7月 4日 vol.3
グラグラっとやや大きな揺れを感じてランティスは意識を現実に引き戻された。他の部屋と違い情報表示ウインドウも
無いので、ランティスは仕方なさそうにギアを装着し、最新情報にアクセスすると眉根を寄せて呟いた。
「クラス4…。震源が近いな」
ノマドにはかなり古くからの、それこそメルツェーデスがオートザム軍と最初の契約を結ぶ遥か以前から稼動している
大規模な地熱発電所がある。精神エネルギーでなにもかもを賄う手法を編み出すより以前は、これが主流だったらしい。
厚い雲に覆われ太陽光は届かず、ドーム都市であるので風は吹かず、化石燃料の先が見えた火力も駄目、原子力は
廃棄物が厄介過ぎたからだ。
人がいる場所ならどこでもいける精神エネルギー利用は変換装置の小型化と効率化により主流となったが、都市
機能の大型化によりやがて限界点を迎えた。イーグルのような精神消耗性嗜眠病患者の発生を招いたのだ。両者の
因果関係の解明が遅れた為に(一部では精神エネルギー変換装置の独占販売企業が故意に遅らせたのではないかという話もあるが)、
細々と稼動を続けていたノマド地熱発電所以外の代替エネルギーの確保が間に合わなかった。全盛期に十数ケ所
あった地熱発電所のうち、ノマド以外は施設の老朽化等で再稼動の目処もたたず、オートザム政府は柱の空位の隙を
ついた柱システム掌握目的のセフィーロ侵攻作戦に踏み切った。発案者のイーグルの思うところは他にもあったが、
というよりそちらが占める割合のほうが遥かに大きかったようだが、セフィーロ側から見れば侵略行為以外の何物でも
なかった。
柱システム奪取に動いたのはオートザムばかりでなく、ファーレン、チゼータも時を同じくしてセフィーロに襲来した。
魔法騎士たちの駆る魔神の活躍でこれをことごとく退け、柱の空位は光の継承により埋められ、現在の形に移行した。
その後セフィーロは三国と講和を結び現在に至っているが、オートザムのエネルギー・環境問題はいまだ解決した訳
ではなかった。セフィーロ・チゼータ・ファーレンは言うに及ばず、光たちが異世界から持ち込んだ資料も交えて対策が
研究されていた。
そうした成果のひとつが新世代エネルギー産生実験機関ダイナであり、施設の補修改良を重ねつつ、ノマド地熱
発電所も稼動率をあげ一大エネルギー供給源となるに至っている。ダイナが点検休止中となればその重要度は
いやますが、そのノマドで地震というのは実にいただけない話だった。
「えらく揺れただろ。こっちは大丈夫か?」
入ってくるなりそう尋ねるジェオにランティスが頷いた。
「書棚は固定されてるし本も落ちてない。…随分震源が近かったな」
「だな。ってことで、ノマド基地からイエロー・アラートが出された。直下かクラス6なら、即レッド・アラートもんだった
がな。『かぶりもの』必須になると鬱陶しくて敵わねぇ。それでお前のIDも、ちと変更だ」
「イエローの段階で、『民間人は速やかに当該区域から退去』だったか。…軍属扱いに?」
「軍属程度じゃ大したアクセス権はねぇ。聞いて驚け、客員提督サマだ」
「提督?何の冗談だ。ファイターでいいだろう」
「あほう。んなもんで登録したら向こう三年従軍しなきゃならなくなるぞ。軍の機密に触れない程度の情報を得られて、
拘束されずにすむにはそれが一番なんだよ」
「…好きにしろ」
いずれにせよ名前だけの肩書なのだから、ランティスにはどうでもいい話だった。IDを変更されたギアには、地震
その他の詳細情報が流れてきた。
「3時間以内にクラス6以上発生の危険性が68%…穏やかじゃないな。ダイナが停止しているこの時期に」
「地熱発電所は改修ん時に耐震性上げる補強もやったらしいから、ま、大丈夫だろ。『古い都市だからいくときゃ
まるごとだ』なんて、笑えねぇ与太飛ばすヤツもいたがね。…ほう、ロートル発電所が予想以上に大活躍してるもん
だから、研究者や技師がぞろぞろ見学に来てるみたいだな。イレモノ見て、何が解るってぇのかねぇ。はぁん?ザズの
ヤツも連れ回されてやがんな。しっかし、こんな日に来るなんて間の悪い連中だぜ…」
技師たちの見学の様子がリアルタイムで配信されている映像に苦笑いしたジェオが肩を竦めた時、ドォンと突き上げる
ような大きな揺れが襲った。
「言ってる先からかよっ!」
「…冗談抜きにこれは…」
続いてきた横揺れは2メートル近いガタイのいい男二人がまともに立っていられないほど酷かった。二人の腕のギアと
館内スピーカーからけたたましい警報音が鳴り響く。
『レッド・アラート発令!天蓋外殻ドーム、A64、F91、H145、L198、S120セクタ、及び、地熱発電所外縁、α49、
β79、ε96、ν93セクタ、地表コーティングに深刻な亀裂発生!ノマド・ドーム内各員ただちにノーマルスーツ着用!
くりかえす…』
「ヤバいっ!ザズが…!」
「殻円防除っ!」
ヘッドセットとギアをかなぐり捨てたランティスの左手の指輪から、目も眩むほどの蒼い閃光が一気に拡散していった。
「ランティス!?」
「くっ、これで限界か…。天蓋外殻までは届かん…っ。外の連中を退避させて、早くノーマルスーツを着用させろ!」
「お前、まさかこの都市丸ごと覆ってんのか?!」
ジェオのギアに表示された点在する亀裂発生ポイントを見ながら、ランティスが苦痛に顔を歪めた。
「こんなに分散されてはな…。地表から2ヘックス下辺りまで広げてあるから、地表コーティングの修復を急いでくれ。
重機を使っても構わない。上は…、天蓋外殻からおよそ4ヘックス手前までしか展開出来なかった。その外は…、
すまない、諦めてくれ」
諦めるも何も、壊滅を免れただけで儲け物なのだ。
「すぐに修復の手配をさせる。それまで持ちこたえてくれよ、ランティス!」
そう言い置くと、ジェオはノマド基地に緊急連絡を入れつつ書庫を飛び出して行った。
ハイウェイでの事件の最中に数年ぶりの発作を起こしたイーグルは、二晩の様観入院を経て退院を許可され
ヴィラ=フィオーレに戻っていた。応接間でエミーナお手製のマドレーヌでお茶をしながら、光は心配そうにイーグルの
様子を窺っていた。
「イーグルってば、起きだしてて大丈夫?」
「大丈夫ですよ。お菓子を食べて、お茶するぐらいはね。それより光のほうこそ大丈夫ですか?さっきキッチンで
お皿を割ってたでしょう。怪我はありませんか?」
「え?あ、うん。…ちょっと、手が滑って…」
手が滑ったというか、いったい何を反射したのか指輪からの閃光に驚いた拍子に手許が狂ったのだった。
「まぁこの休暇の間は、みんなが言うように休息を取ることに徹しますよ」
そう言ってイーグルがニコリと笑ってみせた時、壁面の大きな絵画だと思っていたものがいきなりTV画面となり
光を驚かせた。
「わぁ、あれってTVだったんだ…」
目を丸くする光をよそに、イーグルとエミーナは表情を強張らせていた。
「緊急放送が入った時は、自動的に起動するのよ」
「え…?」
『…臨時ニュースをお知らせいたします。オートザム標準時間の本日午前11時頃、北部方面軍管轄のノマド・ドーム
周辺地域でクラス7の大地震が発生し、現地では非常警報が発令されました。警報発令に際し自動発信される
エマージェンシー・シグナルを首都基地で確認した直後からノマド・ドームとの通信が途絶しており…』
ニュースを最後まで見る余裕もなく、精神的負担軽減の為にギアもヘッドセットも外したままでいたイーグルは、
何もないところでけっつまづきながら慌てて自室へと飛び出していった。
「ノマドって…、ランティスたちが居る場所ですよね…?」
茫然とつぶやく光の肩をエミーナがそっと支えていた。
「大丈夫よ、ヒカル。きっと混乱して連絡がつかないだけだわ」
『お茶の用意をしていた頃だ…。あの指輪のひかりは………、ランティス…っ!』
どうしてこんな時に、自分はランティスから遠く離れた場所にいるのだろうと、光は痛切に後悔していた。たとえ何の
力になれなくても、せめてランティスとともにいたかった。
『ランティスのそばにいたい…!』
左薬指に輝く結婚指輪を右手で包み込むようにして、光は誰にともなくそう祈っていた。
『… コ コ ヘ オ イ デ … … 。 … ノ … … チ カ ラ ガ … … ヒ ツ ヨ ウ … … …』
誰かに呼ばれたようにゆらりと光が立ち上がった。焦点の定まらない光の虚ろな視線にエミーナが眉根を寄せた。
「どうしたの?ヒカル…」
「…呼んで…る…」
イーグルが開け放ったままだった扉を通り、ゆらゆらと覚束ない足取りで光がエントランスホールへと歩いていく。
「どこへ行くのヒカル!?お待ちなさい!」
ただならぬ様子に追いかけて腕を掴んだエミーナの手を、光はゆっくりと、だが強い力で振り払って進んでいた。
「イーグルっ!!イーグル、降りてきてちょうだいっ!ヒカルが…」
自室で軍司令部の情報網にアクセスしていたイーグルがエミーナの叫びを聞きつけて、エントランスホールの吹き
抜けに繋がる二階の廊下へと出てきた。
「ヒカル…っ!?」
エミーナが悲鳴を上げるのも無理からぬ話だった。ぼんやりと焦点を結ばない目をした光が、二階とほぼ同じ高さに
ゆらりと浮かんでいた。
「何があったんですか、母さん…」
光に視線を向けたままで、イーグルがエミーナに訊ねた。
「解らないわ。ただ、誰かに呼ばれたみたいに、ふらふら歩き出して…」
「ヒカル…。誰が呼んでるんです?……ランティス、ですか…?」
軍司令部でもノマドとはいまだ通信が途絶したままで詳細を把握できずにいる。そんな場所へランティスが光を
呼び寄せたりするだろうか。第一、ランティスは空間転移系の魔法を使えなかったはずだ。
「ランティスじゃ…ない…。でも……」
イーグルから光までの距離は約3メートル。軍服の時なら身につけている跳躍補助装置も何もない状態で、助走も
せずに手が届くだろうかと懸念しつつ、イーグルは廊下の手摺に身を乗り出し足をかけた。
「…そこから、動かないで下さいね、ヒカル…」
手摺を蹴って身を躍らせたイーグルの伸ばした指先が触れる直前、光の身体はスクリーンを揺らされたプロジェクタの
映像のようにくにゃりと歪んで虚空に消えた。くるりと身体を回転させて受身を取ったイーグルがエミーナを振り返る。
「母さんの車、借りていきます!」
それだけ言い置くと、エミーナの返事も待たずにイーグルはヴィラ=フィオーレの玄関を飛び出していった。
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クラス…日本語の震度と同義
イエロー・アラート…警戒警報
レッド・アラート…非常警報。ノーマルスーツ(ジェオの言う『かぶりもの』・俗に言う宇宙服)着用が義務付けられる
客員提督(ゲスト・アドミラル, Guest Admiral)とか、ノーマルスーツとか、その辺の数値とか、微妙に趣味が出てたり出てなかったり…
(銀▲伝とか、お台場あたりに立ってた[いまは静岡ですかね?]アレとか…)