7月 5日 vol.6              

 

 

  ――オートザム標準時2355、ノマド時間2325――

 

 崩れかけた天蓋外殻の下でグロリアは少し戸惑っていた。別邸でメルツェーデスの呼びかけに応えてからというもの、

光はずっとグロリアが求めるままに力を供していた。だからメルツェーデスに伝承された光属性の浄化魔法もすぐに

使えるものと思っていたのに、ここにきて光が従わなくなってきていた。

 『この街を救いたくないの?』

 ≪救…い…たい…≫

 『ここには大切なあの人がいるわ』

 ≪大切な…ひ、と…?≫

 『メルツェーデスがいるんだもの』

 ≪メルツェー…デ…ス…?≫

 

 魔法伝承をしていた豪奢な黄金色の髪に蒼い瞳のあの人…?私の逢いたかった人はあの人だったろうか…。

私だけがこの汚れきった大気を浄めることが出来ると彼女はいう。だけど私の存在と引き換えになるだろうとも

彼女は宣告した。私がちゃんと魔法を使えないから、彼女が私を使って浄化魔法を発動するのだという。それは

とても危険な行為で、彼女の人格が被さったままになるか、それすら出来ずに精神が崩壊してしまうかのどちらか

だと。いずれにせよ私は消えてしまう。この街を失ったらこの国の沢山の人たちが犠牲になるらしい。一人と沢山…

どちらを取るかなんて決まりきっている。それなのに≪…違う…≫という声が聞こえて、その声がどんどん大きく

なってきて、心がすくんでしまって、もう、動けない………。

 

 しばらくの間、膝を抱えてうずくまっていた。誰かに呼ばれた気がして顔を上げると、ずっとずっと遠くにほんの

小さな煌めきがあった。いったい何が光ってるんだろうと、じいっとその微かなひかりを見つめた。キラリと反射する

それが何なのか、自分は知っているように思えた。

 

 ≪それじゃエメロード姫と同じだよ!≫

 

 いつだったか誰かに向かってそう叫んだ自分の声が聞こえた。

 エメロード姫…って誰?ああ、セフィーロを救おうとして、命と引き換えにしたんだ。でも、どうして同じじゃいけないん

だろう…。誰にでも出来ることじゃない。立派な行為なのに、何故いけなかったんだろう…。

 姫に救ってもらったんだけど、遺されたみんなはとても悲しんでいた。姫のその決意に手を貸すことしか出来なかった

自分自身が許せなかった。追い詰められた姫には多分もう他の道なんて見えなかったんだ。だけど私はそれが間違い

だったと気づいてるんだから、同じ轍を踏んではダメだ。なんとしてでも他の道を見つけなくては、今度こそ本当に姫の

歩いた道を無駄にしてしまうことになる。そこまではわかっているんだけれど、実際問題としてどうすればいいのか

正しい解の導きかたがわからなかった。もしも私がここで姫と同じ選択をしてしまったら、父様や母様、兄様や大好きな

人たちにきっと同じ想いをさせてしまう……。

 ……違う。…違う…。…違う。今の私には誰か、もっと大切な人がいたはず…。

 ≪こんな時…あの人が居てくれたら…≫

 私が暗闇で迷った時は、いつでもあの人が行くべき方向への灯りをともしてくれた。そんなあの人に「あなたは

ヒカルに甘すぎます」と苦笑していた人もいるけど、それほどには甘くない。あの人ならばそのまま私を抱き上げて

そこから救い出すことだって出来るのに、じれったい想いを押し殺してでも、私が自分で歩きだすのを待っていてくれる。

だけど本当に私が動けないときには、危険を顧みずに一番そばに来てくれた――私が逢いたかったのはそんな人だ。

 ただ逢いたくて、誰より一番そばに居たくて、あの人の低くて優しい声で名前を呼ばれるだけで、すごくしあわせな

気分になれて…。

 『ヒカル…』

 そうちょうどこんな感じ…。

 『ヒカル、俺の声が聞こえるか…?』

 ≪うん…。すごくひさしぶりだから、もう少し呼んでいて欲しいな…≫

 遠くで煌めいていたものが、ふと気づくと手が届く場所に漂っていた。そっと手を伸ばして、ぎゅうっと胸に抱きしめる。

 ≪紅い宝玉に水仙…ううん、えーっと、そう、アイシスの花の模様だ。…の母様の形見の輝鏡…。『――きっと、

いつかお前を護ってくれる』…そう言って、これを私にくれた人…。晴れた日のセフィーロの空みたいな蒼い蒼い瞳に、

ほんの少し癖のある黒髪の……私の…≫

 『ヒカル……!』

 「…ラン、ティス………。やっと逢えたね」

 

 真夏の向日葵が咲き誇るような眩しい笑顔を見せた光を、ランティスの心はしっかりと抱きしめていた。

  

 

 ――オートザム標準時7月6日0025、ノマド時間7月5日2355――

 

 ノマド上空で待機中だった全艦艇のモニターに障害が起きたのに続いて、FTOとGTOの映像回線も十数分前から

原因不明の障害でダウンしていた。天蓋外殻の補修と強化自体は完了していたので、イーグルは後退を決めジェオに

それを告げた。

 『後退って…、あいつら放り出しちまうのかよ、イーグル!!』

 「ウイングロード以下全艦、ここから離れたらモニターの不具合は回復したそうですからね。僕たちの機体も同じなの

かもしれませんよ?魔法は機械物と相性悪いようですから、近くでウロウロしないほうがいいんじゃないかと…」

 『いたらかえって邪魔になっちまうか』

 「そんな気がします」

 『役に立たんだけならまだしも、邪魔しちまったらシャレになんねぇからな。了解、コマンダー!』

 「ヒカル…どうか無事で――!」

 

 

 ヴィラ=フィオーレでノマドの非常事態を知らせる緊急速報を見たところまでは確かに記憶していたが、どういう訳だか

知らない場所で宙に浮いている自分の身体とそれを取り囲む三人に混乱している光を、ランティスが宥めつつ大まかな

状況説明をしていた。そのランティスにしてからが他の見知らぬ二人の女性ともどもなかば透き通っているので、光は

心配のあまり泣き出しそうな顔になっている。

 「ホントに大丈夫?ランティス」

 『ああ。だがあまり長くは維持できない』

 ≪だからこっちは任せておけばよかったのに…≫

 その呟きを耳にしたランティスがじろりと睨むと、グロリアは怯えてシルフィの後ろに隠れた。柱の試練に敗れて

消えたあの頃のままの姉の姿に苦笑しつつ、シルフィはランティスに言った。

 ≪だったら早くその子を使える状態にして。でなきゃ、こっちで勝手に使っちゃうわよ≫

 「光属性の魔法なんて私に使えるのかな。炎の魔法だってそんなに自由に出来てる訳じゃないのに。あの人に私を

使ってもらうほうが確実だっていうなら…」

 『俺はお前を喪いたくない…。たとえそれが世界を救う唯一の方法だと言われたとしても、俺は絶対に諦めたりしない。

あの時、みなと生きて幸せになりたいと望んだのは、ヒカル、お前だろう?』

 「うん…。ランティスと生きていくって、みんなにも誓ったんだもん。一緒にしあわせになるからって…。やってもみない

うちから諦めちゃダメだよね。どうすればいい?」

 『精霊の森の泉のそばでやったように、自分の内なる力を見極めるんだ』

 メディテーションのときによくやっていたように、ランティスはふわりと光の身体を抱きこんだ。

 「私の中の力……。ここの空気を浄化するための、私の力……」

 ランティスに背中を委ねながら、極限まで神経を研ぎ澄ませていく。遥か下の小さな診療所のような建物の中で、

精神が離れてしまっている為に殻円防除に集中することが難しくなってきたランティスの身体を、メルツェーデスと

サプリームが支えていることさえ感じ取れた。

 ≪ほら、よそ見しないで。向こうはメルとサピィに任せて、あなたはこっちに集中して…≫

 きちんと結い上げた亜麻色の髪と凛とした蒼い瞳のエメロード姫の前の柱だというシルフィに指摘され、光は慌てて

目の前の現実に向き直った。

 「ご、ごめんなさい…っ」

 『横から急かさないでくれ。ヒカル、焦らなくていいから…』

 「う…ん…」

 

 堕ちるように自分の中へと沈みはじめた光の意識を護るように、ランティスがそばにいた。

 ≪真っ暗で何も見えない…。輝鏡もどこかにいっちゃった…≫

 『輝鏡?』

 ≪ほら、大学受験の頃に貰ったランティスの母様の輝鏡。さっきね、あれを手にしてランティスのところに帰れたんだ。

なのに、またどこかにやっちゃったみたい…。ごめんなさい≫

 申し訳なさそうに俯いた光に、ランティスが小さく笑った。

 『お前の胸元にあるそれはなんだ?』

 ≪えっ?≫

 首に掛けた覚えなどなかったのに、確かに光の胸元で輝鏡が静かなひかりを湛えていた。光は気がつかないようだが、

ランティスからは暗闇の中でそこにだけひかりがあるように見えていた。光がそうっと両手で掬い上げた輝鏡にランティスが

左手で触れたとき、まばゆいひかりがほとばしり、光の姿もランティスの姿もそのひかりの中に飲み込まれていった。

 

 グロリアからシルフィへもメルツェーデスが編み出した魔法が伝承されていた。二人を包む黄金色の炎が収まると、

シルフィが姉に尋ねた。

 『グロリア、いい?』

 『もう少しメルやサピィと話したかったけど…』

 『これ以上離してるとランティスが身体に戻れなくなってしまうわ』

 『せっかく二人でセフィーロを変えていこうとしてくれてるんだもの。還してあげなきゃね』

 『『浄光流清≪ルーチェ・ミアータ≫!!』』

 

 メルツェーデスの病室に残されたランティスの結婚指輪からも目がくらむほどのひかりが発せられ、それは光属性の

力に満ちあふれていた。

 『やりすぎだ、あのバカ…』

 『あははは。渋ってたわりには、チャンネル全開だよねぇ。でもまぁ、心置きなく使えていいんじゃない?』

 

 ひかりが眩しくて目も開けていられないけれど、そこに確かにランティスがいるのがわかる。そしてそのランティスを

通り道にして、自分の中から光属性の力が泉のように湧き出していくのがわかる。グロリアとシルフィの二人が光の

力を使って魔法を発動したのも感じ取れたが、光は光で自分の内側からも言葉が浮かんでくるのを感じて、なかば

無意識のうちにそれを口にしていた。

 ≪光の連滝(カスケード)!!≫

 『くっ…!』

 自分にない属性の力の通り道になるだけでも相当な負担なのに、いきなり光のうちから発動された魔法に曝され、

ランティスは意識が途切れそうになっていた。

 

 『やりすぎのバカに、乱暴この上ないバカか…。いい取り合わせだな、ったく』

 『感心してる場合じゃないと思うけど…。ここはひとつ私の得意分野で、助太刀しますか。メルも力貸してっ!』

 『『双流融合≪インテグラ≫!』』

 その部屋の遥か上空でそれぞれ独立して発動した浄化魔法を、メルツェーデスの力を借りたサプリームがひとつに

纏め上げていた。

 

 

 『イーグル!!衝撃波、来るぞっ!!』

 ノマド・ドームからほとばしった閃光は、やや後退していたFTOとGTOにも襲い掛かった。回復していたモニターが

灼けつきはしたが、不思議とその他のダメージはこうむらずに済んでいた。

 「…大丈夫ですか、ジェオ」

 『モニターはちぃと灼きついてるがな。あ、環境センサーがいかれたか…?』

 ジェオの言葉にFTOの環境センサーに目をやったイーグルも苦笑した。

 「本当だ…。AAA(トリプルエー)はあんまりですよね。それだと、この周辺の外気がセフィーロ並みに綺麗ってことに

なります」

 『へぇ、そっちもか…。GTOのセンサーもAAAだって言い張ってやがるぜ』

 ふと考え込んだイーグルが巡航艦ウイングロードを呼び出した。

 「こちらFTO。衝撃波の影響はありませんでしたか?」

 『こちらウイングロード。モニターの灼きつきと、環境センサーの異常ぐらいだ』

 「もしかしてAAAですか?」

 『よくご存知で。そっちもか?』

 「ええ。念のため、周辺の全艦艇に確認を取ってください。それで全艦のセンサーがAAAと弾き出しているなら、

外気サンプルを採取して分析をお願いします」

 『Aye,Sir.(了解)

 「ジェオ、僕らは先にノマド・ドームに戻りましょう。ランティスたちが心配です」

 『了解っ!』

 

 

 電子制御のモニターが回復するのを待ちきれず、普段は無用の長物と思われていたペリスコープでドームを

観察しつつイーグルたちは接近を図っていた。すでにランティスが展開していた殻円防除のひかりのヴェールも

消え、天蓋外殻近くにいた光の姿も見当たらなかった。

 「第三エアロックから中に入ります。覚悟はいいですか?ジェオ」

 『お供しましょう、コマンダー』

 

 基地からは一番遠い第三エアロックから入り込み、街の様子を確認しながらイーグルたちは基地併設の病院施設へと

向かった。FTOとGTOを相次いで病院の玄関に着陸させると、ギアでランティスの現在位置を確認し、イーグルは軽く

けっつまづきながら走りこんでいった。

 「ランティス!ヒカルっ!返事をしてください!!」

 「この反応だとメルツェーデスの病室だな。こっちだ!」

 ジェオの先導で病室に飛び込んだイーグルは、光を抱きしめたまま壁にもたれてぐったりと座り込んでいるランティスの

姿に凍りついた。

 「ランティス!?ヒカル!!」

 ギアでは二人のバイタルサインは比較的良好だったのにと、首筋に手を触れ確認する。

 「脈拍は二人ともしっかりしてますね」

 「ランティス!お嬢ちゃん!!しっかりしろ!!」

 耳元でがなりたてる地声の大きいジェオの大声にランティスが眉をしかめつつ、微かに目を開いた。

 「ランティス!大丈夫ですか?!」

 「イーグル…?…ヒカルは…??…外は?」

 「ヒカルならあなたの腕の中にいるじゃないですか」

 押し寄せる睡魔と疲労でかなり朦朧としているランティスは、人目も憚らず何度も何度も光を抱きしめていとおしそうに

ほおずりをしていた。光のほうはといえば、疲れきって熟睡しているのかときおりむにゃむにゃというばかりだった。

 「ドーム内も汚染されずに無事ですよ」

 「なら、いい……。もう寝かせてくれ」

 「おいおい、んなとこで寝ないでベッドで寝ろよ!お前を担ぐなんざ、俺でもゴメンだぞ!」

 「ここで、このまま……」

 それだけ言うと、光を抱きしめたままランティスは深い眠りに落ちていった。

 「しゃあねぇなぁ…」

 ジェオは予備のブランケットをラックから出すと二人に掛けてやった。

 たくさんの医療用チューブだけが残されたもぬけの殻のベッドにイーグルが近づき何かを拾い上げた。

 「これは…?」

 「んー?メルツェーデスがしていたやつじゃねぇか?ありゃあ黒い石だと思ったんだが、記憶違いかな…」

 透明で大きなソリティア(一粒石)リングの持ち主の行方が気にならない訳ではなかったが、おそらくは事前に

聞かされていた通りになってしまったのだろうと、イーグルとジェオはその部屋をあとにした。

 

 

   

 

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リダレーン…ひかわ玲子さんの「女戦士エフェ&ジーラ」シリーズより。魂を肉体から離す魔法の一種。

浄光流清≪ルーチェ・ミアータ≫…マツダ ルーチェとロードスター北米版のサブネームM iataより。ルーチェはイタリア語の「光」、

                     ミアータは古いドイツ語の「贈り物」。環境浄化作用がある。

光(ひかり)の連滝(カスケード)…光が発動した環境浄化魔法。禁呪を含めたセフィーロの魔法とは系統が異なる、光オリジナルの魔法。

双流融合≪インテグラ≫…ホンダ インテグラより。INTEGRATEからの造語。「結合する」や「完全にする」の意味。サプリームがトーラスで

                過ごしていた頃に解析した禁呪と思われる。

 

 

 

 

                                          

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