6月29日 vol.1
――セフィーロ城・光の部屋
「駄目だ!ヒカルの願いでも、今日は許さない!」
朝一番で地球からやってきた海が光の部屋に近づくと、閉め切られていないドアからランティスの怒鳴り声が聞こえてきた。
皆の前では口数の少ない彼の怒鳴り声を耳にするなど、柱を巡る戦いで創造主≪モコナ≫に向けて叫んだとき以来ではない
だろうかと思いつつ、海はとりあえずドアをノックした。
「おはよう。結婚式前日に喧嘩?ちょっと穏やかじゃないわねぇ」
「あ、おはよう、海ちゃん」
ちゃかすような海に、ランティスが渋い顔で答えた。
「喧嘩をしてる訳ではない」
「ランティスが『今日のリハーサルはさせない』って言い張るから、困ってるんだよ」
理由も聞かず無条件に光の味方になった海が、ランティスにつっかかる。
「あなたが恥ずかしがり屋なのは光に聞いてよ〜く判ってますけどね、式のリハはちゃんとしてもらわなきゃ困るわ。一生に
一度のことなのよ。しくじって光に恥をかかせたらどうする気?」
「今日は俺が理解すればそれでいいんだろう?」
「でもでもっ、私もなにか失敗するかもしれないし、ちゃんと一緒にリハやったほうがいいって。ね?ランティス」
懐柔作戦とばかりにランティスの手を取ろうと一歩踏み出したところで、光は軽い立ちくらみを起こしてふらついた。とっさに腕を
伸ばして受け止めたランティスが光を抱き上げたかと思うと、ずかずかと歩いて彼女をベッドに横たえる。
「だから駄目だと言ったろう!?これ以上熱が上がったら、明日も結婚式どころじゃなくなるぞ」
海も先ほどから光の顔の赤さが気になってはいたが、ランティスと喧嘩をしてるせいだとばかり思っていた。ベッドに近づくと、
海は光の額に手を伸ばす。
「やだ、光!こんなに熱があったの!?これじゃランティスじゃなくたって、私でも止めるわよ」
「海ちゃん!」
ベッドに軽く腰掛けて、海はそっと光の肩に手に触れた。
「とりあえず、リハは午後からなんだから、少し休みなさい。お昼を食べてから、様子を見て考えればいいわ。ランティスは今日
お休みなんでしょ?」
「いや、午前中は剣術指南がある」
「うはー、昭和世代日本人並みの働き者ね…。じゃ、私が光のこと看てるわ」
「すまない。ヒカル、あまり無理はするな」
指先だけでそっと光の頬に触れると、ランティスは光の部屋を出て行った。
「やっぱりお兄さん達の風邪、感染(うつ)っちゃったのね、光」
「普段風邪なんて引かないのに、よりにもよって、なんでこんなときに…」
光はまぶしげに額の上に腕を乗せると、熱っぽい溜息をついた。
「インフルエンザだから、ちょっと違うんじゃない?お兄さん達は光に感染して良くなったのかしらね。昨夜はだいぶ元気に
なってたわよ」
そう言いながら海はカーテンを閉めて、光が眠りやすいように明るさを調整している。
「海ちゃん、うちに行ったの?」
「ええ。優さんに電話で呼ばれてね。昨日仕事帰りに寄って来たの」
「優兄様?どうして兄様が海ちゃんの電話番号知ってるの?私、教えてないよ」
目をぱちくりさせている光に、海が笑って答えた。
「違う違う。ケータイじゃなくて、家の電話にかけてきたのよ。パパが仕事してる関係で、電話帳にちゃんと載せてるから、うち」
「でもどうして優兄様が…」
海のボストンバッグから、光にも見覚えのあるビデオカメラが取り出された。二週間ほど前、ニヶ月ぶりに帰宅した父も含め、
家族全員そろって食事をしている場でも優が回していたものだった。
「それ、優兄様の?」
「そ!光の花嫁姿が見たいんですって!あ〜んなに反対してたのにねぇ」
「優兄様…」
「『光の花嫁姿は見たいけど、断じて嫁にやりたい訳じゃない!』って、まだ言い張ってたけど。コスプレかなんかと勘違いしてるん
じゃない?」
くすくす笑う海に、光は気まずそうな笑顔を浮かべる。
「そ、そうかな…」
「覚さんも心配してたわよ。光が寝込んだりしてなきゃいいけどって」
「言わないでね、海ちゃん」
「そう思うんなら、ちゃんと休まなきゃ。明日の結婚式でふらついてたら、私が黙っててもバレちゃうわよ、光」
「うん…」
「あ、そうだ。思いついたことがあるんだけど…」
光にブランケットをかけてやりながら、海がちょっとした提案をしはじめた。
去年のフェリオ王子と風、そして明日のランティスと光の結婚式は花嫁達の希望で「教会式」と呼ばれるものになった。
(白無垢、文金高島田に綿帽子ではいくらなんでも彼らの隣には不似合いだろうというのも大きな要因だった) セフィーロ初となった
王子達の結婚式の準備に当たって、三人娘が真っ先につまずいたのが会場の問題だった。当然あるだろうと思っていた教会と
いうものが、セフィーロには存在しなかった。確かにセフィーロに出入りして八年近く(もっとも最初のうちは荒廃してたので数に
入れるのもなんだが)になるのに、城下町に連れて行ってもらったときにも教会らしきものを見かけた記憶がなかった。祈るのは
「セフィーロの柱」であり、民が祈るとすればそれは「神」に対してではなく「柱」に対してだった。そして同じ世界に生きている柱に
対して祈るため、偶像などは必要とせず、そういうものを祀る建物も当然のようになかった。
特に基督教徒という訳ではないし、「人前式」ということで神ではなく参列者の皆に誓う形式にする案も考えたが、「結婚式」
そのものを知らないセフィーロの人達に、一から十まで説明して協力してもらうというのも相当無理がある話だった。そこで三人が
考えついたのが、導師クレフに聖職者役を務めてもらい(司会と呼ぶのはあんまりなのでそう言うようにした・笑)、その進行の
上で参列者の人々に誓う、という形式だった。
形式が決まっても、会場の問題は残った。クレフに相談を持ちかけると「広間でいいだろう」との返事だった。光達が地球との
行き来に利用している、あの広間のことだ。確かに天気が悪くて外では無理なとき、四国のお茶会にも利用してるぐらいの
スペースではある。王族の結婚とはいえ、未だフェリオは王位継承前の王子の身で、参列者もいつものお茶会メンバー+α
(各国随員)程度になる予定なのでそこでも収まると思えた。そんな訳で、式の前日と結婚式当日のみ、広間は「聖堂」に名と
しつらいを変えていた。
光達の場合、風達の前例のおかげもあり新たな決め事はほとんどなかった。(だからこそ兄達の許しから三ヶ月足らずで挙式、
などとという荒業に持ち込めた←荒業過ぎてあらぬ誤解を招いていたのは、オートザムだけに限らなかったようだが・笑)
会場に関しては、実を言うと光には他に希望があった。だが事前にランティスに相談すると、「それは止めたほうがいい」と
やんわり拒まれてしまった。「結婚式についてはヒカルに任せる」と言っていたし、我ながら名案だと思っていただけに、
「どうして?」と食い下がってみたが、「大勢の人が来たら、水場に集まる小鳥達を驚かせてしまうだろう?」と諭され、光も
断念せざるを得なかった。一見もっともらしい言い分だが、ランティスの本音はと言えば、あの噴水が光と二人だけの想い出の
場所であることを誰にも知られたくなかったのだ。わざわざ会場を変更したりすれば、勘の鋭い城内の女性陣から、「何故そこを
選んだの?」と追求されるのは目に見えていた。
誓いの言葉は聖職者役の導師クレフの言葉に、「はい、誓います」という形式だし(たとえ全文を空で言えと言われようと、
魔導書丸暗記を思えば、ランティスにとっては造作もない←光のほうが冷や汗をかくかもしれないが)、指輪の交換も王子達の
を見ていたので問題なかった。
ランティスにとっての結婚式最大の難関は、その先に待ち構えていた。
――回想・フェリオ王子と風の結婚式
王子達の結婚式ではベストマンをアスコットが、メイドオブオナーを海が勤め、光はブライズメイドとして風の3メートルヴェールを
静々と持ち歩く役目を引き受けていた。(相変わらず他の二人より幼く見えるので、よく知るものたち以外には花嫁と同い年の
親友だとは思われていなかったらしい)
光からは、「自分達の結婚式の参考にする為にも、しっかり見ておいてね」と念押しされていたものの、任務の都合で式本番しか
出られず(リハーサルに出たとしてもランティスがすることは何もないのだが)、指輪交換が終わったあとに茫然となってしまった。
花嫁のヴェールをめくり、誓いのキスを交わすというからだ。
隣にいるイーグルが心の中でくすくす笑っている気配を感じ取り、ランティスが声には出さず心で話しかけた。
『何がそんなにおかしい?』
『あなたが僕の予想以上に硬直してるからですよ。もしかして予備知識なかったんですか』
『自分達の参考にする為に式の流れを見ておくように、とは言われたが…』
『おやおや。ヒカルのほうが大人ですね。コレがランティスには最大の難関だって判っていたんでしょう』
『…外せないのか…』
『それ、ヒカルに言えます?』
『…』
即答しないところをみると、すっ飛ばせるものなら飛ばしたいらしい。
『なるほど。ヒカルとの永遠の愛を皆の前で誓うのは嫌だ、と?』
『言葉で誓っているだろう』
往生際の悪いランティスにイーグルはにべもない。
『態度では示せない、と。そういうことですか。可哀相なヒカル。家族と遠く離れて異世界に嫁ぐ覚悟でいるのに、肝心のあなたが
最初からそれじゃ、ヒカルはいったい誰を頼ればいいんです?』
『話を大事(おおごと)にするな』
『大事にしているのはあなたですよ。キスの一つや二つ、構わないでしょう?それ以上のことをしろっていうんじゃないんですから』
『…他人事だと思って面白がっているだろう?』
『きっぱり他人事です。言っときますがオートザムでもありますよ、結婚式での誓いのキス。僕もそのうちするかもしれないし、
しないかもしれないし』
『なんだそれは…』
『相手を見つけるのが先ですから。まぁヒカルと身長差がある分、ランティスにとってはよりハードルが高いんでしょうけどね』
肩をすくめるような気配のイーグルに、「やっぱり判って言ってたのか」とばかりにランティスが横目で睨んだ。
『他に理由があるか。王子達ぐらいの身長差ならこれほど困ってない』
『王子の隣に立ってるアスコット君と言いましたか?彼は意志の力で大きくなったと聞きましたよ』
『そうらしいな。俺は今の姿しか知らん』
『でもヒカルが相変わらずちっちゃくて可愛いままなのは、この身長差に困ってないってことでしょう?ほんの一瞬のことなんですから、
ヒカルへの愛で乗り越えてください』
『――片膝をついて手の甲に、というのは…?』
ランティスの提案にイーグルは声を立ててしまわないように、笑いを噛み殺している。
『それをするのはプロポーズ、…求婚のときだったと思いますが。状況が違うので却下。仕事ばかりしてないで、もう少し地球の
文化も研究したほうがいいんじゃないですか?…ヒカルはまだダイガク(大学)に行ってるんでしたよね。あと一年通うんでしたっけ?』
『あぁ。今、ヨンカイセイ(四回生)で、来年の春に卒業する予定と言っていたな』
『お兄さん達は過保護なぐらいヒカルを可愛がっているようだし、この分だと卒業まで結婚の許しは出ませんね。きちんと家族に
認めてもらってから結婚したいと思ってるんでしょう?ヒカルは』
『二十歳過ぎたから家族の許可は要らないけど、とは言っていたがな。血の繋がった家族が生きているのに、それを捨てるような
真似は、…俺もさせたくない』
はっきり顔も覚えていないほど幼い頃に両親を亡くし、唯一の肉親となった兄・ザガートさえもすでに喪ってしまったランティス
だからこそ、光と家族との絆を壊してしまいたくなかった。そんなランティスの光への深い想いと過去の哀しみに触れて、イーグルは
努めて明るく提案した。
『じゃあこれはランティスへの課題です。期限はヒカルとの結婚式の日まで。ちゃんと皆の前で誓いのキスが出来るように、
自分で考えておいてください』
『…やっぱり面白がっているだろう、イーグル』
『当然です。時間があるなんて悠長に構えてちゃダメですよ。ヒカルは頑張り屋さんだから、明日にでも家族の許しを取りつけて
くるかもしれませんからね』
別に悠長に構えていたつもりはなかった。光が兄達から結婚の許しを得たのは、結局イーグルの読み通り、大学の卒業式を
終えたあとだった。例年より遅かった桜が盛大に舞い散る頃、半年振りに帰宅した父も交えた団欒の席で、光は家族に祝福され
旅立ちを許された。永い時間を生きているランティスにとって、一年は瞬く間に過ぎてしまい、イーグルから出された課題の期限は
もう明日に迫っていた。
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当サイト限定事項
セフィーロの現人神(あらひとがみ)的な「柱」がいるなら
偶像はいらないかなと思ったんですが
どんなもんでしょうね
(…ところで、「それ以上」って何?>イーグル)