The Private Papers of Mercedes  Page.4
 

 懐かしい故郷・セフィーロは少しばかり荒れていた。オートザムで感じていた

ように、やはり≪柱≫の力の著しい衰退は否めないようだ。シルフィたちの成年式が終われば、おそらくすぐにもグロリアは≪柱の試練≫に臨むことになるだろう。

 王城を目指し城下町の上を跳ね馬で駆ける俺を、一番逢いたかった女性(ひと)が迎えくれた。本当に昔から言ったことを貫き通すその人は、自らも月毛の跳ね馬で駆けてきた。

 「お帰りなさい!メル」

 別れた頃にはまだ「可愛らしい蕾」という感じだったシルフィは、大輪のリアナの花のように美しく咲き誇っていた。

 「月毛の跳ね馬と契約したのか…。シルフィによく似合う」

 「うふふっ、でしょう?もっと早く迎えに行きたかったんだけど、お父様が、『城で待ちなさい』ってうるさくて…。なかなか抜け出せなかったの」

 仮にも姫にこんな風に跳ね馬で好き勝手に遠出をされては、国王としては気が

気ではないだろう。俺がけしかけたせいでシルフィが意地になって跳ね馬と契約

したなどと国王にばれたら、仲を認めてもらうどころか大目玉を喰らいそうだった。

 

 帰還の報告をした俺に、国王は直ちに≪認承の試練≫に挑むようにと申し

渡した。魔法剣士の≪認承の試練≫は三点をクリアしなければならない。

   一.騎乗出来る精獣と契約していること。

   二.魔法剣を自在に使えること。

   三.魔物討伐等の実績があること。

 一に関しては、魔法剣士を目指す以前から跳ね馬≪フェラーリ≫と契約を交わしていたので、何ら問題はなかった。二はオートザムでの武者修行で確実にモノにしてきた魔法剣のお披露目的のものだし、三に関しては、実績というにはいささか厚かましいが、これから親衛隊の魔物退治に同行して経験値を上げることに

なった。

 魔物退治に出かける前に、大急ぎで件の創師に鎧などの防具一揃いを創って

もらった。オートザム軍の装備とはまた違うので、セフィーロの剣士としての鎧は

元・魔導師の俺としては、どうにも落ち着かない感じがした。

 「メルってば、ちゃんと剣士に見えるわ」

 「あらぁ、案外鎧も似合うのね。元・魔導師には見えないわ」

 「へぇ、見てくれだけならもう魔法剣士で通りそうだよ、メル」

 姉妹姫とサプリームは魔物退治に出かける俺を見送りに来て、実に言いたい

放題だった。

 「あのな…、激励の言葉とか、そういうのはないのか!?」

 「ここで失態をしでかしたら、お父様に合わせる顔がないでしょう…?」

 「だってメルってば自分で『シルフィのために魔法剣士になる!』って豪語したんだし…」

 「いいのよ、私は駆け落ちでも…。だから、無事に帰って」

 最後の最後にシルフィの殊勝な言葉を聞けたので、思わず笑みが零れた。

 「帰ったばかりで出かけることになって悪いな。すぐに戻るから」

 「いってらっしゃい、メル」

 

 

 当代の≪柱≫の衰退は自然界のさまざまな揺らぎを招き、民の心に不安の影が忍び寄る。恐れおののく人々の心は、このセフィーロでは容易に魔物を生み

出してしまう。ここ数ヶ月、三日と明けず魔物退治に出向いているのだと親衛隊長が苦い表情をした。

 「お前が≪認承の試練≫を無事に終え、認承式が執り行われれば、すぐにも

グロリア姫は≪柱の試練≫に臨まれるだろう」

 「成年式を待たずに、ですか」

 「その時間は恐らく…」

 慣例として≪柱≫の継承と同時に、その柱に仕える神官と親衛隊長が新たに

任命される。長きに渡り側仕えしてきた親衛隊長は、当代の≪柱≫の余命が

あまり残されていないことを痛感しているようだった。

 

 十日以上にわたる魔物退治行の終わりに、親衛隊長がどういう訳か俺に握手を求めてきた。

 「『魔導師育ちが魔法剣士を目指す』だなんて、寝ぼけたことを言うヤツがいた

ものだと思ってたんだがな。グロリア姫の親衛隊長として、しっかりお守りするん

だぞ」

 「は…?」

 シルフィの伴侶であるに相応しく武人であることを求められたが、親衛隊長の話は初耳だった。

 「なんだ、聞いていなかったのか?グロリア姫はことのほか人見知りをなさる

からな。長く親しんできた者から側近をということになった。魔法剣士となったお前を親衛隊長に、サプリームを神官にと長老たちはお考えのようだ。シルフィ姫も

いずれは最高位の導師として、この国を支える力になられる。お前たちのような

若い世代ならば、永くこの国を導いてゆけるだろう」

 望んだ相手が相手だけに、否応なく大層な立場に立たされることになりそうだと思いつつ、改めてその覚悟を決めた俺は親衛隊長の手を握り返した。

 

 

 認承式に飾るとかいう肖像画は時間がかかるので辞退し、まだ創ったばかりで瑕のひとつもない鎧も新調することなく、俺は残された城での魔法剣のお披露目に臨んだ。親衛隊長らとの模範試合のあと、「余とも一戦手合わせを…」と国王が

言い出したときは、ここは勝つべきなのか勝ちを譲らねば不敬に当たるのかと

一瞬悩んだが、耄碌爺、もとい最高位の導師殿の、「お戯れもほどほどになさい

ませ」の一言で事なきを得た。そして俺の認承式の三日後、いよいよグロリアが

≪柱の試練≫に臨むことが決まった。

 

 

 グロリアの運命の日の前夜、宣言通りフェラーリを手に入れていたシルフィと

約束の遠乗りに出掛けた。

 月明かりと星々のきらめきを映し、幻のように天空に浮かぶ≪柱≫の水晶宮を見遥かす丘の上。マントを外して広げ二人で並んで腰を下ろし、近い将来グロリアの住まいとなるその場所を見上げていた。

 「いよいよ明日だな。一緒にいなくてよかったのか?」

 「ここまで来てからそれを聞くの?一人でゆっくり考えたいからって、追い出されちゃった」

 「そうか」

 「一緒に生まれてから、グロリアとこんなに離れるのは初めて。明日からは、もうずっと…」

 いつでも勝ち気なシルフィの震えた声に、俺はそっと肩を抱き寄せた。

 「なにも二度と逢えなくなる訳じゃない。俺は親衛隊長として、サプリームは神官として≪柱≫の…、グロリアの側仕えをするし、導師としてのお前だって折に触れ伺候するだろう?」

 「双子じゃないメルに何が解るっていうの?!こんな風に遠く離れるだけで、なんだか落ち着かなくて…。まるで半身を引っ張られてるみたいな感覚、経験したことないでしょう?!」

 「じゃあグロリアもいま、そんな感覚でいるのか?」

 「だからこんな風に離れるのは初めてだって言ってるじゃない!」

 「――そりゃあ俺には双子として生きてきたお前とグロリアの絆は、完全には

解らないかもしれない。それでもまだ、お前の側には、俺が居るだろう…?」

 ペンダントをぎゅっと握り締め、シルフィは俺の肩に顔を埋めた。

 「そうよね。グロリアがきっと一番…」

 明日からは、ただひたすらセフィーロだけを想い続ける日々が始まるのだから。

 「だけど…、≪世継ぎ≫になんて生まれたくなかった…!どうして私たち普通の姫じゃなかったの?ううん、別に姫じゃなくてもいい。≪世継ぎ≫でさえなければ、ずっと一緒にいられたのに…」

 ≪世継ぎ≫であることに対する苦悩をシルフィが人前で口にしたのは、俺の知る限りこれが初めてだった。

 

 

  国中のほとんどの者たちが眠りの中にいるまだ夜の星も消えぬうちから、その儀式はひそやかに始まる。ひそやかに、とはいえごく近しい者にとってはその限りではない。何処で行われるのか、それに臨む本人でさえ知り得ないこの国最大の試練に、縁深い人を送り出すのだから。

 禊を終え、真っ白な衣装に身を包んだグロリアは透き通るような美しさを湛えていた。

 「シルフィ。お父様とお母様のこと、お願いね」

 シルフィは目にいっぱいの涙を溜めていて、口を開けば堪えきれないとでもいうように、きゅっとくちびるを引き結んだままこくりと頷いた。

 「メル、シルフィのこと、大切にしてあげて。勝ち気なようだけど、本当は私より

淋しがり屋だから…」

 「ああ、大丈夫だ」

 「サピィの願い、叶うといいわね」

 「メルがオートザムにいた間に研究してくれてたから、光明は見えてきてます」

 まるでこれきり逢えない者の挨拶のようだと思いながら、「誰かの為だけの願いごと」を口にするグロリアとは確かにこれでお別れなのだ。次に逢う時には、

セフィーロの為に祈る唯一の人になっているのだから。

 「お父様、お母様、行って参ります」

 国王は無言のまま大きくひとつ頷き、王妃はハンカチを握り締め口元を押さえていた。

 紅い≪護り石≫のペンダントをまさぐりながら、しばらく俯いていたグロリアが

ふと顔を上げて、俺のほうをじっと見詰めた。まだ何か言っておきたいことがある

のだろうかと、黙ってグロリアの言葉を待ったが、つっと視線をそらすと「…もう、

行きます」とつぶやいた。

 余人はここまでしか許されていないので、バルコニーに向かうグロリアの後ろ姿が消えていくのを、俺たちは黙って見送った。

 

 

                                        

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水晶宮…アニメ版のエメロード姫が自ら籠もっていた城に似た、当代の≪柱≫の住まい