私はしてあげられないんだもの!」

 「必要ない」

 「――えっ?」

 あまりにそっけない答えに、光は言われた意味が飲み込めずにいる。

 「そんな保証は必要ないと言っている。お前一人でセフィーロから消えるより

ずっといい…」

 本人は夢でも見ていたように思っているらしいが、光は古い妖精族の悪戯で

過去のセフィーロに連れ去られたことがある。夜が明ければ戻るとの口約束が

ありはしたものの、腕の中に居た光を攫われたのは相手が誰であれランティスに

とっては屈辱でしかなかった。それ以上に、その瞬間光がどんな目に遭っている

かも分からぬままそこで待つしかない己の不甲斐なさを、ぎりぎりと噛みしめる

しかなかった。それを思えば、ここがどこであれ光とともに居られるのなら

ランティスにはどうでもいいことだった。

 「…ランティス…」

 「相手が何者であれ、その状態では対峙できない…。少し、眠れ」

 そう言って光に覆いかぶさると、眉間にくちびるを寄せランティスは低い声で

聞き慣れない言葉の呪文を唱えた。すやすやと寝息を立て始めたのを確かめると、

額にそっとくちづけてその寝台の傍らに腰を落とした。

 

 

 

 「…ランティス。ランティス、起きて」

 呼ぶ声にぴくりと右手が動き、柔らかな物を握りしめる。それはランティスの

手を握り返すことで、彼に応えていた。

 「ランティスってば…、どうしてベッドで寝てないんだ。そんなんじゃ疲れ

ちゃうよ?」

 「昼寝はこれでいい」

 「そんなこと言って…。…ずっと手を握っててくれたんだね…ありがとう」

 「顔色も戻ったな」

 「うん。もう平気。宿のご主人がお食事、いつでもどうぞって。起き出すのが

辛ければ部屋に運ぶから声かけてくださいって言ってたよ。どうする?」

 「ヒカルが起きられるなら部屋から出よう。情報収集が出来るかもしれん」

 宿屋といいながら小さな集落のこと、それだけではやっていけないのだろう。

食事処だか酒場だかを兼ねている風情の店構えだった。食事時なら人もそこそこ

居るだろう。

 「部屋をでる前に顔洗いたいな。どこだろ?」

 光を休ませてずっとそばに居たのでランティス自身部屋の探索はしていないが、

そこは旅慣れているぶん見当もつく。

 「向こうの扉じゃないか?」

 すたっと立ち上がり、光がひょこっとそちらを覗きにいく。

 「ビンゴ! ちょっと待っててね」

 顔を洗い少し寝乱れた髪と服を整えた光が戻るのを待って、二人は部屋を出た。

 

 

 

 小さな集落のわりには店はなかなかの賑わいだった。宿屋の主は二人を見ると

ゆったりとしたテーブル席に案内してくれた。

 「顔色もよくなったね、お嬢さん」

 「いきなりすみませんでした」

 「いやなに。長旅の疲れも出るさ」

 二人はこちらの世界には来たばかりだが、それだけ他の集落とは離れていると

いうことだろう。余所者が珍しいのか、不愉快とまでは言わないが不躾な視線は

ばんばん飛んでくる。近くの席ですでに出来上がっていた男がデキャンタを手に

ランティスたちのテーブルにやって来た。

 「こーんな辺鄙(へんぴ)なところにようこそ、お客人!! 兄さん、お近づきに

酒はどうだい? ヒック…」

 纏う空気が酒臭く、それだけでもくらくらきそうな勢いだ。

 「いや、悪いが酒はやらない。せっかくなのにすまないな」

 何が起こるか分からないような所で酔いつぶれる訳にはいかないのだ。

 「なんでぇ、付き合い悪(わり)ぃな…。んじゃ、そっちの可愛いねえちゃんは

どうかね? ここの酒はうめぇよ」

 「あわわわ、お酒飲んだらダメですから。もっと大きくならないと、お酒は

飲んじゃダメって、私の国ではそういう決まりなんですー!」

 「んなもんバレない、バレない、…ヒック」

 「こらこら、うちのお客さんに絡むな。ああ、そうだ。捜し人をしてるなら

ここの連中に聞いてみりゃいい」

 「あ、いや…」

 もともと『人』を捜してる訳ではなしとランティスが逡巡していると、宿屋の

主が声を張り上げた。

 「おーい、みんな! うちのお客さんがお捜しなんだが、セフィロスとかいう

名に聞き覚えないかねー?」

 話を振るだけ振って、料理のオーダーを受けた主人は忙しげに厨房へと入って

いった。

 「いえっ、あのっ、セフィロスじゃなくて、セフィーロなんですけど…」

 「セフィーロ? さぁてなぁ…。そんな名前の奴いたか?」

 「小さな村だ。新参者どころかあんたらみたいな旅人が来るだけであっという

間に知れ渡る。とんと聞き覚えがないね」

 「何者なんだい、そいつ」

 「えーと、あの…、その…、実は剣術修行の旅に出たまま行方知れずになった

私の父で…。こちらのほうで見かけたとの風の噂を頼りに捜しに来たんです」

 確かに光の父親は剣術修行中で殆ど家に寄りつかないらしいが、異世界での

話だしセフィーロなんて名ではもちろんない。打ち合わせもなく光がそんな話を

始めてしまったのでどうする気なのか読みかねるランティスは成り行きに任せた。

 「母が心配しているので、なんとか捜し出せたらなと思って…」

 「いやいや、亭主も心配だろうが、あんたみたいな娘さんが旅してるほうが

もっと心配するだろよ」

 「この人が…ランティスが一緒だからそういう心配はしてないんです」

 「まぁ、この御仁に喧嘩売ろうって物好きはそう居らんだろうけどよ」

 褒められてるとも思えない言われようだが、出来ればそうあってもらいたい

ものだ。別に無用の悶着を起こしに来た訳ではないのだから。

 「あの…、宿のご主人から女の子ばかりの神隠しが起きてるって、ちらっと

聞いたんですけど…」

 まだ酒の回っていなさ気な客に光が訊ねた。

 「神隠しなんかね、ありゃ」

 「怪しいやつがうろついてたなんて話もとんと聞かんし、かといって魔物や

野生動物なんかに襲われたって形跡もなかったからなぁ」

 セフィーロにヴァイパーが現われた時も目撃情報がほんの僅かしかなかった

ので対応が遅れたのだ。

 「家出じゃないかって話もあったろ?」

 「ああ。消えた娘たちは『誰かに呼ばれている気がして仕方がない』なんて

話を家族にしてたらしいな」

 「それを確かめる為に村を出て行ったと?」

 「家出説ではそう言っとるよ。しかしどの娘も腕に覚えがある訳じゃなし、

そうふらふら村を出て行ったりするとは思えんのだがね。辺鄙過ぎて野盗も出や

せんが、魔物の類は出るからなぁ。まぁ、嬢ちゃんも気をつけなよ」

 「はい」

 結局のところこれといった情報は得られず、二人はここがセフィーロではない

との確信を深めただけだった。

 

 

 

 食事を終え、宿屋の女将に手渡された寝間着用の長衣を抱えて光たちは部屋に

戻った。長衣を傍らに置いてぽすんとベッドに座り込み光は少し首をかしげて

ランティスを見上げた。

 「ヴァイパーだと思う…?」

 自分のほうのベッドに腰を落としたランティスはしばし考え込んでいた。

セフィーロに残されていた文献では『異空間に棲み、数百年に一度、繁殖期を

迎えると出現する』とあったが、あくまで『セフィーロ側に出てくるのがその

頻度』というだけかもしれない。セフィーロに生を受け七百有余年のクレフで

さえその実在を確かめたことがなかった存在なのだ。情報が不足していることは

否めない。

 「ラファーガのまとめた調書は読んだが、みないきなり攫われたような証言

だった」

 あの時ランティスは大怪我を負っていたので、事件に巻き込まれた子供らの

聴取はラファーガとクレフが行っていた。光自身が対峙した時も、獲物を横取り

されて怒っているようではあったものの人の言葉を話しかけてくるような感覚は

無かった。

 「また別口なのかな・・。何のために連れてこられたんだろうね、私たち。

モコナー! 私たちをセフィーロに還してー!」

 こころもち俯き、胸元に仕舞った石に呼びかけるが、反応は何も無かった。

 疑問に答えてやれないランティスは腕を伸ばし、ぽふぽふと光の頭を叩いて

言った。

 「ここで考えていても仕方が無い。風呂にでも入ってもう休め」

 「ランティスは?」

 「俺はこの辺りの話をもう少し聞いてくる。無闇に部屋から出るな。いいか?」

 「う、うん…」

 小さいほうの長衣を手にして光はバスルームへと消え、ランティスは部屋を

あとにした。

 

 

 

 「ベッド、二つあったんだから、ランティスも同じ部屋なんだよね? ・・・

どうしよう・・・・。宿代出してるのランティスだから贅沢言えないし、部屋を

分けたらランティス、廊下で寝ずの番しちゃいそうだし…。・・・でも私、色気

ないし、きっとそんな気にはなんないよね……? 日帰りだって言ってたのに、

海ちゃんや風ちゃん、心配してるだろうなぁ」

 風呂の湯をぱしゃぱしゃさせながら、光はとりとめもなく思い巡らせていた。

 

 

  

 

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   エルグランドの森の惨劇…『課外授業』参照。日産エルグランドより。
                                              ポルテの村…ランティスたちが訪れた異世界の辺境の村。トヨタポルテより。
                                              古い妖精族の悪戯で過去に連れ去られたくだりは『恋するしっぽ』参照。

        ヴァイパー…エルグランドの森の惨劇の原因となった魔獣。ダッジヴァイパーより。