7月 4日 vol.2
蔵書を見に訪れたランティスが書棚の前で本を繰っている間、導師クレフは難しい顔をしてその姿を見つめていた。
「ご用向きがあるなら仰って下さい。気が散って仕方がないのですが」
丁寧な物言いの割には、言ってる内容は随分と酷い弟子だった。
「お前な、『慇懃無礼』という言葉を知ってるか?」
「失礼しました。それでご用件は?」
本のページから師に目線を移し、ランティスが尋ねた。
「…ヒカルをどう思う?」
顔色こそ変わらなかったが、バタンとハードカバーの魔導書を閉じてしまう程度には動揺したらしい。友にからかい
半分の当てこすりを言われるのはともかく、何が哀しくて親代わりの師匠にまで揶揄されねばならないのかと、
おしゃべりなプリメーラを恨みたくなっていた。
そんなランティスの様子を見て、クレフは導師の杖を高く持って弟子の頭を小突いた。
「お前がヒカルを好きでいることなぞ、いまさらわざわざ聞くか」
それも随分な言われようだが、ランティスは黙ってやり過ごした。
「ヒカルだけではない。魔法騎士の魔法力をどう思う?」
「導師がそれを尋ねられるのですか?このセフィーロで誰よりも魔法に精通しているあなたが…」
「なにしろ魔法騎士の実物を見たのはあの娘たちが初めてだからな。僅かな口伝があるばかりで詳細を記した
文献もない」
「魔法騎士が招喚される事態が詳記されるほど頻繁に起きていては、それこそ由々しき問題でしょう」
あの少女たちと同じ目に遭った異世界人が数多くいたなどと、ランティスは考えたくもなかった。
それにしても何故今頃魔法騎士の魔法力など気にしだしたのだろう。この地に何のゆかりもない娘たちを二度も
セフィーロの危機に立ち向かわせてしまったことを、クレフ自身が痛烈に後悔していたはずなのにと、ランティスは
師の言葉を待った。
「私やお前、…例えばアスコットぐらいのレベルでも、余程隠そうとしているのでない限り、相手がどの程度の
魔法力を備えているか読めるだろう」
何か思い当たることがあったのか、ランティスが微かに眉を寄せた。
「それは、導師にも読めないと解釈して宜しいのですか?」
「…お前にも読めんか…」
「俺と兄に魔法を教えたのは導師クレフ、あなただ。セフィーロ最高の魔導師であるあなたに出来ないことが、
俺に出来るはずもない」
「たとえ一方通行でも、愛情がある分、ヒカルだけでも判るかと思ったのだがな」
「導師…、先程から俺に喧嘩を売っておられるのですか?」
「冗談事で言ってる訳ではないぞ。この際、お前の見解も聞いておきたい。茶でも淹れてくれ…。ああ、いや、
私が淹れよう」
どう考えても喧嘩を売られているとしか思えない言葉の数々に内心むっとしながらも、師の考えを知っておきたい
ランティスはおとなしく従うことにした。
海が持ってきたとっておきのダージリンのティッピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコーを淹れながら、クレフが
フッと笑った。
「考え事をするときは、茶葉が開くのに時間のかかるホールリーフがいいんだそうだ」
イーグルの部屋でお茶をするときは、光が淹れてくれたものを飲むので、茶葉がホールだろうがブロークンだろうが
ランティスは気にしたこともなかった。
「どうしていまさら魔法騎士たちの魔法力など気にされるのです?俺はもう二度と、あの少女たちを戦わせる気は
ありません」
ランティスの本心をいえば、魔法騎士と呼ぶのもあまり気が進まなかった。魔法騎士としてではなく、ただの異世界
生まれの娘としてここに居て、何が悪いのだとさえ思っていた。
「戦わせる気など、無論私にもない。単刀直入に訊こう。ヒカルがいない時のセフィーロの不安定さを、お前は
どう思っている?」
「それは…」
クレフの問い掛けは実に嫌なところを突いていた。
光が不在だからセフィーロが不安定になると断言してしまえば、今なお光が柱だと是認するようなものだった。
「エメロード姫の消滅後にも、嵐は随分ありました」
「そうだな」
「ヒカルがいる時に嵐が来たことだってある…」
「あれは確か、トウキョウではタイフウとかいう嵐の季節だったな」
「――何を仰りたいのです?」
「まあそう突っ掛かるな。少し観点を変えよう。世継ぎの…、いや、柱たる者の条件は何だ?」
まるで子供の頃に受けたセフィーロ全史の講義のようだと思いながらもランティスは答えた。
「誰よりも強い心の持ち主であること。そして…」
「全属性使いであること…、か?」
「史料に残されている範囲ではありますが、エメロード姫までは歴代がそうだったと記されています。当然それも
条件だと考えて然るべきでしょう」
「なのに、何故お前たちだったのだろうな」
「そんなことはあの≪創造主≫に聞いてください」
微かに不愉快さの滲むランティスの声にクレフが苦笑した。
「あれ以来、モコナの姿を見た者はおらん。もちろん魔神もな」
地球もセフィーロも属さない世界でまた好き勝手をしているのかと思うと、あの時とどめを刺しておくべきだったろうかと、
ランティスはかなり物騒なことを考えていた。
「あの頃、少なくとも私が感知出来る範囲に全属性使いはいなかった。多属性使いが数人いたが、とても世界を
支えるというレベルではなかった」
「それでも、『使えない』俺たちよりはマシだったでしょうに」
「魔法力で言えば、三人の中ではお前が突出していただろう」
「最終的に柱の座を競ったのは、ヒカルとイーグルです」
「オートザムからセフィーロまでの道を創り出したイーグルと、異世界から渡ってきた少女たちの一人か…」
祖国を救う為にイーグルは己の生命を削りながらも柱の座を望んでいた。エメロード姫の願いを叶えて傷ついた
異世界の少女たちの中で、光がいちばん柱を喪ったこの国の行く末を気にかけていた。
今なら、あの時自分が最終的な候補にならなかった理由が判るとランティスは思った。ただ≪柱への道≫を破壊して
柱制度を終わらせたいと希(こいねが)っていた自分は、あまりに負の感情のみに囚われていた。
そして病に侵され早晩二度と目覚めることのない眠りに囚われる自分ごと柱システムとセフィーロを閉ざしてしまおう
としたイーグルより、みんなと生きて幸せになりたいと願った光の前向きな意志の強さが≪創造主≫のお眼鏡に適った。
その強さだけでなく、あるいは一度は見捨てた地球からやってきた少女に、いまひとたび託してみてもいいかもしれない
とでも思ったのだろうか。
柱制度をなくすのかとの≪創造主≫の問いかけに、光はセフィーロはこの国を愛するみんなのものだと答えていた。
そしてその言葉どおり、柱一人ではなくみなで支えるという形になった。だが世界は、というよりもセフィーロは、そんな
風に誰かが支えていかなければ存続できないものなのだろうか。ランティスが旅をした三国のいずこも、それどころか
光たちの住む異世界でさえ、『世界を支えるなんて意識したことは一度もない』のだという。見放すという意味ではなく、
支えるでもなく支えられるでもない、そんな形でもっと距離を保てたならあるいは――。
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