Traveling Stone 《旅の石》

 

 

 真っ暗で何ひとつ見えない闇の中。確実にあると判るのはしっかりと繋いだ

お互いの手だけだ。

 「ヒカル、怪我はないか?」

 「うん、多分。…真っ暗だね、ここ。何処かに引っ張られているような気も

するんだけど、どっちに動いてるかもよく判んないや」

 せめて腕の中にしっかりと抱きしめたいと思うのにそれが叶わないのは、光が

ランティスとは反対の方向に引っ張られているからなのだろうか。今はその手を

離さずにいるだけで精一杯だ。

 「…まったく、あれに関わるとろくな事がない…」

 「あははは。やっぱりあれのせいなのかなぁ? 城下町の近くにバミューダ

トライアングルとか、サルガッソーとか……って、あったら問題になってるよね、

とっくに」

 光の持ち込んだその手の本も読み散らかしたランティスなので疑問も持たずに

するりと答えた。

 「そんな報告はない」

 あの地精の言葉をどこまで信じていいものか判らないが、本当にあの石が光を

気に入っているというなら彼女が致命的な危害を加えられることは無いのかも

しれない。束の間の旅を楽しんで元の世界に還してくれるだろう。ランティスの

ことは保証の限りではないが。

 厄介なのはあの石が偏執的な独占欲で以って光を気に入っている場合だ。光を

閉じ込めることで満足しているなら、少し面倒なことになるだろう。創造主の

似姿だろうがなんだろうが破壊することに躊躇いはないが、光の安全を確保する

ことが大前提だ。

 「うー、せめて明るいところに行きたいよねぇ…」

 光のほうはかつて突然異世界に連れてこられた経験がモノを云うのか、こんな

事態だというのに意外と平然としている。

 「何処まで連れて行く気だ…」

 「あ、なんか向こうのほう明るくなってきた」

 光が言うが早いか突然ひかりの洪水のど真ん中に放り出されたかのように、

眩しさで目がくらんだ。

 「うわぁぁぁぁぁーっ!」

 光が悲鳴を上げるのも無理はない。セフィーロに招喚されたあの時のように

空の上から落ちていることに気づいたからだ。それが可能かどうか、ランティス

にも迷う暇はなかった。

 「…精獣招喚…!」

 魔法剣に触れそう呼ばわった声に応えて、蒼空を裂いて漆黒のフェラーリ

《跳ね馬》が駆けてくる。手綱に手を掛け愛馬に跨がると、ランティスは光の

腕をぐっと引き寄せた。

 「うにゃあ!」

 鞍上のランティスの腕に抱きとめられた光は、猫耳としっぽを出している。

 「魔法は使える、のか…?」

 ランティスの疑念の呟きは風に掻き消されていく。

 あんなところで放り出されてランティスに魔法が使えなければ『ともに旅する』

どころか光が地面に叩きつけられているところだったのだ。

 「エメロード姫の時もそうだったんだけど…招喚の仕方はもう少しだけ考えて

欲しいかも…」

 光たちの二度の招喚にしても導師クレフの精獣に救われたのだ。呼びつけるに

してももっと安全なところに出して欲しいと思うのはもっともだろう。

 蒼白き炎の鬣(たてがみ)持つ精獣は軽やかに空をゆき、小さな村が遠くに見えた

森の辺りで大地へと駆け降りた。

 「降りてもいい?」

 「あまり離れるな」

 「うん」

 すたっと飛び降りた光が辺りを見回しているが、黒い《跳ね馬》を戻界させた

ランティスはその光にこそ違和感を認めていた。

 「ヒカル…。城下町に出るときサークレットはしていたか?」

 光が戦いをともにした魔法騎士のグラブは普段使いが出来るよう、プレセアが

サークレットに作り変えてくれていた。

 「ううん。使い方が重なる《旅の石》を見るのにはどうかなと思って置いて

きたよ。どうして?」

 「その格好は魔法騎士の初期装備だと思ったが…俺の記憶違いか?」

 指摘されて初めて気づいたのか光は自分の服をあちこち検分した。

 「・・・・・違わない。…なんで??」

 何故と問われてもランティスに答えられるはずもない。城下町に買い物に出た

時に着ていたのはそもそも制服ではなく私服だったし、装備は光の紅い魔法石が

ソリティアとして嵌め込まれたサークレットに収まっていたはずだった。だが

今の光の格好は間違いなく海や風たちと一緒に初めてクレフに授けられた時に

着ていた制服と防具そのものだ。

 ぎゅっと自分の頬をひねきった光が『いたたた…』と呟くのを、ランティスが

怪訝そうに見ていた。

 「何をしている?」

 「う゛え゛? セフィーロではこういうことしないか? 信じられないことが

起きた時、自分のほっぺ抓(つね)ってみて、痛くなければ夢で、痛かったら現実

…っていうの」

 「俺はしたことがない」

 「ランティス落ち着いてるから。少々おかしなことが目の前にあってもきっと

動じないよね」

 「ヒカルもそれほど動じているとは思えんがな」

 「あははは。そっかな? いきなり連れてこられるのに慣れたのかも。それに

してもここ、どこなんだろう…ってランティスに訊いても判んないよね」

 しばらく目を閉じて集中していたランティスが、詰めていた息を緩めた。

 「少なくとも感じ取れる範囲に知った人間はいない。…呼吸出来る場所に放り

出されただけましと思うべきかもしれん」

 「セフィーロじゃない…てこと?」

 ランティスの感覚は桁外れで、それこそ沈黙の森にいるときでもなければ

セフィーロの地の果てに居ても光が東京から飛んできたことに気づけるレベルだ。

そのランティスが他の者はともかく、城にいるはずのクレフをも感じ取れないと

いうことはおおよそ考えられない。

 「ざっと見る限り、その辺りの植物も他の三国よりはセフィーロの物に近い。

だが、同一の物とも言い切れん」

 「んー。平行宇宙のセフィーロに連れてこられた……なんて話だったらSFか

ファンタジーだよね」

 光たち三人がセフィーロに連れてこられたことだって、世間の人から見れば

それと大差ない。

 「こうしていても埒が明かんな…。さっき見えた集落に行ってみよう」

 「サイズ的には人間用の感じだったけど…。話が出来るといいなぁ」

 一騎当千のランティスと二人でも、この星中のエイリアンと戦うのはぞっと

しない話だ。

 ここの状況が判れば、もしかするとあの石がなんのつもりで二人をここに

連れてきたのかも読めるかもしれない。

 「《跳ね馬》を見せて変に騒がれても困る。あそこまで歩けるか?」

 「やだなぁ。私、体育会系なんだよ? いつもロードワークで10キロぐらい

流してるもん。行こう!」

 タッと走り出そうとした光が、足もとの何かに気づいてたたらを踏んだ。

 「きゃわっ!」

 「どうした?」

 踏みかけた物を光がそっと拾い上げてランティスに見せた。

 「…モコナの石だ…。あーん、てくち開けてるから、さっきお店で見てたあれ

だよねぇ? ホントにちっちゃくなったんだ…」

 「踏み潰したほうが良かったんじゃないか? ヒカル、その石を置いて離れろ」

 「どうして?」

 「災厄を招く石は破壊すべきだろう。稲妻招来で…」

 「もう! ダメだよ、潰しちゃ…。私たちをここに連れてきたのがこのコなら、

元の世界に帰してくれるのもきっとこのコのはずだもの。むやみやたらとキー

アイテム疎かにしちゃいけないのはロープレの鉄則だよ」

 自分でやることのない光だから、翔からの受け売りだ。

 「『ろーぷれ』?」

 「地球にはロープレ…ロールプレイングゲームっていうゲームがあるんだ。

冒険者や戦士になって魔王とか敵を倒すっていうやつ…」

 ランティスの疑問にそう答えた光が不意に黙り込む。

 「ヒカル・・・?」

 光は遠い集落を見遣り、きゅっとくちびるを引き結び両の手を握り締めていた。

 「どうしてこの格好なんだろうって考えてたんだけど……もしもモコナが……

ううん、ここの人たちがそれを望むなら、そうすることが必要なら、私は剣を

取るよ。だけど何も解らないままただ戦うことだけはもう絶対にしないって

決めてるんだ」

 エメロード姫との戦いの後、光らはなにひとつ解っていなかった自分たちを

責めた。だからチゼータやファーレン、オートザムと刃を交えることになった

時は戦うよりも先に相手が何を思っているのかを知りたいと切に願った。

 さいわいにして彼らとは和睦を結ぶことが叶ったが、それは僥倖に過ぎない

ことをランティスは知っている。

 「大人の…外でたくさん戦ってきたランティスには甘いと思えるかもしれない。

でもこれだけはゆずれないんだ。ごめんなさい」

 ランティスに向き直った光はそういって頭(こうべ)を垂れた。戦術的に言えば

攻撃は最大の防御であり、先手必勝という言葉があるにも拘わらず、その先手を

取ることはしないと光は宣言しているのだ。詫びの言葉が出たのは、光の信念に

起因するそのリスクをランティスにも負わせる羽目になることを気にかけている

からだろう。

 ランティスは静かに歩み寄ると光を抱きしめた。

 「何を詫びることがある? お前は間違っていない…」

 かつて親衛隊長の座にありながら、柱の願いを叶えることが出来なかった。

もとよりそれはセフィーロに生まれた身には何人(なんぴと)たりともかなわぬこと

ではあった。時は流れて――先の姫の望みを叶えたその人に一人の剣士として

ランティスは忠誠を誓っている。言葉にすることもなく、ただ己がそうあるべく

己に課している――いや、望んでいる。

 その一の剣たらんことを…。その終(つい)の盾たらんことを…。だがそれを

光が知る必要はない。

 「ヒカルが信じるままに…。迷いは判断を鈍らせる」

 「うん。…ありがとう…」

 額をぐっと押し付けた光の柔らかな髪をぽむぽむと軽く撫でて、ランティスが

促した。

 「行くぞ」

 「はい! ……っと、その前にこれしまっとかなくちゃ」

 握っていた右手を開くとそこには淡いばら色の石がちょこんと鎮座していた。

 「・・・魔法石に入れておけばいい」

 手を切りたいのはやまやまだが、それがなければセフィーロに帰れないかも

しれないと言われてはそう勧めるより他はなかった。

 「そっか。それなら落とす心配ないよね。ポケットが浅いからどうしようかと

思ってたんだ」

 左手のグラブに嵌まった魔法石の上にモコナの石を載せるが、いつもと違い

吸い込まれていく様子がない。

 「あれ、変だな…。入っていかないや」

 「俺が預かろう」

 「・・・捨てちゃダメだよ? 壊すのもダメだよ・・・?」

 光の駄目押しにランティスが僅かに言葉に詰まった。

 「…解ってる…」

 それならばと光がランティスの大きな掌に小さな石を載せる。だが二人の目の

前で信じられないことが起きた。まるで生きているかのようにぽーんと弾んで

光の掌の上に戻ったのだ。

 「わあっ!? これも地精さんの魔法なのかな?」

 「・・・・」

 「魔法石には入ってかないし、ランティスのとこにも行かないし、ポケットは

心配だし・・・うーん。あ、そだ!! ……こっち見ないでね!」

 そう言って光はくるりとランティスに背を向けたたたっと数歩離れてごそごそ

しはじめた。

 「ヒカル…?」

 「こっち来ちゃダメだからね! …鎧、ちょっと邪魔なんだけど…」

 服をたくし上げて何やらもそもそしているところを覗きに行く訳にもいかない。

ましてや手伝えるはずもない。

 「・・もうちょい真ん中に・・・できた!」

 ようやく服を直し、光がくるりと向き直った。

 「えへへ、お待たせ。ちゃんと落ちないところに入れたよ」

 「・・・・どこに?」

 訊いてもいいのか、訊かぬが花なのか、数瞬迷ってランティスが問うた。

 「こ・こ! 詳しくは聞かないでね。でもぴちっとしてるから、ポケットより

落ちないとこだよ!」

 光愛用のスポブラはサイドからパッドを出し入れできるタイプで前のほうの

生地が二重になっている。ど真ん中に入れておけばささやかでも(笑)両脇は胸の

ふくらみがあるので落ちにくいという訳だ。ポンと胸を叩いた光はこれで良しと

ばかりにさっさと歩き出したので、ランティスの不機嫌そうな顔に気づかないの

だった。

  

 

 

 

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    フェラーリ…ランティスが招喚する黒い馬のような精獣のこと。跳ね馬とも。イタリアの自動車メーカーとそのエンブレムより。