7月 2日 - even if - vol.4
店をあとにして車に乗り込むと、イーグルは交通管制システムを呼び出してルートを指定した。
「オートドライブ・スタンバイ、目的地・フォレストエリア・ヴィラ=フィオーレ、アクセスルート自動設定、警戒レベル・
D-DEFCON4。ディアブロ、GO」
車が走り始めてから、何を話すでもなく光は物珍しげにずっと外の景色を眺めていた。
「そういえば…」
ぽつりと呟いた光に、オートドライブで手持ち無沙汰のイーグルが視線を向けた。
「兄様以外の車でドライブって初めてだ」
『女性をこの車の助手席に乗せるのは、ヒカルが初めてですよ』と言ったときはあっさりスルーしていた光のそんな
言葉に、イーグルが苦笑した。
「ま、ランティスとだと馬ですからね」
「あれはあれで、お姫様気分を味わえるんだけど。地球じゃ物語でしか見たことないし」
そんな話をしながらバックミラーを見るともなしに見遣った光が小さく首を傾げた。
「あの車…。あの黒い車、さっきからずっとついて来てない?他の車はばんばん抜いてくのに…」
法定制限よりやや速度控えめで走るオートドライブモードの車両は、特別なシグナルを出して他車にもそれと認識
されている。だからたいていの者は煽りもせずにさっさと追い越していくはずだった。
「…いつから?」
「『ナイト2000』みたいな車がいるなぁって思ったが5分ぐらい前。その前は…判らない」
D-DEFCON4の警戒エリアから僅かに外れた間隔を保っているので、アラームには引っ掛かっていなかった。
『この車が狙いか…?』
本人にその自覚は乏しいが、大統領令息で司令官のイーグルは反体制勢力の攻撃目標たりうる。ましてや今は
光も同乗しているのだ。非公式な訪問であるし、光がどこから来たかを知る者は限られているはずなのだが、
ヴィラ=フィオーレに滞在している者が一般観光客であろうはずがない。レディ=エミーナのわがままを蹴っ飛ばし、
護衛の数が人目を引こうとも普通のホテルに逗留させるべきだったろうかと、イーグルは激しく後悔していた。
「ヒカル、もうしばらくドライブに付き合ってくださいね。それからちょっと座席の形状を変更します。『シートタイプ・
レカロ』移行!」
座り心地重視のゆったりしたシートが、レーシングカーに備えつけられているような、身体をしっかりサポートする
形状に変化し、助手席側には地球のジェットコースターで見るようなごつい安全装置が下りてきた。
「こちらエクスプローラー1(ワン)!コースに不審車両あり。目的地をMAZDAに変更。途中ルートを全閉鎖。
一般車両を可及的すみやかに順次排除!」
『エクスプローラー1、音声認証確認。命令を受領しました。D-DEFCONレベル、引き上げますか?』
管制システムからの問い掛けに一瞬迷ったのち、イーグルは答えた。
「D-DEFCONは『ダブルテイク』で維持」
戦時でもないのに不用意にレベル3を発令しては、無用の混乱を招きかねない。
「やっぱりマズいのか、あれ…?」
不安げな光を安心させようと、イーグルがにこりと笑った。
「いえ、ただ妙な車を引き連れて、別邸に行く訳にはいきませんから。ただの物好きなら次のジャンクションで
下りていくはずです」
前方を走行する車両も管制システムの指示を受けたのか、軒並みジャンクションで下りていく。メタリックモス
グリーンのディアブロだけがジャンクションをやり過ごし、ハイウェイを独占するはずだった。
「こっちに来た!」
テロリストだか何だか知らないが、禁固刑を言い渡されかねない管制破りをする程度には非常識な相手ということ
らしい。
『街中で一戦交えるのは避けたい…。なるべくMAZDAに引き付けないと』
イーグルの顔つきが微かに険しくなったのを光は見逃さなかった。幾多の戦いを越えてきた戦士の勘が次第に
研ぎ澄まされていく。安全装置にがっちり抑え込まれた光は、バックミラーに映る不審車両を見据えてサークレットの
宝玉に軽く触れた。ほんの一瞬、熱を持たない炎になったサークレットは、光の左手を包む魔法騎士のグローブに
姿を変えた。
「ヒカル、魔法はやめてください!」
「警察を待てってこと?相手が手を出してくるまでは何もしないよ」
「場合によっては先制も有りだと思いますが、そうじゃなくて。これはあなたがたの魔神じゃない!車の中から
外への魔法は通りません!」
「あ…!」
魔神ではあまりにもナチュラルに魔法を使えていたので、そういう配慮がごっそり抜け落ちていた。
「こんなところで僕とこんがりローストだなんて、ランティスが泣きますよ」
「う゛…。そうだ!この車、いろいろ仕掛けがあるって言わなかった?」
「ありますが、現在封鎖してるのはハイウェイだけです。こんな街中でミサイルを撃てとでも?インフラ再建の国家
予算を考えるだけで眩暈がしそうです。MAZDAの敷地に引きずり込むまで、あと10分ほど…。ヒカル!来ますっ!
シートにしっかり身体を預けてくださいっ!」
いつの間にかつかず離れずの車間を詰めてきていたナイト2000が、ディアブロの右後部フェンダーに車体をぶち
当ててきた。
「これはまた原始的な手段で来ましたね。実弾は持ち合わせていないってことか…?」
これ以上オートドライブでのたのた走っていたら、MAZDAにたどり着くより先にハイウェイから叩き落とされてしまう
だろう。もう一度ぶちかまされたところで、ディアブロのコンソールパネルに赤いシグナルが点灯し、けたたましい
アラームが鳴り響いた。
『オートドライブ、システムダウン。マニュアルドライブに移行してください』
「テラノ一杯だけですから、見逃してくださいね、ヒカル」
「うん、とりあえず逃げ切らなきゃね」
もともとグラス一杯程度の酒で酔うようなイーグルではない。SMIRNOFF VODKAの5本も空けたというのであれば
話は別だが。
ぐっとアクセルを踏み込もうとした時、イーグルの視界がぐらりと揺れた。
「イーグルっ!?」
光が咄嗟にぶれたハンドルに手を伸ばして保持した。眩暈なんてものではなく、身体自体が傾いでいた。
『いい加減にしねぇとまた寝たきりになるぞ』
ジェオの脅すような声が、ふいにイーグルの脳裡を掠めた。
「くっ…。なんだって、こんな時に…!」
「どうしたのイーグル、具合が悪いのか?!」
『イーグルの病は、完治した訳じゃない』
光はランティスの言葉を思い出していた。
「ヒカル…、運転できますか?」
「大学入ってすぐに免許は取ったけど…。そのあと全然運転してないんだ!」
大学かバイトかセフィーロか、ずっとその三択の日々だったのだから。
「ヒカルの…運動神経なら、大丈夫。とりあえずMAZDAまで…逃げ切ってください」
コンソールから自分のチューブを引き抜き、光のヘッドセットから伸びたチューブに繋ぎ換えたイーグルは、
そのままハンドルに突っ伏して眠りに落ちていった。
『コントロールをナビゲーターシートに切り替えます』
合成音声がそう告げると、メルセデス社のウニモグのように光が手を添え続けていたハンドルが助手席側に
動いてきて、それに引きずられたイーグルは光の膝枕状態で眠っていた。
「イーグルってば、ちょっと重い…。うーん、他の車巻き込まないからまだマシか。ハイウェイってまっすぐだし、
なんとかなる…かな」
フロントガラスにごく薄く映し出されているのが地球でいうナビなのだろうが、先程までとどこか表示が違っている。
ルート案内中というより、単なる現在位置の表示のようになってしまっていた。オートドライブがシステムダウンしてから
管制の声も聞こえないということは、通信途絶になっているのかもしれない。マップ上の前方に分岐が有るのを見つけて、
光はさらに冷や汗が出てきた。
「MAZDAって、どっちに行けばいいの?!」
ハイウェイの行き先表示の文字を光は読めない。景色で判断もつけられない。
「右か…、それとも左か…。うわっ!」
ガツンっと車体を叩きつけられる衝撃に、光はぐっとハンドルを握り締めた。
「さっきからずっと右からぶつけてくるのは、左に押しやりたいからか…?ああもう、右だっ!」
確率は1/2。アクセルを踏み込み右の分岐に入ったディアブロに、速度を上げたナイト2000が真横に並んだ。
キッと睨みつけた光の目は、そこに在るはずのモノを映さなかった。
「誰も乗ってないっ?!…ラジコン車なんかにやられるもんか!」
とにかく逃げられるだけ逃げることだけが、いまの光に出来るすべてだった。並走したまま何度も車体をぶつけられ、
時に左側もハイウェイの障壁に擦り倒して、ディアブロの華麗なフォルムはもう見る影もない。
「あれから何分走った…?あの分岐で間違えてたら、どこに出るんだろう…」
セフィーロの為と信じて戦っていた頃はいつも仲間がともにいた。エルグランドの森で戦った時には傷ついた
ランティスと子供たちがいた。いま光のそばにいるのは、いつ目覚めるかも判らないイーグルだけだ。今度こそ孤立
無援だった。ハンドルとアクセル、ブレーキが地球と同じ仕様だっただけ幸運というものだ。コンソールに並ぶ計器も
スイッチも、光にはまるで意味不明なものばかりだったのだから。
打開策を見いだせずきゅっと下くちびるを噛み締めた光が、ハイビームのヘッドライトが照らし出した前方から飛来
する戦闘ヘリに気づいた。
「助けに来てくれたのか…、それとも…?」
あれが不審車両の仲間ではないと言い切れる理由など、光の中には何一つなかった。
ザリザリと耳障りな音を立て始めたレシーバーに、光は顔をしかめた。
「なに、この雑音…」
『…エクスプローラー1、応答してください!こちらMAZDA所属、AH-1 コブラ。近距離回線で通信中!』
「やった!味方だ!」
通信機器の不具合に気づいてくれたのか、トランシーバー並の範囲でしか使えない近距離回線でヘリのパイロットが
呼びかけてきた。
「イーグルは…、エクスプローラー1は昏睡状態で出られない!いまは私が運転してるんだ。MAZDAへはこのまま
まっすぐでいいのか?!」
「もっと速度を上げて不審車両から離れてください。遠隔操作のようですから撃破します。おい、MAZDAに救護班を
スタンバイさせろ――」
ほかの兵士に指示を出す声を聞きながら、光はごくりと息を呑んだ。
「まだスピード上げるの…?」
計器類が読めないのであくまで光の感覚だが時速100キロは軽く超えているだろう。確かにアクセルはまだ踏み
込む余地があるが、速度が上がればハンドルも取られ易くなる。迷う光に、もう何度目だか判らないガツンとした
衝撃が襲い掛かる。
「うわっ!行くしかないか…」
さっきからほとんど並走されているせいで、ぶつけられる回数が格段に増えていた。ナイト2000と障壁に挟まれ
ながらいまだ走れている光は、ペーパードライバーにしてはかなりの上出来だった。
度胸を据えた光がアクセルを踏み込み、車体半分ほど先行したところで、またナイト2000が迫ってきた。
「このぉっ…!」
光が今度こそアクセルをべた踏みにしたものの、逃げきれずに車体がぶちあてられた。度重なるぶちかましで
左側面全体ががたがたになっていたナイト2000から弾け飛んだオーバーフェンダーがディアブロの右後輪を傷つけ、
タイヤが一気にバーストした。高速走行中にバランスを失ったディアブロは、スピンしながら障壁に何度もぶつかり
エンジンから火の手が上がった。
スピンし続ける車の中で、それを立て直すことのできない未熟な己を悔やみつつ、エンジンが火を噴くさまも光は
じっと見据えていた。
「ここで待ってるってランティスと約束したのに…。私に水の魔法が使えたら…、風の魔法が使えたら…!」
諦めずにハンドルを握り締めていたものの、障壁を突き破った車が落下し始めた時、万策尽きたことを悟った光は
最後に見たランティスを思い浮かべていた。光を置いて出かけることに対する申し訳なさそうな顔。いつでも優しく髪を
撫でてくれた大きな手。くちづけを交わしたしたのは、結婚式が最後になってしまった。
「二人でしあわせになるからって、みんなにも誓ったのに…」
車全体を包みはじめた炎を映してもなお蒼く輝く結婚指輪が、涙に滲んでぼやけていく。
「ごめんね……。ランティス――!」
いっそう強く煌めいた指輪が蒼いひかりを放つのと同時に、地表に叩きつけられたディアブロが爆発炎上した。
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当サイト限定事項
ヴィラ=フィオーレ…レディ=エミーナの別邸の正式名称 三菱ランサーフィオーレより
(D-)DEFCON…(Drive-)Defense Readiness Conditionの略。レベル4(コードネーム:ダブルテイク)は情報収拾の強化と警戒態勢の上昇を意味する。
D-は要人車両警備に限定して発令している場合をさす
ナイト2000…『ナイトライダー』(懐)に出てきた車(ナイト2000)に似た不審車両
エクスプローラー1…作戦中の司令官としてのイーグルの呼称 (アメリカ大統領のエアフォース1のぱくり・爆) フォードエクスプローラーより
AH-1コブラ…エアクラフト社製攻撃ヘリとACコブラ(車)より