6月27日 vol.3
――セフィーロ城・ランティスの部屋
クレフとランティスの密談から二日後、ようやく光がセフィーロに戻ってきたが、看病ついでに病気を貰うという
挙式前の忙しい花嫁にとっては非常に困ったお土産つきだった。自分の部屋にも寄らず、荷物を手にしたままで
ランティスの部屋にやってきた光は、まっすぐにランティスの胸に飛び込んで行く。ようやく自分の許に戻ってきた
光を、ランティスもしっかりと抱きしめた。
「ただいま。勝手しちゃってごめんなさい」
「いや。兄上達はもういいのか?」
「うん、今日はほとんど起き出してたぐらいだから」
「そうか。…ヒカル、お前少し…熱があるんじゃないか?」
セフィーロに戻ってきたときから、光の波動が少し乱れているように感じていたランティスが額に手を当てようと
するのを、光はするりとかわしてにっこりと尋ねた。
「広間からここまで走ってきたからだよ。それよりランティス、ちゃんと晩御飯食べた?」
「適当に済ませたが…。どうした?」
「あっちの夕飯に用意した肉じゃが、少し持って帰ってきてるんだ。よかったら食べないかなと思って…」
「ヒカルが作ったものなら食べる」
「じゃ、温めてくる」
持ち帰った荷物を手にして、光はパタパタとキッチンに続く隣の部屋へと入っていく。小さな片手鍋を取り、
タッパーウェアから肉じゃがを移して、弱火に掛ける。温めている間に光はくるりと真新しいキッチンを見渡した。
「こんなリフォームがあっという間に出来るなんて、さすがは意志の国セフィーロだよね…」
もともとのランティスの部屋にキッチンなどという代物があるはずもなかった。そして、魔法騎士として光達が与え
られていた部屋にもキッチンはなかった。これまでは城の料理人が広間に用意してくれているものを、好きな時間に
食べるという生活をしていたし、これからもそういう生活をするものとランティスのほうは思っていたらしい。
「結婚したら、新居はどうするの?」
ようやく家族の許しを得て、本格的に結婚式の準備を始めていた光がふとランティスに問いかけた。
「ここではまずいのか?」
「ランティスの部屋?うーん、二人で暮らすにはちょっと手狭じゃないかな。それにキッチンもないでしょ?私のほうの
部屋にもキッチンってないし…」
「広間に行けば食事は出来るが…?」
「えーっ、でも結婚してそれはおかしくないかな。そりゃ時々はそうしてもいいと思うけど」
「そうなのか?…すまない、お前が考えるケッコンの定義がよく判らないんだが」
「へっ?」
ランティスの言葉に、光は挙式を控えた若い娘としてはいささか可愛げのない声を上げた。
「ケッコンというのは、『好きな人と、ずっといっしょにいると約束すること』なのだろう?結婚式を挙げる以外にも、
なにか条件があるのか?」
「条件ってことはないけど…。そりゃ私、料理上手って訳じゃないけど、ちゃんとランティスのためにご飯の支度したり
したいなって思うよ。将来子供が生まれたら子供達のためにもって。それが普通なんじゃ…」
そこまで口にして、ハッとしたように光は両手で口許を押さえた。それはあくまで光達の世界の常識に過ぎないかも
しれないし、幼いうちに両親を亡くして兄とともにクレフに弟子入りしたランティスには、家族としての暮らしの記憶も
残っていなかったのかもしれないことに思い当たったのだ。
「…ごめんなさい。私がちゃんと説明しなきゃ判らないよね。もう少し時間もらってもいい?セフィーロ生活の先輩の
風ちゃんにちょっと相談してみたいから」
「あぁ」
そうして光は風に相談を持ちかけ、ランティスのほうも光には告げずに内密に王子に相談を持ちかけた。およそ
頼みごとなどとは無縁な魔法剣士に相談を持ちかけられたフェリオ王子は愉快そうに笑った。
「まさかランティスに相談事を持ち込まれるなんて、夢にも思わなかったよなぁ」
「…他に『異世界から嫁をもらった』知り合いがない」
「ま、そうだろな。あんまりからかってもヒカルに叱られそうだから真面目に答えるか。城下町で家を借りて住むのも
悪くはないだろうけど、ヒカルがこちらの生活になれてからのほうがいいと思うぞ。フウがいうには、ヒカルはあまり
家事は得意じゃないらしいし。新居はお前の部屋を改装すればいいんじゃないか?どうせお前の部屋のフロアは
他に誰もいないんだし、壁をぶち抜いていくつか部屋を繋いでしまえばそこそこ広いだろう?俺達の部屋もそんなふうに
改装したしな。それに…」
「なんだ?」
「お前が仕事の間、一人で残すなら城のほうがなにかと安全だろう?お前達が城を出てしまったら、フウも寂しがる」
結局、フェリオ王子との話のどれが決め手になったのか、ランティスは光に自分の部屋の改装を提案したのだった。
「おまたせ」
湯気の立ち上る器と取り皿を運んできて、いつもお茶をするときに使う小さなテーブルの上に置く。何か飲み物をと思い、
ダイニングボードから急須と湯飲みを取り出すと、香ばしい香りの玄米茶を淹れた。妙に日本風なのに、箸を使えないランティス
のためにフォークが添えられているのがご愛嬌だった。
「甘さはかなり抑えてきてあるんだ。お口に合うといいんだけど…」
どこから手をつけたものかと思い、一番目立つオレンジ色のものを最初に口に入れてみる。
「人参からいったんだ。大丈夫?」
「それほど甘くないからな」
「ふぅん、人参食べられたんだ、えらいね」
なにやら小さい子供相手と勘違いしてるようだが、そんなことにランティスは露ほども気づかない。次は何にしようかと
考えながら、半透明になったものを口に運ぶ。途端に火を通した玉ねぎの甘みが口に広がり、一瞬ランティスは眉を
しかめた。
「これは…少し甘いな」
「玉ねぎって生だと辛いんだけど、火を通すと甘くなるんだよね。そういう甘さも苦手?」
「…菓子ほどじゃない」
そう答えているランティスの表情を窺いながら、この手のも多分ダメっぽいなと光は密かに頭の中でメモをとった。
肉じゃがのメインである肉とじゃがいもに関してはあまり違和感がないようだった。まだ少しも食べていなかった
糸こんにゃくを、フォークでくるくると巻き取ると、ランティスはまとめて口に放り込んだ。これまでのものと違い、
あまり味は濃くはない。ただ、噛めども噛めどもどうにもこなれていかない代物だった。ずっとランティスがもぐもぐと
噛んでいるので、光がくすくすと笑い出した。
「いつまで噛んでるの?ランティス。そろそろ飲み込んでもいいと思うんだけど」
光のその言葉に、とりあえずランティスは口の中のものを飲み込んだ。
「かなり変わった食感だったな…」
「うーん、そういえばこんにゃくみたいなのって、セフィーロじゃ食べた記憶がないかも」
「…旅をしている間も、食べた記憶がない」
セフィーロだけではなく交流ある三国も旅したランティスが食べた記憶がないというなら、こちらの世界にはないのかも
しれないなと光は思った。日本で生活しながら、中華料理だろうと、フランス料理だろうと、イタリア料理だろうと平気で
食べてきた光のほうが食に関する許容量はかなり大きいのかもしれない。夕方に医者で貰ってきた薬を飲む前に、
何か胃に入れておこうと一緒に食べていた光も、箸を置いてからランティスに言った。
「あのね、ランティス。約束してほしいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「ランティスって私がすることはたいてい受け入れてくれてる気がするんだけど、これからはずーっと一緒にいるんだから
嫌いな食べ物だったり、『こういうことされるのは好きじゃない』とかってこと、ちゃんと正直に言ってね?」
ひどく心配げなまなざしの光に、ランティスはしっかりと頷いてみせる。
「判った。そのかわりヒカルにも同じこと約束をしてほしい」
「うん。じゃ指きりしよう」
「ユビキリ?」
怪訝な顔をしたランティスに、光が右手の小指を立ててみせる。
「右手の小指伸ばして。そう」
そうしてランティスの長い小指と自分の小指を絡めると、軽く手を上下に振りながら、光は一人で口ずさんだ。
「♪指きりげんまん、嘘ついたら、針千本飲〜ます♪指きった!」
一方的に手を振り切られたところで、ランティスが眉を顰めている。
「針千本…。お前の世界の約束はずいぶん過激だな」
「あはは、そのほうが約束破らなくていいでしょ?」
食事を終えたところで、白湯を用意して手のひらの上に出したものを飲んだ光を、ランティスが見逃すはずもなかった。
「それは、薬じゃないのか?」
「ばれちゃった?こっちじゃ薬湯ばかりだから判らないかなと思ったんだけど」
ペロリと舌をだしてみせる光に、ランティスが溜息をついた。
「オートザムで似たようなものを見たからな。やっぱり具合が悪いんだろう、ヒカル」
「ちょっとね。用心にのんでるだけだよ。大丈夫」
体調が良くないのが明らかになったものの、もうあまり時間の余裕がない。仕方なくランティスは書棚に置いておいた
クレフから贈られた宝玉を光にも見せることにした。
「お前が留守の間に導師から頂いた。結婚の祝いだそうだ。ん――?」
「わぁ、すごく綺麗な石だね」
木箱を手にして見入る光の傍らで、ランティスの口から疑問の唸りが零れた。
「どうかした?ランティス」
『結婚式の時、祭壇に立つ私のほうから見たときと同じ並びの、左に青い石、右に赤い石だ』
念押しするようにクレフが言っていたのをランティスは確かに覚えていた。あれから一度も木箱には触れていない。
それなのに…宝玉は左に赤い石、右に青い石になってしまっている。
「何かメモが入ってるけど…うーん、私じゃ読めない」
クレフが走り書きした紙片を開いてはみたものの、まだセフィーロの文字に慣れていない光では達筆すぎてとても
読めなかった。
『私の部屋で見た時と色が変わっているだろう?この二つの石は昼と夜でその色を変える』
ランティスがそう読み聞かせると、光が大きな目をさらに丸くした。
「へぇ、色が変わるの?アレクサンドライトみたいだね」
「アレクサンドライト…?」
「えーっとね、地球にある宝石で、太陽光で見た時とろうそくや電灯で見た時とで違う色になるんだって。実物は
知らないんだけど、学校の友達からそう聞いたことがあるよ」
「そうか。導師の部屋で見た時には、今とちょうど反対の色だった」
不思議そうにいろんな角度から宝玉を見つめながら、ふと思案顔になった光が尋ねた。
「地球だとホントに好き嫌いだけで宝石選ぶんだけど、セフィーロで宝玉を身につける時って、『この色が好きだから』
とかじゃダメなんだよね…?」
「普通の石なら好みでつけることもなくはない。瞳の色や髪の色に近いほうが合わせやすいというのはあるが」
「これって、普通の石じゃない気がするよ。なんとなく、なんだけど。綺麗なだけじゃなくて、圧倒されるような感じがする」
ふわふわした光の髪に埋もれてあまり目立たないサークレットに、ランティスがすっと手を触れる。光の剣を収めていた
赤い宝玉は、創師プレセアの力を借り、今では魔法騎士のグローブからランティスとお揃いのようなサークレットの
ソリティアに姿を変えていた。
「そう、この石と同じ――魔法石だ」
「やっぱり…。魔法石って、瞳か魔法属性のシンボルカラーを選ぶものだって、前に教わったことがあるよ。昼と夜で
色が変わるなら、朝夕取替えっこするの…かな。それもなんだか大変そう」
クレフの走り書きの続きに目を通したランティスが、少し困ったような表情をしている光に告げた。
「いや、どちらの色になっていても、双方の性質を備えているんだそうだ」
「じゃあ、もし今この赤い石を持ってランティスが夜の森に魔物退治に出かけても、ちゃんと力になるんだね?」
「そういうことだろう。二つの異なる魔力を内包しているから、力が強すぎるのかもしれないな」
この木箱を持ったままアスコットとすれ違った時、まるでいきなりランティスに殴りかかられたかのように飛びすさっていた
ところをみると、おそらく痛いほどの力を感じ取ったのだろう。アスコットとて並外れた力を持っているのだが、苦痛がる
様子もなく木箱を手にしている光はやはりただ者ではないということか。
「ね、ランティス。この石、結婚指輪に使っちゃダメかな?そうしたらずっと身につけてられるよね」
「そうだな。お前はどちらの石がいい?好きなほうを選ぶといい」
「大きさも形も同じ、秘められた力も同じだったら、こっちに決まってる!」
迷いもせずに石をひとつ手に取り、胸に抱くように両手でそっとくるみこむと、満面の笑みを浮かべてランティスに言った。
「明日にはプレセアに指輪を創ってもらいに行こうね」
挙式を間近に控えて嬉しくてたまらない様子の光をそっと腕の中に抱きながら、導師との話のどこまでを光に話すべきか
ランティスはまだ決めあぐねていた。
余談ながら
光が置き土産に作っていった甘くない肉じゃがに
優と翔が大ブーイングだったのは言うまでもない。。。。
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当サイト限定事項
第二章の頃、オートザムから帰還した頃のランティスは
約二名を除いては敬遠されてましたからね
同じフロアどころか、実はすぐ上もすぐ下も
誰もいなかったりして…
メゾネットタイプでも改装できそうです(笑)