6月28日 vol.1
――セフィーロ城・光の部屋
翌朝、光は雨音で目を覚ました。出掛ける為の準備を済ませると、窓辺に立ち灰色のセフィーロの空を見上げる。
「雨、止まないなぁ…。結婚式も雨になっちゃうのかな。ま、お城の中なんだけど…」
熱っぽさが表れた潤んだ瞳で、窓際に幾つか吊るしたてるてる坊主を見つめていると、ドアをノックする音が聞こえた。
返事を待たずに入ってくれても構わないと光が言っているのに、以前光が着替えようとしていたところに来合わせて以来、
余程のことがなければ彼はドアのところで待っていた。
「ヒカル、起きられるか?」
ドアを開けると、ランティスが心配そうな面持ちで立っている。
「おはよう、ランティス。ちゃんと起きてるよ」
光はにっこりと笑顔を作ってみせるものの、ランティスを誤魔化しきることは出来なかった。光の部屋へ入り込んでドアを
閉めると、ランティスは右手を光の額へと伸ばす。
「――やはり熱があるな」
「このぐらい平気だってば。それにもう、明後日が結婚式なんだよ?明日はリハーサルもしなきゃいけないんだし、今日
プレセアのところに行かないで、いつ行くの?そりゃ、こんな時期に実家に泊り込んできちゃった私がいけないんだけど…」
体調の悪さから精神的に不安定になって今にも泣き出しそうな顔の光を抱きしめ、ランティスは宥めるようにぽんぽんと
背中を叩いた。
「落ち着け、ヒカル。行かないとは言ってない」
「うん…。ごめんなさい」
光が落ち着いたのを見計らって、ランティスはそっと光の身体を離し、窓際へと歩み寄る。大きなテラス窓を開け放つと、
背中から魔法剣を引き抜き目の前にかざして、静かに魔法を唱えた。
「…精獣招喚…」
光の部屋のテラスに、光がエクウスと名づけた黒馬に似た精獣が姿を現す。まさかこんなところで呼び出すとは思わず
目を丸くしている光を横抱きに抱え、さっとエクウスの上に乗せると、自らもひらりと飛び乗り、光が雨に濡れないように
しっかりとマントで覆った。
「行くぞ。そのまま少しでも寝てるといい」
「うん、…ありがとうランティス」
左腕でしっかりと光を抱いたランティスが手綱を操ると、二人を乗せたエクウスが雨の空へとテラスから飛び立っていった。
――沈黙の森。魔法が効かないといわれるこの森に、魔法で招喚した精獣で立ち入ることが出来るのは、クレフとランティス
ぐらいのものだろう。ランティスと光を乗せたエクウスは、プレセアの家の前に降り立つと、大きくひとついなないて静かに姿を消した。
その声を耳にしたプレセアがドアを開けると、光を抱え上げたランティスが立っていた。
「待っていたわよ、って、ヒカル…どうかしたの?」
「あははは、何でもないよ。おはよう、プレセア。エクウスから降りるときに抱えてくれたまま下ろしてくれないんだよ、ランティスってば」
慌てたように言い訳して、ランティスの腕の中でじたばたする光。ランティスは姿勢を落とすと、ゆっくり光を下ろしてやった。何か
問いたげな視線を一瞬ランティスに向けたものの、プレセアは二人を家へと招きいれた。
プレセアが準備を済ませて現れるのを、二人は創作室で静かに待っている。光が酷く辛そうな顔で部屋を見回していることに、
ランティスは気づいた。
「ヒカル…?」
「ここに入るのは、セフィーロに飛ばされてすぐのとき以来だから。あれから――いろんなことがあったな、って思って…」
プレセアに自分だけの剣を創ってもらったこと。長い旅の末に魔神を手に入れたこと。ランティスの兄である神官ザガートを
他ならぬ自分の手で倒したこと。エメロード姫の『願い』を叶えてしまったこと。姫亡き後の『柱』の座を巡る戦いの中でランティスと出逢い、
いつしか愛し合うようになったこと。そして二日後には、――みなの前でランティスと永遠の愛を誓い合うこと。
「いまでも…時々夢に見るの。自分の両手が血まみれで、洗っても洗っても洗い流せなくて…。エメロード姫もランティスの兄様も
この手で殺したくせに、自分だけ幸せになろうなんてムシが良過ぎるって――」
それはランティスも知っていた。愛しあった夜、満たされて眠りに落ちた後のランティスの腕の中でさえ、光は悪夢に苛まれていた
のだから。たとえ肌を合わせていようとも、夢の中まで入り込み助けてやることなど出来はしない。だからそんな夜、ランティスは
ただ光を抱きしめることしかしなかった。悪夢から揺さぶり起こしてやることは容易いが、そんな一時しのぎでは何の解決にもならない。
いつか光が自分で心の整理をつけて口に出すことが出来るようになるまで、ランティスは何も言わず見守り続けることを決めていた。
そうして今日、ようやく光はランティスの前で言葉にすることが出来た。そんな光の頬にそっと手を触れ、ランティスは真っ直ぐに
頼りなげに揺らぐ瞳を見つめた。
「自分だけ幸せになるのではないだろう?二人で幸せになるのだから」
「ランティス…」
「魔法騎士としての戦いも、俺とのこともすべて無かったことにして逃げることは出来たはずだ。セフィーロで起こったことは、それこそ
ただの嫌な夢だったと思うことで…違うか?」
晴れた日のセフィーロの空と同じ、眩しいほどに青いランティスの瞳を見ていられないという風に、光は長いまつげを伏せる。
「そう、だね…。東京タワーで海ちゃんや風ちゃんに出逢ったりなんかしなかった。セフィーロでの冒険をした気になったのは、ちょっと
RPGゲームをやりこんでたから。自分のことを兄の仇としか思えないはずの人を好きになっちゃうなんて、流行の少女マンガに浸り
すぎただけ。そうやって信じ込もうとしたことは、ホント言うと何度もあるよ…。だけど…、だけどランティスのことを忘れるなんて、
どうしても出来なかった!」
「ヒカル…」
彼女を呼ぶ甘く優しい声に耳を傾けながら、光は頬に触れている大きな手に自分の手を重ね合わせた。
「忘れちゃいけないけど、忘れてしまいたいことも、逃げ出してしまいたいこともたくさんあるんだけど、それでも他の誰でもない
ランティスが望んでくれるなら、私はここで、このセフィーロで生きてくって決めたんだもの」
先程までの揺らぎを自分自身の心の強さで打ち破った光の晴れやかな瞳が、ランティスを真っ直ぐに見つめる。ランティスが最初に
心魅かれた、凛とした紅玉の瞳――それを縁取る長いまつげを濡らす涙を彼が拭うと、どちらからともなく唇を重ねた。
「ランティス、悪いんだけどちょっと手を貸してくれないかしら」
廊下から聞こえた声に、光が少し慌てたようにランティスから身体を離す。
「ふぅ、創師殿は人使いが荒い」
照れ隠しにぼやきながら部屋を出るランティスを、クスクス笑いながら光は見ていた。
廊下に出てきたランティスに、両腰に手を当てたプレセアが小さく呟く。
「ラブシーンなら自分の部屋でやってちょうだいね」
「……」
返す言葉もないランティスに、少し表情を曇らせたプレセアが尋ねた。
「ヒカル、あまり体調がよくないでしょう?大丈夫かしら…」
創師に武器なり道具なりを創ってもらうということは、持ち主となる者の心と身体にも当然負担がかかる。本来ならばコンディションの
悪いときには避けるものなので、プレセアが気にするのも無理からぬことだった。
「導師から事情は聞いているけれど、あの石かなり魔力が強いでしょう?その分、辛いと思うわ」
「一つずつ創るのか?」
「いいえ、対になるものだから、二つ同時に」
「ならば少しは支えてやれるだろう」
気負う様子もなくそう言ってのけるランティスに、プレセアが微笑を浮かべる。
「そう言うと思った。でも、式は明後日にしても、明日もリハーサルとかいうのがあったわよね」
「最悪明日は休ませる。ヒカルのほうは自分で判っているはずだから、俺が手順を覚えればそれでいいんだろう」
「手順って…」
情緒も何もあったものではないランティスの言い草に、プレセアは呆れてすぐには二の句も継げない。
「…ま、しょうがないわね。それよりあの白い箱、取ってくれる?高くて手が届かないのよ」
光の体調の話をする口実に呼びつけられた思っていたランティスだったが、創師プレセアは掛け値なしに人使いが荒かった。
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精獣エクウス…ちょいちょい出てくるし、光ならきっと名前をつけたがるだろうなと思って命名。ラテン語の「馬」で、ヒュンダイ エクウスから
アニメ版の光はRPG、というか
TVゲームを知らなかったようですが
まあ、この年までに少しはやったかな、と…