The Private Papers of Mercedes Page.6 | ![]() |
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親衛隊長の内示を固辞した俺の部屋に、先代の神官が訪れた。部屋に満ちる きつい酒の匂いにミシュランは眉をひそめた。 「誰かが廊下で酒甕でも割ったのかと思えば、そなたか…。酒に酔ったからと いって、何かが変わるかね?」 「そこいらの連中ならいい加減潰れるぐらいには呑んだんですがね。生憎まだ 酔っちゃいません。ミシュランさまにお運びいただいてなんですが、誰になんと 言われようと、親衛隊長の任には就きません。俺は、≪柱≫を護るために魔法 剣士になったんじゃない」 地位も名誉も、別にどうだってよかった。ただその人が欲しかった。そしてその 人に相応しい者であることを求められたから、魔法剣士をめざしただけだ。 「そなたの親衛隊長就任も、サプリームの神官就任も、シルフィさまのほうから お断りがあった」 「サプリームまで、何故?!」 「理由はお伺いしておらぬ。そなたらこそが、解っているのではないか?」 四人で過ごした幸せな日々を遠ざける為に…。栗毛と月毛の二頭の跳ね馬で 遠駆けして、遥かな水晶宮を二人で見上げていたことすら、ずいぶんと昔のことのような気がした。 「極めて異例ではあるが、親衛隊長と神官は先代から留任ということになった。若い世代に任せて、そろそろ楽をしたかったんだがね」 「親衛隊には他にも腕の立つ若いヤツはいますよ。神官を務められるレベルの 魔導師は知りません。――年若い≪柱≫でいらっしゃるから、しっかりしたかたに支えていただくほうが安心されるでしょうが」 少し前まで「お前」と呼んで憚らなかったその人なのに、いまは言葉さえも酷く 遠かった。 あの頃、魔導師の、いや、ただのメルツェーデスでいいと言ってくれたシルフィを信じて、攫って逃げればよかったんだろうか。それでもグロリアの消滅を知れば、シルフィがどうするかなんて判りきっている。かつての自分が取り違えてしまった選択を、進み間違えてしまった道を、いまさらどうすることも出来ず、グラスになみなみと入った酒を一気に呷った。 「酒に身も心も蝕まれるまで、そうしているつもりか…?」 「…」 「その醜態がお目に留まれば、シルフィさまとて百年の恋も醒めるだろうがね」 ミシュランの言う通り、≪柱≫となったシルフィはその気になりさえすればこの国のどこであっても意識を振り向けることが出来るのだから。そうして愛想尽かしの言葉でも浴びせられれば、いっそ嫌われてしまったならどんなに楽だったろう。 「――明日には、この国を出ます」 「いまは、それがよかろう」 宥めるように俺の肩をひとつ叩くと、ミシュランは部屋を出て行った。
オートザムから戻って二週間と過ごさなかったここは、自分の部屋とは思えないぐらいよそよそしく片付いていた。もしかしたら、もう二度と戻ることはないかもしれない旅に出る前に、ふたたび両親に暇を告げに向かった。
父の執務室を覗いてみると、薄紫の髪に青い瞳の少年が驚いたようにこちらを見た。 「うわぁ、魔法剣士≪カイル≫=メルツェーデス!!本物だ!」 呼ばれなれないその称号に思わず顔をしかめつつ、部屋の主が不在だったので仕方なくそいつと話す羽目になった。 「なんだ、お前。親父の弟子か?」 「一年前に弟子入りさせていただいたクレフと申します。どうぞお見知りおきを、 カイル=メルツェーデス」 「だぁぁ、その呼び方やめろ。メルでいい、メルで!」 いまは自分が魔法剣士であることも思い出したくなかった。 「兄弟子である方に、そのようなぞんざいな呼び方をして構わないのでしょうか」 「兄弟子??」 「ご幼少の頃にはお父上に師事されたと伺っています。ですから、私から見れば兄弟子でいらっしゃるのでしょう?」 「その『兄弟子』の要望なんだから、黙って聞いとけ」 「…はい」 僅かな時間話しただけでもそれと判る、その少年・クレフは桁外れに魔法力の 強い全属性使いだった。つまり、いつかはあの耄碌爺の後を継ぐ導師になれる 可能性を秘めていた。 「ところで、親父はどこへ行ってるんだ」 「今宵は『初(うい)の晦(つごもり)の集い』ですから、奥方さまともども精霊の森に 行かれていて、明後日までお帰りになりませんが…」 「ああ、そうか」 暦などまるで気にしていなかったが、≪柱の継承≫後の最初の朔の月の夜、 新たな≪柱≫の御世が実り多いものであるように、国中の主だった魔導師たちが精霊の森に集い祈りを捧げるのだ。『初の晦の集い』は、その準備の為の、 ≪柱≫一代に一度きりの行事だった。 「じゃあ、これを預かっといてくれ」 逢えない予感がしたという訳ではなかったが、部屋でしたためてきた手紙を クレフに差し出した。 「確かに承りました」 恭しく両手で受け取る小柄な少年に、俺は思わず苦笑いしてしまっていた。 「じゃ、真面目に修行しろよ」 「はい!」 やる気に満ちた返事を耳にしながら、俺はその部屋の扉を閉めた。
以前この国を離れたときには、両親やサプリーム、いまは亡き姉姫ともう手の 届かない妹姫が見送ってくれた。慰めの言葉なんかかけられたら答えようもない今は、こんな風に一人で旅立つのも悪くないように思えた。 「…精獣招喚…!」 風を纏って姿を現した栗毛の跳ね馬に跨り走らせようとしたとき、精獣グリフィスが滑空して降下してきた。 「わーっ!メル、ちょっと待って!!」 「サプリーム…。相変わらず騒々しいヤツだな」 駆け出したくてうずうずしている跳ね馬を宥めつつ、隣に舞い降りるグリフィスの巻き起こす風に思わず目を眇めた。 「間に合ってよかった。フェラーリに本気で走りだされちゃ、グリフィスじゃ追い つけないんだもん」 「何か用か?例の魔法なら、考察資料をお前に渡したろうが」 「その件じゃなくてさ…。急なお召しで、水晶宮まで行ってきたんだ。これをメルにって、シルフィ…さまから」 長い紐を斜め掛けにした鞣(なめし)革の巾着袋から、飾り気のない白木の小箱を 取り出し、サプリームは俺に手渡した。微かに残る懐かしい者の気配を感じつつ、そっと蓋を開ける。元の色を取り戻したグロリアの紅い≪護り石≫と、シルフィの 蒼い≪護り石≫のペンダントが並んで収められていた。 「元の色に戻ったんだな…」 「んー、そうでもないみたい。夜の間は色が入れ替わっちゃうんだって。千数百年セフィーロに生きてきたじいさまでも、『そんな奇妙な≪護り石≫なぞ聞いたことが ない』ってさ」 ≪柱≫にも耄碌爺にも、解らないことはあるらしい。 「で、何故これを俺に?グロリアのはともかく、生きている者が≪護り石≫を他人に渡すなんて、それこそ聞いたことがないぞ」 「≪柱≫になったシルフィさまには、≪護り石≫なんて必要ないんだって。それに……」 不意に口ごもってしまったサプリームの言葉を、俺は黙って待った。 「『蒼い石を見てると、対(つい)の紅い石の主と、……ある男性(ひと)の瞳を想い出してしまうから』って」
『私もメルも蒼いから、将来子供を授かったらきっと蒼い瞳になるわよね。 太陽にきらめくあなたの金髪に似てくれたらいいんだけど…』
そんなたわいない話をしていたのは、いったいいつだったろう。 「これは私の想像なんだけど…、二人でメルのそばにいたいんじゃないかな」 姉妹の願いと、恋人たちの願い――『二人の願い』はどちらも叶うことなく潰えてしまった。ただひたすらにセフィーロだけを想い続けなければならないお前の枷となるなら、それも引き受けてこの国を離れよう。 「サプリームはこれからどうするんだ?」 「『顔を見るのがつらい』なんてやわな理由でお払い箱じゃあ、所詮その程度ってことだよね。城を離れて、≪柱≫の目も逃れた場所で修行し直すつもり」 「へぇ、トーラスからお声が掛かったのか」 「なんたって優秀な多属性使いですから…。なぁんてね。実はミシュランさまの 口利き。メルはオートザムに…?」 「ふらふら遊んでる歳でもないだろ。勝手も解ってるし、いつでも帰ってこいって 言われてたしな」 よもやこれほど早く舞い戻るとは誰も思わないだろうが。フーガが首都にいたらぼろっかすに言われるところだった。 「んじゃ、時間があるときでいいからさ、続きヨロシクね!」 「ふざけるな。あんなくそっ寒いとこ、休みのたびに行ってたまるか」 「えー、誰か知り合いが転属したって言ってたじゃん」 「だから、なおさら行きたくないんだよ。取っ掛かりは見つけてやっただろうが。 自分でやれ」 「私に欠けてる属性だからそのまんまじゃ無理なの、解ってる癖に…」 「いまだ解き明かされていない膨大な禁呪の中には、そういう便利な魔法もあるかもしれないじゃないか」 「そんなあるかないかわかんないモノより、メルが進めるほうが確実だと思うんだけど」 「だからどうして俺が…」 「メルってば無趣味だし、どうせ休みなんか持て余すでしょ?もう剣術修行も しなくていいんだし」 グサりと痛いところを突かれてしまった。 「ああもう、解ったよ。気が向いたら、な!」 「ぜひとも気を向けてくださいませ♪」 湿っぽくならないようにとおどけてみせるサプリームの口調に、思わず苦笑が こぼれた。 「じゃ、元気でな」 「メルもね」 預けられた小さな木箱。時間が取れたら、グロリアの為にエリオの花を、シルフィの為にリアナの花を彫り込んでやろう。セフィーロにその花を≪お印≫に使って いた、双子の姫たちがいた証に…。二つの石が離されることのないように言葉も添えて…。 ばさりと先に飛び立ったサプリームのグリフィスに背を向けて、栗毛の跳ね馬でどこまでも青いセフィーロの空へと駆け出した。
2010.5.15 |
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グリフィス…頭が鷲、胴体が翼持つ獅子の姿の精獣。地球で言うところのグリフォン。TVRグリフィスより トーラス…禁呪を解くことを目的とした隠れ里の総称。フォードトーラスより エリオ…スズキエリオより。カサブランカ(百合)に似た花。グロリアの「お印」 リアナ…スズキエリオ欧州モデルより。ロイヤルハイネス(薔薇)に似た花。シルフィの「お印」
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